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出会い

人間というのは、出会うべき人とは出会うべきときに出会うものなのだなあ…とつくづく思う。

藏満逸司。なんと素晴らしい男であったか。二人で飲みながら話していて、まったく退屈しない。食べ物をあんなにうまそうに食べる男を見たのも初めてだ。しかも、「うまいなあ、うまいなあ」と騒がしく食べるのではない。彼は静かに、満面にうまそうな表情を浮かべるのだ。こちらを案内して良かったな…という気持ちにさせる。もしも、彼と三十代の頃に出会っていたとしたらどうだったろう。僕は彼の魅力とか思想とかを理解できなかったかもしれない。もちろん、三十前から藏満逸司の名前と顔は知っていた。「授業づくりネットワーク」誌にはいつも、相撲取りかヤクザのような顔写真が載っていて(他人のこと言えないけどね・笑)、こんな物静かな人だというイメージはまったく持っていなかった。

多賀一郎という男にも同じことを思う。もしも多賀さんが45歳、僕が35歳のときに出会っていたら、お互い生意気で喧嘩していたかもしれないなと思う。やはり出会うべきときに出会ったのだろう。

廣木道心もそうだ。35歳の僕の前に彼が現れても、僕は彼の思想を自分の実践に活かそうなどとは思わなかっただろう。四十代後半だったからこそ、彼の思想、発想が僕の感覚に必要とされたのだ。

金大竜との「往復書簡」を書き上げて思うのは、金大竜にとってはおそらくこの時期に僕と出会ったのが良かったのだろうな…ということだ。25歳の彼と40歳の僕が出会っても、45歳の彼と60歳の僕が出会っても、おそらく僕はいまほどの彼の触媒にはなり得なかっただろう。

思えば、二十代、三十代の頃に僕を育ててくれた先生がたくさんいた。ずいぶんと可愛がってくれた先達がたくさんいた。潟沼誠二先生、森田茂之先生、鹿内信善先生、安藤修平先生、野口芳宏先生、宇佐美寛先生、大内善一先生、高橋俊三先生、鶴田清司先生、阿部昇先生、小森茂先生、河野庸介先生、田中実先生、須貝千里先生、大森修先生、寺崎賢一先生……もう数え上げたらキリがない。この十年ほど、ずいぶんと不義理を働いているなあ…と改めて想う。

そういや去年、十数年振りに「言語技術教育学会」に参加した折、野口さんに「10年以上この学会から脚が遠退いたことを反省しなさい!」と言われたっけ(笑)。

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