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死角意識の効用

冒頭にも述べたが、人は読む本を選ぶとき、自分の興味を抱いた本、自分の好きな作家の本を読むことが多いものである。興味をもてない領域の本、嫌いな作家の本をわざわざ読もうとする人はまずいない。しかし、私はそれを意識的にする。興味をもてない領域、嫌いな作家の新作を敢えて手を出す。自分を高めるには、自分が何を知っているか、何を知りたいかについて追究するよりも、自分が何を知らないか、自分が何について知ろうとしていないかについて追究するのが一番だからだ。

私は現在49歳の男性教師なわけだが、四十代になってから、できるだけ女性の論者の本を読もう、できるだけ女性の作者の小説を読もう、できるだけ若い論者の本を読もうと意識している。一般に男性読者は女性の書いた本をあまり読まない。また、男性読者は自分よりも若い著者の論述になかなか手を伸ばさない傾向がある(多くの女性読者にはその傾向がない)。おそらく、女性や若者をどこか馬鹿にしているのだと思う。私は40歳頃に自分のその傾向に気づいた。そしてその後、意識して女性や若者の書いたものを読むようにしたわけだ。その結果、女性の著者も自分よりも若い著者も、私の視野を革命的に広げてくれたと実感している。

また、『苦役列車』(新潮文庫)で芥川賞を獲った、西村賢太という私よりも一つ年下の作家がいるだが、この作家も私の視野を革命的に広げてくれた作家の一人である。西村は中卒で、コンプレックスと体力と性的身体性を描く作家なのだが、自分と同時代を生きた人間のなかにこういう感性があったかと、私は驚かざるを得なかった経緯がある。西村賢太と出会うまで、こうした下層を描く書き手は永山則夫をはじめとするひと世代上の作家という固定観念があった。西村は私のそんな固定観念を見事に破壊し、自分の生きた時代を顧みさせてくれた。私は私の知らない、私の気づかなかった「同時代」を知りたくて、彼の作品が掲載される雑誌を買ってまで読んでいるほどである。

知らないこと、知ろうとしていないことを知ることは、実はとても楽しく、有意義なことなのだ。

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