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『若手育成 10の鉄則・100の言葉がけ』

51xniyfcn7l__sx344_bo1204203200__2若手育成 10の鉄則 100の言葉がけ』堀裕嗣・小学館・2016年3月

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プロ教師が教える「イマドキの若手」育成術

  本書はまず、第一章で、「アラフォー以下は、自律より承認を求めている」「若手が一番やりたい仕事を、奪ってはいけない」「酒席等で仲良くなっても、良い仕事はできない。順番が逆で、年度当初にチームとして仕事上の結果を出すことが先だ」「リーダーに必要なのは、優秀な人材ではなく、自分にできないことを補完できる人材だ」等、若手育成上の「10の鉄則」を提示します。教育のプロとしての分厚い現場経験に裏づけられたそれらの鉄則を知るだけでも、若手育成担当者のパラダイムは一変することでしょう。
第二章では、それぞれの鉄則について、10ずつの具体的な「言葉がけ」と、それに伴う具体的な育成ノウハウを、1ページ単位で紹介していきます。「世の中のミスは99%が謝りゃゆるされるもんだ」「恩は返すもんじゃない。送るもんだ」「お前の自己実現なんて二の次なんだ」「先の見える方を選ぶのが成功のコツ!先の見えない方を選ぶのが成長のコツ!」等々、「イマドキの若手」の心に響く言葉の数々と、リアルなエピソードは時に感動的で、一気に読める一冊に仕上がっています。

まえがき

こんにちは。たいへん御無沙汰しております。堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)です。お初にお目にかかる方もいらっしゃるかもしれません。今後お見知りおきを(笑)。

さて、僕のヒット作の一つである「10・100シリーズ」を、この度、小学館から刊行していただけることになりました。シリーズ五冊目、三年半ぶりの新作になります。諸事情によりしばらく頓挫しておりましたので、著者としてはたいへん嬉しく感じています。ただ長い人生においては三年半くらいはどうということもない期間だとも言えなくはありません。この間、このシリーズを休んでいたからこそ成立した企画というのも確かにあったわけでして、そういう意味では人生の巡り合わせの一つなのかもしれません。

今回のテーマは「若手育成」です。しかも「言葉がけ」という具体的なエピソードを基本としています。その意味で、本シリーズの中心的な装いである「原理・原則を語る」という抽象的な趣とは少々異なった本に仕上がりました。100のエピソードを、要するに100の事実を積み上げましたので、守秘義務に反することはないか、かつて一緒に仕事をした若者を傷つける表現はないかと、少々を気を遣いながら書きもしました。結果、100のエピソードのなかには事実そのものではない、多少僕が加工せざるを得なかったエピソードというものが少しだけ含まれていますが、九割くらいは〈事実〉そのものを、少なくとも〈僕の記憶のなかの事実〉そのものを書いている本です。

僕が若手教師の育成について考えるようになったのは二○○五年、札幌市立上篠路中学校に赴任して学年主任を務めるようになってからのことです。そこでは高村克徳先生、齋藤大先生、中村早苗先生、佐藤恵輔先生、仙臺直子先生という五人の若者たちと出会いました。また、前任校で札幌市立北白石中学校で学年主任を務めた折には、原啓太先生、新里和也先生、葛西紘子先生、佐久間遼先生という四人の若者たちを指導しました。いま振り返ってみると、前者は僕が初めての学年主任に戸惑いながら試行錯誤のなかで学年運営を進めていた時期、後者は自分の学年主任としてのスタイルが確立した後の安定期と言えます。この九人の若者たちと出会わなければ間違いなく本書は成立しませんでした。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとう。

また、同時期に僕の学年運営を支えてくれた二人の女性副主任、髙橋美智子先生(上篠路中)と山崎由紀子先生(北白石中)には、いくら感謝しても感謝し切れないくらい、ワガママな僕の学年運営を支えていただきました。もしもこの二人がいなかったら、間違いなく現在の僕はいないでしょう。彼女たちは僕の教育観と言いますか、職業観と言いますか、むしろ人生観と言っても良いようなものを変えてくれるほどの影響を僕に与えてくれました。あらためて、「みっち」と「ユッコ」に最愛を込めて、深く深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

北白石中学校では、渡部陽介先生、山根康広先生というスケールの大きな、二人の若者と出会うこともできました。この二人が今後、どのくらいスケールの大きな実践を積み重ねていくのか、或いはどのくらいスケールの大きな教師になっていくのか、僕はそれを楽しみにしています。

教員人生はほぼ四十年です。先の二十年を〈往路〉、後の二十年を〈復路〉とすれば、実は教員人生の多くの危機は実は〈復路〉にこそあります。人は年齢を重ねるに連れて、年上の人が少なくなり、年下の人が増えていきます。当然と言えば当然のことなのですが、多くの人たちはそれを忘れがちです。傲慢になったり、自分のことしか考えなかったり、いろいろなことを諦めてしまったり、自分ではそうと気づかないままに危機に陥ります。年下の、自分よりも若い世代からなにを学ぶか。どんな影響を受けるか。彼ら彼女らの影響によって、どれだけ自分の世界観を成熟させられるか。教員人生の〈復路〉にはそんな心持ちが必要なのだと思います。

本書が真剣に若手を育てたいと考える〈復路〉を生きる皆さんに、そして戸惑いながら〈往路〉を走り続ける皆さんに少しでも役立つなら、それは望外の幸甚です。

あとがき

いま、松山千春の最新アルバム「伝えなけりゃ」を聴いています。松山千春五十九歳、三十九枚目のオリジナルアルバムです。この少々傲慢でエゴイスティックなイメージのある北海道出身のフォークシンガーを僕は愛して止みません。松山千春がデビューしたのは一九七七年一月ですから、僕は小学校四年生でした。彼はそれ以前から北海道のラジオでは既に有名人でしたので、その頃からの千春ファンは、彼の二十歳から還暦までをずーっと見てきたことになります。僕もレコード・CDで音源化されているものについてはすべて持っています。現時点で、僕は十歳から五十歳までの四十年にわたって、この十歳年長のフォークシンガーを追い続けてきたということになります。

いまとなっては、新党大地のテーマソングになってしまった感のある「大空と大地の中で」を初めて聴いたときの衝撃が忘れられません。小学校高学年というのは、周りの女の子たちがどんどん大人っぽくなっていく時期ですから、ちょうどその時期にリリースされた「時のいたずら」という曲にも思い入れがあります。

年齢を重ねると、こうした長年触れ続けてきた表現者というものを幾人ももつことになります。音楽だけでなく、文学や芝居を含めれば、僕の場合、数十人にもなるような気がします。彼ら彼女らが次第に成熟していくのを見ていると、どんな分野においても成熟の大枠は同じような経緯を辿るのかな……なんてことも感じます。特に松山千春の歌詞はその趣が大きいのです。五十歳を超えた頃から、彼の歌詞は言葉がどんどん少なくなり、行間に情緒を醸すようになりました。自分の意志をストレートに表現することの多かった歌詞が、運命的なものに、自分の意志ではどうしようもないものに対する畏敬のようなものを表現するようにもなってきました。「そんなにあせる事はない」「コツコツとやるだけさ」「私は風吹くままに揺れてる」「僕はそれなりに生きている」「時の流れはとても速くて生きて行くだけでギリギリだけど」などなど、成熟の意味を知る者だけが語れるシンプルな言葉を連ねるようになってきている、そんな印象を与えます。

先にも述べたように、松山千春は僕よりちょうど十歳年上です。僕が二十歳のときに彼は三十歳でしたし、僕が三十歳のときに彼は四十歳でした。僕が四十歳のときには五十歳でしたし、そして僕が五十歳を迎えようとしているいま、彼は還暦を迎えようとしています。そんな節目節目の年に、松山千春のアルバムがリリースされる度、僕は「ああ、次の十年はこんなふうな境地に至る十年なのかもな……」と感じたものです。そんな想いを抱きながら、いま、「伝えなけりゃ」という最新アルバムを聴いているわけです。

二十代、三十代の若者たちと接していると、「こいつが四十代、五十代を迎えたとき、どんなふうに成熟しているのだろう……」という想像力が僕のなかで起動します。彼らが学校の中枢として働くころ、僕はもう現役ではありません。でも、彼ら彼女らには更に若い世代の成熟に思いを馳せながら、自分より若い世代を叱咤し、激励し、慈しむ先輩教師であって欲しい。やり方は人それぞれ、在り方は人それぞれであって良いけれど、自分と出会い、自分を頼りにする若い世代を慈しむ人であって欲しい。心からそう思います。

人は自分が若い頃にしてもらったことを、年長に立ったときに自分もしてあげたいと思う存在です。自分がしてもらえなかったこと、自分がして欲しかったのにその機会がなかったことについて、一所懸命にそれをしようとは思えないものです。とすれば、僕のいまの仕事で最も大切なのは、僕が若いころにしてもらったことを僕が出会った若い世代に本気でしてあげること、そういうスタンスで若者たちなに接すること、それだけなのではないかと思うのです。

僕は若いころ、ずいぶんと周りの人たち、特に年長の人たちに恵まれたという実感をもっています。ここで名前は挙げませんが、この人がいなかったら現在の僕はないなと思う方をたくさんもっています。そうした年長の同僚の方々は、幾人かは既に鬼籍に入られ、多くはいまどうしているのか僕にはわからない人たちです。しかし、お世話になった彼ら彼女らは、いまなお、確かに僕のなかに大きな存在感をもって生きているのです。

人は若いころに自分がしてもらったこと、自分がして欲しいと思っていたのにしてもらえなかったことに大きな影響を受ける存在なのです。なかでも「ああ、この人は自分のことを思ってくれている」「ああ、この人は自分に対して本気になってくれている」と感じた体験は、有形無形にその人の人生に良い影響を与えます。その人の人生観を規定してしまうほどの大きな影響を与えます。その意味で、年長者が若者にしてあげられることは「本気になること」だけだと僕は感じています。

たかが若い頃に接した短い期間のことです。そんな短い期間に結果が出たか出なかったかは、むしろどうでも良いことなのです。自分のために本気になってくれた人がいた。自分という存在を本気で肯定してくれた人がいた。その体験さえ与えられれば、年長者の仕事は既に八割方成功と言えるのではないでしょうか。そしておそらく、このことは毎日子どもたちに接している僕ら教師という仕事においても、同じ構造をもっているのです。本書が教育書として刊行されるのはそうした意味合いなのだろうと思います。

今回も編集の白石正明さんにご尽力いただきました。深謝致します。

伝えなけりゃ/松山千春 を聴きながら……
二○一五年十一月二十二日 早朝の自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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