指導事項に基づいた学習活動を仕組む
国語の授業がもうそろそろ新しい教材に入ります。あなたは教材研究をしなければなりません。一度、自分で教材を読んでみます。そのとき、あなたは頭の中でどんなことを考えるでしょうか。多くの人がまず例外なく、「この教材、どうやって授業しようかなあ……」と考えるのではないでしょうか。
実は意外かも知れませんが、この思考法、この発想法こそが、多くの教師が子どもたちの学力を向上させられない一番の要因になっています。
教材研究をするときにまずしなければならないことは、指導事項を決めることです。思考法でいうなら「この教材で何を教えようかなあ」とか「この教材で何を扱おうかなあ」と考えることを指します。授業というものは、①指導事項(WHAT=何を教えるか)を明確に設定し、②その指導事項を扱うためのふさわしい学習活動(HOW=どのように教えるか)は何かという順で構想されるべきものなのです。算数・数学や理科ならこういう発想で当然のように授業が行われているのですが、なぜか国語の授業だけはそうなっていません。その結果、「天国のごんに手紙を書く」という学習活動がまずあって、その活動でどんな国語学力がつくのかが曖昧なままに授業が行われる、「○○に関する説明を考えて交流し合う」という学習活動が先にあって、その活動で身に付けるべき指導事項が曖昧なままに授業が進められる、そんな本末転倒の現実があります。
本来、学習活動というものは指導事項によってその意味・意義が変わるものです。同じ〈方法〉であってもその〈目的〉によって意味・意義が変わる、と言い換えても構いません。
さて、このことを詳しく見ていくことにしましょう。
私の考える「国語学力の構造」は五つの下位項目でできています。「学習意欲」「思考力」「言語技術」「言語感覚」「国語教養」の五つです。
上の図1をご覧下さい。これは私が講演や講座において、現場の先生方にわかりやすく説明するために、「国語学力」の構造を便宜的にまとめた図です。
まず、縦軸は「実用─教養」、横軸は「認識─体感」としてマトリクスをつくります。
「国語学力」には実用的なものと教養的なものがあります。例えば手紙の書き方とかスピーチの仕方などというものは実用的な学力ですし、文学史や古典、短歌・俳句などの指導事項は教養的な側面の色濃い学力といえます。また、「国語学力」に は「わかる」というタイプの学力と「感じる」というタイプの学力とがあります。前者を「認識的な学力」、後者を「体感的な学力」とここでは呼ぶことにしましょう。
すると、実用的で認識的な学力がいわゆる「言語技術」です。「言語技術」はまず「わかる」ことから始まり、実用性を旨としているからです。また、教養的で認識的な学力が「国語教養」です。文学史的な知識や古文・漢文の基礎知識、語の構成、方言と共通語など、国語学力にはこうした要素は決して少なくありません。更に、私は、実用的か教養的かにかかわらず体感的な学力については「言語感覚」であると位置づけています。このマトリクスはこういう意味です。
さて、このマトリクスを用いて、音読を例に「指導事項」(=目的)と「学習活動」(=方法)との関係について考えてみましょう。
まず図2を見てください。図2は物語や小説において音読の言語技術を教え、その言語技術を意識して音読練習をするという授業を表した図です。例えば、「題名を張りのある大きな声で読み、作者名はトーンを落として読む」とか、「地の文はトーンを落として読み、会話文はトーンを上げる。会話文の前後には少しだけ間をとるとよい」といった言語技術を教えて、その練習をしてごらん、というような授業ですね。これは言語技術を教えるため(=目的)に言語技術教育の手法(=方法)を使っているわけですから、すべてが図で言う右上の象限「言語技術の世界」で行われています。
これに対して図3は、前節で詳述した古文の音読をさせる場合の構造を図で表したものです。古文を音読させるということは、歴史的仮名遣いや主語の省略など、いわゆる「国語教養」的な指導事項を確認することが必要です。従って子どもたちはこれが古典の基礎知識を定着させるための学習活動だと捉えています。しかし、授業者の私としてはこの学習は古文特有の韻律(=リズム)を体感させること(=目的)をねらっています。ですから、音読の回数が多ければ多いほどいい、ということになります。ここからどんな些細な読み間違いも許さないというゲーム性を施して、「楽しく練習させちゃおう」という発想(=方法)が出てくるわけですね。しかも、こうした韻律を体感することによって、将来、文章を書いたりスピーチをしたりするときに、リズムを意識しながら書いたり話したりする子どもたちが生まれるのではないか、そんな実用的で、遠くにある目的を意識した活動にもなっているわけです。
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