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ことばと経験

学習指導要領は「適切な表現」「的確な理解」「言語感覚」「国語を尊重する態度」等々、あたかもあるべき言語の使い方、だれもに共通する言語の美醜感覚があるかのように語る。いわゆる「道具言語観」に立っている。しかし、言語は表現したり理解したりするための道具なのではなく、人間にとって世界観を形づくるための「思考そのもの」であり「創造そのもの」なのである。国語科を「言語の教育」と位置づけることは、こうした「思考」や「創造」の営みを子どもたちに経験させ、その子なりの言語による世界観を構成させることに他ならない。

この世には古くから、「ことば」と「経験」はどちらが広いかという議論がある。言語を「思考そのもの」と考えるとき、思考経験をもつ者ほどあざやかなことばを使うことができるという意味で、「ことば」と「経験」は「経験」のほうが広い。しかし、「鏡蛇」を経験することができないことからもわかるように、言語がその創造機能をはたらかせるとき、「ことば」は「経験」を凌駕する広さをもつ。この世にないもの、自分の経験にはなかったものを創り出すことがある。

国語科が「言語の教育」であるということは、子どもたちにこの両方の経験を意図的・計画的に体験させ、言語というものに畏敬を抱かせる、そんな教育になるのではないか。こう考えると、先に挙げた学習指導要領の目標の文言も道具言語観に見えなくなってくる。

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