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形象と感動と世界観

実は、「忍ぶ川」には加藤剛と栗原小巻を主演とし、名作と呼ぶに相応しい映画が巨匠熊井啓監督によってつくられている。それは見事と言わざるを得ない、素晴らしい作品で、巷の評価、専門家の評価ともに非常に高い作品として知られている。しかし、例えば、「忍ぶ川」という小説を読んでの感動の質は、映画「忍ぶ川」を観ての感動の質とどう異なるだろうか。

ここで問題にしているのはあくまで「感動の質」である。もちろん、映画を観ての志乃は栗原小巻以外にあり得ないが、小説の志乃は読み手の想像に自由をもたらす。かつての青春期のほろ苦い恋の対象を思い描くのも、自分の好きな女優を思い描くのも、その権利は読者の掌中にある。また、「忍ぶ川」に描かれる深川の町や東北の町を思い描くにも、読者は縦横無尽にその形象を形づくることができる。映画にはそれができない。そこは確かに違う。しかし、小説「忍ぶ川」を読んで志乃のけなげな姿にホロリとするのと、映画「忍ぶ川」を観て志乃のけなげな姿にホロリとするのとでは、その感動の質にいかなる違いがあるだろうかと私は問うているのである。「忍ぶ川」のごとき、だれもが体験し得る題材をだれもが認知し得る感性で描いている作品においては、小説形象がもたらす感動の質と映像形象がもたらす感動の質とが同質のものになりはしないか。少なくとも限りなく合同に近い相似形を為しはしないだろうか。

もしも私のこの物言いを読者諸氏が首肯していただけるなら、私はこう主張したいのだ。だれもが体験し得る題材をだれもが認知し得る感性で描いている作品を読む訓練ならば、それは小学校中学年までで仕上げてしまうべきだと。いや、実際の壁と言われる四年生において、新美南吉の「ごんぎつね」を読むときには既に、その域の訓練とは異なったレベルの読解体験・鑑賞体験・批評体験であるべきと。本稿の私の主張はここにある。

「忍ぶ川」と同じ熊井啓の九○年代の作品に「ひかりがこけ」がある。三國連太郎・奥田瑛二主演、当時は話題作だった。舞台は昭和一九年冬の北海道羅臼、知床半島の突端である。

戦時中、転覆した艦船から四人の乗り組み員が生き残り、羅臼の洞窟に避難する。しかし、厳冬のさなかである。周りは完全なる雪景色。おまけに知床であるから常に吹雪きだ。町を求めて外に出れば、迷うことは必至である。四人は喰い物のないなか、洞窟に留まることを選ぶ。まず一人が死ぬ。残された三人のうち、三國連太郎演ずる船長と奥田瑛二演ずる西川はその仲間の遺体を喰らう。もう一人の乗り組み員は仲間の肉は喰えないと拒否し、やがて死んでいく。二人はその肉も喰らう。仲間の肉を喰って生き延びた二人だが、西川は船長がこの先、自分を殺して自分の肉を喰らい生き延びようと企んでいるに違いないと疑心暗鬼になる。そして船長に喰われるくらいならと、洞窟から逃げようとする。船長はそんなもったいないことをするなと西川を殺し、その肉を喰らう。結局、生き延びたのは船長一人であった。

戦後、船長は殺人と死体損壊の罪で裁判にかけられる。人肉を喰う罪を裁く法律はない。従って、罪状は殺人と死体損壊でしかないのだ。しかし船長は裁判官の問いかけに、この裁判は自分とは無関係のように思える、と主張する。自分を裁けるのは自分がその肉を喰らった三人だけであり、そして自分を正当に裁くことができるとすればそれは自分が喰われることだけだ、とその思いを吐露したのである。裁判は混迷を極める。だれもが船長の主張に憤る。それでも船長は周りがいかに理解できなくとも、この自分の主張の構造は正しいと考えている。法律や裁判に従うのはやぶさかではないが、たとえ自分が死刑になろうとも法律や裁判では自分を裁けない。そう物語は主張しているわけだ。粗い整理であるが、こんな作品である。

実は、この映画がひどく駄作なのだ。三國連太郎に奥田瑛二と名優を配しながら、映像にしてしまうとどうしても世界観が薄っぺらくなるのだ。巨匠熊井啓にしてこの世界観を描ききれないのである。もちろん、三國と奥田の演技が下手なのではない。作品の世界観と映像という手法とが齟齬を来しているのである。原作は武田泰淳であるが、小説作品は戦後文学を代表する実験小説として至上の評価を得ている。そして小説作品ならば、船長の実存、理屈にできない孤独と理屈にできない原罪意識とがその文学形象によって見事に描かれるのである。その感動の質たるや、だれもが体験し得る題材をだれもが認知し得る感性で描いた「忍ぶ川」が与える感動とはまったく質の異なるものである。次元が異なると言っても良い。それは読者の認知を、認識を、人生観を、世界観を覆す。詳細は原作を読んでいただきたいが、文学形象による感動とはこうした次元であるべきだと私は思う。

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