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若者をメチャクチャ可愛がる

四十代の勤務時間は自分のために半分、そして残りの半分は周りの先生たちのためにある。このくらいに考えるのがいい。私はそう考えています。四十代の労力は自分のために半分、周りのために半分使われるのがいい。つまり、四十代の時間と労力のうち、自分のために使えるのは半分なのだということです。半分の時間と労力で自分の仕事のすべてをこなさなければならない。そういうことです。

自分の学級は多くて四○人。一般には三○~三五人くらいでしょう。担任をもちながら学年主任、生徒指導主事、教務主任をするという場合、自分の学級だけに時間と労力をかけ、主任業務については最低限の事務仕事だけしていれば良いという考え方では、仕事を全うしたとは言えません。学校の児童生徒全員に責任をもつ、主任クラスがもつべき意識とはそういうものです。学校経営に参画するとはそういうことなのです。

しかし、自分の躰は一つ。自分一人が同時に子どもたちを指導することはできません。とすれば、職員室の先生方が気持ち良く仕事に取り組める環境を調える、力量のない先生が力量を高めていく環境を調える、そうした環境設定によって間接的に責任をもっていくしか方法はないではありませんか。そうです。四十代になったら、学校経営に参画する立場になったら、自分の仕事だけでなく周りの先生方の仕事の環境を調えることに時間と労力の半分を費やさなければならないのです。

さて、周りの先生方の仕事環境を調えると言われても、何をして良いのやら……。まず第一にすべきことは実はとても簡単なことなのです。だれにでもできることです。それは職員室の若者たちをメチャクチャ可愛がる、ということです。自分の学級の子どもたちと同じように、どんな若者にも分け隔てなく均等に愛情を注ぐことです。

教師は自分の後輩を可愛がるというとき、どうしても自分と似たタイプの若者を可愛がりがちです。授業研究を得意として生きてきた教師は授業研究を得意とする若者を、生徒指導を得意として生きてきた教師は生徒指導を得意とする若者をひいき目に見てしまいます。また、自分の得意な分野こそが教育の根幹だと思い、それさえやれればすべてがうまく行くとでも言わんばかりに強調してしまいがちにもなります。そういう先輩のもとでは若者たちも「オレは授業研究ができないからなあ…」とか「私は生徒指導が苦手だからなあ…」などという劣等感を抱いてしまいます。生き生きと仕事をすることができません。実はこれがなによりいけないのです。自分と似たタイプの若者には「お前を見ていると自分の若い頃を見ているようでヒヤヒヤするよ」なんて言いながら、また、自分と異なるタイプの若者には「オレはそういうの、若い頃できなかったなあ。お前がうらやましいよ」なんて言いながら、どの若者も分け隔てなくメチャクチャに可愛がる。日常の職員室の談笑の際にさりげなくこんなことを言ってあげる。ときには若者たちを呑みに連れ出して、そんなふうに肯定してあげる。こうしたやりとりこそが、実は環境設定なのです。

もしかしたら、みなさんは、最近の若者が先輩からの呑み会の誘いを迷惑がるようになった、付き合いが悪くなったというひと昔前のマスコミの喧伝を信じ続けているかもしれません。しかし、実はそうした若者たちは既に三十代になっています。現在の二十代は人付き合いをとても大切にする世代です。もちろん全員とは言いませんが、十年年前と比べれば、みんなで呑みに行くこと、みんなで取り組むちょっとした行事など(BBQなどですね)を一緒に楽しめる世代になって来ています。むしろ、現在四十代の自分たちのほうが、若かったときの方が付き合いがよくなかったのではないかとさえ感じられます。断られたら……と変に怖れることなく、思い切って誘ってみることをお勧めします。

さて、話をまとめます。自分の学級の子どもたちに対して、このタイプは可愛がるけどこのタイプは可愛がらないという教師はいないはずです。社会人なんだから……と変に厳しい目をもたずに、若者たちを正面から可愛がってみてください。間違いなく、現在の若者たちはすくすくと育っていきます。

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