自分自身で選ぶことから始まる
三十代後半。実践研究もあれもこれも手を出していられる時期ではなくなってきます。自分に向いているのはこれだな…、向いていないのはこれだな…という自分の特性もわかってきます。そろそろ自分の生き方を整理しなおして、自分がこれからなにをしたいのかなんて考えるのもこの時期です。
管理職になろうとか、指導主事になりたいとか、そういう地域の既定路線に乗ろうとしている人は明確な目標があります。自分は一教師として学級経営に勤しむんだと決めている人、部活動の指導に熱心に取り組んで成果を上げることに悦びを感じている人、そういう人たちは迷いがなくて幸せだなとも思います。また、無理をせずに仕事をそこそこに、普通にこなしていき、趣味や家族との時間を大切にするという生き方を選んでいる人たちも幸せそうに見えます。自分にはなにもないなあ…、いったい自分はなにをしたいんだろう…、そんなふうに自分の人生を振り返りながら、これからのイメージが描けないことに不安感を抱くのもこの時期です。
しかし、管理職になるならないを決めるのはもう少し先で間に合います(地域によっては、特に郡部においてはそうでない地域もあります)。管理職として同僚の先生方を支える存在になるとともに地域の教育に貢献するのか、それとも一人の担任として子どもたちと接することに悦びを見出し続けるのか、それはもう少し経ってから自分で判断ですれば良いのです。あと数年の猶予があります。
指導主事は正直なところ、三十代後半の時点で一度もその手の話に触れたことがないなら、既にもう可能性はありません。部活動に悦びを見出すにももう遅いと言わざるを得ません。部活動も三十代後半から本格的に取り組んでものになるほど甘い世界ではありません。そもそも、地域の教育を担うにしても部活動の指導者としてやっていくにしても、そういう人たちは二十代の頃からそういうルートの仕事の仕方をしているのです。後発の参入者が入っていける世界ではありません。
組織を前提としてアイデンティティを見出そうとするには、三十代後半という年齢は既になにかを始めるのに遅い時期です。やはり、この年代から某かの生き甲斐をと考えるならば、それは組織を頼りにしない、他人を頼りにしない生き方を見出そうとする必要があるでしょう。もしあなたが独身ならば婚活をとも考えるかも知れませんが、それも他人をあてにする生き方であることにはかわりありません。そもそも婚活は時間・労力・お金をたくさん費やさなければならない割に、成功する可能性が非常に小さい投資活動です。婚活を「投資」ではなく「投機」だと言う人さえいるほどです(笑)。その意味では、趣味は割と確実かもしれませんが、夢中になれる趣味を見つけるのもこれまた難しい。
ただし、一つ考えなくてはならないことがあります。生き甲斐を見出すためにはとにかくなにかを始めなければならないということです。夢中になれる趣味はないかと探していたのでは、いつまでたってもそんな趣味は見つかりません。夢中になれる実践研究はないかと探していたのでは、いつまでたってもそんな研究は見つかりません。それは恋愛において夢中になれる人はいないかと探し続けるのに似ています。最初から夢中になれる恋愛などなく、人は時間を共有しある種の歴史を形成することで「夢中になっていく」のです。
いま取り組んでいること、いま学んでいることに対して、あなたは本当に本気で取り組んでいるのでしょうか。しがらみでやっていたり、特にすることもないからと時間つぶしに取り組んでいたりはしないでしょうか。或いはあまりにもいろいろな学びの場に手を出しすぎて、どれもこれも中途半端になってしまっている人もいるかもしれません。
それではこれからの二十数年を乗り切れないのです。充実させられないのです。これから仕事はどんどん〈自分のやりたいこと〉から〈自分がやらなければならないこと〉へと移行していきます。仕事の中心が〈自分のこと〉から〈他人のフォロー〉へと移行してもいきます。そんなとき、やらなければならないことや他人のフォローにある種のやり甲斐を感じるためには、それらの仕事や関わりを通して自分が成長しているという実感を抱けるか否かにあります。
そろそろ「こんな世界もあるのか、あんな世界もあるのか」と迷うのではなく、「私はこれ」或いは「私はこれとこれ」といった自分の仕事の軸となるものを定めなければならないのです。そういうものを定めて本気で取り組んでいけば、自分の日常が、自分の仕事に対する見え方が変わっていきます。その観点で自分の仕事のすべてを見つめ直すことが自分の毎日の仕事をフィールドワークにしていきます。次第にそれに夢中になれるようになります。やらなければならないことや他人のフォローにも自分の仕事に役立つ部分を発見できるようになります。だって、やらなければならない仕事というのは、学校にとって必要だからあるのですから。他人のフォローをするにしても、その先生が一人の人材としてちゃんと機能することは学校にとって大きなプラスになるはずです。その人が自分に新たな学びを提供してくれることだってあるはずです。
自分の人生はこれだという軸を手に入れる必要があります。そしてそれは、自分がいまもっているもののなかで幾つかを選択することから始まるのだと私は思います。そしてそれは〈自分自身で選ぶ〉ということからしか始まらないのです。
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