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読書の効用

実は、読書にも同じことが言える。

多くの人は自分の気に入ったものばかり読む。気に入らないものは読まない。数頁から数十頁を読んで「おもしろくない」「自分には合わない」と思えば、すぐにその書を顧みなくなる。逆に、気に入った著者の新刊は必ずすぐに買う。社会的に駄作と評されるものさえ、その著者の作だからと「社会の側」に責任を転嫁する。この構造は、アベレージの低い“転勤イケイケ系”と同じだ。

読書には私の言うような転勤と同じ効果をもたらす論述にたくさん出逢える。読む本が多くなればなるほど、その出逢いは間違いなく増える。しかも、自分がよく知らない内容、気に入らない主張、気に入らない著者の著作に触れれば触れるほどその効果は高まる。世の「読書人」と呼ばれる教師たちでさえ、この構造に気づいていない者が多々見られる。私は彼らを「読書人」とは呼ばない。

ある本を読む。そのときになにより大切にしなくてはならないものは、自らの「違和感」である。自分はなぜこの内容を知らなかったのか、自分はなぜこの主張を気に入らないのか、自分はなぜこの作者や論者が嫌いなのか、これを考えることは、気に入ったものに対してなぜ気に入っているのかを考えることよりも、数百倍から数万倍の効果がある。もちろん、こんな数字は適当だけれど、私の実感としてはそのくらいの差がある。

この効果に気づいていない人と本の話をしていると、私は気の毒に思う。かわいそうだなと感じる。この人は遂に読書の悦びを知らぬままに、自分はたくさんの本を読んだと表層的な満足感に身をあずけて死んでいくのだろうと……。読書好きの私としては、読書好きにとってこのことこそが最も怖ろしいことだと感じられる。そんなにも好きな対象について、その効果の深みを遂に理解できないことを意味するのだから。これほどの不幸はない。

繰り返しになるが、なにより大切にしなくてはならないのは自らの「違和感」である。人は自らの肯定的な感情に対して分析のエネルギーを費やすことはできない。しかし、否定的な感情に対しては、その所以を理解したいと思うものだ。なぜこんなにも怒りを覚えるのか、なぜせこんなにも居心地が悪いのか、なぜわけのわからないムズムズを感じるのか、そんな怒りや居心地の悪さやムズムズ感を抱いたとき、それは自分の目の前に分析に値するものが現れたということなのだ。いま自分は「自己分析」に一歩踏み出すべきなのだ。私はそう解釈することにしている。

転勤も読書もこの構造は同じだ。基準にすべきは前任校の仕事の作法やその著者の考え方などはない。新任校や目にした論述をただ感情的に否定しても何も産まれない。基準はあくまで「自分自身」なのある。そして、なにかに「違和感」を抱くことは、実はその「自分自身」という基準の精度を上げるチャンスが巡ってきたことを意味するのだ。

こう考えることができるようになれば、あとはその「自己分析」に邁進するだけである。ああでもないこうでもないと思考を巡らすだけである。この感覚を身につけさえすれば、転勤も読書も愉しく有意義になる。人生の瞬間瞬間が愉しく有意義になる。毎日が、毎時間が、その瞬間が、常にフィールドワークになっていく。

実は、読書の悦びとはここにある。

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