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書斎の効用

書斎とは、その書斎の持ち主の「なりたい自分」の姿である(前掲『街場のメディア論』)。

1000冊以上の蔵書をもつ者で、そのすべてを読んでいるという者はおそらくいないだろう。一般的には3割、多い人でも4割、たぶん半分読んでいるという者はほとんど皆無だろうと思う。しかし、それでも読書家は書斎を愛する。自分の書斎を心から愛している。「いつの日かこれをすべて読んでいる自分になりたい」「いつの日かこれをすべて理解している自分になりたい」という、その具体的な表象がそこにあるからだ。書斎とは「なりたい自分」への憧れが創り出す仮象である。

私はちなみに書斎を二つもっている(というか、つくっている)。通称(と言っても自分で名付けているだけで、数人しか招いたことがないのだが・笑)「教育の部屋」と「文学の部屋」である。教育関係の本は「教育の部屋」で読み、文学関係の本は「文学の部屋」で読む。双方にちゃんと机があって、教育関係の原稿は「教育の部屋」で書くし、文学関係の原稿は「文学の部屋」で書くことにしている。たぶんこの書斎の在り方は、私の日常的なアイデンティティの源、と言うよりも「発言原理」や「行動原理」の源にもなっている(笑)。

一歩足を踏み入れると、私の書斎には全集本が並んでいる。私は毎日、書斎のドアを開けてこの全集本が並んでいるのを見る。サド、ドストエフスキー、トルストイ、カミュ、フロイト、サルトル、ハイデガー、魯迅、夏目漱石、坂口安吾、武田泰淳、三島由紀夫、安部公房、竹内好、高橋和巳、井上光晴、深沢七郎、澁澤龍彦、山川方夫、まど・みちお、安房直子などなど……。芦田惠之助、時枝誠記、西尾実、輿水實、斎藤喜博、大村はま、西郷竹彦、大西忠治、野口芳宏などなど……。戦争文学全集や国語教育方法論体系、国語教育基本論文集成なども並んでいる。さあ、この数百冊の全集本に象徴されるような「知の世界」に今日も入って行くぞ……無意識にそんな思いを抱いて私は毎日書斎に足を踏み入れているような気がする(でも、今後、私が全集を買うことはもうほぼないだろうと感じている。今後全集を買うことがあるとしたら、「池田晶子全集」が出たときだけだろうと思う)。

全集本スペースの奥には「教育の部屋」がある。そこには大正期から昭和にかけての文学教育に関する本、生活綴り方に関する本から平成の軽いタッチの教育書に至るまで所狭しと並んでいる。法則化運動の主要書籍やプロ教師の会から苅谷剛彦や土井隆義に至るまで、デスクトップに向かう椅子に座ったまま手の届く位置に置いてある。国語教育に関する辞典・事典の類ならば、おそらく私の書斎には戦後出版されたすべてがあると思う。

更に奥に行くと「文学の部屋」である。古典文学関係こそ岩波の日本古典文学体系の他には百数十冊しかない(私は古典文学に暗い。本気で読んだことがあるのは「雨月物語」くらいだ)が、近代から現代の文学作品と文学評論は数千冊を数える。なかでも高橋和巳はすべてが初版で揃っているし、三島由紀夫の小説の初版は残り9冊を残すのみとなっている(両者とも文庫を含めるとまだまだある。文庫の初版はなかなか見つからない・笑)。80年代の半ばからは村上春樹の新刊が出ると必ず初版を5冊買うことにしている。初版本に4色ボールペンで線を引きながら読んでいると、ある種の傲慢な悦楽を感じるのだ(要するに変人ですね・笑)。

おそらく私の憧れは、これらの本をすべて読み、これらの本をすべて理解できる自分なのだ。

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