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仕事を道楽と心得る

教職を「子どもたちとの闘い」だと表現する人がいます。実践研究を「修業」だと表現するもいます。なかには「修行」と表現する人さえいます。しかし私は、教職という仕事も実践研究も、ある種の〈道楽〉だと感じています。自分は〈道楽〉で喰わせてもらっていて幸せだな、と……どこかそんな感覚を抱いています。

教職の大きな特徴は、ここからが仕事、ここからが生活と分けられないところにあります。生活どころか、〈遊び〉とさえ明確に分けることができません。生活上のさまざまな事柄が教室での出来事を判断する規準となります。趣味や遊びで取り組んでいることが学級づくりや行事運営に大きく役立つこともあります。それもたくさんあります。こういう職業は珍しいのではないでしょうか。

例えば、趣味がギターの弾き語りだとしましょう。人前でギターの弾き語りをしたいと思ったとき、三十人、四十人の観客を集めることはかなり難しいものです。街中で路上ライヴをする若者をよく見ますが、足を止めて聴き入っている人はほんの数人です。ギターケースになにがしかの金額を投げ入れる人はもっと少ないのが現状です。それなのに私たちは教師であるというだけで常に三、四十人の人に聴いてもらうことができます。たいしてうまくもないのに、「先生、うまいね」と言ってもらえます。そんな良い気持ちにさせてもらっておきながらお金がもらえちゃうのです。なんと良い職業なのでしょう。

例えば、マジックを趣味としているとしましょう。ちょこちょこっと練習しただけの決して本格的なマジックでないとしても、子どもたちはちょっと大袈裟なんじゃないの?と思うくらいに驚いてくれます。そんな良い気持ちにさせてもらっておきながらお金までもらえちゃうのです。なんと良い職業なのでしょう。

例えば、教職に就いていなかったとしたら、あなたごときの人生観をだれが聞いてくれるでしょうか。勤務時間のなかで人間とはかくかくしかじかであるとか、人にはこうこうこういうことが大切だとか、そんな個人の見方、考え方を真剣に聴いてもらえる人というのは世の中にどのくらいいるのでしょうか。個人の人生観などというものは、ふつうは喫茶店や居酒屋で学生時代から仲の良い友達くらいしにしか聴いてもらえない、普通はそういうものなのではないでしょうか。なのに私たちときたら、子どもたちだけでなく、その保護者にまでえらそうに語ることが許されているのです。そんな良い気持ちにさせてもらっておきながら、世の中から見れば決して安くはない給料がいただけるのです。しかもみんなが汗水垂らして支払った税金からです。これを良い職業と言わずして何と言えばよいのでしょうか。

こう考えると、私が教職を〈道楽〉と呼ぶのも少しはなるほどなと思えるのではないでしょうか。

それなのにいつの間にか多くの教師が、子どもたちが自分の話を聴くのは当然だと思うようになります。この子たちは話を聴かないと子どもたちを責めるようになります。子どもたちが自分がせっかく書いた学級通信を読んでくれないと子どもたちを責めるようになります。しかし、あなたの話や書く内容は果たして市井の人々が聴きたい、読みたいと思うような内容なのでしょうか。子どもたちを責める前に、自分自身のコンテンツ自体を振り返ってみるべきなのではないでしょうか。

この話したり書いたりするコンテンツを充実させる営み、質を高める営み、それを「実践研究」と言います。コンテンツは、私たちが実社会のなかで楽しいと感じたりなるほどと感嘆したりすればするほど充実していくという特徴をもっています。つまり、学んだことはもちろんなのですが、遊びのなかで体験したエピソードや趣味で身につけたちょっとしたスキルなどが品点津を充実させていくわけです。そうしたエピソードやスキルを集めることが、「闘い」や「苦行」であるはずがありません。

しかも、です。人の表現というものは、表現者が楽しいと思っていることを語れば語るほど、受け取る側にもそれが伝わるという特徴をもっています。表現者が本気で楽しんでいるものほど、実はよく伝わっていくものなのです。それならば、自分自身が本気で楽しめることを中心にコンテンツ開発をしていくというのが最も良い在り方ということになるのではないでしょうか。やはり、「実践研究」もまた、〈道楽〉なのです。

世の中のさまざまなことにおもしろさを感じられるほど、世の中の小さなことに興味深さを感じられるほど、実は教師としてのコンテンツの質は高くなっていくのです。それは決して、学校内に閉じられるべきものではありません。なんでも良いのです。学校というところは、社会にあるものならほぼなんでも取り入れることのできる稀有な場所です。つまり、自分が興味を抱いたり楽しいと感じたりしたことを取り入れることのできる、たいへん恵まれた場所なのです。そういう場を仕事としていることを私たちはもう少しポジティヴに捉えるべきでしょう。

最後にもう一度繰り返します。教職という仕事も実践研究も、ある種の〈道楽〉なのです。よく学び、よく遊ばなければならないのは子どもたちだけではありません。我々教師がよく学ぶと同時によく遊ぶべきなのです。子どもたちに語るべきことの質を少しでも高めるために……。

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