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札幌市中学校教諭車上荒らし事件に寄せて

同業者の車上荒らしにたいへんなショックを受けている。

なぜこんなにも自分がショックを受けているのか理解できないでいたけれど、こういうことなのではないか。

車上荒らしという犯罪行為がもともと生存の危機に瀕するときに増えるタイプの犯罪であり、比較的に平和で豊かな社会では下層階級の起こすタイプの犯罪であるからだ。この手の犯罪は国が貧困にあえぎ、社会が混乱しているときに増える、そういうタイプの犯罪なのだ。事実、この手の犯罪は1950年代まではものすごい数で立件されていた。そういう時代の犯罪と今回の犯罪は親和性をもっている。それが教員から出たということがショックなのだろうと思う。

札幌市ではこの10年、体罰があり、飲酒運転事故があり、パチンコ屋でパッキーカードを盗むというような事件があった。おそらく公にはされていないまでも、セクハラやパワハラの問題も多数あったことだろう。

まず、体罰は教育特有の問題であるからこれはいっしょに議論できない。むしろ社会では暴行であるものが現場が学校だと「体罰」と称される社会的慣習による呼び名に過ぎない。生徒の万引きが窃盗と呼ば...れずに社会が「万引き」と呼び、学校と保護者が同伴して謝罪すればたいていの場合許されてしまう慣習と同様の構図がある。従ってこれはこの議論から除外。

飲酒運転もセクハラもパワハラも世の中が平和で豊かだから問題になるタイプの犯罪である。生命の危機に瀕している、明日の命がどうなるかわからない、こうした状況のとき、この手の問題は優先順位が低くなる。しかも、おそらくこの手の犯罪は公にされないだけで、飲酒運転は一日に数万件、セクハラやパワハラに至っては厳密に判断すれば一日に数百万件の単位で起こっているに違いない。それが公にされなかったり被害者が我慢したり被害・加害で和解したりできるのは、これらが多分にモラルの問題を含んでいるからだ。モラルの問題だから、どんな職業の人間にもモラルハザード人間は一定数いる。だから教員から出ても警察官から出ても官僚から出ても大企業の社長から出でも、「馬鹿なヤツがいるもんだ」で僕らは済ますことができる。(もちろん、飲酒運転の事故で被害者が亡くなったとか、ハラスメントで被害者が自殺したという問題になれば大問題だが、それは別の論議だ。)「自分はしない」で済ますことができる。モラルの問題と考えることができるだからだ。

パチンコ屋のパッキーカードにいたっては、完全に平和な社会でしかあり得ない。なにせ娯楽施設での出来事である。「馬鹿だなあ…」という以外に言葉の出ない事案だ。多くの教師はただ嘲笑したはずである。

しかし、車上荒しは違う。これはモラルの問題ではない。まったく次元の違う問題なのだ。

生存の危機に瀕したとき、人のものを盗む、人を殺してでも盗むという事件は多くなる。犯罪白書に見る戦後から1950年代までのデータはそれを示している。その後、私たちは平和で豊かな社会を実現させ、こうした犯罪をかなり抑制することに成功した。しかも、教師は田中角栄内閣以来、身分的に大きく保障され、こういう犯罪を犯すような経済状態に陥らないようにと配慮されているのである。なのにこういう犯罪が教員のなかで起きるとすれば、この身分保障の前提が崩れてしまいかねないのだ。こんな犯罪を犯すような職業なら、教員の給料なんて300万くらいでいいじゃん…という論理に抗えなくなるのだ。つまり、これは僕らの職業的アイデンティティ、セルフイメージにかかわる問題なのだということだ。「自分はしない」で済ませられる事案ではないのだ。

僕が今回の報道に大きなショックを受けたのはこういうことなのだろうと思う。今回の容疑者には、もし容疑が事実なら僕は同業者として厳罰を望む。

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