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張り詰めない仕事のしかた

あなたは毎日、どのくらいの力で仕事をしているだろうか。

常に全力投球だろうか。それとも手を抜くところは抜いて、ほどほど主義だろうか。

私は三十歳を超えた頃から全力投球で仕事をするのをやめた。全力投球は長い目で見たら、百害あって一利なしと感じたからだ。全力投球では九イニングがもたない。教師にとって九イニングとはその一年のことではない。退職までである。投球の相手は退職までに出会う数千の、校種によっては一万数千人の子どもたちである。

私は三十歳を超えたとき、〈八割主義〉で仕事をすることに決めた。四十歳を過ぎてからは〈六割主義〉に更に落とした。つまり、自分のもっている力の六割しか発揮せずに仕事に向かうのだ。

こんな言い方をすると不遜に聞こえるかもしれない。しかし、若いうちなら〈十割主義〉で仕事をしても良いけれど、年齢が上がるにしたがってそれではきつくなる。体力的にきつくなるということもゼロではないけれど、それ以上に仕事の質が変わってくることのほうが理由としては大きい。年齢が上がれば上がるほど、仕事の内容に他人のフォローの占める割合が高くなっていくのだ。自分が常に全力投球で張り詰めているのでは、他人のフォローなどままならない。私が言っているのはそういう意味である。

例えばこんなふうに考えてみよう。

あなたの隣の担任がどうも精神的にまいってしまっているようだ。いま抱えている仕事を軽減してあげなければならない。学校長にもそう頼まれた。さて、自分が全力投球で仕事をしていたら、この隣の担任を気持ち良く助けてあげられるだろうか。現実が現実だから助けるのは助けるだろう。でも、ここで大切なのは「気持ち良く」という部分だ。「オレだって忙しいのに、まったく…」と思いながら助けるのではなく、「大丈夫だよ、そのくらい、なんにも気にしないで僕に任せてくれていいよ」と助けてあげられるかと言っているわけだ。

〈十割主義〉で仕事をしていると、心の病で休職する人が許せなくなる。〈十割主義〉で仕事をしていると、精神的に落ちてしまって力を発揮できない人が迷惑な人になる。〈十割主義〉で仕事をしていると、子どもの送り迎えや親の介護で残業できない人がうとましく思われてくる。自分はこんなに仕事をしているのに……、自分はたくさん仕事を抱えているのに……、自分は常に忙しいのに……と、その人と自分を比べてしまう。自分で好んでそうなったわけではない他人の不幸にまで、優しくなることができない。優しさのない援助は、援助される側を傷つける。もしかしたら、助けないこと以上に傷つけるのではないかという気さえする。

若いうち、つまりフォローされる側の立場であるうちは〈十割主義〉もいい。力量がないわけだから、むしろ手を抜くことで周りに迷惑をかけてしまう。しかし、年齢が上がって他人をフォローする立場になったら、〈十割主義〉で仕事をすることはむしろ罪なのである。張り詰めない仕事のしかたを覚えなくてはならない。

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