コミュニケーション能力は配慮力である
四十代になると主任クラスの仕事を任されます。一人でやる仕事から多くの同僚を動かしながら、しかもコンセンサスを取って勧めていく仕事が増えていきます。多くの人たちを納得させられる〈コミュニケーション能力〉が必要とされます。納得というものはいくら論理的に説得しても得られません。納得させるということをひと言でいうなら情を制することです。情を制しない限り、いくら詭弁を弄しても納得などさせられません。納得してもらうのに必要なのは口舌ではなく行動なのですから。
職員室において、たとえ一部の人たちとはいえ「人の上に立つ」ということは、自分の思い通りにただ仕事を進められるということをまずは捨てることから始まります。それができないうちは「人の上に立つ者」としては半人前です。だって自分一人ではできない仕事を担っているわけですから、他の人たちに動いてもらわないことにはその仕事は進まないのです。そしてその人たちに気持ち良く仕事をしてもらうための動きを自分に徹底して課さなければなりません。それも日常的に、一日も怠ることなく。
情を制するのに必要な第一は、「絶対に一人にしないよ」というメッセージを投げ続けることです。人は自分の身を守ろうとします。いえ、人だけではありません。これはすべての生物の本能です。しかし、自分の身を守る人ばかりがいくら集まっても改革はできません。新しいアイディアを採用するよりも現状維持の方が身の安全は確保しやすいわけですから当然のことです。
他人に対してなにか新しいアイディアの実現を依頼するという場合には、「きみは一人じゃない」「すべてをきみの責任に帰したりしない」「人手が必要なときにはみんなで手伝う」「この一年間、絶対に一人にはしない」ということを行動で示し続ける必要があります。「何月何日までにやっといてね」で人が動くと思っているのでは話になりません。しかもその先生ができなかったからと言って「社会人としてのいかがなものか」なんて思っているようでは、あなたの方が上司失格なのです。この第一の原理は「人の上に立つ者」としては基本中の基本です。この覚悟がないなら他人を動かす仕事自体を四月の段階で引き受けてはいけないのです。孤高を貫くべきなのです。
情を制するのに必要な第二は、その人が一番やりたいことを絶対的に保証してあげるということです。例えば、ある人が部活動の指導をやり甲斐として教師になったとしましょう。その人はできれば毎日放課後は部活動に徹底して付きたいのです。しかし、学校現場はそのようにはできていません。あなたが主催する臨時の会議をどうしても設けなければならなかったり、今日のうちにみんなで力を合わせてやっておかなければならない作業があったりということがあり得ます。その先生だってそんなことはわかっています。
しかし、あなたの下で働く部活動に熱心な先生がどんな日程で部活動に取り組んでいるのかについては、あなたは熟知していなければなりません。自分には関係のない部活動だったとしても、大会日程がどうなっているのか、大会の直前のミーティングはいつどこで行うことを常としているのか、その先生が今年はどこまで結果を残したいと考えているのか、そういうことを把握していなければなりません。そして臨時の会議や喫緊の作業においても、「今日はちょっと…」とその先生に言わせるのではなく、「先生にとっては今日が大事な日だってわかってるから、今日はいいよ。次にお願いね」とこちらから声をかけるのです。これができないと「人の上に立つ者」としては失格なのです。下の者に対していかにストレスを軽減してあげるか、それと同時に言葉は悪いですがいかに小さな恩を売るか、仕事を円滑に進めるための人間関係の調整というものはこのレベルの配慮なのてす。
もちろん、それでもどうしてもという緊急事態はあり得ます。その場合にも、「ごめんね。こんな大事な日に」というひと言があるかどうかで、先生方の気持ちはまったく変わるものです。
こういうレベルのことを〈コミュニケーション能力〉と呼ぶのです。
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