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マイクロシーベルト

ついさっき、テレビニュースで「マイクロシーベルト」という単位を聴いて、正直、「久し振りに聴いたな…」と感じた。自分では意識していなかったのだが、自分のなかでやはり風化してきているのだなと感じざるを得ない出来事だった。

今朝から普段通りに働く先生方や普段通りに登校する生徒たちを眺めながらいろんなことを考えた。中学校に勤めていると、今後、震災がどのように風化していくのかを目の当たりに見る想いがする。3年生は当時5年生、あの映像とあの空気をはっきりと覚えている。2年生は4年生、多くがあの映像とあの空気を覚えているけれど、意識のない子がちらほら見られる。1年生は当時3年生、東日本大震災に対する思い入れが2年生とははっきり違うのを感じる。現在の小学校5年生あたりからはあの毎日のように流れたテレビ映像さえ記憶にないという子どもたちになっているはずだ。

かく言う私も、たまたま気仙沼に親しい友人がいて、たまたま震災の数年前に研究会で気仙沼を訪れていて、あの震災で空襲かと思われるような気仙沼の映像を見たからこその思い入れともいえる。それがなければ他人事だったかもしれない。いや、いまだって関係者から見れば当事者意識の薄い私はそもそもが他人事なのだろうが、その当事者意識は気仙沼とのつながりがなければもっともっと薄かったはずなのだ。人間なんてそんなものなのだろう。
こうした原罪意識を忘れないでいたいものである。

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