女性教師に気持ち良く働いてもらう
女性教師に気持ち良く仕事をしてもらえるか否か。現在の職員室運営はこの視座を抜きには語れません。これは男性上司ばかりのことを言っているのではなく、女性上司でも同様です。現在の職員室は小学校なら半数程度、中学校でも三割程度は女性教師であるはずです。もう女性教師が少数派である時代は既に数十年前に終わっています。
男性教師を動かす原理で女性教師を動かそうというのははっきり言って無理です。出世をちらつかせることはまったく効き目がありません。ライバル間で切磋琢磨して育つという原理もまったくとは言いませんがほぼありません。そもそも仕事における競争意識がないのですから、この手の原理で考えること自体がナンセンスなのです。それはちょうど偏差値教育からゆとり教育を経て再び学力向上が叫ばれるようになった昨今、「勉強すれば将来は安定した職業に就けて幸せになれるんだ」という論理が無効になり、担任教師が魅力的な授業を展開し、魅力的な人間にならなければ子どもたちが動かなくなったのに似ています。それと同じように、女性もまたニンジンでは一切動かせないのです。
そもそも旧時代でさえ、ニンジンで釣りながら動かしていたこと自体が本来間違っていたと言うべきではないしょうか。人間はパブロフの犬ではありません。いくらベルを鳴らしてニンジンを与えたとしても、ベルだけでよだれを垂らすようにはならないのです。
さて、私は前節において、「人の上に立つ者」の配慮として、一人ではないというメッセージを投げ続けること、一人ひとりがほんとうにやりたいことについては保証し続けることを挙げました。女性の場合には更に配慮が必要です。
第一に「一年間、絶対に責めない」という覚悟をもつことです。どんなミスをしても、どんな失敗をしても、どんなトラブルを起こしても、絶対に責めてはいけません。それまでの関係がどんなに円滑であったとしても、一度でも責めたらアウトという女性が一定数います。もちろん全員ではありませんが、一部の女性にはそういう特質があります。しかも男性上司は人間関係がうまくいっていると、「この人は大丈夫」という感覚を抱いて責めてしまう場合がありますがそれもダメです。例えばその女性が体育系でどれだけ強く見えようとも、付き合いが長く自分との関係がどれだけ円滑であろうとも、一方的に責めることは厳禁です。むしろ自分のフォローが足りなかったことを謝罪するスタンスで行くべきです。これは男性四十代の既婚者ならばわかるはずです(笑)。
第二に「常に見ているよ」という姿勢を示し続けることです。その女性教師になにか良い動きがあった場合には間髪を入れずに褒める。その日のうちに褒める。また、その女性教師が組織のために頑張ってくれたら間髪を入れずに感謝する。その日のうちに感謝の意を言葉にする。この癖をつけることが必要です。男性上司は言葉にしなくてもわかるだろうと思いがちですが、それは共通のニンジンを追う者同士の男性原理に過ぎません。言葉にしない評価も、言葉にしない感謝も、この世の中ではないに等しいのです。そしてこれらの褒め言葉や感謝の言葉は他の人に聞こえないところで発しなければなりません。廊下や帰りがけの玄関、場合によっては携帯メールなど、他の人たちには見えない場、聞こえない場でその人だけに向けて発しなくては意味がないのです。
第三に自分の下に女性教師が複数いる場合には、どの女性教師とも等しい距離感覚を保つということです。一人の女性教師とは距離が近く、他の女性教師との距離は遠いというように差があるのでは、最初は良くても一年間はもちません。距離の近い女性教師が五十代で、自分の方が依存しているという場合ならばあまり問題はありませんが、自分ど同世代以下の女性教師である場合には、距離感覚に差があっては早晩人間関係が破綻します。一方の女性教師にもう一方の悪口を言うとか、この二人は仲が良いからと自分が知っている一方の秘密をもう一方に語ってしまうとか、そういうことも厳禁です。仲が良いように見える二人の女性が実は仲が悪かったなんていうことは世の中にあふれています。
以上が最低限のマナーです。女性のみな様、好き勝手を申してすみません(笑)。
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