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国語科授業づくり10の原理・100の言語技術 義務教育で培う国語学力

51rvikbjrwl__sx352_bo1204203200__2国語科授業づくり10の原理・100の言語技術 義務教育で培う国語学力』堀裕嗣・明治図書・2016年3月

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国語授業づくりで使える原理と言語技術を領域別に解説

「言語技術」と「言語感覚」を分けて考えることで、国語科授業づくりは革命的に変わる!国語科の授業づくりで使える10の原理と100の言語技術を体系的にまとめました。「話すこと」「聞くこと」「書くこと」「読むこと」の領域別に解説した授業づくり必携の書です。/ 著者インタビュー

まえがき

本書を江部満に捧ぐ。

二十数年前、私が同人誌に書いたたった一本の実践原稿に目を留め、著書の執筆を依頼してくれたのは江部満その人である。昭和から平成にかけて氏は明治図書の大編集長だった。その功績は明治図書出版一社に限らない。氏のプロデュースした『教育科学国語教育』『現代教育科学』の両誌は間違いなく昭和から平成前半の国語教育界をリードした。雑誌をプロデュースするのみならず、国語教育界をプロデュースしたと言ったら言い過ぎだろうか。氏の編集者生活は前半は文学教育を、後半は言語技術教育を間違いなく先導した。事実、氏の炯眼によって世に出た国語教育研究者・実践家のなんと多いことか。

実は、私が本書を江部氏に提案したのは二○○三年のことである。氏に「堀先生、これはすごい。これができたら国語教育を変えられるかもしれない」と余りある言葉をいただいたことをつい昨日のように想い出す。しかし、書けるという想いは空回りするばかり、形になるまでになんと十二年もかかってしまった。本書が形になる前に江部氏が明治図書を退職し、『現代教育科学』が休刊になるなどとは、当時の私には想像だにできなかった。江部満の企画として本書を上梓したかったというのが本音である。私の筆があまりにも遅かったことを悔やんでも悔やみきれない想いだ。

私の国語教師生活も四半世紀が経とうとしている。生活綴方と一九五○年代の日文協の文学教育の研究からスタートした私の国語教育研究は、三十代に入ると同時に言語技術教育の観点を導入し、なんとか現代にも通じる綴方実践と文学教育を打ち立てられないものかとの試行錯誤に明け暮れた感がある。私はかつての生活綴方や文学教育と、言語技術教育やファシリテーションとをなんとか融合できぬものかといまだに実践と研究を重ねる者だが、此度、自分がそれなりに納得できる義務教育で培いたい言語技術の体系をまとめるに至ったことは、遅きに失したとはいえ万感の想いである。今後、これを基礎として「文学教育」はどうあるべきか、「綴方教育」はどうあるべきか、そのためにどのような現実的な「言語活動」があり得るのか、そうした提案を創っていこうと考えている。とにかく、ここに中間まとめを提出できたことを素直に喜びたい。

さて、本書は学校現場で国語の授業を担当する小学校・中学校の教師が、国語学力の技術的な側面を曖昧にしたままに日常の授業に取り組み、試行錯誤しながらもときに手応えを得、万全の準備と自信を得ながらも実際には紆余曲折する、そんな授業づくりを送っている現状をなんとか変えられないかとの強い想いを抱いて執筆したものである。できる限り難解な技術や専門的な技術を廃し、あくまでも日常の授業で使える言語技術に絞って提案したつもりである。しかも、各領域・カテゴリーの技術をそれぞれ二十に抑え、普通の教師が常に頭に入れておけるだけの数に絞りもした。国語教育研究の専門家からすれば不備不足が多いことは承知しているが、学校現場の国語科授業を具体的に変えるためには、このような方法が良いのだと私なりに熟慮した結果の提案である。国語教育の専門家に御批正いただきたいのはもちろんだが、私がそれ以上に望むのは現場の教師たちに本書を使ってもらうことである。

私は私なりに、この体裁に整えるためにときにはほんとうは書きたいことを抑制し、ときには私自身の実践にはあまり必要としないことに紙幅を割いた。私の国語教育観、私の世界観において、義務教育の現場教師に必要と想われる言語技術体系を提示したつもりである。本書が毎日の国語の授業づくりに悩む現場教師にとって少しでも力になるなら、それは望外の幸甚である。

あとがき

企画から上梓まで十二年の歳月を要した。説明的文章・文学的文章ともに「読むこと」領域の言語技術体系を二十にまとめることに曲折した故である。「話すこと・聞くこと」「書くこと」の二領域の体系づくりは既に二○○○年には完了していた。「読むこと」領域の文学的文章の言語技術体系は一度整理し、著書にもまとめもした。しかし、文学的文章教材指導の体系はそれでは納得がいかず、ましてや説明的文章指導の体系は整理がつかないままに年齢だけを重ねた。此度、本書を上梓するに至ったことに、感無量とはこういうことを言うのだろうと、また一つ実感的な語彙を増やしたことに一人ほくそ笑んでいる。

本書の内容はこの四半世紀に出会った多くの人々の支えによるものである。中でも、宇佐美寛先生、高橋俊三先生、大内善一先生、市毛勝雄先生、渋谷孝先生、阿部昇先生、鶴田清司先生、小森茂先生、大森修先生には言語技術教育の在り方について直接教えをいただいた。ここに深く感謝申し上げたい。また、野口芳宏先生には授業づくりにおいていかなる壮大な理念も機能させないことには無いと同じであることを、腹の底から実感させていただいた。私が生意気盛りの三十代前半に野口先生と出会えた幸運に感謝したい。更には、文学的文章教材指導の言語技術体系づくりに私が迷っていた折に教えをいただき、目を見開かれることになった田中実先生、須貝千里にも深く感謝申し上げたい。両先生にはご自身の提案が言語技術教育の体系に組み込まれることにはご不満を抱かれるとは承知しておりますが、どうかお許しいただきたく存じます。

私が教職に就いたのは一九九一年のことである。以来、「研究集団ことのは」という教育実践サークルで言語技術教育の研究を続けてきた。本書が形になったのは先達に教えを受けたことによるばかりでなく、「ことのは」でともに議論し続けてきた仲間がいたからこそである。森寛・對馬義幸・市川恵幸という「研究集団ことのは」草創期をともにつくった仲間たちにまずは感謝申し上げたい。私をトゥルミンモデルと出会わせてくれた田中幹也、ワークショップ型授業と出会わせてくれた石川晋、ディベート教育と出会わせてくれた田村和幸、「研究集団ことのは」でいまなお私を支え続けてくれている山下幸、常に私の教材開発に力を貸してくれている小木恵子の諸氏にも深く感謝したい。

そして、何と言っても私の国語教育研究を基礎づけてくれた、今は亡き師匠森田茂之に感謝申し上げます。あなたへの手土産がまた一つ増えました。来世でまた酒を酌み交わすのを楽しみにしています。

国語学力はもちろん言語技術だけではありません。しかし、国語学力のなかに技術的な側面があるのは確かなことです。その技術的な側面さえ整理できなくて、どんな国語教育ができるというのだ。そんな思いを抱いて、十二年間この仕事に取り組んできました。ここに私の国語教育実践研究人生の中間まとめとして本書を提出させていただきます。

今後も国語科授業づくりの研究、実践に精進することを決意して、あとがきに代えさせていただきます。

最後になりましたが、編集の及川誠さん、杉浦美南さんには企画から出版まで大変お世話になりました。特に本書原稿が完成するまでにはずいぶんと時間をいただきお待たせしてしまいました。ここに深く深くお詫び申し上げます(でも、お二方ともよくご存知のように、ほんとはそんなこと思っちゃいませんが……笑)。

松山千春/季節の中で を聴きながら……
二○一五年○月○日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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