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〈上機嫌〉でいること

教師にとって最も大切な職能を一つだけ挙げろと言われたら、皆さんは何と応えるだろうか。私は「何を措いてもこれだよ」と言えるものをもっている。私の四半世紀にわたる教職経験から言って、教師の職能として何よりもこれが優先される、そう確信できるものをもっている。それは、いつでもどこでもだれとでも「常に上機嫌でいること」だ。

なんじゃそりゃ……そう感じる向きもあるかもしれない。でも、仕事がうまく行かないとき、街を歩いていて上機嫌なおじさんに声をかけられたら、なんとなくうざったいなあとは感じながらも、自分の気持ちも浮上してきはしないだろうか。切ないことがあって落ち込んでいるとき、大阪のおばちゃんに囲まれて「ほれ、飴ちゃんあげるわぁ」と飴を差し出されたら、なんかうざったいなあと思いながらも、楽しくなってきはしないか。

そう。上機嫌は伝染するのである。

教師は子どもを指導しようとする。もちろん、子どもが悪いことをしたとき、子どもが何かにつまずいているとき、子どもがいま一つ一歩上へと踏み出せないとき、教師は指導しなければならない。たしなめ、はげまし、みちびく言葉をもたなければならない。でも子どもが悪いことをしたときにたしなめるのも、子どもが何かにつまずいたときにはげますのも、子どもが一歩を踏み出さないのをみちびくのも、どれも対症療法である。教師の目の前に子どものよどみが顕れて、初めてそのような指導が必要となる。

しかし教師に必要なのは、もっと日常的な、ありふれた、珍しくもなんともないいつもの風景において、教師がどう在るかということではないだろうか。そんな教師の定番が、教師のお決まりが〈上機嫌〉として子どもたちの前に現象しているとしたら、もうそれだけで抜群の教育効果をもつはずだ。

もしかしたら、その〈上機嫌〉が子どもたちにも伝染して、子どもたちが悪いことをする率が下がるかもしれない。子どもたちがちょっとくらいつまずいても気にしなくなるかもしれない。子どもたちが前向きに一歩を踏み出そうとするようになるかもしれない。私は、近くにいる大人が〈上機嫌〉であることには、そんなはかりしれない効果さえもつような気がしている。教師が常に〈上機嫌〉でさえいれば、学校現場で起こるマイナス事案の八割くらいは消滅してしまうのではないかとさえ思う。

もう一度繰り返す。

教師はいつでもどこでもだれとでも、常に上機嫌でいるべきなのだ。

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