表記
一つ一つの言葉をどのように〈表記〉するかということには、筆者の〈主想〉が顕れます。〈表記〉は単なる書き癖の場合も少なくありませんが、無意識に用いた〈表記〉だからこそ、その筆者の本質的な〈主想〉が顕れるということもあるのです。
例えば、「堀はひどいやつだ」と書くか、「堀はひどいヤツだ」と書くか、「堀はひどい奴だ」と書くかという三通りには、平仮名か片仮名か漢字かということ以上の違いがあります。読む側の語感の問題もありますから一概には言えませんが、「やつ」と「ヤツ」を比べた場合、現在の言語感覚では一般的には「ヤツ」の方が批判的な意味合いが込められているのが一般的ではないでしょうか。また、もしも筆者がかなり年齢が高いのであれば、片仮名表記は単なる音を表す意味で用いたのかもしれません。「奴」と表記すれば、筆者には軽蔑の眼差しが強いかもしれませんし、自分よりも下に見ているというニュアンスが加えられているかもしれません。いずれにしても、「堀はひどいやつだ」という一文においてさえ、「やつ」を「ヤツ」や「奴」と比較してみることでこれだけの思考が生まれるのです。文章を読む際に授業にこのような活動を入れて少し検討するだけでも、そうした体験を重ねれば子どもたちの〈言語感覚〉は大きく高まるはずなのです。
日本語の表記は、唯一正しいものがあると考えてしまうとかえって思考の深みを失います。「寂しい」なのか「淋しい」なのか、「ことのは」なのか「コトノハ」なのか「言の葉」なのか、「ロマンチック」なのか「ロマンティック」なのか、文学的文章を読むときはもちろんですが、説明的文章を読む場合にも文章表現する場合にも、このような〈表記〉の違いに敏感であるほど国語学力が高いと言えるのです。
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