圧倒的なデーベースが欲しい
婚活ビジネスも就活ビジネスも学校教育も、同じように消費者マインドに基づいた承認欲求ビジネスの様相を呈している。なのに婚活と就活はビジネスとして成功するのに学校はただ大変になるだけである。いったいなにが違うのでしょうか。婚活ビジネスや就活ビジネスにあって学校教育にないものは何なのでしょうか。
それはおそらく〈データベース〉なのではないかと私は考えています。婚活も就活もこういうタイプの人にはこういうものを…と即座に取り出すことのできる圧倒的なデータベースをもっているのです。
支援を要する子を担任したとき、見たことも聞いたこともない症例や現象が見られて学校を挙げて大混乱を起こすことがよくあります。どう対応して良いかわからない。体当たりで奮闘してみても、専門家という人たちに聞いてみてもどうもうまくいかない。そりゃそうです。だれもどうして良いのかわからないのですから。結局、教室は基本的に混乱したまま、周りが慣れることによってある程度落ち着き、その子にとってなにも良いことの起こらないままに卒業を迎えます。或いは、一部の子は専門家に預けられることによって教室が落ち着きます。しかしそれはその子の対応を専門家が請け負ってくれたというだけで事の本質は変わりません。現場が移っただけです。
しかし、もしも文部科学省が全国的なデータベースをつくっていたらどうなるでしょうか。東京のある学校に支援を要する子がいるとします。その学校の先生方はその子の症例を見たことも聞いたこともない。近隣校に聞いても近くの専門家に聞いても明らかにならない。でも、その症例と対応の在り方が札幌にはあるかもしれない。鹿児島にはここ十年で二例あったかもしれない。これを繋ぐ〈データベース〉がないのです。
特別支援教育に限らず、すべての子どもたち、すべての保護者たちは、自分たちが学校になにをして欲しいのか、どうして欲しいのか、実はその当事者さえよくわかっていないというのが本質なのではないでしょうか。
ちなみにこう考えてみましょう。あなたはいま、なにが欲しいですか? こう問われて即座になになにが欲しいと明確に応えられる人というのはあまりいません。なにかが満たされないけれど、なにか欲しいものがある。そんな感覚的なものしか自分自身でも捉え切れていない。そんなものです。アマゾンで本やCDを買ったとき、「あなたが次に欲しいものはこれではありませんか?」と言われて、「ああそうそう。自分が欲しかったのはそれだったのだ」と購入をクリックしたことはありませんか? 人間の欲求なんてものはそんなものなのです。子どもがパニックを起こしたり保護者がクレームを言ってきたりするのも、教師のある言動が触媒となって違和感が起動されることによって生じるのに過ぎません。最初から「これはいやだ」と言語化できる子どもも保護者もほとんどいないというのが実態です。そして「あなたの欲しいものはこれではありませんか?」とすべての顧客の欲求を起動するアマゾンの裏には、膨大な〈データベース〉があるのです。
かつてアマゾンが普及し始めた頃、〈ロングテール〉という語が流行しました。みんなが欲しがるような売れ筋のものというのは極一部で、その裏には一部の人しか欲しがらない膨大な商品の種類があるのだということを尻尾で表現した比喩です。商品の需要というのは尻尾のように、つけ根の太い部分から先っぽの極細いところまで長く長く続くのだという意味です。そうした極々一部の需要まで満たしたところにアマゾン的ビジネスのビジネスモデルがあったわけです。
しかし、学校教育はいま、〈デーベース〉もないのにアマゾンになれと言われています。ある稀少な書籍をある人が五十万で買ったという情報はアマゾンにとっては、或いは神田の古書店にとっては貴重な情報かもしれません。しかし、大型新刊書店にとってはそれは何の意味もない情報です。現在の学校教育はこの大型新刊書店にあたるのです。アマゾンになれというのであれば、絶対的に〈データベース〉が必要なのではないでしょうか。
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コメント
中高一貫校で理科教員をしているものです。私も以前から教育におけるデータベース化というのは必要であると思っていました。
たとえば教科指導の場面で、誤概念などのデータベースがあれば、新任者が初めて取り組む単元であってもどのような授業を行えばいいのか、定量的に判断することができるようになります。
定量的な分析にも使えて、万人がアクセスできるデータベースがあれば、教育を反証可能性がある形で議論する助けとなるはずです。
投稿: | 2015年3月 8日 (日) 11時52分