« 鍋ぶた組織の負の側面を意識する | トップページ | 〈情〉を制すのが近道である »

配慮のない管理職には敢然とものを言う

私が生徒指導主事を務めていたときのことです。

二月のある日、私は市教委に提出するある報告書をつくろうとしました。その報告書は年に二回の報告が義務づけられている文書です。九月に一度、私がつくった中間報告を教頭先生に提出してもらっています。同じ年度度の報告書ですから、前回と今回の内容には整合性がなくてはなりません。当然、私は前回の報告書に上書きしようとします。

そこで教頭先生に前回の報告書のファイルをくださいと言いました(実は、私はこの手の学校を代表する公文書に関しては自分がなくすと困るので、バックアップを取ることなく、上司に渡してしまうことにしています。要するに校長名で提出する文書ですから私の責任下のものではありませんよ、という意味ですね・笑)。ところが、教頭先生はそのファイルがも見当たらないと言います。コンピユータから削除してしまったのか見つけられないのかはよくわからないのですが、要するに見当たらないのです。結果的に私は前回書いたことを必死に想い出しながら、もう一度イチから文書を作成することになりました。

一般に、学校の先生は上司のこういうことに腹を立てます。教頭なのに文書管理もできないのか、というわけですね。確かにそうした文書管理は教頭先生の仕事ですから、そういう責められ方をしたら教頭先生としては「ごめんなさい」と言うしかないでしょう。でも、私はこの件については笑って「いいですよ。つくりなおしくらい」と言って、どうということもなくつくりなおしました。

こういうことに腹を立てるのは大人げないと私は思っています。この手のことに腹を立てる人は「私だって忙しいのよ」ということなのでしょうが、どんな人にもミスはあります。こういうことを頻繁に起こす教頭先生なら責められても仕方ないでしょうが、ほどほどであれば笑って許してあげるべきです。そうですね、年に数度くらいまでなら(笑)。だいいち、こんなことを厳しく責め立てていたら自分の首を絞めかねません。自分だって同じようなミスをする可能性は充分にあるわけですから。この手のことは持ちつ持たれつで考えるのが平和に過ごすコツです。

しかし、管理職が自らの立場、権力を利用して職員に仕事上・生活上の不利益を与えたという場合には、敢然と立ち向かう必要があります。

例えば、新任の管理職が歓迎会の二次会で女性職員にセクハラまがいの発言をしたとします。だれもが認めるようなセクハラ発言ならもちろん大きな問題になりますが、当の女性職員も酒の席だし、新任のまだよくわからない管理職だし、ということで我慢してしまいナアナアになってしまうような事案ですね。こういうときには、多くの先生が裏では噂にしたり悪口を言ったりということをするものの、だれも面と向かって指摘するということをしません。これがいけないのです。女性職員にとっていけないだけでなく、その管理職の先生にとってもいけません。「先生、あれはセクハラの疑い大ですよ」と釘を刺してあげるべきなのです。それによってその先生も気をつけるようになるのですから。

例えば、職員室である先生が元気がないことにだれもが気づいているという場合があります。その先生が仕事上のミスをして管理職に厳しく叱責されたとします。管理職が叱責すること自体は組織上なんの問題もありません。しかし、私なら、自分が学年主任でその先生が学年所属の先生ならばかなりの勢いで管理職に文句を言いに行きます。「仮にも管理職ともあろう人間が、部下の現在の状況も把握せずになにをやってるのか」と。

また、かつて学年主任をしているときに、学級経営がうまく行っていない先生に学校事情で年度途中から期間限定で他学年の授業にも行ってくれという話が来たことがありました。これも私は同じ論理で管理職にかなりの勢いで釘を刺しました。

管理職のミスにも、人間としてあり得る事務的な失敗と、人への配慮の足りなさという失敗との二種類があります。管理職は意識するしないにかかわらず職員の人生にかかわっています。配慮のなさについては小さいうちに指摘しておくことが大切です。

|

« 鍋ぶた組織の負の側面を意識する | トップページ | 〈情〉を制すのが近道である »

書斎日記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 配慮のない管理職には敢然とものを言う:

« 鍋ぶた組織の負の側面を意識する | トップページ | 〈情〉を制すのが近道である »