自らを発展途上人と意識する
学級担任の力量はどんな学級をつくったかではなく、どんなふうに子どもたちが育ったかで測られる。どんなに一生懸命に仕事をしても、どんなに愛情をもって子どもたちに接したとしても、子どもたちが育っていなければその教師の力量が高いとは言えない。
この原理に反対する方はいないでしょう。その担任が受け持っている間はよい学級なのに、学年が上がって別の担任が受け持ったら荒れてしまう。子どもたちはその担任だからついて行ったのであり、子どもたちが育っていたわけではない。ネタ開発を得意としたりパフォーマンスを得意としたりする教師に多く見られる現象です。
学級づくりならこの原理が納得できるのに、職員室にこの原理を持ち込む人はまずいません。私はそれが不思議でならないのです。学年主任として仕事をしたら、その学年をどのように運営したかはもちろん大切です。しかし、副主任の先生に次の年度に学年主任として仕事のできる力量をつけたか、中堅的な先生方に学年運営に大きく貢献するような力量をつけたか、こういうことがもう少し評価観点として意識されても良いのではないか。
教務主任として仕事をすれば、次の教務主任を育てなければならないし、生徒指導主事として仕事をすれば次の生徒指導主事を育てなければなりません。それも自分と同じやり方を踏襲するだけの人間ではなく、自分にできなかったこと、自分が気づかなかったことにちゃんと取り組んでくれる、自分以上の人材を育てた者ほど評価されるべきなのです。
副主任は一般的に、自分よりすぐ下の世代、年代でいえば三十代後半が最も多いはずです。その年代の人たちは、まだまだ自分は前線で子どもと関わることが仕事であると感じているものです。学校経営・学校運営に自分が関わっているという意識もまだ強くありません。ですから、管理職の方針と異なることに一生懸命になったり、独善的な視点で大きな失敗をしてみたりということが少なくありません。そんなとき、管理職の側だけに立って批判するのではなく、その後輩の側だけに立って擁護するのでもなく、管理職の思いとその後輩の思いとを調整しながら、基本的には後輩のフォローを旨とする……四十代にはそんな姿勢が必要となります。学校の運営が揺らぐようなことをしてはいけませんが、前向きに取り組む後輩のやる気をそぐようなことをしてもいけません。管理職は学校運営に責任をもっているわけですから、自分の主張を絶対に曲げるわけにはいかないでしょう。間に入って調整し、その後輩に管理職の意図を話して聞かすのも、裏で管理職にその後輩への期待を語るのも、やはり四十代の役目なのです。
ところが、四十代は自分が仕事にそれなりの自信をもち、校内でもそれなりに仕事の段取りをつける位置にいるものですから、それに反する動きをする中堅教師を批判したり蔑ろにしたりすることが決して少なくありません。自分が教務系の仕事を得意としていれば教務系の仕事を得意とする後輩ばかりに目をかけ、自分が生徒指導系の仕事を得意としていれば生徒指導系の仕事を得意とする中堅・若手ばかりを評価する。意識しているいないにかかわらずそんな例も多く見られます。しかし、人を育てるということは自分と似た人に目をかけることではないのです。それは寵愛であって育成ではありません。それでは学級経営において優等生ばかりを可愛がったり、やんちゃ系ばかりを可愛がったりするのと同じです。四十代になったら、職員室においてどんなタイプの後輩でも育てるという姿勢をもちたいものです。そうした姿勢はどんな教師のタイプも否定せず、自分にないものをもっている後輩からは自分自身が学ぼうくらいの心持ちになることから始まります。
もう少し辛辣に言えば、四十代というのは先の見える年代です。自分はここまでだな、自分はこの程度だなと、残り十数年の自分の教員人生が見えてきます。自分のゴールが見え始めたとき、人は自分の現在を変えるとか、更なる成長を求めるとか、そうした前向きな姿勢を失いがちです。自らの現在をある種の〈完成形〉と捉えてしまいます。しかし、完成し変容を拒む者に、実は若い人は魅力を感じないのです。その人の言うことを素直に聞こうとは思わないのです。四十代の敵は何と言っても「自らを発展途上人と位置づける謙虚さの喪失」と言えるでしょう。
多賀一郎先生がこんなことを言っていたのを聞いたことがあります。
「五十代になってみてわかったんだけど、五十代になってからの授業ってのはおもしろいもんだよ。みんな管理職になったり、もうゴールが見えて工夫しなくなったりして意識していないんだけど、子どもたちから見ておじいちゃんになったからこそできる授業の工夫、できる実践の工夫ってのが確かにあるんだ。」
四十代になっても五十代になっても自らを完成形などと捉えず、変容を拒まずに「発展途上人」として自らを位置づけるということはおそらくこうした境地を言うのです。私もまだ四十代ですから、自分の経験から言うことはできませんが、還暦を間近に控えた多賀一郎の言に、私はある種の神々しささえ感じたものです。自らが成長の渦中にあるとの自覚を持つ者だけが、よりよく人を育てることができるのです。それは、決して職員室の同僚を育てることのみならず、子どもたちを育てることにも間違いなく言えるはずです。
「四十にして惑わず」とは孔子の時代のこと。「もっともっと」という貪欲さや「ああなりたいこうなりたい」という憧れをまだまだもっていたいものです。そう。貪欲さや憧れとは〈発展途上人〉のものなのです。
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