呑み会を楽しめる頂点はいまである
みなさんは職場の同僚とどのくらいの頻度で呑みに行くでしょうか。呑み会の頻度というのはその職場の文化(と言っては大袈裟ですが)とかかわっていますから、必ずしも多ければ良いとも言えませんし、少ないのが悪いとも言えません。ただ私自身が酒席が好きだということを差し引いたとしても、三十代のみなさんがあまり同僚と呑みに出ていないのだとしたら、少しその頻度を増やしてみてはどうかなとは思います。
なぜかと言うと単純なことです。それは実は教員人生のなかで三十代が最も呑み会を楽しむことができ、充実させることができるからです。
教員生活は二十歳過ぎから六十歳程度まで約四十年間あります。学校組織は二十代・三十代・四十代・五十代でできているわけですね(最近は再任用の先生方も多くなり、六十代前半もかなりいますが、ここでは基本的に彼らは五十代と同じメンタリティと考えます)。とすると、こういう組織において最も呑み会、つまり職場の懇親会を楽しく充実したものにできるのはどの世代でしょうか。それを私はどう考えても三十代だと思うのです。
三十代は二十代の若者を引き連れて飲みに出ることができます。もちろん、四十代が二十代を誘って呑みに出ても構わないわけですが、二十代から見れば四十代に誘われるのと三十代に誘われるのとは意味が違います。四十代に誘われる呑み会は懇親の場であり、もしかしたらお説教されるかもしれない緊張感のある場です。しかし、三十代に誘われる呑み会は単純な遊びとして認識されるはずです。四十代が二十代の話を聞くときには、いくら酒席の場と言っても議論にフラットな関係で議論したり、二十代が「私の感覚はこうです」と訴えることもまず想定できないでしょう。しかし、三十代が二十代の話を聞くときにはそういうことがあり得るはずです。三十代は二十代の話に耳を傾ける姿勢をもっています。この差は呑み会においてかなり大きな差です。
また、三十代は四十代と呑むときにやはり同じ感覚で話をすることができます。四十代は校内の各部署で実権をもっている世代ですから、そこにアイディアを提案すれば四十代はそれに力を貸してくれるかもしれません。少なくとも二十代が四十代に対して同じことをしたときとは、四十代の聞く姿勢が違います。三十代が四十代と呑むときには、二十代が感じるようなレベルの緊張感もないはずです。
要するに三十代というのは、学校を実質的に動かしている人たちとも、これからを担う新しい感覚をもっている人たちとも、どちらともフラットに近い(決してフラットではありませんが)感覚で濃密な会話のできる年代なのです。このことは職場を機能させるうえでも、自分が成長するうえでもかなり優位な立場だと言えるのではないでしょうか。
しかも、あまり意識されていませんが、それはかなり限られた期間なのだということが言えます。四十代になると二十代のメンタリティにはかなり距離ができます。なかには管理職試験を受けたり校内人事で次のポストをなんていう人も出てきますから、呑み会の話にも利害関係が加わる可能性が否定できません。まだまだ若いつもりの四十代ももちろんたくさんいますが、やはり自分がなにかを言うと「若い人たちが気を遣うから」と気を遣いながら呑み会に参加するというメンタリティが生まれてきます。五十代になると、躰もきつくなりますから若い頃のようなに二次会、三次会まで…というわけにもいかなくなります。管理職なら二次会以降は自分がいない方が本音で話せていいだろうと二次会以降は敢えて席を辞するのが慣習とも言えます。
実は、三十代は、純粋に酒席を楽しみ、純粋に酒席の議論を成長につなげられる最後の年代なのです。おそらく、三十代の渦中にいるみなさんはこんなことを考えたこともないと思います。しかし、まず間違いなく、呑み会を大きく自らの糧にできるのはあと数年から長くて十年なのです。
いかがでしょう。若者たちを誘って呑みに出てみようかな、先輩教師とちょっと語り合ってみようかななんて、ちょっとだけでも思っていただけました?(笑)
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