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流動性の有無

ただし、職員室や会社のカーストと〈スクールカースト〉との間には一つだけ決定的な違いがある。それは流動性がないということだ。

職場なら多少馬の合わない人がいたとしても、営業に出ているときや別のプロジェクトで働いているときにはその人から逃れられる時間がある。職員室に僕を日常的に攻撃してくる人がいたとして、授業をしているときにはその人から解放されるわけで、一日の大半が授業なのだから一日に何分かのその攻撃も我慢することができる。いざとなったら転勤希望を出して人事移動によって逃げることもできる。

でも、学級集団というのは一時間目から六時間目まで一日中そのメンバーで過ごすのである。それが毎日毎日続く。その学級がいやだから別の学級にしてくれという希望は原則として認められないし、この学級がいやだから転校しようというのもなかなかハードルが高い。一日中我慢を強いられるという状況は社会人にはあまりない状況である。その分、生徒たちにとっては深刻であるわけだ。

しかも、学級では少なくとも一年間、その固定化された人間関係が続くことになる。子どもの時間の流れは大人のそれよりもかなり長い。みなさんにも経験があるはずだ。いまでこそ一年間なんてあっという間に過ぎ、「また今年も紅白だ…」となるけれど、子どもの頃、十代の頃の時間はもっともっとゆったりしていた。そんな時間感覚のなかで、しかも固定化された人間関係のなかで、生徒たちがネガティヴな感情を抱きながら過ごさなければならないとしたら、それは僕ら大人には想像もできないような苦痛となるだろう。

それはちょうど、子どもがある一定の年齢になったときに公園デビューを果たした若いママさんが、ママカーストに苦しむのに近いかもしれない。人間関係には流動性がなく、公園ママのメンツがいやだからといってそう簡単に引っ越すというわけにもいかない。子どもが幼稚園や小学校に上がって、そこで思いもしないママカーストに苦しむというのは、世のお母さん方がみんな経験している。息子がサッカーの少年団なんかに入ってしまうと、やれ今週のお世話係はだれ、これとこれを揃えるのはだれの仕事と、土日も意にそぐわない日程を組まれるのに文句も言えない。しまいにゃ行きたくもないメンツでランチにまで付き合わされる始末。〈スクールカースト〉はそんなママさんたちの実態に近い。

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