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やめることも提案である

学校は無駄の多い場所です。

毎年、職員会議では新しいことが提案されます。確かにいまはそれが必要かもしれないと多くの先生が感じたとき、その提案は通ります。こうして学校を挙げて新たな活動が始まります。しかし、問題なのは、数年が経ってその始まった活動が当初ほどの効果を上げなくなっても続けられてしまうことです。それがいまなお効果を上げているのか否かもなかなか検討される機会がありません。

その活動の立ち上げ時を知っている古くからいる先生は始めたときの熱気を記憶しています。新しく来た先生はこの学校はこういうシステムなのだなと仕方なくその活動に参加します。その仕事の担当者も自分の仕事なのだと思って、効果もわからずに淡々とその仕事を進めます。結局、その活動はその効果の実態もよくわからないままに続けられます。そして、また新しい提案がなされるのです。いまあることをやめようというのには勇気がいりますから、なかなかそういう声も上がりません。仕事は増えていく一方。

こうして時宜を逸した過去の遺物が無駄として残り続けるのです。多くの学校にこうした構造があります。

二十代の若い先生方はまだ仕事を覚えようとしている段階です。いまある仕事にただがむしゃらに対峙していることが多いものです。逆に四十代以上のベテラン教師には、いまあるものをやめようとはなかなか言いにくい現状があります。学校で行われている活動には、どんな活動にもそれなりの良い面がありますから、ベテランはいまあるものを費用対効果を考えてカットしようという発想にはなかなか立てないのです。また世代を問わず、無難に過ごそう、無難に教師生活を送ろうと考えるタイプの人々には、なにかを始めること以上になにかをやめるという発想は出てきません。そういうものです。多少の労力をかけてそれをこなせば無難な教師生活が続くわけですから(笑)。

実はこうした費用対効果の合わない仕事に対して、一番敏感になれる可能性が高いのは三十代なのです。三十代は学校において実働部隊の長となることの多い世代です。二十代は言われたとおりにやることで精一杯ですし、ベテラン教師の視線は実働部隊として働くよりも、全体計画を立てたり企画を立てたり周りのフォローにあたったりということに向いています。

新しいことを提案したり開発したりすることは楽しく有意義なことです。三十代はそういうことに楽しいこと、有意義なことに心血を注いで構わないですし、むしろ注ぐべきでしょう。しかし、ただ一方的に新しいことを始めるだけでは同僚の先生方を、つまり職員室を疲弊させてしまいかねません。新しいことを始めるばかりでなく、効果のあまりない馴れ合いになっている事柄をやめることにも目を向けた方が良いのです。

現状をそのままにしておきながら新しいことを提案すると、職員室の仕事は増えていく一方です。現状でも多忙感を抱いている先生方にはあなたの新たな提案は迷惑がられてしまうかもしれません。提案も通りにくくなります。しかし、日常的に効果の薄い仕事をカットしていくことも同時に進めているならば、新たな提案も通りやすくなります。必然的にあなたのモチベーションも上がるわけです。

とは言っても、先にも言ったように、いまあることをやめるという提案には抵抗をもたれてしまうことが少なくありません。四十代以上のベテランや管理職に稲井に説明したり相談したり根回ししたりしながら、うまく提案を整えていくことが必要となります。こうした提案を通していく報・連・相の妙を覚えることは、今後迎える四十代、学校経営に参画していく四十代に向けて決してマイナスにはなりません。

なにかを始めるときにはなにかをやめる。費用対効果をよく考えてやめるべきはやめようと提案する。更に費用対効果で言うなら、そのほうが新たな提案に対する職員室のモチベーションも高まり、費用対効果が更に高まるかもしれないのです。

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