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主想

文章には内容と形式があります。文章表現において書かれる内容は、①執筆したいという動機をまず抱き、②その動機に基づいてよりよい題材を求める、という二段階を通って規定されます。書き慣れている人たちにとってはこの二段階が当然のことであり、未分化になってしまいがちなのであまり意識されませんが、子どもたちに指導する場合にはこの二段階をしっかりと意識する必要があります。このときの①執筆したいという動機に当たるのが〈主想〉です。

〈主想〉は書き手にとって内的に胚胎した動機のことですから、多くはその文章表現の主題になります。要するに、さまざまな事物・事象(=モノ・コト)のなかから、価値あるテーマを発見する書き手の心的な動機のことです。しかし、こうした書き手の動機は一般的に、書き手自身のなかから溢れ出るようなイメージで捉えられることが多いようですが、必ずしもそうとは限りません。他者から書いてくれと依頼されたとか、他者から書くように促されたことによって、書いているうちに動機の胚が事後的に生まれてくるということも少なくありません。ですから、教師は必ずしも子どもたちが自主的に書きたがるのを待つとか、無理にテーマが胚胎するような経験を与えようなどとせずに、書くことを日常化するなかでよりその子らしい〈主想〉に高めていくというような意識をもつほうが現実的です。そもそも教師でさえ、通知表所見や学級通信を書くときに、必ずしも当初から〈主想〉をもっているわけではないことがあるものです。しかし、書かなければならないという意識が日常の子どもをよく観察させたり現実を分析させたりしていきます。子どもだって同じです。授業を発信型にすることによってこそ、子どもたちの〈主想〉も高まっていくのだと心得ましょう。

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