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〈織物モデル〉の縦糸

〈織物モデル〉の縦糸は「教師-子ども関係」の比喩である。

「縦糸」という語が示すとおり、ごくごく簡単に言えば、教師と子どもたちとは立場か異なるのだ、決してフラットな関係ではないのだ、子どもたちは教師の指示をきかなければならないのだ、そんな両者の関係を指している。

こういう言い方をすると、教師と子どもは同じ一人の人間として、フラットな関係を構築するのが良いのではないか、そんな声が聞こえてきそうである。しかし、それはいけない。私たちは二○一一年春、いわゆる「三・一一」を体験した。かつての阪神・淡路大震災のときには、地震が早朝だったこともあって学校教育が全国的な話題にのぼることはほとんどなかった(もちろん、地元では大変でしたが……)が、東日本大震災はまさに学校で授業が行われている真っ最中の出来事だった。既に下校していて帰宅途中という小学校低学年の子どもたちがたくさんいる時間帯でもあった。私には気仙沼に親しい小学校教師の友人がいるだが、彼の話を聞くと子どもたちを導いての、それはもう壮絶な避難が行われたとのことで、聞いているだけで怖ろしくなったほどだ。

東日本大震災が私たち教師に与えた教訓は、私たちの仕事がいざというときには子どもたちを安全に避難誘導しなければならない立場にあるのだという、平時では忘れがちな、それでいて本質的な視座だったのではないだろうか。もっとわかりやすく言い換えるなら、私たちの仕事はいざというときには、警察官や自衛官のように命を賭けなければならない仕事だということではなかっただろうか。

もちろん、東日本大震災のようなことはそうそう起こることではない。しかし、年に数回行われる避難訓練を消化行事的に行っている、少なくとも東日本大震災のごときを想定した高い緊張感の中で行っているという学校はそうそうないのではないか。

教師も子どもも避難しなければならないと慌てている。死の恐怖がすぐ目の前にある。そんなとき、人は友達のようなフラットな関係の人の言うことがきけるのだろうか。低学年より中学年、中学年より高学年、高学年より中学生、中学生より高校生、学年が上がるに従って「自分で判断したい」と感じてしまう、それが現実なのではないだろうか。事実、被災地の大人たちが津波を見に行ったり家に私物を取りに行ったりしたことによって、多くの方々が命を落とすことになったのだ。

私は中学校の教師だが、「三・一一」以来、勤務校の若手にも研究会に参加する若手にも、教師と生徒との縦糸(縦関係を成立させること)の重要性を強く主張するようになった。東日本大震災には学校教育において、教師の有事における存在意義について改めて考えさせられる機会となった……そういう側面がある。学校教育では基本的に、「平時」に行われる案件ばかりが検討されがちである。教師は一般に〈平時のリーダー〉としてのイメージのもと、子どもたちの人間関係の調整や楽しい行事の運営、学力を向上させる授業の在り方などを中心に日常を過ごしている。しかし、教師は「有事」においてもそのリーダー性を発揮しなければならないのである。東日本大震災はもちろんだが、附属池田小学校や大津のいじめ事件など、危機管理の在り方が問われた様々な事件の教訓を忘れてはならないだろう。話が大袈裟だなどと思ってはいけない。教師は〈平時のリーダー性〉とともに、〈有事のリーダー性〉について常に意識しながら日常を過ごさなければならないのだ。これは重大なテーゼである。学級経営における縦糸(=教師-子ども関係)の在り方を軽視してはならないと思う。

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