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言葉の普及

〈スクールカースト〉という語が普及し始めたのは二○○○年代の半ばのことだったように思う。なんだか霞みたいにどこからともなく立ち現れ、次第にネットで話題になり、いつしか子どもたちの間でも使われるようになって、幾人かの社会学系の論者が取り上げ始めて、米倉涼子のドラマ(「35歳の高校生」二○一三年四月)で爆発的に認知された。

最初は教育おたくとか一部のマニアックな人たちがこの語を用いて現代の教育問題を論じているという感じだったのに、二○一○年代になった頃から学校教育に携わる者にとっては無視できない言葉になってしまった。そんな感じで普及してきたように思う。〈学級崩壊〉も〈指導力不足教員〉も〈パラサイトシングル〉も〈婚活〉も〈草食系男子〉もそういう感じで普及してきたわけだから、きっとある言葉が普及するときっていうのはそういうものなんだろう。

僕が〈スクールカースト〉なる言葉を知ったのは二○○○年代の後半のことだったけれど、初めて聞いたときに、既に生徒たちを取り巻く教室内の階層意識を的確に表現する語として膝を打った記憶がある。そのくらい生徒たちを取り巻く状況を表すのにぴったりの言葉だった。一○年代に入ってからは、「○○くん、カースト高いよね」「オレ、カースト低いから…」などという言葉を他ならぬ生徒たちから聞くこともあったし、最近も、身近なところである学級のLINEグループで四十人近い学級生徒全員を格付けする投稿があって指導に手を焼いたという話を耳にしたこともある。まったく、ドラマさながらの現実が学校の現実のなかにさりげなく、それでいて確かな現実味を帯びて紛れ込んでいる実感がある。

「教師たちよ、おまえたちはもう、この言葉を無視できないぞ。」

そんな声がどこからともなく聞こえてくる。

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