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2015年4月

書斎の効用

書斎とは、その書斎の持ち主の「なりたい自分」の姿である(前掲『街場のメディア論』)。

1000冊以上の蔵書をもつ者で、そのすべてを読んでいるという者はおそらくいないだろう。一般的には3割、多い人でも4割、たぶん半分読んでいるという者はほとんど皆無だろうと思う。しかし、それでも読書家は書斎を愛する。自分の書斎を心から愛している。「いつの日かこれをすべて読んでいる自分になりたい」「いつの日かこれをすべて理解している自分になりたい」という、その具体的な表象がそこにあるからだ。書斎とは「なりたい自分」への憧れが創り出す仮象である。

私はちなみに書斎を二つもっている(というか、つくっている)。通称(と言っても自分で名付けているだけで、数人しか招いたことがないのだが・笑)「教育の部屋」と「文学の部屋」である。教育関係の本は「教育の部屋」で読み、文学関係の本は「文学の部屋」で読む。双方にちゃんと机があって、教育関係の原稿は「教育の部屋」で書くし、文学関係の原稿は「文学の部屋」で書くことにしている。たぶんこの書斎の在り方は、私の日常的なアイデンティティの源、と言うよりも「発言原理」や「行動原理」の源にもなっている(笑)。

一歩足を踏み入れると、私の書斎には全集本が並んでいる。私は毎日、書斎のドアを開けてこの全集本が並んでいるのを見る。サド、ドストエフスキー、トルストイ、カミュ、フロイト、サルトル、ハイデガー、魯迅、夏目漱石、坂口安吾、武田泰淳、三島由紀夫、安部公房、竹内好、高橋和巳、井上光晴、深沢七郎、澁澤龍彦、山川方夫、まど・みちお、安房直子などなど……。芦田惠之助、時枝誠記、西尾実、輿水實、斎藤喜博、大村はま、西郷竹彦、大西忠治、野口芳宏などなど……。戦争文学全集や国語教育方法論体系、国語教育基本論文集成なども並んでいる。さあ、この数百冊の全集本に象徴されるような「知の世界」に今日も入って行くぞ……無意識にそんな思いを抱いて私は毎日書斎に足を踏み入れているような気がする(でも、今後、私が全集を買うことはもうほぼないだろうと感じている。今後全集を買うことがあるとしたら、「池田晶子全集」が出たときだけだろうと思う)。

全集本スペースの奥には「教育の部屋」がある。そこには大正期から昭和にかけての文学教育に関する本、生活綴り方に関する本から平成の軽いタッチの教育書に至るまで所狭しと並んでいる。法則化運動の主要書籍やプロ教師の会から苅谷剛彦や土井隆義に至るまで、デスクトップに向かう椅子に座ったまま手の届く位置に置いてある。国語教育に関する辞典・事典の類ならば、おそらく私の書斎には戦後出版されたすべてがあると思う。

更に奥に行くと「文学の部屋」である。古典文学関係こそ岩波の日本古典文学体系の他には百数十冊しかない(私は古典文学に暗い。本気で読んだことがあるのは「雨月物語」くらいだ)が、近代から現代の文学作品と文学評論は数千冊を数える。なかでも高橋和巳はすべてが初版で揃っているし、三島由紀夫の小説の初版は残り9冊を残すのみとなっている(両者とも文庫を含めるとまだまだある。文庫の初版はなかなか見つからない・笑)。80年代の半ばからは村上春樹の新刊が出ると必ず初版を5冊買うことにしている。初版本に4色ボールペンで線を引きながら読んでいると、ある種の傲慢な悦楽を感じるのだ(要するに変人ですね・笑)。

おそらく私の憧れは、これらの本をすべて読み、これらの本をすべて理解できる自分なのだ。

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死角意識の効用

冒頭にも述べたが、人は読む本を選ぶとき、自分の興味を抱いた本、自分の好きな作家の本を読むことが多いものである。興味をもてない領域の本、嫌いな作家の本をわざわざ読もうとする人はまずいない。しかし、私はそれを意識的にする。興味をもてない領域、嫌いな作家の新作を敢えて手を出す。自分を高めるには、自分が何を知っているか、何を知りたいかについて追究するよりも、自分が何を知らないか、自分が何について知ろうとしていないかについて追究するのが一番だからだ。

私は現在49歳の男性教師なわけだが、四十代になってから、できるだけ女性の論者の本を読もう、できるだけ女性の作者の小説を読もう、できるだけ若い論者の本を読もうと意識している。一般に男性読者は女性の書いた本をあまり読まない。また、男性読者は自分よりも若い著者の論述になかなか手を伸ばさない傾向がある(多くの女性読者にはその傾向がない)。おそらく、女性や若者をどこか馬鹿にしているのだと思う。私は40歳頃に自分のその傾向に気づいた。そしてその後、意識して女性や若者の書いたものを読むようにしたわけだ。その結果、女性の著者も自分よりも若い著者も、私の視野を革命的に広げてくれたと実感している。

また、『苦役列車』(新潮文庫)で芥川賞を獲った、西村賢太という私よりも一つ年下の作家がいるだが、この作家も私の視野を革命的に広げてくれた作家の一人である。西村は中卒で、コンプレックスと体力と性的身体性を描く作家なのだが、自分と同時代を生きた人間のなかにこういう感性があったかと、私は驚かざるを得なかった経緯がある。西村賢太と出会うまで、こうした下層を描く書き手は永山則夫をはじめとするひと世代上の作家という固定観念があった。西村は私のそんな固定観念を見事に破壊し、自分の生きた時代を顧みさせてくれた。私は私の知らない、私の気づかなかった「同時代」を知りたくて、彼の作品が掲載される雑誌を買ってまで読んでいるほどである。

知らないこと、知ろうとしていないことを知ることは、実はとても楽しく、有意義なことなのだ。

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多様なジャンルの効用

5冊並行読みを続けているのは、なにも読書冊数を増やすことだけがねらいなのではない。

5冊の違ったジャンルの本を同時に読んでいると、今日書斎で読んだ学術書とベッドで読んだ小説が同じことを言っていたとか、今日トイレで読んだ文庫本と学校の空き時間で読んだ新書がまったく正反対のことを言っていたなんてことがよく起こる。そんなことが起こると、とたんに私の頭のなかが活性化する。「おいおい、これはこの世界の真理なんじゃないか」「おやおや、これはどちらも正しく思われるけれど、まったくベクトルが違うじゃないか」といったことを考えながら、私のなかに新たな課題意識が産まれる。この瞬間がたまらない。

1週間に三つ程度は課題意識が産まれ、月に二つ程度は自分の研究コンテンツになるほどの大きな問題意識が産まれる。この悦びと言おうか旨みと言おうか、これが日常になってしまったらもうやめられない。5冊並行読みの一番の利点はここにある。

もう一つ、私の読書生活におけるモットーに「教師が書いた教育書、つまり実践書を読まない」ということが挙げられる。教師の書いた本を読むと、どうしても思考のステージ(読みながら考えるときの視野)が狭くなる。教育について教育の事例によって考えるという悪弊に陥る。私はこれが大嫌いである。
  もう少しわかりやすく例を挙げてみよう。例えば先日、私は斎藤環を読んでいて次の論述に出会った。

日本文化は、きわめてハードで保守的な「深層」と、きわめて流動的で変化しやすい「表層」の二重構造を持っている。日本人はあらゆる外来文化をまず表層で受けとめ、その影響を吸収しながら表層は次々と変化していく。結果的に、あまりに受容的かつ柔軟な「表層」は、外来文化から「深層」を守るためのバリアーとしても機能する。こうして「(表層が)変われば変わるほど(深層は)変わらない」という形で日本文化は維持されていく。〈『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』 斎藤環・角川書店・2012.06.29・p102-103〉

こんな論述には、教師の書いた文章ではまず絶対に出会えない(1970年代までの教師の著作なら出会うことができた)。しかし、この論述から教育について考えられることの多さは計り知れない。「流動的な表層」と「ハードで保守的な深層」との狭間で機能し得なかった教育改革のいかに多かったことか。ここ20年間で考えても、新学力観・ゆとり教育・総合的な学習の時間・選択履修枠の拡大・学校選択制・教員評価制度……数え上げたらキリがない。そしてこの斎藤環の論理から考え得る教育論のいかに多いことか。その広がりと深まりは教師の書いた教育書などを読んでいては絶対に到達し得ない。

私が「教師の書いた教育書を読まない」と豪語するのは、例えば一例を挙げるならこういうことなのだ。

教育とはいかなるジャンルも包含することのできる、よく言えば懐の広い、悪く言えば主体性のないナンデモアリの領域である。しかし、そこを逆手に取るなら、実は夜の中にある多様な領域世界の論述をなんでも取り込めることをも意味しているのである。とするなら、他領域の論述を教育に当て嵌めて考えてみることで、教育に関する新しい見方、新しい分析を試みるチャンスは無限に広がるということでもある。教育について某かを考え、某かを表現しようとするのならば、教育書ばかりに目を向けていてはいけないのである。

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5冊並行読みの効用

私は5冊の本を並行して読むことにしている。もちろん、一度に5冊の本を広げて読むわけではない。読書する場が5箇所あって、それぞれ異なる本を読むのだ。それぞれが平均すると1週間で読み終わる。新書や小説の文庫本などは1週間かからずに読み終わるので、ほぼ週平均7、8冊は読むことになる。1年にすれば400冊近くになるわけだ。この読書法を始めて、既に30年近くが経つ。

まず、読書第一の場は書斎である。じっくり腰を落ち着けて読まなければ理解できないようなタイプの本は書斎で読む。暇な時間を見つけては書斎で少々難解な書物を開く。自分があまり興味のないテーマではあるけれど、今後の為に読まなくちゃな……というタイプの本を読むのも書斎でだ。滅多にないことだが、学術書を読むのも書斎である(まあ、年に10冊程度だろうか)。

私は家にいる時間のうち、寝ている時間を除けば9割程度は書斎に籠もっているので、これだけでも相当な時間と言える。自分では平均して日に何時間書斎に籠もっているのか、自分では意識していないのでよくわからない。例えば最近、私は『体験と認識ーヴィルヘルム・ヴント自伝ー』(ヴィルヘルム・ヴント著/川村宣元・石田幸平共訳・東北大学出版会)という400頁以上の大冊を書斎で読んだけれど、この程度の本なら書斎だけで10日程度で読み終えた。そのくらいは書斎に籠もっているわけだ。

読書第二の場はトイレである。ここは新書や文庫のエッセイを読むことが多い。あまりに難しいものを読むと通じが悪くなりそうなので(笑)、トイレではスルスルと頭に入ってくるようなタイプの本を読むことにしている。これまて滅多にないことだが、漫画を読むのもトイレだ(私はほとんど漫画を読まないので、これも年に10冊あるかないかといったところである)。

読書第三の場は職場である。朝読書の時間、特にやるべき仕事のない授業の空き時間、ちょっとした隙間時間(自習監督中や会議に人が集まるまでのちょっとした時間、その日予定の仕事を終えて勤務時間が終了までの待ち時間など)などをあわせると、けっこうな時間になるものだ。もちろん同僚に見られては「あいつはさぼっている」と思われるので、校内にどこか一人になれるスペースを確保して読むことになる。前任校では教育相談室、現任校では国語教材室が私の読書スペースだ。

読書第四の場は就寝前のベッドである。ここでは小説を読む。もちろん読んでいるうちに眠くなれば寝る。眠くならずにかえって目が冴えてくることもある。この習慣をもっていると、自分が好きなタイプの作家とそうでない作家がよくわかってくる。私は村上春樹は目が冴えるけれど、村上龍は眠くなる。開高健は目が冴えるけれど、大江健三郎は眠くなる。東野圭吾や松本清張には目が冴えるけれど、百田尚樹や浅田次郎は眠くなる。桐野夏生や川上弘美は目が冴えるけれど、三浦しをんや湊かなえは眠くなる。ファンの皆さんには申し訳ないけれど、自分のこうした特性が見えてくる(笑)。

読書第五の場は移動時間である。学校で読む本は鞄に入っているし、書斎にしてもトイレにしてもベッドにしても家で読む本は家にあるわけだが、移動時間で読む本はポケットに入っている。必然的にこの移動時間で読む本は文庫か新書になる。それも腰を落ち着けて読むわけにはいかないので、軽いタッチの実用書が多い。例を挙げれば「知的生き方文庫」とか「幻冬舎新書」「ベスト新書」といった類だ。毎朝、勤務校に着いて勤務時間が始まるまでの時間(私は勤務時間が始まる3分前になるまで校舎内に入らないことにしている。この時間は大切な読書時間だ)、外勤に出て待たされている時間、車で移動している際の信号待ちの時間などで読む。信号待ちの間にその本がおもしろくなって車を停めて道端で読んだり、ファーストフード店や喫茶店に入って読むなどということはしょっちゅうだ。こういう読書も貴重である。

5冊並行読みは確実に私の読書量を増やしている。

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引用可能性文書整理の効用

“引用可能性あり”として時系列に打ち込まれた文書は月に一度程度、暇な休日に整理することにしている(最近は休日が忙しくて、この整理が2ヶ月間くらいできないことも少なくない)。

テーマ毎にいろいろなフォルダがあって、例えば「学級経営」「生徒指導」「国語教育」「道徳教育」「演劇論」「ファシリテーション」……などが並んでいる。これらのフォルダを開くと、私が研究テーマにしている項目のファイルがズラリと並んでいる。「国語教育」を開くと、「文学教育」「言語技術教育」「論理的思考力」などのフォルダが並び、それを開くと更に「文学的文章教材」「説明的文章教材」「作文取り立て指導」「言語教材」……などが並んでいる。それを更に開くと、「物語指導論」「小説指導論」「韻文指導論」「指導言論」……などが並ぶ。要するに、このように引用可能性文書が整理されているわけだ。

例えば、現在、私は「スクール・カースト」に関する本を書いているのだが、「引用可能性文書」→「生徒指導」→「スクールカースト」と繙(ひもと)けば、A4判で80枚程度の文書が出て来て、それをプリントアウトすれば山ほどの資料を目にすることができるわけだ。これを通して読めば、ここ10年くらいで読んだ「スクール・カースト」関連の論述を一望できることになる。しかも、これを通して読んで執筆のアイディアが浮かばないはずがない。某かの文章を書く人ならわかると思うが、これがあるのとないのとでは執筆効率にどれほどの差が出ることか……、これが私の武器なのだ。

現在、二十代、三十代で本書を手にした皆さんには、私のこの手法をお勧めする。20年続けたら、少なくとも私程度の表現者にはなれるはずだ(笑)。私は地方の教員養成系カレッジの出身者に過ぎない。頭の出来はそれほど良いわけではない。私が現在50冊以上の著書をもつのは、間違いなくこの手法を20年近く続けてきたからに他ならない。ただし、あらかじめ言っておくが、これを毎日のルーティンとして習慣化することは、想像するよりずっと難しいことであることだけは善意として付記しておく。やってみればわかる。多くの人はきっと続かない。実は私も定着するまでに5年程度かかった経緯がある(笑)。

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引用可能性文書フォルダの効用

読書中に頁の角を折る人は多いと思う。線を引きながら読む人も多いと思う。4色ボールペンを活用するという人も決して少なくないと思う。しかし、私の読書術は実はここからがミソである。

私は毎日、帰宅して30分ほどをこれらの打ち込みに使うのだ。毎日毎日、べろべろに酔って帰宅しない限り、帰宅後の最初の30分を必ずこの作業にあてる。この癖というか習慣が定着して既に20年近くが経つ。

例えば今日(この原稿を執筆している当日)、私は内田樹の『街場のメディア論』を再読したのだが、帰宅した後、常に財布の小銭入れのなかに携帯しているフラッシュメモリーから、一太郎の「引用可能性文書・時系列版」というファイルを開き、次の文章以下12箇所ほどを打ち込んだ。

揺るがぬ真実であるのだが、自分の生身を差し出してまで主張しなければならないほど切実な真実ではない。これが「世論」の定義だと僕は思います。
〈『街場のメディア論』内田樹・光文社新書・2010.08.20 ・p102〉

この「引用可能性文書」は、9ポイント、明朝体フォントでA4判53字×50行に設定してある。この箇所を自分の文章に引用しようとするときにそのままコピペできるように、一つ一つに本のタイトル・著者・出版社・刊行年月日・頁数を記述する。写し間違いがないかを何度も確認することも怠らない。

もう一つ、「表現ぱくり可能性文書・時系列版」というファイルもあって、こちらには気に入った表現(つまり、緑色のボールペンで選を引いた箇所)を打ち込んでいく。もう少し裏話をするなら、「村上春樹の比喩」とか「内田樹のユーモア」とか「鷲田清一の味わい」といったファイルもあって、これら達意の文章家の表現を収集してもいる。

これらの時系列版の打ち込みは、一度打ち込んだら削除するということがないので、いま数えたら既にA4判で8千枚を超えているようである。この8千数百枚は私にとってまさに宝の山である。私はこの作業を自分の生活にルーティンとして位置づけた20年前の自分に深く感謝している。感謝しても感謝しても仕切れないほどだ。

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4色ボールペンの効用

私は4色ボールペンを常に携帯している。読書術においても手帳術においても、4色ボールペンは私にとって必需品だ(手帳術の詳細は本書の姉妹編である拙編著『THE 手帳術』明治図書を御参照いただきたい)。

本に選を引くということは多くの読書家がしていることだが、私も御多分に漏れず、本には選を引きながら読む。だから、私は本を借りるということがない。よほどの価値のある本(例えば、古書店で十数万で買ったというような)でない限り、線を引きながら読む。価値のある本なら、折り目をつけないように注してコピーを取り、そのコピーに選を引きながら読む(そんなことは滅多にないけれど)。 その際、4色ボールペンは次のように力を発揮する。

【青】内容的に気に入ったところ。後に自分の論の補強剤として引用する可能性がある箇所。
【赤】内容的に違和感を抱いたり、明確に反対意見をもつところ。後に自分の論で批判的に引用する可能性のある箇所。
【緑】内容に関係なく、表現方法として気に入ったところ。なるほどと唸った比喩や造語など、自分の表現を豊かにするうえで役立ちそうな箇所。
【黒】本を読んでいる途中のメモ。教育論に応用できそうなことを思いついたり、その論理に触発されてあとで検討してみたい事柄などが出てきたりした場合。

このように自分で色分けのルールを決めている。そして一つでも記述された場合には頁の上角を折る。場合によっては頁の表裏でどちらも折りたいという場合があるが、その場合には裏側は下角を折る。これが私のルールだ。

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読書の効用

実は、読書にも同じことが言える。

多くの人は自分の気に入ったものばかり読む。気に入らないものは読まない。数頁から数十頁を読んで「おもしろくない」「自分には合わない」と思えば、すぐにその書を顧みなくなる。逆に、気に入った著者の新刊は必ずすぐに買う。社会的に駄作と評されるものさえ、その著者の作だからと「社会の側」に責任を転嫁する。この構造は、アベレージの低い“転勤イケイケ系”と同じだ。

読書には私の言うような転勤と同じ効果をもたらす論述にたくさん出逢える。読む本が多くなればなるほど、その出逢いは間違いなく増える。しかも、自分がよく知らない内容、気に入らない主張、気に入らない著者の著作に触れれば触れるほどその効果は高まる。世の「読書人」と呼ばれる教師たちでさえ、この構造に気づいていない者が多々見られる。私は彼らを「読書人」とは呼ばない。

ある本を読む。そのときになにより大切にしなくてはならないものは、自らの「違和感」である。自分はなぜこの内容を知らなかったのか、自分はなぜこの主張を気に入らないのか、自分はなぜこの作者や論者が嫌いなのか、これを考えることは、気に入ったものに対してなぜ気に入っているのかを考えることよりも、数百倍から数万倍の効果がある。もちろん、こんな数字は適当だけれど、私の実感としてはそのくらいの差がある。

この効果に気づいていない人と本の話をしていると、私は気の毒に思う。かわいそうだなと感じる。この人は遂に読書の悦びを知らぬままに、自分はたくさんの本を読んだと表層的な満足感に身をあずけて死んでいくのだろうと……。読書好きの私としては、読書好きにとってこのことこそが最も怖ろしいことだと感じられる。そんなにも好きな対象について、その効果の深みを遂に理解できないことを意味するのだから。これほどの不幸はない。

繰り返しになるが、なにより大切にしなくてはならないのは自らの「違和感」である。人は自らの肯定的な感情に対して分析のエネルギーを費やすことはできない。しかし、否定的な感情に対しては、その所以を理解したいと思うものだ。なぜこんなにも怒りを覚えるのか、なぜせこんなにも居心地が悪いのか、なぜわけのわからないムズムズを感じるのか、そんな怒りや居心地の悪さやムズムズ感を抱いたとき、それは自分の目の前に分析に値するものが現れたということなのだ。いま自分は「自己分析」に一歩踏み出すべきなのだ。私はそう解釈することにしている。

転勤も読書もこの構造は同じだ。基準にすべきは前任校の仕事の作法やその著者の考え方などはない。新任校や目にした論述をただ感情的に否定しても何も産まれない。基準はあくまで「自分自身」なのある。そして、なにかに「違和感」を抱くことは、実はその「自分自身」という基準の精度を上げるチャンスが巡ってきたことを意味するのだ。

こう考えることができるようになれば、あとはその「自己分析」に邁進するだけである。ああでもないこうでもないと思考を巡らすだけである。この感覚を身につけさえすれば、転勤も読書も愉しく有意義になる。人生の瞬間瞬間が愉しく有意義になる。毎日が、毎時間が、その瞬間が、常にフィールドワークになっていく。

実は、読書の悦びとはここにある。

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転勤の効用

転勤した。

転勤すると、前任校を基準に「この学校はおかしい」と息巻く人が多い。周りから“仕事ができる”と目されている人物に多い。もっと言うなら、仕事に対して“イケイケ系”のスタンスをもっている人に多い。

“イケイケ系”はその職場にうまくはまれば力量を発揮するけれど、うまくはまらなければ「この学校はおかしい」といつまでも言い続ける。職員会議で改革案を提出し続ける。古くからいる人間にそれがおもろかろうはずもない。結果、人間関係に軋轢が起こる。

こういう人物が赴任1年目から転勤希望を出し、1年から数年で転勤してしまう事案をたくさん見てきた。次の職場にうまくはまれば、そこでそれなりの仕事をする。「自分には力量がある」というアイデンティティを確保できる。しかも数年で去ることになった職場に対しては、「やっぱりあの学校がおかしかったのだ」と自分を納得させられる。

要するに、“イケイケ系”は仕事のアベレージが低い。

私は転勤すると、とにかく1年間は大人しくしている。与えられた仕事を粛々とこなし、職場のキーマンの言うことに従い、判子押しや文書整理といった雑務にも積極的に関わり、職員室にかかってきた電話にさえ率先して出る。とにかく、文句を言われないスタンスを確保する。ルーティンを淡々とこなすわけだ。

読者の皆さんは私のこのスタンスを職場の信頼を得たいがためだと思われるかもしれない。しかし、そうではない。私は文句を言われない最低限の仕事を大人しくこなしながら、実は新しい職場を観察し分析しているのだ。

新しい職場に移ると、私だって違和感を感じることが多々ある。前任校を規準に「この学校ヘンだな…」と思うことから、私だって自由ではない。しかし、私はそうした違和感が自分を大きく成長させてくれることを経験的によく知っているのだ。

新たな学校で新たな仕事を覚えるとか、新たな人間関係のなかで新たな人と出会って成長するとか、そういうことを言っているのではない。新たな勤務校で違和感を感じる自分と向き合い、前任校との仕事の作法の違いを分析する。すると、前任校と現任校の作法の違いから、それぞれのメリット・デメリットが見えてくる。前任校時代のデメリットに自分はこれまでなぜ気づかなかったのか、自分にかかっていたバイアスを発見することができる。しかもその発見は次から次へとやってくる。小さなコトから大きなコトまで一日に幾つも、1ヵ月を過ぎた頃には数え切れないほどの自らに巣くうローカリティを発見することができる。自分が悪しきこだわりや悪しき思い込みに、そうと気づかぬままに囚われていたことに思い至る。そこから自分のなかに理論が産まれ、思想が産まれる。私は経験的にこの構造をよく理解している。

だから私は、割と転勤が好きだ。

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まえがき

みなさん、こんにちは。堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)と申します。日々、中学校で国語の授業なんかをしながら、夜は駄文を書き連ねる生活を続けて既に四半世紀が経ちます。国語教育と文学論を語るのが大好きで、でも文学なんてまったく流行らない時代が来てしまって、つまらないな……と感じながら二十一世紀を生きています。僕と一緒に文学を語りながら酒を呑んでくれる人もどんどん少なくなっています。特に教師にはほとんどいなくなってしまいました。もう文学教育に関して理屈を述べる本なんて二度と書けない。そう感じてもいました。

多賀一郎先生と出会ったのは、いまから五年ほど前だったでしょうか。僕が愛知教育大学でセミナーを開催した折、多賀先生が訪ねて来られたのです。少しだけ酒席をご一緒し、そのときは別れました。しかし、年が明けた二月、多賀先生が奥様を伴って北海道に旅行に来た折、僕らは再会しました。いかにも北海道らしい創作おでんの店で私と多賀夫妻と三人で、おそらくは五時間くらいにわたって美味い日本酒を呑みながらおでんをつついたのです。以来、僕らは年に何度も酒席を伴にする仲になりました。お互いに札幌と神戸を行き来しながら、いまでは平均するとふた月に一度くらいは会っているように思います。

僕らが二人で酒を呑んでいると、出てくる話題は「文学」と「教育」と「文学教育」のことばかりです。僕は公立中学校、多賀先生は私学の小学校。年齢は僕のほうが十歳ほど若いでしょうか。こんなにも歩んできた道が違うのに、お互いがお互いを知り合うなかで、これまで興味をもって見てきたものにあまりにも共通点が多いことにお互い驚かされました。お互いがお互いをしゃぶり尽くすような酒席が何度かもたれ、それでもしゃぶり尽くした感がまるでない……そんな関係が続いております。まあ、いつもしゃぶり尽くす前にお互いにべろべろになってしまって、足許をふらつかせながら帰路に就くというのがほんとうのところなのですか……(笑)。

昨年の秋も深まったころのことです。僕は表層的な国語教育の本を一冊上梓し、それがまずまず売れているのに気をよくしながらも、ほんとは国語教育ってこんなもんじゃないよなあ……と感じていました。もっと言語と文学についてある程度深いところまで主張する本を書きたいなあ、とも感じていました。でも、いまどき、そんな本は求められていないしなあ、だいたいそんな本を出してくれる出版社自体が見つからないよなあ、と車の中で煙草を吸いながら一人ごちていました。

ふと、多賀先生の顔が浮かびました。

「きっと、多賀さんなら同じ想いを抱いているのではないか……」

そんな予感がしたのです。僕は取り敢えず、多賀先生にメールを打ちました。

「多賀さん、一緒に国語教育の共著書きません?出版社はできてから探すってことで。たとえ出版社が見つからなかったとしても、二人にとって書くこと自体が意味をもつようなものを。」

確かこんな文面だったように記憶しています。間を置かず、多賀先生からは「そりゃいい。おもしろい遊びになるね」というような返信がありました。こうして道楽として取り組み始めたのが本書なのです。

多賀先生があとがきにも書いていますが、一ヵ月ほどに及ぶやりとりはとても楽しく、この本はすぐにでき上がってしまいました。第一章は「対談」の形式を装っていますが、実はFBのメッセージで毎日少しずつ、しかもお互いに酔っぱらいながらのやりとりを対談形式に直したものに過ぎません。要するに、実際に会って直接話したやりとりではないわけです(笑)。

「これ、対談形式にして本に入れようよ」

そんな酔っぱらいのノリによって第一章ができたと言って間違いありません。僕と多賀先生にとって、実際のところ、この本は仕事というよりも日常の道楽に過ぎないものでした。

しかし、でき上がってみると、それなりに僕らの主張が核心がよく出ている本に仕上がりました。酔っぱらっていてもこのくらいの主張はできるものなんだなあ……と自画自賛もしています。僕も多賀先生も自画自賛が大好きな自己チューおじさんですから(笑)。

幸い、最初に原稿を持ち込んだ黎明書房が刊行してくれることになり、この原稿は陽の目を見ることと相成りました。黎明書房の武馬久仁裕社長、編集の伊藤大真くんに伏して感謝申し上げる次第です。こんな道楽を形にしていただいて有り難うございました(笑)。

太田裕美/始まりは〝まごころ〟だった。を聴きながら……
二○一五年四月十九日 自宅書斎にて 堀  裕 嗣

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流動性の有無

ただし、職員室や会社のカーストと〈スクールカースト〉との間には一つだけ決定的な違いがある。それは流動性がないということだ。

職場なら多少馬の合わない人がいたとしても、営業に出ているときや別のプロジェクトで働いているときにはその人から逃れられる時間がある。職員室に僕を日常的に攻撃してくる人がいたとして、授業をしているときにはその人から解放されるわけで、一日の大半が授業なのだから一日に何分かのその攻撃も我慢することができる。いざとなったら転勤希望を出して人事移動によって逃げることもできる。

でも、学級集団というのは一時間目から六時間目まで一日中そのメンバーで過ごすのである。それが毎日毎日続く。その学級がいやだから別の学級にしてくれという希望は原則として認められないし、この学級がいやだから転校しようというのもなかなかハードルが高い。一日中我慢を強いられるという状況は社会人にはあまりない状況である。その分、生徒たちにとっては深刻であるわけだ。

しかも、学級では少なくとも一年間、その固定化された人間関係が続くことになる。子どもの時間の流れは大人のそれよりもかなり長い。みなさんにも経験があるはずだ。いまでこそ一年間なんてあっという間に過ぎ、「また今年も紅白だ…」となるけれど、子どもの頃、十代の頃の時間はもっともっとゆったりしていた。そんな時間感覚のなかで、しかも固定化された人間関係のなかで、生徒たちがネガティヴな感情を抱きながら過ごさなければならないとしたら、それは僕ら大人には想像もできないような苦痛となるだろう。

それはちょうど、子どもがある一定の年齢になったときに公園デビューを果たした若いママさんが、ママカーストに苦しむのに近いかもしれない。人間関係には流動性がなく、公園ママのメンツがいやだからといってそう簡単に引っ越すというわけにもいかない。子どもが幼稚園や小学校に上がって、そこで思いもしないママカーストに苦しむというのは、世のお母さん方がみんな経験している。息子がサッカーの少年団なんかに入ってしまうと、やれ今週のお世話係はだれ、これとこれを揃えるのはだれの仕事と、土日も意にそぐわない日程を組まれるのに文句も言えない。しまいにゃ行きたくもないメンツでランチにまで付き合わされる始末。〈スクールカースト〉はそんなママさんたちの実態に近い。

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日本的な基準

僕はいわゆる「がっこのせんせい」の端くれで、学校を職場とし職員室を昼の住まいとしている。これまで札幌市で五つの学校に勤めたけれど、その多くは大規模校と言われる中学校で、二十学級以上の学校だった。二十数学級もある中学校の職員室には、驚くなかれ五十人近い教師がひしめくことになる。

長年教師という職業をしていて思うのは、職員室にも厳然とした職員室カーストがあるということだ。それも最近の学校は上意下達で動かされるようになったというイメージに基づく、校長をトップとしたピラミッド集団なんかではまったくない。校長よりも職員室カーストの高い教職員はうじゃうじゃいる。

その多くは仕事ができるできないも去ることながら、他の先生方のフォローにいかに時間と労力を割くかとか、古くからその学校にいてその学校のシステムを熟知しているとか、優しい人であるとか女性教師の心をつかんでいる(変な意味ではない)とか、要するに職員室をスムーズに運営するのに役立っている人たちである。そういう人が職員会議でなにかを主張したり、喧々諤々の議論のあとにそれまでの意見をまとめて「今回はこれで行きませんか」なんて言うと、スーッと職員会議の空気が落ち着いたりする。職員室カーストの高い先生というのはそういう人だ。

まれに教務主任とか生徒指導担当とか学年主任とかで自己主張の強い人が職員会議の中心であることも多いけれど、また、高校では事務長がお金の実権を握っているだけに発言力をもっているという例も耳にするけれど、そうした地位や実権で発言力を担保されている人というのは、どうしても裏で陰口を叩かれることになる。やっぱり日本人は他人に優しい人、物知りで有益な情報をくれる人とか、人付き合いや仕事の仕方がスマートな人とか、学生時代から体育系でノリのおもしろい人とか、そういう職場の雰囲気をつくれる人たちが好きなのだ。きっとみなさんの職場でもそうであるはずだ。

要するに〈スクールカースト〉とは、こういう職場を無意識的に格付けしているとっても日本人的な基準が、小学校高学年から中高生の同年齢集団の間で、非常に濃厚な形で現れたものなのだと考えるとわかりやすい。だから、社会で必ずしも仕事のできる人や地位の高い人が好かれるわけではないように、必ずしも実権を握っている人が怖れられこそすれ好かれるわけではないように、生徒たちの間でも自分たちの集団のなかで格付けがなされているのだ。そういうことなのだ。

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「研究集団ことのは」4月例会

「研究集団ことのは」の4月例会。17:00~21:00が終了して帰宅。今日はこの4月の転勤者が4人いたので、新しい勤務校でこの3週間に感じた違和感のレポートを交流。こういうのを話し合っていると、教師個々人の抱いている「当然」がどれだけローカルかということが見えてくる。とても楽しい時間だった。その後、『若者はなぜ「決めつける」のか』(ちくま新書)の読書レポート。課題本自体はあまりおもしろくない本であり、出来の良い本でもないのだが、そこから感じたメンバーの論理がおもしろく、有意義な時間になった。生徒たちや卒業生の実態から抽出されたさまざまな若者論が披瀝され、ずいぶんと参考になった。今回の企画は両方ともはまったな…。来月は5月16日(土)。白石区民センターで。

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学力形成派が増えてきた

さて、ここまで、便宜上教師のタイプを学力形成派と人間形成派との二つに分け、それぞれを純化して両者の違いを大袈裟に表してきました。現実には、どちらかに一方的の視点しかもっていないなどということはなく、両者の中間的な位置にいる教師が圧倒的多数です。

しかし、両者の視点をバランスよく五分五分でもっているという教師もいないというのも現実です。すべての教師が必ずどちらかに偏っています。6対4とか4.5対5.5とかであればかなりバランス感覚をもった優秀な教師であるといえますが、多くの教師は7対3とか2対8とか、どちらか一方に大きく偏っているというのが現実なのです。

かつての学校では、それもほんの十年くらい前までの学校には、学力形成派よりも人間形成派の教師が圧倒的多数でした。少なくとも私にはそういう実感があります。

もちろん、小学校から中学校、中学校から高等学校と、子どもたちの発達段階が上がるに従って、学力形成派教師の割合が増えるという傾向はありました。また、高校では進学校になればなるほど学力形成派が多く、いわゆる底辺校に近づけば近づくほど人間形成派が増えると...いう傾向もありました。しかし、高校の先生方でさえ、その数では人間形成派が学力形成派を圧倒していたように思います。

それが最近、急速に変化してきています。何の根拠もない私の感受に過ぎないのですが、先生方の多くが学力形成派になってきている、そんな兆候を感じるのです。おそらく、①教師に対する行政の管理が厳しくなり、教員評価制度が定着して数値目標が設定されるようになったこと、②保護者クレームの増加によって、教師が自らの個性を発揮しての教育活動をしづらくなったこと、③二○○○年前後から「ゆとり教育」の反動として、文科省からも「学力向上」が大きく喧伝されたこと、そして何より、④世論が「学力向上」路線を支持しているような空気がこの国に醸成されていることなどなど、様々な要因があるように思います。

意識的にしても無意識的にしても、学力向上派になりますと、学習指導要領や教育政策、系統主義的の教育観や教育理念、教材論や授業論など、子どもたち以外のところに目が向いていきます。学力向上というときの「学力」は、かつての「新学力観」とは異なり、どうしても子どもたちの外にある一般教養や受験学力に重きが置かれがちだからです。これが教師の目を曇らせ、子どもたちの実態から乖離したところで、或いは浮遊したところでカリキュラムが立てられてしまう、こういう悪弊を招きやすい構造があります。

では、人間形成派になればそれを回避できるのかといえば決してそうではありません。彼らは自らの経験を絶対視する傾向が強いですから、「教育は人間形成だ」と強く叫ぶ人ほど子どもたちに自分の敷いたレールの上を歩かせたいという欲求を強くもつ傾向があります。部活動の熱心な指導者などはほとんどがそのタイプだと言って過言ではないでしょう。そして、自らの経験のポジティヴな側面を肯定してくれる、そういう理念ばかり収集して理論武装する……そういう人が少なくありません。

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プロデュースし、ファシリテイトする

札幌市の学年主任は一組の担任をもつのが通例である。副主任は最後の学級、学年の三番手は真ん中の学級を担任する。つまり、この学年は七学級なので、学年主任は一組の、副主任は七組の、三番手は四組の担任になるわけだ。私はこの学年が二年生に上がるとき、学年主任を降りて生徒指導主事になった。いまでは副主任が学年主任に、三番手が副主任になっている。正直に言えば、私の現在の勤務校は地域的に、長く荒れる中学校として札幌でも名の知れてきた学校である。新しい学年主任は開校以来四十四年目、学校の歴史上初めての女性学年主任である。現在の学年主任も副主任も常に学年全体のことを考えながら仕事をする、学年主任・副主任としての風格さえ漂わすようになってきている。

人の上に立つ者がもう一つ考えなくてはならないのは、自分の次の人材を育てるということである。それには、校内人事や生徒指導体制に流動性をもたせ、下の者に任せる場面を少しずつ増やしていき、自分は少しずつ後ろに退いていくことが肝腎だ。いつまでも「あの人がいるからうまく行っている」という評価を受けるのは、評価される側は気分が良いかもしれないが、チームビルディングとして百害あって一利無しである。学級担任がどんな生徒を育てたかで評価されるのと同じように、人の上に立つ者はどんな人材を育てたかこそが評価の対象となるべきではないか。こういう意識が、実は多くの管理職や主任クラスにないのが、もっと言うなら学校教育界全体の常識にならないことが、私は残念でならない。それではいつまで経っても力量の高い教師が出るまで待つという体制が採られてしまう。力量の高い教師に仕事が集まり、ときにはその教師をつぶしてしまうことにもなりかねない。そういう悪弊が全国の職員室にある。厳然としてある。しかし、教育を仕事としている者の組織が、人を育てることに意識が向いていないなどということはお笑いぐさではないのか。シャレにもならない。

管理職や生徒指導主事、大規模校の学年主任の仕事をひと言でいうなら、私は「プロデューサー」であると感じている。自分が責任をもっている子どもたちに対して、自分自身が常に直接的に指導できるわけではない。例えば私なら、七学級中授業でもっているのは四学級。残りの三学級の生徒たちとは直接指導している四学級に比べてどうしても人間関係は薄くなる。そうしたとき、孤軍奮闘する学年主任や生徒指導主事も決して少なくない現状がある。しかし、それは背理なのである。自分が直接かかわれない生徒にも直接にかかわっている教師がいる。その教師たちを育てるほうが、長い目で見たときには生徒指導上機能的であり、自らの責任を果たすことにもつながるのだ。

しかし、管理職は多くの場合、人を育てることではなく、これを人事の変更で行おうとする。主任クラスも管理職がその方針であるから、もともと力量の高い教師を自分のもとに集めようとする。力量の高い教師とは、学級を荒らさず、生徒指導ができて、多くの経験をもち、できれば他人のフォローまでできる教師のことだ。だが、こうした方針はまず間違いなく失敗する。一つの学校にそんな力量をもつ教師がそう何人もいるはずがない。そこで有限のコマをみんなで取り合おうとすることになる。春の校内人事が遺恨を残すことさえある。

しかし、いまある人材は有限かもしれないが、いまいるメンバーを育てて「人材にしていく」発想で考えるなら、実はその可能性は無限なのである。

人は環境に影響を受ける。人は人との関係によって力を発揮すれこともあればしないこともある。やる気になることもあればならないこともある。いまどう見えるかだけでもって生まれた資質であると考えるのは早計である。その人を仕事のできない人、仕事をしない人、ふてくされている人にしてしまっているのは、他ならぬ自分自身なのかもしれないのだ。その発想を人の上に立つ者はもちたい。

人の上に立つ者の仕事は「プロデュース」である。教えるべきことは徹底して教え、任せるべきは大胆に任せる。大胆に任せたとき、任された教師と任せされた教師がアイディアを融合させて、プロデューサーが想像もしなかった新たな価値、新たな手法が生まれることもある。そのとき、プロデューサーの仕事はそんな新しいものをバックアップすることに移行していく。チームビルディングはプロデュースであり、ファシリテーションなのだ。

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教えるべきは徹底して教え、任せるべきは大胆に任せる

二○一三年度のことである。

私は学年七学級の学年主任だった。学級担任七人のうち、初めて担任をもつ者が三人いた。私は年度当初、この三人に一切の生徒指導をさせなかった。彼らからみれば、自分の学級の生徒たちを指導事案でさえ、学年主任である私が指導するわけである。その代わり、彼らには常に私の生徒指導場面に立ち会わせた。六月いっぱいくらいまでこれを続けた。生徒指導のモデルを示すためである。

また、生徒指導が終わると、必ず振り返りもおこなった。それぞれの指導事案に応じて、「あのときなぜ、オレはこう言ったと思う?」「あの生徒があそこで正直に告白したのはどうしてだと思う?」といった問いを発し、かなり長い時間をかけて彼らとやりとりした。生徒指導を機能させているのが私という教師のキャラクターなのではなく、事情を聞いたり事実を確認したり説得したりねぎらったりという段取りにあるのだということを理解してもらうためだ。つまり、指導の構造が大事なのであって、教師個人のキャラクターが重要なのではないということを実感させるためである。つまり、この構造で指導さえすれば、堀のような怖いイメージをもつ教師だけが生徒を指導できるというわけではない、自分にも同様の段取りを踏めばできるのだということを理解させるわけだ。

ごくごく簡単に紹介するなら、

①まずはその生徒指導事案において起こった事実を 徹底して確認する。事実確認が終わるまではいか なる状況があろうと生徒を疑わないし叱らない。

②複数の生徒が関わっている場合には、全員の供述 が一致するまで事実確認を続ける。

③事実の全貌が明らかになったら、関係生徒全員を 集めて確認する。

④全貌が明らかになった時点で初めて指導に入る。

⑤やってしまったことについては、正直に話せば追 い詰めるような叱り方をしない。ただし、指導過 程のなかで嘘をついたり隠したり他人を陥れよう としたりが明らかになった場合には、今回の事案 以上にその嘘・隠蔽をこそ厳しく叱る。

⑥最終的には、人間には失敗することがあるのであ り、今回のことを反省して今後に活かすことが大 切なのだとまとめる。

という六段階である。

三ヶ月も私が行うこの六段階の指導を見ていると、経験のない若者たちにもこの構造が実感的に捉えられるようになる。実際には多くの若者が五回程度立ち会い、そのそれぞれでリフレクションに参加すれば、この構造が見えてくる。

その後は若者たちに生徒指導をさせ、私が立ち会うという期間が数ヶ月から半年程度。もとろん、リフレクションは欠かさない。彼らが一人で生徒指導に当たって構わないと私に許可されたのは、もう二学期も終わろうとしている十二月に入ってからだったと記憶している。

こうした指導の在り方は、生徒指導の基礎の基礎である。だれもが身につけなければならないミニマムエッセンシャルである。生徒個々は一人ひとりさまざまな特性をもっているのだから、教師は生徒一人ひとりを理解しての臨機応変の対応が求められると言われる。このこと自体は正しい。しかし、基礎の前提のないところに応用はない。生徒一人ひとりの理解も、臨機応変の対応も、いわば生徒指導にとっては応用編である。「子ども理解」や「個別対応」を心構えとして、教師の指導の在り方の指針としてもつのは良いことだが、それは指導事案によって個々ばらばらの指導をして良いということではない。それでは教師個人個人の思いつきの指導がはびこる結果となる。これは避けなければならない。

しかし、若手教師を育てるには、基礎を教えれば良いというものでもない。彼らがミニマムエッセンシャルを身につけたと確信したら、上に立つ者はその後、彼らにさまざまな判断を委ねるという段階に入る。簡単に言うと、最終判断の段階まで含めて、さまざまな仕事を任せるわけだ。

彼らは半年以上、私の判断のもとに仕事をしてきた。私に報告・連絡・相談をすることなく仕事を進めることが許されないできた。だから、「よし!まずまず一本立ちしたな。これからは自分の判断でやってみろ」といきなり言われても、当初は戸惑う。なにかにつけて私の判断を仰ごうとする。しかし、私はそれを受け付けない。「いや、任せる。堀だったらどうするか、自分の特性を活かすにはどんな方法があるか、自分で考えて対応しろ」としか私は言わない。もちろん、困ったときには助ける。彼らが失敗した場合には責任も取るし、管理職に自分の責任として報告もする。しかし、それは「校長先生、○○を育てようと自分で判断させて動いてもらいましたが、失敗しました。まあ、ちょっと時間ください。僕に任せてください」と笑いながらの報告に過ぎない。こういうときはその失敗自体を明るい雰囲気で包み込んでしまうのが、職員室運営のキモだ。先は長いのである。必要以上に深刻になってはいけない。

その後、ミスを犯したある女性若手教師は「いつになったら、教師らしくなれるんでしょう」と私に問うた。私は「そんな馬鹿なことを考えるんじゃない。教師らしいお前なんて目指すんじゃない。目指すべきはお前らしい教師だ。お前が教師に近づくんじゃなくて、教師という仕事をお前の方に引っ張ってくるんだ。そうじゃないとうまくいかない。いつまでも落ち込むことになる。負のサイクルから逃れられない」と応えた。この言葉は彼女に響いたようで、その後、僕が学年主任として彼女を指導していくうえで、一つのキーワードとなっていった。自分の外に理想の教師像があるわけではない。自分のキャラクターに合った自分自身の教師像を確立するところにしか教師の力量形成などないのだ。

ある男性若手教師は「あの子がわからない。どうしたらいいんでしょう」と私に問うた。私は「教師は神じゃない。すべての子がわかるなら苦労なんてしない。でも、わかろうとする姿勢をもつことはできる。それがその子に伝われば関係は改善されていく。オレの経験から言ってこれは間違いない。お前はその子にそれが伝わるくらいに自分で動いてみたのか?ただ傍観しながらわからないわからないと言っているんじゃないか?どうかかわるかに正しい答えはない。それは自分で考えるしかないんだ」と応えた。この若者は自分を内省し、その子に積極的にかかわるようになった。いまはほぼ完全にその子との関係が修復されている。

私が言いたいことは、「教えるべきは徹底して教え、任せるべきは大胆に任せる」ということだ。しかも、彼らが落ち込んでいるときには、ちゃんと後ろには自分がいるのだということを彼らに示して安心させることだ。人の上に立つ者の仕事とはそういうことなのである。

若者たちにこうした基礎的な指導の在り方を教え、いま現在、二年が終わろうとしている。いまでは、中堅・ベテラン教師はもちろん、この若手たちが率先して生徒指導事案に向き合っている。私は現在、生徒指導主事としてこの学年に所属しているのだが、「オレ、指導しようか?」と言っても、「いえいえ、堀先生に出ていただくほどのことはありません。もっと大きな事案のときにお願いします」と言われ、私の仕事がほとんどなくなってしまっているほどだ。そもそも、彼らが日常的に適切に指導にあたっているため、二年生になってからは生徒指導事案自体がほとんどない、という状態になっている。

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学校教育にとって教師個人の裁量はどこまで許されるのか

二月上旬。名古屋市内の小学校女性教諭がイスラム国に殺害された湯川さんと後藤さんの写真を授業中に児童に示したと言う。なかには遺体の写真があったとも言う。二十代の若い教師であるらしい。名古屋市教委は即座に謝罪会見を開き、指導が不適切だった、今後児童の心のケアに力を入れると弁明した。当の女性教諭も指導の在り方が不適切であったと認めていると言う。授業の目的はどこまでこうした画像を公開すべきか、報道の在り方について児童に議論させることだったとも言う。

なぜ、このような事案が起こってしまうのか。画像を見せることの適否を論じたいのではない。なぜ市教委が謝罪会見を開いて、弁明しなければならない事案がこんなにも多く生じてしまうのか、つまり学校や教委のチェック機能はなぜ働かないのか、という問題である。なぜこうした事案には事前のチェック機能が働かず、常に事後になって責任者が慌てふためくことになってしまうのか、と私は問うているわけだ。

これが児童生徒が自殺してしまったとか、いじめ事案があったとか、教師からは見えないところで起こることなら致し方ない部分もある。しかし、事は授業内容である。確かめてはいないが、名古屋市内の小学校というから、各学年単学級ということはあるまい。報道されているのはこの女性教諭のみ。とすれば、この授業はこの学級以外の同学年の授業では行われてはいないということだ。もし当該校の五年生のすべての学級で行われるとすれば、当然、事前検討が行われるはずである。仮に授業の進度上、この学級で先行して授業が行われたとしても、この女性教諭だけがやり玉に挙げられ、責任を問われるということにはならなかったはずではないのか。三人とか四人とか、その学年教師全員で一致してこの授業を行うことにしたという報道がなされて然るべきではないのか。

授業の目的から類推するに、この女性教諭は少なくとも社会科授業づくりの実践研究に熱心な教師だったはずだ。そうでなければ時事問題を取り扱って、これほどまでに過激にして本質的な授業を構想しないだろう。一般的に考えて、教科書をなめることに終始する授業づくりにそれほど熱心でない、それでいて普通の教師たちには起こり得ない問題と言える。おそらく研究熱心であるからこそ、そして社会に対する問題意識を大きく抱いているからこその授業であったに違いない。

しかし、私はやはり、だからと言ってこの教師の独断でこの授業が行われて良いとは思わない。同学年の教師全員に知らせてあるとか、管理職に報告されているとか、いずれにしても職員室内の事前チェック機能が施されていて然るべきだと思う。この件は、状況の論理によって偶発的に起こってしまう体罰事案とか管理責任事案とかとは趣を異にする。

この問題は、私にとっては、学校教育にとって教師個人の裁量はどこまで許されるのかという論点と大きく関わっている問題である。教師はその多くが自分に自分の担当する子どもたちに対する裁量権がかなり大きくあるように思っている。担任学級の子どもたち、部活動で受け持つ子どもたちに関しては自分という教師個人が育てる責任をもつとともに、どのように教育するかの判断まで任されていると感じている。これは教師個々にとっては必ずしも自覚的ではないが、無意識的にそうした感覚で仕事をしている場合が多い。その結果、自らの教育観、自らの開発した教育手法によって、だれにも相談・報告することなく自分の担当する子どもたちに教育を施す。その理念やその手法が特殊であったとしても、その教師個人は使命感をもって取り組んでいるから、それが一般的にどう見られるかということに視野が及ばない。しかも、そうした研究実践は、自らの教師としての「自己実現」と連動しているから余計に使命感が増幅される。他者のチェックを受けようとなど思い浮かびさえしない。今回の女性教諭の事案も、教師世界に巣くうこうした一般感覚に起因しているのだと想像する。

社会は確かに、学校教育に対して、子どもを教育してもらうものだというコンセンサスを与えている。しかし、それはあくまで学校教育全体に与えられたコンセンサスであって、決して教師個人にその権限を委譲しているわけではない。そのことを多くの教師が意識していない。学級担任とは、学校の運営方針に従って役割分担としてこの三十五人を担当してね、と学校長から委託されていること委譲を意味しない。しかもその前提には市町村の教育目標や教育計画があり、学習指導要領があり、各種教育法規がある。これらからの逸脱は許されない。学級担任は担任する子どもたちを自己実現のためのモルモットにしてはならないのだ。

おそらくこの若い女性教諭には、この感覚が欠落していた。もちろん女性教諭の責任ばかりを問うのは酷である。周りもまた同様の感覚で仕事をする教師たちであるために、彼女の熱心さが一般感覚とは齟齬を起こすような授業手法を採ることにブレーキをかけさせなかったのだろう。事実、女性教諭は「報道のあり方を考えさせるとともに、命の大切さに目を向けさせたかった。迷った末に見せたが、軽率だった」(朝日新聞)と話していると言う。迷ったにもかかわらず、だれに相談することなく自分自身で見せることを判断したとすれば、やはり自身の裁量を逸脱していると言わざるを得ない。

しかし、私の批判の対象はこの女性教諭ではない。管理職である。或いはこの女性教諭の所属する学年の学年主任である。この女性教諭は二十代である。教職経験は長くて五年程度。私の認識では、まだ管理職や主任クラスによって守られるべき年齢だと思える。今回の件も自己責任の名のもとに責任を本人にのみ帰して良い段階とは私には思えない。教職の世界にはびこる教師個人に裁量があるように思う風潮は、実は管理職や主任クラスの責任回避の風潮とも密接に繋がっているのだ。

こう考えてみよう。この女性教諭は、今後おそらく心ない人たちによってインターネット上で名前を公開され、もしかしたら顔写真まで公開されることになるだろう。そしていくらそれらに削除依頼を出したとしても、インターネット上から完全に消し去ることは不可能である。また、彼女の行為についてはさまざまな人間がさまざまに論評もするはずである。これを自己責任と断罪するのはたやすい。しかし、こうしたネット上の写真や論評がこの女性教諭の教師人生に与える影響を考えると、或いは彼女本人のメンタリティに与える影響を考えると、これを自己責任であると断罪するだけの上司とはいったいその責任を果たしているのだろうかと私などは感じてしまう。管理職や学年主任は有望な若手教師が若さ故の常識の逸脱や、若さ故の使命感による熱情によって教師人生に傷がつきかねない行動をしてしまうことがあり得るということに、なぜ敏感でいられないのだろうか。人の上に立つということは、好むと好まざるにかかわらず、下の者の「人生」にかかわってしまうということなのである。多くの管理職・主任クラスにこの自覚が足りない。

昨今、心の病で休職する教師が後を絶たないが、これも多くの管理職が自己責任だと考えている。学校長とは、学校や子どもたちをあずかると同時に、そこで働く職員をもあずかっているのではないのか。部下が少なくとも仕事上の問題を契機として休職を余儀なくされるほどに心を病んだとすれば、それは本人の資質の問題であるのと同じ重みをもって管理職の責任が問われるべきなのではないか。

私が名古屋の女性教諭によってこの授業が行われるにあたり、なぜ事前チェックが行われなかったのかと問うのもこの意味においてである。読者諸氏には、私がこれまでこの女性教諭が管理職や教委に迷惑をかけたことを問題視するような論理を展開してきたように見えたかもしれない。しかし私はどちらかというと、この女性教諭にシンパシーを感じている。この女性教諭には、これまで学校教育界がつくってきた職員室文化の犠牲者であるという側面がある。自己責任がまったくないとはもちろん言わないが、一○○パーセント自己責任に帰して良い問題とはとうてい言えない。

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学力形成派と人間形成派

父性型教師と母性型教師が教師としての在り方、いわば体質による分類であったのに対して、その教師が教育になにを求めているか、教師という職業をなんのためにあると考えているかによっても、教師はふた通りに分かれます。教育の目的を「学力形成」にあると考えているタイプと、「人間形成」にあると考えているタイプとにです。もちろん、どちらかにはっきり分かれるわけではありませんが、どちらかというと「学力形成」、どちらかというと「人間形成」という、いずれを重視するかによって二つのタイプにが分かれるのです。

まず第一に、学力形成派は授業や実践研究、教育課程(学校で子どもたちになにをいかに教えるかという指標)に関わることを好む傾向があり、人間形成派は学級づくりや行事指導、部活指導を好む傾向があります。おそらく自分が育ってきた過程において、前者は自分自身で勉強して学力を身につけたり、自分で試行錯誤しながらいろいろなことを発見したり、仲間と議論することから何かを生み出したりといったことに喜びを感じてきた人に多いのだろうと思います。また、後者にはお祭り事が...好きだったり、仲間と旅行することをを好んだり、部活動に一生懸命取り組んでチームワークを学んだことが自分の人生の基盤だと感じている人が多いのだろうと想像します。要するに、前者はまずは勉強をして世界観を広げること、人間形成は自分でするものという人間観を抱く傾向をもち、後者は勉強なんて二の次、人との関わり合いの中でこそ人間は成長するという人間観を抱く傾向をもっています。

第二に、学力形成派は校務分掌(職員室での業務分担)で教務部や研究部、文化部などを渡り歩くことが多く、人間形成派は生徒指導部や児童会・生徒会指導部、保健体育部といった分掌を好む傾向があります。前者は政治の動向や世論の動向に敏感で、文教政策にも精通していることが多く、後者はそうした政策的なことよりも、アスリートや文化知識人、歴史上の人物などの成功譚や成長譚を好む傾向もあります。ともにこうした傾向に基づいて仕事をしているものですから、学力形成派は学校運営を司る校務分掌を学級経営や生徒指導以上に大切なものだと感じる傾向があり、人間形成派は学級経営や生徒指導、部活動こそが生徒を育てるのであって、校務分掌は雑務だと考える傾向があります。

第三に、学力形成派は生徒指導を苦手としていることが多く、事務仕事を得意としている傾向があり、人間形成派は生徒指導を得意としていることが多く、事務仕事を不得意とする傾向があります。前者が教職を知的な専門職と捉えているのに対し、後者は教職を子どもたちを導く聖職のイメージで捉える傾向がありますから、生徒指導や事務仕事に対するスタンスが異なるのも当然といえば当然です。

第四に、学力形成派は教師である自分の人間としての個性を生徒たちに押しつけてはいけないと自制する傾向をもち、人間形成派は自らの個性、自らの経験と同質の体験を生徒たちにさせたいと願う傾向をもっています。生徒指導を得意とするか否かは、私には、自分の経験を活かしながら生徒たちに熱く語ることを潔しとするか否かに出発点があるように感じられます。

第五に、学力形成派は教育活動を系統主義的学力観・教育観で捉える傾向があり、人間形成派は教育活動を経験主義的学力観・教育観で捉える傾向があります。例えば、両者が「総合的な学習の時間」のカリキュラムを立てますと、前者は単元1から単元5まで難易度を上げていったり、最後にこれまでの単元を統括した単元を設定したりということにこだわりをもちますが、後者はおもしろそうな単元、意義のありそうな単元を五つほど並列させるだけ、ということになりがちです。顕著な例を挙げれば、両者の仕事振りにはこのような違いが出るわけです。

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父性型と母性型

1.父性型教師と母性型教師

父性型教師と母性型教師はモードが異なります(拙著『教師力ピラミッド』明治図書)。父性型教師は社会的な規範を意識的・無意識的に大きく捉え、確固とした善悪の判断の在り方があるものと考えていて、それを指導基準とします。その指導基準はほとんど揺れることがありません。一方の母性型教師は社会的な規範よりもいま目の前にいるその子の精神的安定を第一義として、意識的・無意識的にその子に寄り添い続けます。もちろん、ここで言う「父性型」「母性型」は、男性であること、女性であることを意味しません。男性にも「母性型教師」はたくさんいますし、小学校高学年を担当する女性教師や中学校に勤める女性教師には「父性型教師」がたくさんいます。あくまで教師の日常的な在り方のタイプのことであり、本人さえ意識していないことも少なくありません。

当然のことながら、両者はいじめ指導においてもモードが異なります。

2.父性型教師のいじめ指導

本人たちは意識していないのですが、父性型教師はいじめ被害の訴えがあった場合、或いは子どもたちを観察していていじめの匂いを感じた場合、まずは「いじめの事実」を確認しようとします。いじめがあったか否かはその事実確認がすべて済まない限り判断できないと考えます。加害者とされる子どもが被害者とされる子にいつ、どこで、何を、どのように言ったのか。加害者が被害者にいつ、どこで、なにを、どのようにしたのか。まずはそうした事実を時系列で細かく確認しようとします。関係した子ども一人ひとりから事情を細かく確認し、事実関係をすべて明らかにしようとします。それがわからないうちは指導には入れないと考えています。

この加害とされる行為の全体像が明らかになった段階で、父性型教師はそれがいじめであるとかいじめとは言えないと判断しようとします。しかもいじめと判断されれば、適切な指導を施そうとします。加害者側にどんな行為がどのように悪かったのかとか、悪気のない行為でも相手が自分と同じように軽く捉えるとは限らないとか、今回の被害者だけでなく他の人たちにも同じように考えながら日常生活を送るべきであるとか、そうしたことを細かく確認していきます。被害者側には、加害者側の子と今後も付き合いたいのか、それとも付き合いたくないのかを確認し、その意向に沿って加害者側に指導することになります。被害者がこれまでのように親しく付き合いたいと言えば仲直りの儀式の場を設け、そうでない場合には加害者側に「もう関わるな」と念を押します。最後に指導の経緯を保護者に連絡して一応の解決を迎える。これが父性型教師のいじめ指導です。

3.母性型教師のいじめ指導

しかし、母性型教師は出発点が異なります。母性型教師の特徴は、まずはともかく被害者に寄り添うことから始まります。一応、加害者とされる子どもたちから事情は聞くのですが、その事実確認は父性型教師のように徹底してはいません。それより、被害者の子がどんな気持ちでいるのか、この経験がトラウマとならないだろうか、保護者は今回のことにどれほど心を痛めているだろうか、などなど、被害者とその家族の心情に寄り添うような発想を旨とします。

また一方で、今回加害者とされた子どもたちや保護者に対しても、「ほんとうは悪い子ではない」というケアの仕方をしていくのが特徴です。被害者側の心情と加害者側の心情とをともに引き取り、母性型教師自身の心情が引き裂かれてしまうことも珍しくありません。その結果、父性型教師のように一応の「一件落着」を見るというような形にはなかなかならないのです。「よし、今回はここまでやれば解決!」というような線引きがなかなかできないので、ズルズルと被害者・加害者へのケアが続きます。多くの場合、母性型教師の優しさと励ましが少しずつ機能するというように解決していくことになります。或いは時間が解決していくというようなことも起こります。

要するに、父性型教師の指導は「強者の論理」で進み、母性型教師の指導は「弱者の論理」で進むと言って良いでしょう。また父性型教師の指導は政治的であり、規律訓練的であり、性悪説に基づいているとも言えるでしょうし、母性型教師の指導は心情的であり、環境調整的であり、性善説に基づいているとも考えられます。被害者の保護者からクレームをもらう場合にも、父性型教師は「うちの子の気持ちをわかってくれなかった」というものが多くなりますし、母性型教師は「先生は頼りにならない。いじめを解決できていない」というものがその典型になります。

父性型教師と母性型教師は、例えばいじめ指導において、このように教育現場に現出します。

4.いじめ指導の三段階

もちろん、教師を二つにラベリングしてどちらか一方に偏ると断定したいわけではありません。ただ、教師の指導の在り方の傾向として両者がある、ということです。

すべての教師がどちらかの傾向に親和性をもっているのす。教師の皆さんなら自分がどちらのタイプに近いと感じるか、保護者の皆さんなら我が子の担任はどちらのタイプの近いと感じるか、ちょっと立ち止まって考えて欲しいのです。

どちらのタイプであったとしても、教師がいじめ指導において意識しなければならないのは、両方の態度がともに必要なのだということです。社会規範を旨に毅然とした態度で解決する。指導した後にも要所要所でケアを怠らず、長い時間をかけて見守り続ける。教師にはそのどちらもが求められるのです。

教師がいじめを認知し、指導したにも拘わらず子どもの自殺を招くという場合があります。データがあるわけではないので印象に過ぎないのですが、いじめ自殺を招きやすいのは、父性型教師が社会規範に則って毅然としたいじめ指導をし、一応の解決を見た後のケアを怠ったことに起因するのではないかと私は感じています。いつも自分のことを気にかけてくれる教師がいるとき、子どもは自殺の道をそうそう選択するものではありません。ただし、母性型教師が心情だけで繋がろうとすると、指導が曖昧になり問題が深刻になっていくということも決して珍しくありません。既に読者にはもうおわかりのことと思いますが、すべての教師が双方のタイプを意識しなければならないのだということなのです。
いじめ指導はまず、
①事実関係を細かく確認し、いじめの事実の全体像を明らかにする。
②確認された事実に基づいて適切に指導する。
③これで解決と考えずに時間をかけてフォローし続ける。
という三段階がセットなのだと意識しなければならないわけです。

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同い年として人として

テレビドラマでは、〈スクールカースト〉の決定要因が腕力の強さやスポーツができるできないの如何、ルックスの善し悪しや性体験の豊富さで測られるように描かれていたけれど、きっとそんな単純なものじゃない。テレビドラマは視聴率を稼がなくちゃならないだろうし、そのためにはわかりやすさと話題性(話題としてのおもしろさ)が優先されるのだろうから、その単純さを批判しても始まらない。あれはあれでおもしろいドラマだったのだからそれでいい。でも、現実に、毎日を生徒たちと過ごしている僕ら教師は、そんなにシンプルな世界観を構築して「興味深いね…」と言っているわけにもいかない。事実として〈スクールカースト〉が学級集団や学年集団を歪めることがあるのだから、それに対処しなくちゃいけない。そういう意味では、教師なんて因果な商売だ。

ただ、ドラマがしつこくしつこく描いていた〈スクールカースト〉の決定要因が勉強のできるできないではないということ、社会的に評価されるようなステイタス(単純に言えば学級代表をやるとか生徒会長になるというような)でもないということだけは確かであるようだ。同学年集団、つまり同い年の人間が集まる三十~四十人くらいの中規模な集団において、人としてどちらが上か、どちらが下かと測る、そんなイメージで捉えると理解しやすい。

ここで大切なのは、「同い年」ということと「人として」ということだ。だから〈スクールカースト〉は、例えば部活動や地域のクラブチームのような異学年集団では比較されないし、勉強や生徒会活動みたいな社会的なステイタスにつながるようなものも決定要因にはならない。

それはちょうど、企業で同期入社の人の中からいち早く出世した人が出たときに、その人を見ながら「人間的にはオレの方が上なのに…」とか、「オレの方が後輩社員に慕われているのに…」とか感じるような、そんな思いを抱くことを想定してみるとわかりやすいかもしれない。そういう思いを抱くときの基準となっているもの、明確に言葉にはできないけれど確かにこの世の中にある基準のように感じられるもの、それが学校という同い年の生徒たちが閉じこめられている学級集団のなかでは殊の外大きな意味をもつ、そんなふうにイメージしてみると良いと思う。

ほら、そう考えてみると、「なんだ…、必ずしも若い世代だけのものじゃないのかもしれないな……」なんて思えてきませんか? だって、そんなとき、多くの人は「オレの方が強いのに」とか「オレの方が運動ができるのに」とか「オレの方がモテるのに」とか、そんな自分勝手な基準で判断しているものですから。決して「オレの方が上司に買われているのに」とか「オレの方が会社に貢献しているのに」とかは思わないものです。人間の価値って、どこか勉強とか仕事とかの優秀さではないと思われているフシがある。

世の中、そういうものです。

率直に言えば僕はこう思っているわけだ。ああ、これはもともと日本人が色濃くもっている心性が、学校という場で大きく顕在化してきているだけだ。そういう古くて新しい問題だ。古くて新しいというよりも、新しいように見えて実は古くからある問題だ。そんなふうに見えてくるのだ。

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言葉の普及

〈スクールカースト〉という語が普及し始めたのは二○○○年代の半ばのことだったように思う。なんだか霞みたいにどこからともなく立ち現れ、次第にネットで話題になり、いつしか子どもたちの間でも使われるようになって、幾人かの社会学系の論者が取り上げ始めて、米倉涼子のドラマ(「35歳の高校生」二○一三年四月)で爆発的に認知された。

最初は教育おたくとか一部のマニアックな人たちがこの語を用いて現代の教育問題を論じているという感じだったのに、二○一○年代になった頃から学校教育に携わる者にとっては無視できない言葉になってしまった。そんな感じで普及してきたように思う。〈学級崩壊〉も〈指導力不足教員〉も〈パラサイトシングル〉も〈婚活〉も〈草食系男子〉もそういう感じで普及してきたわけだから、きっとある言葉が普及するときっていうのはそういうものなんだろう。

僕が〈スクールカースト〉なる言葉を知ったのは二○○○年代の後半のことだったけれど、初めて聞いたときに、既に生徒たちを取り巻く教室内の階層意識を的確に表現する語として膝を打った記憶がある。そのくらい生徒たちを取り巻く状況を表すのにぴったりの言葉だった。一○年代に入ってからは、「○○くん、カースト高いよね」「オレ、カースト低いから…」などという言葉を他ならぬ生徒たちから聞くこともあったし、最近も、身近なところである学級のLINEグループで四十人近い学級生徒全員を格付けする投稿があって指導に手を焼いたという話を耳にしたこともある。まったく、ドラマさながらの現実が学校の現実のなかにさりげなく、それでいて確かな現実味を帯びて紛れ込んでいる実感がある。

「教師たちよ、おまえたちはもう、この言葉を無視できないぞ。」

そんな声がどこからともなく聞こえてくる。

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〈成長〉より〈成熟〉を目指す

四十代には〈成熟〉が求められます。

〈成長〉ではありません。あくまでも〈成熟〉です。

このように言うと、「じゃあ、〈成熟〉と〈成長〉はどう違うんだ、説明してみろ」ということになるわけですが、残念ながら私もうまく説明できません。しかし、敢えて説明しようと試みるなら、〈成長〉とは〈できること〉を増やしていくこと、〈成熟〉とは〈できないこと〉を意識しながら〈確実にできること〉を実行していくことと言えるかもしれません。前者はがむしゃらに進むことがあり得ますが、後者は確実に機能させることを重視する、そんな違いがあるように思います。

例えば、職員会議である提案がなされたとします。〈成長人〉はその提案が実現したときのメリットを考えます。〈成熟人〉はメリットはもちろん考えるのですが、デメリットを考えることにより多くの労力をかけ、メリットとデメリットを比較しながらその提案を値踏みします。〈成長人〉を理想主義者、〈成熟人〉を現実主義者と呼ぶこともできるでしょうし、〈成長人〉は原理主義的であり、〈成熟人〉は機能主義的であるという言い方もできるでしょう。いずれにせよ、〈成長人〉はひた走る快活な人間に見えますし、〈成熟人〉は落ち着いた慎重な人間に見えます。

ただし、〈成熟〉とはこの国の年配者によくいるなんでも取り敢えず時期尚早と先送りする先送り主義者とは違います。先送り主義者はいまこの瞬間に揉めることを割けているのであって、現実になにかを機能させようとしているわけではありません。そうではなく〈成熟人〉は何かが提案されたときに、それをちゃんと機能させるためにどういうデメリットがあるかをよく考え、そのデメリットを取り除くにはどのような手立てとセットで行うよいのかを考え、実行する段階に至るまでにはどのくらいの時間と労力とお金がかかるのかを考え、取り敢えず今回は先送りにしながら提案者のモチベーションを下げないために取るべき手立てを考え……と、こういうことを考えられる人のことを言います。これだけ言えば、〈成熟人〉が先送り主義者とはどれだけ異なる生態をもっていることかがおわかりになるかと思います。

四十代は、こうした意味で〈成熟〉が求められるのだということです。

さて、職員室には少しでも自分に〈できること〉を増やしたいと思う〈成長人〉がたくさんいます。彼らは理想に燃えて、職員会議を初めとする各種会議においてさまざまな提案をしてします。そうした提案に反対するのではなく、メリット・デメリットを比較して少しでもメリットが大きいと判断すれば、即座にそれを実現する手立てを考える。それが四十代の仕事の在り方です。

ときにはその提案のデメリットを指摘するとともに、そのデメリットを最小限にするための手立てをセットした修正案を提案し返す。ときにはその提案の早急な実現にどのようなデメリットがあるかを指摘するとともに、いつまでにどのようなプランでそれを実現していくのかを提案し返す。ときにはその提案が多くの反対に遭ったときに提案した若者に同じ目的を達成するための別のアイディアを提案し返す。常にこういう動きをしている先輩教師がときに若手・中堅の提案に反対したとしても、彼らは○○先生が反対するのならと納得するものです。もちろん、その反対の理由については公の場では大枠を、また裏では個人的に細かく、彼らが納得するまで説明してあげなければなりません。

職員会議は必ずしも正しいことが通るとは限りません。正しさなどというものは人それぞれです。それどころか、時代や状況が変われば正しさもまた変わってしまうのが世の中なのです。そのときには正しいと思ったことが後に正反対の評価を受けることはいくらでもあります。正しさは歴史が決めるのです。

職員会議はなにが正しいか出決まるのではなく、だれが言ったかで決まるのです。そして提案を通せるその「だれか」、それはだれもが〈成熟人〉と認めている人なのです。

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隙間仕事を意識する

内田樹がこの国に「おとな」が少なくなり「こども」ばかりになったと嘆いています。 「こども」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事」じゃないと思う人、「おとな」はシステムの保全は「みんなの仕事」だから「自分の仕事」だと思う人、そう定義してもいます。つまり、道端に空き缶が落ちていた場合、それはだれかが拾えば良いのだから自分が拾わなくてもいいと思うのが「子ども」、ああ、まったくこんなところに空き缶捨てて…と自分で拾ってくずかごに捨てるのが「おとな」です。「おい、なんとかしろよ」と怒鳴るだけの人と、「はいはい、私がやっておきますよ」という人の違いという言い方もしています。(『街場の共同体論』潮出版社・二○一四年六月)

おそらく四十代に必要な特質を一つだけ挙げろと言われたら、この「おとな」になることなのだろうと思います。三十代の若い先生方は「おい、なんとかしろよ」と怒鳴りはしませんが、自分の働きにくさを呑み会で愚痴りはします。それが管理職や頭の固い主任クラスのせいだとも感じています。働きやすい環境を調えてくれればいいのにと思っているのですが、どうすれば働きやすい環境ができるのかにまでは多くの三十代は考えが及びません。また、二十代のもっと若い先生方は仕事を覚えるのに精一杯で、とても職員室のシステム保全にまでは頭が働きません。むしろ職員室や学校システムの環境保全に目を向ける二十代がいたら気持ち悪いでしょう。

学校にはいわゆる〈隙間仕事〉がたくさんあります。仕事全体の二割くらいは私は〈隙間仕事〉なのではないかと感じています。しかも、だれかが〈隙間〉を埋めないと仕事全体の六~八割くらいはその影響で滞ってしまう、そんなイメージさえ抱きます。〈隙間仕事〉をだれもやらなくても成立する仕事というのは、形を整えるタイプの事務仕事くらいでしょう。その意味では、四十代が「おとな」にならなければ、学校は立ち行かないのかもしれません。

しかし、内田樹の言うような空き缶を拾うに代表されるだれでもできる〈隙間仕事〉なら良いのですが、学校の構造はいまやなかなか複雑で、〈隙間仕事〉もそれに伴って複雑化している現状があります。現在の〈隙間仕事〉はかつてのような掃除や雪かき、けんかの仲裁のようなある程度の年長者であればだれでもできるという類のものではなくなってきているのです。ここに「おとなになろう」と単純に言えば済むとならない、深刻な問題があります。

現在、職員室で完全に合意形成されているのは、ほかの先生に迷惑をかけずに学級を運営しようということだけなのではないかと私は感じています。学級を荒らしてしまったり甚大な保護者クレームを受けたりして他の先生の力を借りなければならない状況をつくってしまったら、確かに担任に責任があると見なされます。そのほかは、職員室のだれもに「見える仕事」については校務分掌で割り当てられ、それ以外の「だれもに見えているわけではないけれど大切な仕事」についてはすべてが〈隙間仕事〉になります。

例えば、校務パソコンのメンテナンス。これがシステム不良をおこしたら「おい、なんとかしろよ」の嵐になります。例えば、PTA懇親会の余興。多くの場合だれもやりたがらず、PTAの担当者ができそうな人に頭を下げてやってもらうということになります。こういうのが〈隙間仕事〉の代表です。

しかも、〈隙間仕事〉にはやりすぎてはいけないという特徴ももっています。欠勤した先生の代理に入るという学校を代表する〈隙間仕事〉がありますが、そこに自己顕示欲の強い先生が入ると、自分が得意の学習ゲームなんかで子どもたちを一気に惹き付けてしまい、もともとの担任が戻ってきたときにやりづらくなるなんてこともよく起こります。代理に入るということは、いつもの担任の授業を引き継いで淡々とやれる、その力量のある先生でないとほんとうはできない〈隙間仕事〉なのだということです。

〈隙間仕事〉が「おとな」にしかできないということはそういうことなのです。

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格差社会が学校を襲う

数年前。宿泊学習の代金支払いのギリギリの締め切り日のことです。明日いよいよ宿泊学習という日、その母親は私の目の前でうなだれていました。今日、支払わなければ娘は宿泊学習に行けない。勤務校は各家庭からの支払いを旅行会社に委託しているので、本当に今日払わなければ行けないのです。

代金は一万六千円。数日前に私のところに三千円をもってきて、今日は八千円。自分の親に頼んでなんとか八千円工面してきたけれど、どうしても五千円足りない。娘に宿泊学習に行けないなどという思いはさせたくない。母親はたった五千円のことに職員室で人目もはばからず涙を流しました。

結局、私は五千円を立て替えました。学校では「立て替えはダメ」と事前確認がなされていましたが、私は母親が帰ってから電話をし、「僕が立て替えますよ。だから、○○ちゃんには明日普通に準備させて学校に出してください」と言いました。朝になって学年の先生には、昨夜遅くに残りの金額を持ってきましたと嘘をついて。その母親は結局、その五千円を私に返すのに数ヶ月を要しました。次の年、その母親の娘さんは修学旅行を欠席しました。宿泊学習代の一万六千円がこの状態ですから、修学旅行の五万八千円はさすがに無理だったのでしょう。

いまでも、その母親を学校近くのコンビニのレジで見かけますが、私が行くと申し訳なさそうな顔をして目を伏せます。

私はいまこの原稿を書いていますが、かかった時間はたった十五分です。この原稿料が五千円。その一方で同じ金額に人目をはばからず涙し、数年経っても仕事場に偶然に来た客に目を合わせられなくなる人がいる。なのに、おそらく私の原稿料は入金されたか否かが確かめられることもなく、日常のカードによる買い物に紛れてしまうに違いありません。格差社会…。ふとこんな言葉が私のなかに実感を伴って襲ってきたのでした。

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ちょっとした逸脱を愉しむ

いじめはあってはならないと誰もが言います。いじめがあると校長はまず、「あってはならないことが起きた」と保護者に謝罪します。子どもの自殺があっても、記者会見で当該学校の校長や教育行政の担当者は「あってはならないことが起きてしまいました。再発防止のため、全力を尽くします」と謝罪します。もちろんいじめはない方がいいでしょうし、青少年の自殺は文字通り絶対にない方がいいと私も思います。

しかし、この校長や行政担当者の物言いには、やはり違和感を感じます。それは「あってはならないことが起こらないために、あってはならないことが起こらないように尽力する」という同語反復の物言いに過ぎないからです。

「あってはならないことが起こってしまいました。管理責任者である私は責任を取って辞職します」というなら、これは日本人にってはたいへんわかりやすい。もちろんその動機や経緯を調べもせずにすぐにやめてしまったのではこれまた無責任放棄だということになりますが、一ヶ月後とか三ヶ月後とか、ある程度の動機と経緯が明らかになった時点で職を辞すというのは、日本人にとっては引き際の在り方としてある種の美学があります。  また、「あってはならないことが起こってしまいました。ついては、こうこうこういう対策を講じます」というなら、これはその対策が是か非かというふうに議論することができます。しかし、「再発防止のため全力を尽くします」というのは、実際には「私たちは私たちなりに頑張ります」とか「私たちは気を引き締めます」とか言っているのと同じです。具体策がないばかりではなく、「これまでの方針は正しかった。その方針に従って、さらに網の目を細かくします」と言っているわけです。果たしてこういう施策に実効力があるのだろうか……と私などは感じてしまいます。

「あってはならないことが起こらない」ためには、実はその「あってはならないこと」が起こり得るということを予測して対策しなければなりません。起こり得るものを起こらないようにするにはどうしたら良いかと考えれば、必然的に「いじめはなぜ起こるのか」「自殺はなぜ起こるのか」という問題に行き着きます。この問題が浮上して、初めてああではないかこうではないかという議論も始め得るのです。

ところが「あってはならないことを起こさないために、あってはならないことが起こらないように尽力する」という同語反復には、単なる思考停止しかありません。むしろ、思考しよう、発言しよう、意見しようという人さえ黙らせてしまう威圧感さえ漂わせます。自由なブレイン・ストーミングを行えば、もしかしたら少しくらいは有効なアイディアも出てくるかもしれないのに、その可能性を抹殺します。鷲田清一(『大事なものは見えにくい』)が言っているのですが、実は、おそらくこれは「ほころびがあってはならないという『優等生』の感覚」なのではないか。「上に対してずっと受け身できた者が上に立ったときの特性」なのではないか。そしてさらに言えば、「ほころびがあってはならない」のは決して学校教育や仕事にではなく、自分の人生に対してなのではないか。自分の人生をどうするべきか、受け身で考えてきた者にはついぞわからないからこそ、これまで受け身でやってきた自分が、若い頃から何度も何度も上の者に繰り返し言い続けてきた「もっと頑張ります」「もっと気を引き締めます」の現在進行形なのではないか。

読者のみなさんには、私が校長や行政の担当者を嫌っていて皮肉や嫌味でこんなことを言っているように聞こえると思います。それがゼロとは言いませんが、しかし、本筋はちょっと違うのです。実は、私は彼らが〈遊び〉というものを知らずに生きてきたからこうなってしまったのではないかと思うのです。ただ黙って上の言うことを聞きながら、「もっと頑張ります」「もっと気を引き締めます」とだけ言っていればまあまあ出世でき、まあまあ納得できる人生を送れた、この半世紀の日本がつくってきた最後の世代の哀しい姿なのではないかと不憫に感じるのです。その「ほころびがあってはならない」という感覚こそがほころびを生じさせる時代に入っていることを理解しない、「真面目らしく、誠実らしく見せること」(本音ではない)だけが社会を乗り切るたった一つの全てであると信じて疑わない世代の最後の姿なのではないかと感じてしまうのです。

もちろん、保護者対策、マスコミ対策の文言としては彼らの物言いは正しい。でも私が言っているのはそうした事後の話ではなく、もしも彼らが〈遊び〉というものを熟知していて仕事にも〈遊び感覚〉をもっていたとしたら、この事案自体が起こらなかった可能性があるのではないか、ということなのです。

〈遊び〉とはどこか淫らな温かさをもちながら、世の中の規範を少しだけ逸脱しているところにその本質があります。言わば、逸脱しすぎない程度に逸脱しているところに、ちょっと淫らで心温まる実存を感じる営みです。そういうちょっとだけ規範から逸脱した上司のもとでは、部下もちょっとだけ規範から逸脱するものです。部下の先生方がちょっとだけ規範から逸脱し、それを許し合う空気が形成されれば、そうした教師たちに接している子どもたちにもまその空気は確実に伝わります。彼らの学校にそうした空気があったら、ほころびを生じさせないことよりその空気を優先していたら、その事案自体が起こらなかった可能性があるのではないかと私は言っているわけです。

三十代のうちに、ちょっとした逸脱を愉しめる人間になっておきたいものです。

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人生の問題として選び、捨てる

自分で言うのもなんなのですが、私は三十代の前半くらいまではかなり多趣味な人間でした。勤務が終わるとほとんど毎日パチンコに通っていましたし、金曜日に徹夜麻雀をすることもしばしばでした。川釣りが好きで予定のない週末はいつも山に出掛けていましたし、ドライヴが好きで北海道内のいろんなところに行きました。芝居が好きで月に数度は観劇に通っていましたし、映画が好きで年に三十本程度は観ていました。音楽が好きで、CDを年に数十枚買っていましたし、年に十数回はライヴに足を運びもしました。本を読むことも大好きで、読書も年平均三百冊程度を読んでいたと思います。

北海道は広いですから、川釣りにもドライヴにも最適の地です。ブルースやサザンロックなんかを大音量でかけながら、緑に囲まれたまっすぐな道を走っているとスカッとします。そういう時間がとても好きでした。

しかし、研究活動にもかなり時間をかけていましたから、三十代になると次第にこうした生活もきつくなり始めます。平日にパチンコに行き、十時とか十一時に帰って来てから午前三時頃まで研究資料をつくる。そんな生活が長続きするはずもありません。だんだん予定のない週末は家で寝るようになっていきます。音楽もブルースやサザンロックから落ち着いたものへと趣向が移りますし、劇場や映画館に行く頻度もだんだん少なくなっていきました。

当時は自分がなんだかおもしろくない人間になっていくようでどこか淋しい思いもしたものですが、やはり体力の衰えには勝てません。研究時間を確保するには、なにかを削らなければならないのだと決意しました。この頃から飛行機や列車に乗って遠距離移動して研究会に行くことも多くなり、遊びに使える金額も縮小していきます。私はまず、パチンコや麻雀というギャンブル系をカットしました。次に川釣りやドライヴというアウトドア系をカットし、お金のかかる芝居や映画、ライヴといった外に出なければならない文化系をカットしていきました。

それから約十五年が経ちますが、読書と音楽鑑賞というなんとも普通の、ありきたりな趣味だけが残って現在(いま)があります。私はいまも年に数十枚のCDを求め、年に三○○冊程度の本を読む生活を続けています。これがなくなったら、自分は完全におもしろみのない人間になってしまうのではないか……そんな恐怖感を抱きながら(笑)。

本の世界に「乱読」という言葉があります。まず読み始めのときにはなにを読むべきかさえわからないわけですから、なんでも読むことから始めよう、そんな意味なのだと理解しています。私は大学に入る前からミステリーが好きでずいぶんと読んでいましたが、大学に入って本格的に文学を勉強しようと考えたとき、確かに取り敢えず片っ端から読んでいた時期がありました。あの時期なくして現在の自分はなかったなといまでも思います(ちなみに私は大学時代の最初の二年間、ほとんど大学に行かずに本を読んでいました。詳細は拙著『エピソードで語る教師力の極意』を御参照いただければ幸いです)。

この「乱読」と同じような構造が、趣味の領域、つまり「修養」にもあるのかもしれません。二十代はまさに「乱趣味」の時期で、初めて自分で稼ぐようになり、だれに文句を言われることもなく自由に使えるお金ができたわけですから、ちょっとでも興味を抱いたことには一応を手を出してみる。そんなことが許される時期なのだろうと思います。そしてそれは「許される」という消極的な意味合いだけでなく、読書における「乱読」と同じようにその後の人生をよりよくしていくための必要な時期なのだとも言えるでしょう。

しかし、三十代はあれもこれも手を出していたのでは躰がもちません。いまはよくてもその影響が四十代でドッと来てしまいます。また、趣味というものもレベルが上がってくるとお金がかかってくるものです。家族をもてば自由に使える金額は二十代の半分もないはずです。自分はなにを選び、なにを捨てるのか、そんなことをある意味「人生の問題」として真剣に考えてみなければならない時期なのだと思います。

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雑感

昨日のセミナーがあまりにも良かったので、振り返りをしようとしているのだが、たぶんあの空間は二度とつくれないのではないかと思い至る。確実性があったのは大野さんと山下くんのファシリくらいで、あとはその場の相乗効果がもたらしたという要素が大きかったようにも思う。例えば、模擬授業者に女性3人が並んだわけだが、たぶん無意識的に競い合ったというのがあったはず。負けられないというのではなく、自分だけがへこむわけにはいかない…というような。あのうちの一人が例えば山ちゃんだとしたら、もう山ちゃんと自分は別物という意識が女性陣に働いてしまうだろう。そういう相乗効果の賜だったという要素は確実にある。ヨネマでさえいつもより、厳しい指導言が多くなっていた。女性らしい凛とした指導言の在り方…というような方向性が意識的なのか無意識的なのかよく出ていたように思う。近藤くんと佳太に講座を当てたことも大きかった。登壇者がみな、自分の一歩上の役割を与えられていた。人はそういう期待に応えようとするものだ。それがよく出たのだと思う。考えてみれば、大野さんのファシリだってかなり難しい課題を与えられていたはずだ。企画自体がみんなの力を引き出すファシリテイトになっていたのかもしれない。

それにしても、2015年になってからセミナーの内容がずいぶんと充実してきている。良いことだなと思う。北海道のどの団体のメンバーもピン芸人に近づいてきている。詳しくは語れないけれど、堀・石川・山田以外に単著企画を抱えている人が多く出てきている。来年のいまごろは北海道が違った風景になっているかもしれない。

今日は、『教師力入門』の再校ゲラが届いた。7月、愛知で行われる北フェス×ことのはの会場もおさえられたという連絡が入った。同じく7月の奈良のセミナー会場も。イベント関係は既に夏に向かっているのだな…と改めて感じた。

今年は公務に余裕がありそうだから、僕もなにか新しいことを始めようと思う。ちょっと難しいことをわかりやすく表現する…そういうことに挑戦するつもり。僕の実践がなにを根拠に形づくられているのか、それを一つ一つ整理して伝えていく。取り敢えず形は書籍でと考えている。いろいろなテーマを考えているけれど、基本コンセプトはこれ。もう一つは大胆にファシリを導入した講座づくりだな。語り尽くすのはもう飽きた(笑)。でも、セミナーはやっぱり少し控えようと思う。セミナーをやるなら国語の授業づくりを中心にしようと思っている。

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呑み会を楽しめる頂点はいまである

みなさんは職場の同僚とどのくらいの頻度で呑みに行くでしょうか。呑み会の頻度というのはその職場の文化(と言っては大袈裟ですが)とかかわっていますから、必ずしも多ければ良いとも言えませんし、少ないのが悪いとも言えません。ただ私自身が酒席が好きだということを差し引いたとしても、三十代のみなさんがあまり同僚と呑みに出ていないのだとしたら、少しその頻度を増やしてみてはどうかなとは思います。

なぜかと言うと単純なことです。それは実は教員人生のなかで三十代が最も呑み会を楽しむことができ、充実させることができるからです。

教員生活は二十歳過ぎから六十歳程度まで約四十年間あります。学校組織は二十代・三十代・四十代・五十代でできているわけですね(最近は再任用の先生方も多くなり、六十代前半もかなりいますが、ここでは基本的に彼らは五十代と同じメンタリティと考えます)。とすると、こういう組織において最も呑み会、つまり職場の懇親会を楽しく充実したものにできるのはどの世代でしょうか。それを私はどう考えても三十代だと思うのです。

三十代は二十代の若者を引き連れて飲みに出ることができます。もちろん、四十代が二十代を誘って呑みに出ても構わないわけですが、二十代から見れば四十代に誘われるのと三十代に誘われるのとは意味が違います。四十代に誘われる呑み会は懇親の場であり、もしかしたらお説教されるかもしれない緊張感のある場です。しかし、三十代に誘われる呑み会は単純な遊びとして認識されるはずです。四十代が二十代の話を聞くときには、いくら酒席の場と言っても議論にフラットな関係で議論したり、二十代が「私の感覚はこうです」と訴えることもまず想定できないでしょう。しかし、三十代が二十代の話を聞くときにはそういうことがあり得るはずです。三十代は二十代の話に耳を傾ける姿勢をもっています。この差は呑み会においてかなり大きな差です。

また、三十代は四十代と呑むときにやはり同じ感覚で話をすることができます。四十代は校内の各部署で実権をもっている世代ですから、そこにアイディアを提案すれば四十代はそれに力を貸してくれるかもしれません。少なくとも二十代が四十代に対して同じことをしたときとは、四十代の聞く姿勢が違います。三十代が四十代と呑むときには、二十代が感じるようなレベルの緊張感もないはずです。

要するに三十代というのは、学校を実質的に動かしている人たちとも、これからを担う新しい感覚をもっている人たちとも、どちらともフラットに近い(決してフラットではありませんが)感覚で濃密な会話のできる年代なのです。このことは職場を機能させるうえでも、自分が成長するうえでもかなり優位な立場だと言えるのではないでしょうか。

しかも、あまり意識されていませんが、それはかなり限られた期間なのだということが言えます。四十代になると二十代のメンタリティにはかなり距離ができます。なかには管理職試験を受けたり校内人事で次のポストをなんていう人も出てきますから、呑み会の話にも利害関係が加わる可能性が否定できません。まだまだ若いつもりの四十代ももちろんたくさんいますが、やはり自分がなにかを言うと「若い人たちが気を遣うから」と気を遣いながら呑み会に参加するというメンタリティが生まれてきます。五十代になると、躰もきつくなりますから若い頃のようなに二次会、三次会まで…というわけにもいかなくなります。管理職なら二次会以降は自分がいない方が本音で話せていいだろうと二次会以降は敢えて席を辞するのが慣習とも言えます。

実は、三十代は、純粋に酒席を楽しみ、純粋に酒席の議論を成長につなげられる最後の年代なのです。おそらく、三十代の渦中にいるみなさんはこんなことを考えたこともないと思います。しかし、まず間違いなく、呑み会を大きく自らの糧にできるのはあと数年から長くて十年なのです。

いかがでしょう。若者たちを誘って呑みに出てみようかな、先輩教師とちょっと語り合ってみようかななんて、ちょっとだけでも思っていただけました?(笑)

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自らを発展途上人と意識する

学級担任の力量はどんな学級をつくったかではなく、どんなふうに子どもたちが育ったかで測られる。どんなに一生懸命に仕事をしても、どんなに愛情をもって子どもたちに接したとしても、子どもたちが育っていなければその教師の力量が高いとは言えない。

この原理に反対する方はいないでしょう。その担任が受け持っている間はよい学級なのに、学年が上がって別の担任が受け持ったら荒れてしまう。子どもたちはその担任だからついて行ったのであり、子どもたちが育っていたわけではない。ネタ開発を得意としたりパフォーマンスを得意としたりする教師に多く見られる現象です。

学級づくりならこの原理が納得できるのに、職員室にこの原理を持ち込む人はまずいません。私はそれが不思議でならないのです。学年主任として仕事をしたら、その学年をどのように運営したかはもちろん大切です。しかし、副主任の先生に次の年度に学年主任として仕事のできる力量をつけたか、中堅的な先生方に学年運営に大きく貢献するような力量をつけたか、こういうことがもう少し評価観点として意識されても良いのではないか。

教務主任として仕事をすれば、次の教務主任を育てなければならないし、生徒指導主事として仕事をすれば次の生徒指導主事を育てなければなりません。それも自分と同じやり方を踏襲するだけの人間ではなく、自分にできなかったこと、自分が気づかなかったことにちゃんと取り組んでくれる、自分以上の人材を育てた者ほど評価されるべきなのです。

副主任は一般的に、自分よりすぐ下の世代、年代でいえば三十代後半が最も多いはずです。その年代の人たちは、まだまだ自分は前線で子どもと関わることが仕事であると感じているものです。学校経営・学校運営に自分が関わっているという意識もまだ強くありません。ですから、管理職の方針と異なることに一生懸命になったり、独善的な視点で大きな失敗をしてみたりということが少なくありません。そんなとき、管理職の側だけに立って批判するのではなく、その後輩の側だけに立って擁護するのでもなく、管理職の思いとその後輩の思いとを調整しながら、基本的には後輩のフォローを旨とする……四十代にはそんな姿勢が必要となります。学校の運営が揺らぐようなことをしてはいけませんが、前向きに取り組む後輩のやる気をそぐようなことをしてもいけません。管理職は学校運営に責任をもっているわけですから、自分の主張を絶対に曲げるわけにはいかないでしょう。間に入って調整し、その後輩に管理職の意図を話して聞かすのも、裏で管理職にその後輩への期待を語るのも、やはり四十代の役目なのです。

ところが、四十代は自分が仕事にそれなりの自信をもち、校内でもそれなりに仕事の段取りをつける位置にいるものですから、それに反する動きをする中堅教師を批判したり蔑ろにしたりすることが決して少なくありません。自分が教務系の仕事を得意としていれば教務系の仕事を得意とする後輩ばかりに目をかけ、自分が生徒指導系の仕事を得意としていれば生徒指導系の仕事を得意とする中堅・若手ばかりを評価する。意識しているいないにかかわらずそんな例も多く見られます。しかし、人を育てるということは自分と似た人に目をかけることではないのです。それは寵愛であって育成ではありません。それでは学級経営において優等生ばかりを可愛がったり、やんちゃ系ばかりを可愛がったりするのと同じです。四十代になったら、職員室においてどんなタイプの後輩でも育てるという姿勢をもちたいものです。そうした姿勢はどんな教師のタイプも否定せず、自分にないものをもっている後輩からは自分自身が学ぼうくらいの心持ちになることから始まります。

もう少し辛辣に言えば、四十代というのは先の見える年代です。自分はここまでだな、自分はこの程度だなと、残り十数年の自分の教員人生が見えてきます。自分のゴールが見え始めたとき、人は自分の現在を変えるとか、更なる成長を求めるとか、そうした前向きな姿勢を失いがちです。自らの現在をある種の〈完成形〉と捉えてしまいます。しかし、完成し変容を拒む者に、実は若い人は魅力を感じないのです。その人の言うことを素直に聞こうとは思わないのです。四十代の敵は何と言っても「自らを発展途上人と位置づける謙虚さの喪失」と言えるでしょう。

多賀一郎先生がこんなことを言っていたのを聞いたことがあります。

「五十代になってみてわかったんだけど、五十代になってからの授業ってのはおもしろいもんだよ。みんな管理職になったり、もうゴールが見えて工夫しなくなったりして意識していないんだけど、子どもたちから見ておじいちゃんになったからこそできる授業の工夫、できる実践の工夫ってのが確かにあるんだ。」

四十代になっても五十代になっても自らを完成形などと捉えず、変容を拒まずに「発展途上人」として自らを位置づけるということはおそらくこうした境地を言うのです。私もまだ四十代ですから、自分の経験から言うことはできませんが、還暦を間近に控えた多賀一郎の言に、私はある種の神々しささえ感じたものです。自らが成長の渦中にあるとの自覚を持つ者だけが、よりよく人を育てることができるのです。それは、決して職員室の同僚を育てることのみならず、子どもたちを育てることにも間違いなく言えるはずです。

「四十にして惑わず」とは孔子の時代のこと。「もっともっと」という貪欲さや「ああなりたいこうなりたい」という憧れをまだまだもっていたいものです。そう。貪欲さや憧れとは〈発展途上人〉のものなのです。

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若者をメチャクチャ可愛がる

四十代の勤務時間は自分のために半分、そして残りの半分は周りの先生たちのためにある。このくらいに考えるのがいい。私はそう考えています。四十代の労力は自分のために半分、周りのために半分使われるのがいい。つまり、四十代の時間と労力のうち、自分のために使えるのは半分なのだということです。半分の時間と労力で自分の仕事のすべてをこなさなければならない。そういうことです。

自分の学級は多くて四○人。一般には三○~三五人くらいでしょう。担任をもちながら学年主任、生徒指導主事、教務主任をするという場合、自分の学級だけに時間と労力をかけ、主任業務については最低限の事務仕事だけしていれば良いという考え方では、仕事を全うしたとは言えません。学校の児童生徒全員に責任をもつ、主任クラスがもつべき意識とはそういうものです。学校経営に参画するとはそういうことなのです。

しかし、自分の躰は一つ。自分一人が同時に子どもたちを指導することはできません。とすれば、職員室の先生方が気持ち良く仕事に取り組める環境を調える、力量のない先生が力量を高めていく環境を調える、そうした環境設定によって間接的に責任をもっていくしか方法はないではありませんか。そうです。四十代になったら、学校経営に参画する立場になったら、自分の仕事だけでなく周りの先生方の仕事の環境を調えることに時間と労力の半分を費やさなければならないのです。

さて、周りの先生方の仕事環境を調えると言われても、何をして良いのやら……。まず第一にすべきことは実はとても簡単なことなのです。だれにでもできることです。それは職員室の若者たちをメチャクチャ可愛がる、ということです。自分の学級の子どもたちと同じように、どんな若者にも分け隔てなく均等に愛情を注ぐことです。

教師は自分の後輩を可愛がるというとき、どうしても自分と似たタイプの若者を可愛がりがちです。授業研究を得意として生きてきた教師は授業研究を得意とする若者を、生徒指導を得意として生きてきた教師は生徒指導を得意とする若者をひいき目に見てしまいます。また、自分の得意な分野こそが教育の根幹だと思い、それさえやれればすべてがうまく行くとでも言わんばかりに強調してしまいがちにもなります。そういう先輩のもとでは若者たちも「オレは授業研究ができないからなあ…」とか「私は生徒指導が苦手だからなあ…」などという劣等感を抱いてしまいます。生き生きと仕事をすることができません。実はこれがなによりいけないのです。自分と似たタイプの若者には「お前を見ていると自分の若い頃を見ているようでヒヤヒヤするよ」なんて言いながら、また、自分と異なるタイプの若者には「オレはそういうの、若い頃できなかったなあ。お前がうらやましいよ」なんて言いながら、どの若者も分け隔てなくメチャクチャに可愛がる。日常の職員室の談笑の際にさりげなくこんなことを言ってあげる。ときには若者たちを呑みに連れ出して、そんなふうに肯定してあげる。こうしたやりとりこそが、実は環境設定なのです。

もしかしたら、みなさんは、最近の若者が先輩からの呑み会の誘いを迷惑がるようになった、付き合いが悪くなったというひと昔前のマスコミの喧伝を信じ続けているかもしれません。しかし、実はそうした若者たちは既に三十代になっています。現在の二十代は人付き合いをとても大切にする世代です。もちろん全員とは言いませんが、十年年前と比べれば、みんなで呑みに行くこと、みんなで取り組むちょっとした行事など(BBQなどですね)を一緒に楽しめる世代になって来ています。むしろ、現在四十代の自分たちのほうが、若かったときの方が付き合いがよくなかったのではないかとさえ感じられます。断られたら……と変に怖れることなく、思い切って誘ってみることをお勧めします。

さて、話をまとめます。自分の学級の子どもたちに対して、このタイプは可愛がるけどこのタイプは可愛がらないという教師はいないはずです。社会人なんだから……と変に厳しい目をもたずに、若者たちを正面から可愛がってみてください。間違いなく、現在の若者たちはすくすくと育っていきます。

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まえがき/あとがき

まえがき

教師の武器はたった二つ。即ち「言葉」と「表情」である。その場に相応しい表情を伴った言葉を一般に「語り」と言う。教師は「語り」によって子どもたちを導かねばならない。それが教師の仕事である。

生徒指導や生活指導において、教師がこうした自分らしい、それでいて子どもたちの心に響く「語り」を身につけているか否かは、生徒指導の成否を決めるほどの重要な要素である。ある教師は穏やかに、ある教師は和やかに、ある教師は毅然とした態度で、ある教師は精一杯の自分を演出しながら、子どもたちの心に響く「表情」と「言葉」を武器に語る。

しかし、最近の子どもは自分の非を認めないことが多いと言われる。相手も悪いと自分だけが悪者にされるのを徹底して拒む傾向も見られる。他人の気持ちを慮ることが苦手で、自分から見た視座だけを根拠に主張し、最後までそれを曲げない傾向もあるとされる。こうした子どもたちと対峙したとき、教師はいかに語るべきなのか。

本書は「説得」をテーマに、教師が子どもたちの意に反して生徒指導を施そうとするときの「語り」について自己分析していただくことにした。20人の中堅・ベテランの教師に、自らの教師としての「語り」の妙を披露していただく。そういう企画である。

本書が「教師力」を身につけたいと願う若い教師たちの一助となれば、それは望外の幸甚である。

あとがき

教師にはどうしても説得し切るしかないという場面がある。ときには子どもたちの逸脱によって。ときには被害の子どもの訴えによって。ときには職員室の総意によって。ときには学校教育を機能させるために。子どもたちに理解を示したいと本音では想いながら、それでも説得しきらなければならないときがある。

子どもたちに用意されている道は三つだ。即ち、〈説得される〉〈妥協する〉〈開き直る〉である。もちろん、子どもたちが心から〈説得される〉なら、それは成功である。子どもたちが「この先生に言われたら仕方ない」と〈妥協する〉なら、それはそれで教師も学校教育も対面を保つことになる。しかし、子どもが〈開き直〉って教師に体当たりで抵抗するなら、それは明らかな「説得の失敗」となる。

20人の執筆者の原稿を読んで感じたのは、執筆者のそれぞれが「説得の言葉」以上に、一人ひとりが「教師としての在り方」とでもいうべきものをしっかりもって子どもたちに当たっていることである。20人の執筆者は子どもたちの説得にあたる時点で、既に子どもたちに「この人の話を聴こう」と思わせてしまっている。そういう日常的なつながりが前提されている。読者の皆さんはこのことを肝に銘ずるべきだと思う。子どもたちに「聴こうと思わせる在り方」。教師が身につけるべきはこの「在り方」なのだ。

ガラスの巨人/谷山浩子 を聴きながら…
2015年4月2日 自宅書斎にて 堀 裕嗣

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まえがき/あとがき

まえがき

教師の武器はたった二つ。即ち「言葉」と「表情」である。その場に相応しい表情を伴った言葉を一般に「語り」と言う。教師は「語り」によって子どもたちを導かねばならない。それが教師の仕事である。

学級づくりにおいて、学級担任がこうした自分らしい、それでいて子どもたちの心に響く「語り」を身につけているか否かは、学級経営の成否を決めるほどの重要な要素である。ある教師は穏やかに、ある教師は和やかに、ある教師は毅然とした態度で、ある教師は精一杯の自分を演出しながら、子どもたちの心に響く「表情」と「言葉」を武器に語る。その「語り」が子どもたちに少しずつ機能していくに従って、その教師らしい「色」が学級に形づくられていく。そういうものだ。

「語り」は教師に、その人にしか醸せない「味」をつくり出す。その教師なりの「味」を醸し始めたとき、教師は初めて周りの教師たちのだれもが認めざるを得ない存在感を示し始める。そういうものだ。

本書は「説得」をテーマに、学級担任が子どもたちの意に反して教師の意図に導こうとするときの「語り」について自己分析していただくことにした。20人の中堅・ベテランの教師に、自らの教師としての「語り」の妙を披露していただく。そういう企画である。

本書が「教師力」を身につけたいと願う若い教師たちの一助となれば、それは望外の幸甚である。

あとがき

教師にはどうしても説得し切るしかないという場面がある。ときには子どもたちの逸脱によって。ときには被害の子どもの訴えによって。ときには職員室の総意によって。ときには学校教育を機能させるために。子どもたちに理解を示したいと本音では想いながら、それでも説得しきらなければならないときがある。

子どもたちに用意されている道は三つだ。即ち、〈説得される〉〈妥協する〉〈開き直る〉である。もちろん、子どもたちが心から〈説得される〉なら、それは成功である。子どもたちが「この先生に言われたら仕方ない」と〈妥協する〉なら、それはそれで教師も学校教育も対面を保つことになる。しかし、子どもが〈開き直〉って教師に体当たりで抵抗するなら、それは明らかな「説得の失敗」となる。

20人の執筆者の原稿を読んで感じたのは、執筆者のそれぞれが「説得の言葉」以上に、一人ひとりが「教師としての在り方」とでもいうべきものをしっかりもって子どもたちに当たっていることである。「説得の言葉」自体というよりも、その教師が日常的に子どもたちの前にどのような立ち姿で在るのか、そこにこそ本質があるように私には思われる。「説得の言葉」はもちろん大切である。しかしそれ以上に私たちが磨くべきは、「教師としての在り方」なのだろうと思う。

鳥は鳥に/谷山浩子 を聴きながら…
2015年4月2日 自宅書斎にて 堀 裕嗣

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調整役を買って出る

四十代は、三十代と比べて自分の肩にのしかかる責任が違うというのが特徴です。研究主任や教科主任、児童活動主任や生徒会指導主任といった、研究や子どもの活動を司る役職ではなく、学年主任や生徒指導主事、教務主任といった学年や学校を司る役職へと立場が移行していきます。子どもの活動や行事の取り組みについて最終決定をしたり、教育委員会に学校を代表して報告する文書をつくったり、他の教師にクレームが来れば一緒に家庭訪問をしたりと、自分の仕事だけでなく同僚の仕事にも責任をもたなくてはならなくなります。責任に押し潰されてしまう四十代も決して少なくありません。

責任をもたねばならない立場になると、概して行政や管理職の指示通りに動こうということになりがちです。力量がなかったり自信がなかったりといった人ほどその傾向に陥ります。上のお達し通りに動いていれば、少なくとも自分の責任を深刻に問われることは避けられます。自分の責任を回避することは楽でもあります。その結果、小さなことまで管理職に報告して指示を仰ぐという仕事の仕方になりがちです。

しかし、自分のもとで働いている若手・中堅の立場から自分の仕事を見直してみることが必要なのではないか。どんな小さなことでも、「ちょっと待って。上に報告して指示を仰ぐから」という人のもとで、若手・中堅は「さあ、がんばろう」と思えるだろうか。自分が若かったときだって、そういう学年主任や教務主任を「頼りない」とか「保身だ」とか「指示待ちだ」とかと感じた経験がなかったか。そして「主任クラスがこんな感じでは若手が育たない……」などと、同世代の同僚と呑みながら愚痴をこぼしていたのではなかったか。いつのまにか、自分が批判していたベテランと同じことをしている……そんな状態に陥ってはいませんか。

もちろん、主任クラスは行政や管理職の考えていること、即ち〈上からの要求〉に応えることがなにより大切です。何しろ学校経営に参画し、学校の基盤づくりの責任の一端を担っているわけですから、自分のわがままを通して学校の基盤を揺るがすわけにはいきません。しかし、自分が〈上からの要求〉を下に伝えるだけの伝書鳩になっていたり、自らの保身(自分が失敗しないこと)のために若手・中堅に無理な仕事の仕方を強制したり若手・中堅のアイディアを取り上げなかったりしていたのでは、早晩、自分自身の仕事が立ち行かなくなっていきます。いつのまにか人間関係がギスギスし、そうと気づかぬうちに同僚の信頼を失い、結果的に仕事がまわらなくなって管理職の信頼をも失ってしまう、ということになりかねません。〈下からの要求〉も〈上からの要求〉と同様に大切なのだと考えることが重要と言えます。

私は主任クラスの仕事を「上からの要求と下からの要求を調整すること」だと捉えています。若手・中堅の同僚たちが気持ちよく働ける環境を整えながらも、行政や管理職の求めていることを実現していく。そのためのアイディアを出し、実行していく。そういう仕事が求められます。責任とはそもそもそういうことなのではないでしょうか。

〈上からの要求〉ばかり優先すると、自分のもとで働く同僚のやり甲斐を奪ってしまいます。それは職員室を沈滞させ、数ヶ月後の停滞を招きます。また、〈下から要求〉ばかりを優先して管理職と対峙すると、管理職が行政とあなたとの板挟みに遭い、管理職の先生方にあなたには想像できないような苦労をさせてしまうことにもなります。それは、場合によっては、学校が教育委員会からにらまれることを意味しますから、長い目で見たときには結局、学校のためになりません。

〈上からの要求〉を理解するとともに下にもそれをわかりやすく伝える。また、〈下からの要求〉をよく理解したうえで、その現実を上に伝える。そしてできれば、その具対策を管理職に提案する。それが四十代の仕事の在り方なのではないでしょうか。

学校運営がスムーズに進むか否か、職員室の雰囲気が良くなるか悪くなるか、教頭とともに、その鍵を握るのは四十代であると言っても過言ではないでしょう。

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幸せのカタチ

人は幸せになりたいと願います。私だってあなただって子どもたちだって、みんなみんな幸せになりたいと願っています。

幸せのカタチは人それぞれです。一人ひとりの個性によって幸せはさまざまにカタチを変えます。でも、その幸せのカタチが一人ひとりの個性ではなく、世代によってそのカタチを規定されてしまうとしたら……。そんなことを最近よく考えます。

私は一九六六年生まれ。今年四九歳になります。私たちの青春期はバブル真っ盛り。幸せはお金であり物欲でありイメージでした。街は付加価値のついた商品であふれ、「ほしいものがほしいわ」というコピーが流行するほどに浮かれていました。それが幸せだと信じていました。あなたは現在、二十代。私たちが経験したような浮かれた時代をおそらく生涯経験することはないはずです。でも、そんな物欲に浮かれることをあなたはもはや幸せとは感じない。あなたはきっともう少し地に足のついた、現実的で身の程を知った幸せのカタチを抱いているはずです。

では、皆さんが毎日接している子どもたちは、どんな幸せのカタチを求めるのでしょうか。ちょっと想像力を働かせてみましょう。  お金とか、物欲とか、そうした幸せのカタチを求めると、子どもたちの未来は暗くなってしまいます。もうそんな未来像はこの国にはありません。良い高校、良い大学、良い会社……そんな「出世すごろく」のような人生を求めるのも現実的でない。現在でさえ産業は十年周期で衰退する時代なのです。

では、私たち教師が現在の子どもたちに安定的に保証できるものはなんでしょうか。それは〈人とつながる力〉なのではないでしょうか。私たちが学級づくりにおいて、子どもたちにつながる喜びを体感させてあげられるかどうか、それが子どもたちの将来に大きな影響を与える。いま、そんな責任を私たちは背負っているのだと思うのです。

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