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身に纏うオーラ

一般的ないじめの指導が混沌に嵌まるのは、〈起こった事実〉の確認が甘いからだと言ってほぼ間違いない。

そもそも被害側の立場への共感を前提とし、加害側にいじめを認めさせて指導するというあり方は、加害側に遺恨を残しやすく、被害側に「先生は自分の味方だ」と思わせやすい。意識的・無意識的に加害・被害の双方が抱くこの感覚が更なる軋轢を生じさせる。継続的なフォローをと言うのは簡単だが、声かけの頻度を上げることくらいしか手立てがないのが現実である。こうして、多くのいじめ事案が解決しないのだ。

そもそも被害側に寄り添い、共感する教師が加害側から事情を聞くとき、教師本人がいかに気をつけたとしても、教師の言葉の端々、教師の表情の一つ一つに〈おまえが悪い〉オーラは出てしまうものだ。人間だからこれはいかんともし難い。

でも、これが事態を深刻化させるのだ。事実、保護者からのクレームは「先生が一方的におまえが悪いと言ったとうちの子が言っている」というものではなのいか。被害側であろうと加害側であろうと、事情を聞く際には、教師は「〈起こった事実〉を徹底的に解明しよう」と意識して臨むべきなのだ。そうすれば教師が無意識に発するオーラの質も変わり、子どもの側も「自分に都合の良い言い方は許してもらえないな…」となるのだ。

そして実は、この教師がどうしようもなく身に纏(まと)ってしまう〈おまえが悪い〉オーラは、
熱く、熱心な教師ほど強力に纏ってしまうという特徴がある。一般的に、熱心な教師ほど正義感が強く、被害者への共感力も強いからだ。教師の熱意がうまく回っているときはいい。しかし、いったん歯車が狂い始め、少しずつ齟齬が生まれ始めたとき、実は熱心な教師ほど、子どもからの信頼失墜や保護者クレームが自分の熱意に比例するように大きくなってしまう傾向があるのだ。

もちろん、私は熱意を捨てろと言っているのではない。熱意を失った教師など、教師の名に値しない。それは確かだ。

しかし、その熱意が自分本位の熱意であり、子どもたちに機能させるスキルもなければ子どもたちを納得させる段取り力もない熱意ではかえって逆効果になる。熱意や正義感は抱きながらも、「ここはまず事実の確認から」と冷静な対応が求められるのだと言いたいのである。〈心でっかち〉は想定外の出来事が起こると、冷静さを失わせるところがある。それを自覚しようということである。

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