外の仕事には覚悟を要する
三十代ともなると、学校外の仕事というのをたくさんもっているはずです。地域の研究団体で中心的な仕事をしているとか、他校の公開研究会の研究協力者になっているとか、行政機関の研究協力委員になっているとか、部活動の大会運営に中心的にかかわっているとか、そうした仕事ですね。
こうした外の仕事は、正直に言えば息抜きになっているのではないでしょうか。日常の仕事から解放されて外勤に出ることにはそういう側面があります。いつも顔を突き合わせている人から少し離れて、別の世界の人たちと会話するのは良い気分転換になります。自分の学校はこうだ、相手の学校はこうだと愚痴をこぼし合うことも精神衛生上悪いことではありません。特に五年研修、十年研修などで大学同期や初任者研修同期の人たちと会う場合などは、自分が二十代だった頃に戻れて良いものです。
さて、年次研修でノスタルジーに浸ることには何の問題もないのですが、その外勤の対象が研究や部活動といった今後の仕事の在り方と密接にかかわるものである場合は、自分のこの先の教員人生のイメージを見据えて、一度しっかりと考えてみることが必要です。 例えば、小学校教師がある教科の研究団体にかなり忙しくかかわっているという場合。今後もその教科の研究を中心に教員人生を送っていこうというのならば、その研究の場は自分にとってこれからも有意義な場になりますが、そうでない場合には校内の仕事がこれからどんどん忙しくなるに連れて、その研究の場に所属していることが苦しくなっていく可能性が非常に高いのです。特に、官民問わずどんな研究団体でも必ず毎年、一定数の実務を担う運営委員が必要です。三十代になってくるとそうした仕事を頼まれる場合があります。それを引き受けるべきなのか否かは、自分の今後の教員人生を他ならぬ自分自身がどうイメージしているのかということと密接な関係をもちます。ちょっと断れない性格で…とか、取り敢えず何事もやってみようといまは思ってる…とか、そうした感覚で引き受けてしまうと、後々、トラブルに発展する怖れさえあります。
三十代でそういう場の運営委員に誘われるということは、頼む側からすればその後も更に事務局に入るとか、その後は事務局長になるとか、そうしたことを期待しています。それほど教員生活イメージの中心にはない場においてそういうものを引き受けてしまうと、数年後には「そんな重要なポストまで引き受ける気はなかったのに…」というポストにまで誘われることになっていきます。その段階になって断りにくくてその会への出席自体がしづらくなる、一度さぼると次からは無断欠席になる、誘ってくれた人から電話がかかってくるとのらりくらりと応える、そんな義理に反する行いをしてしまうことになりかねません。その場を生涯の仕事として一生懸命にやっている先輩教師に大きな迷惑をかけ、しかも信用も失ってしまいます。更に言えば、それが地元の研究団体であれば、「あの人は信用できない」という噂が広がり、知らぬは自分ばかりなりということにもなりかねないのです。こういうことは、最初に小さな仕事を引き受ける段階でよく考えなかったことに起因しているのです。
部活動でも同様です。自分はほんとうにその競技が好きで、その競技の指導をすることが教師としての生き甲斐なのだという場合には何の問題もありません。大会運営委員やその競技の連盟事務局になることはかえってその競技における人間関係をも豊かにし、人脈をもつくっていくわけですから是非とも引き受けるべきです。しかし、本当は野球部の指導をしたいのに、いまは学校事情でサッカー部をもっているとか、ゆくゆくは結婚をして部活動から退いて家庭を第一に生きていきたいとか考えているのであれば、いまその仕事は引き受けることは自分を取り立ててくれた人に後に迷惑をかける可能性が高いのです。
研究も部活動も校内の付き合いとは異なり、転勤してもその関係は続きます。役職には責任が伴い、覚悟を必要とされるのです。一度要職を引き受けてしまったその世界からはなかなか抜けられないのだということを肝に銘ずる必要があるのです。
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