まえがき/あとがき
まえがき
教師の武器はたった二つ。即ち「言葉」と「表情」である。その場に相応しい表情を伴った言葉を一般に「語り」と言う。教師は「語り」によって子どもたちを導かねばならない。それが教師の仕事である。
学級づくりにおいて、学級担任がこうした自分らしい、それでいて子どもたちの心に響く「語り」を身につけているか否かは、学級経営の成否を決めるほどの重要な要素である。ある教師は穏やかに、ある教師は和やかに、ある教師は毅然とした態度で、ある教師は精一杯の自分を演出しながら、子どもたちの心に響く「表情」と「言葉」を武器に語る。その「語り」が子どもたちに少しずつ機能していくに従って、その教師らしい「色」が学級に形づくられていく。そういうものだ。
「語り」は教師に、その人にしか醸せない「味」をつくり出す。その教師なりの「味」を醸し始めたとき、教師は初めて周りの教師たちのだれもが認めざるを得ない存在感を示し始める。そういうものだ。
本書は「説得」をテーマに、学級担任が子どもたちの意に反して教師の意図に導こうとするときの「語り」について自己分析していただくことにした。20人の中堅・ベテランの教師に、自らの教師としての「語り」の妙を披露していただく。そういう企画である。
本書が「教師力」を身につけたいと願う若い教師たちの一助となれば、それは望外の幸甚である。
あとがき
教師にはどうしても説得し切るしかないという場面がある。ときには子どもたちの逸脱によって。ときには被害の子どもの訴えによって。ときには職員室の総意によって。ときには学校教育を機能させるために。子どもたちに理解を示したいと本音では想いながら、それでも説得しきらなければならないときがある。
子どもたちに用意されている道は三つだ。即ち、〈説得される〉〈妥協する〉〈開き直る〉である。もちろん、子どもたちが心から〈説得される〉なら、それは成功である。子どもたちが「この先生に言われたら仕方ない」と〈妥協する〉なら、それはそれで教師も学校教育も対面を保つことになる。しかし、子どもが〈開き直〉って教師に体当たりで抵抗するなら、それは明らかな「説得の失敗」となる。
20人の執筆者の原稿を読んで感じたのは、執筆者のそれぞれが「説得の言葉」以上に、一人ひとりが「教師としての在り方」とでもいうべきものをしっかりもって子どもたちに当たっていることである。「説得の言葉」自体というよりも、その教師が日常的に子どもたちの前にどのような立ち姿で在るのか、そこにこそ本質があるように私には思われる。「説得の言葉」はもちろん大切である。しかしそれ以上に私たちが磨くべきは、「教師としての在り方」なのだろうと思う。
鳥は鳥に/谷山浩子 を聴きながら…
2015年4月2日 自宅書斎にて 堀 裕嗣
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