時間蘇生の原理
これまでを読んで、私の仕事術の提案が「時間をケチること」にあるように感じたかもしれません。確かに私はこれまで、時間に限りがあることを意識して、余白時間をつくらずにコン詰めて仕事して早く帰るということを中心に提案してきました。読者の皆さんのなかには、こんなせせこましい時間の使い方はいやだ、堀先生のようにはなりたくない、そう感じた方がいらっしゃると思います。しかし、私はそれを断固として否定します。
時間には「活きている時間」と「死んでいる時間」があります。
例えば、「こんな議論しても無駄なのになあ……」とイライラしながら会議に参加しているとき、その時間は死んでいます。「なんでこんな文書をオレがつくらなきゃならないんだ……」と不満に思いながら連絡文書をつくっているとき、その時間は死んでいます。「早く終われ、急いでるんだから……」と機械をせかしながら印刷しているとき、その時間は死んでいます。
例えば、忙しい時期に子どもがトラブルを起こすことがあります。人間ですから、どうしてもイライラとしながら指導してしまいます。しかし、とにかく早く終わらせたいとイライラしながら指導をしているとき、その時間は死んでいます。
授業が想定していたとおりに進まずに滞り、「ああ、明らかに失敗だ」と認識することがあります。とにかくできるところまで進めようと、アリバイづくりのような授業を進めるとき、その時間は死んでいます。
勤務校の呑み会が開かれます。それほど出席したいわけではありません。でも義理があるから一次会だけは出席します。「早く終わらないかな……」が基本ですから、同僚との会話もはずみません。そんなとき、あなたの時間は死んでいるのです。
更に言いましょう。家に帰って特にすることもないからとテレビを眺めながら缶ビールを飲んでいるとき、日曜日に特に予定もないからとベッドのなかでうだうだしているとき、ひまつぶしになんとなくユーチューブをサーフィンしているとき、用もないのに携帯電話をいじって友達とつまらないメールをしているとき、みんなみんな、あなたの時間は死んでいるのです。
なぜ、どうせテレビを見るなら見たい番組だけをちゃんと見ないのでしょう。どうせ寝るなら、「よし!今日は休むぞ!徹底して寝るぞ!」と惰眠という名の休養を前向きに取ればいいではありませんか。ネットサーフィンもメールも、ひまつぶしではなく目的をもってやれば何杯も充実するのではないでしょうか。呑み会も同じです
授業が失敗したのなら、惰性で授業を続けるのではなく、なぜ失敗したのかを分析しながら授業してみてはどうでしょう。「先生はこう考えていたんだけど、みんなはそうならなかった。どうしてなんだろう」と子どもたちに訊いてみれば良いではありませんか。忙しい時期に子どもがトラブルを起こしたとしたら、さっさと予定の仕事のことなんか忘れて、よし!この事案で子どもたちと一つ深くつながるぞ、この事案からも何かを学ぶぞ、発見するぞと気持ちを切り替えることはできませんか?
印刷なら「効率的な印刷の仕方を開発してみよう」、つまらない文書づくりなら「つまらなくない文書にするのための工夫点はないか」と考えてみれば、生産的な時間になります。無駄な議論の応酬が続く職員会議は、実は自分に成長をもたらす反面教師のオンパレードなのではありませんか? そう考え始めた瞬間に、すべての時間が生産的になるのです。息を吹き返すのです。私が時間を区切ってルーティンワークに臨めというのは、時間を区切って工夫しようと思い始めれば、そういう生産的な時間の使い方をするようになりますよ、ということなのです。
私は二十代の頃から、自分のすべての時間を「活きている時間」にすることを夢想してきました。もちろん、いまだに到達はしません。きっと生涯、到達することはありません。それでも私は、おそらく何も考えずに仕事をするのと比べれば、「時間を生き返らせる!」という強い意識をもって取り組んできた私の教師生活には、「活きている時間」が何千倍も何万倍もあったと感じているのです。
私は時間をケチッているのではありません。時間を生き返らせようとしているのです。できれば自分の時間のすべてを「活きている時間」にしようとしているのです。
その証拠に、私は放課後、子どもたちや同僚と馬鹿話をしたり、同僚や管理職と議論したり、ある子が気になってずーっと観察し続けたり、ある先生の仕事振りが気になって話を聞いたり、ある保護者の相談を受けて解決策を多様に考えてみたりということに、まったく時間を惜しみません。これらが自分で努力しなくても目の前に現れてくれた、明らかな「活きている時間」だからです。しかし、そういう時間は、自分から働きかけないと訪れません。待っていてもなかなか向こうからやってきてはくれません。
「活きている時間」が突如現れたとき、それに没頭できるためには、常に時間に余裕をもっていなくてはなりません。当然、ルーティンワークのごときは効率的に進めておく必要があります。時間を殺さないためには、ルーティンワークの時間さえ密度を濃くする必要があるのです。
「活きている時間」は待つものではなく、自分で創り出すものなのです。
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