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二芸の世界観を自らに溶かす

あなたは担任をしていて、自分の特性に合う子どもと合わない子どもがいることに気づいていますか? 三十代になればきっと気づいているはずです。この子は自分が担任だから育っている。この子は自分よりも、ほんとうは別の担任の方が力を伸ばせる。自分が担任になってしまってちょっと申し訳ないな。そう感じたことのない教師はいません。

実は、どちらかというと〈大胆さ〉で勝負する教師は、大雑把にものを考える傾向が強いですから、何事にもしっかり取り組みたい、何事もちゃんとやりたいと感じている子どもたちの感覚と齟齬を来す場合が多いのです。特別支援教育の観点でいえば、自閉傾向の子を担当するのには向かない教師のタイプと言えます。

また、どちらかというと〈緻密さ〉で勝負する教師は、すべてがきちんとしていないと気が安らぎません。その結果、自分にも他人にもきちんとすることを求めます。そうした感覚は、細かいことを気にせずにのびのびと過ごすタイプの子どもの感覚と齟齬を来します。やはり特別支援教育の観点でいえば、多動傾向の子を担当するのには向かない教師のタイプと言えるでしょう。

しかし学級編制は、必ずしも担任教師のタイプ合う合わないを基準に行われるわけではありません。多少は加味され、配慮されることはあるにしても、それは学級編制全体の方針を覆すほどの観点ではありません。その結果として、心ならずも自分と合わないタイプの子どもたちに切ない思いを抱かせる、自分が一生懸命やればやるほどその子が離れて行ってしまう、そういう子が出てしまうのです。

このことは、実は教師が「素(す)の状態」「素の特性」をそのまま子どもたちに顕してしまってはまずい、ということを示しています。しかし、仮面をかぶって教師然とした態度で子どもたちに接するのもよくありません。それでは子どもたちが教師に人間味を感じることができず、どうしても人間関係が遠くなってしまいます。とすれば、教師が〈大胆さ〉も理解し、〈緻密さ〉も理解する、双方がなぜそうした心持ちになるのかということを体験的に理解している、そういう人になってしまうのが一番の近道なのです。

私が毛色の異なる〈二芸〉をもつことを意識しようというのも、実はこの意味においてなのです。確かに細かいことを気にせず、大雑把にものを考える人にはそういう人なりの良さがあります。細かいことを蔑ろにせず、さまざまに配慮しながら、何事も完成度を高めようとすることも良いことです。しかし、あなたのそうした特性によって、学級のなかに窮屈な思いをしている子どもがいるとなると話は別です。その子が窮屈な思いを抱かなくて済むように、教師が自分自身を変えていくことが必要になります。

しかし、変わろうと思って自分が簡単に変われるほど、人間というものはもてる資質を変えられるものではありません。変わるためには真剣にそうした感じ方、考え方をしながら、自分でも納得できるような経験を重ねてみなければ実感的にその必要性を理解することなど不可能なのです。そうした意味で、教師が自分の時間のほとんど費やす仕事上の問題において、自分の特性とは異なる仕事の在り方を希求してみるということは貴重な体験となります。間違いなく、仕事に対してだけでなく、子どもに対しても、保護者に対しても、教職という仕事の世界観に対しても、広いイメージをもって向かうことができるようになっていきます。

こう考えてきますと、職員室内で付き合う人にも同じことが言えると気づくはずです。職員室には、なんとなく気の合う同僚とそうでない同僚とがいるものです。大胆な発想でおもしろいものを希求するタイプの先生方はそういう人たちだけで集まることが多いですし、何事も計画的にきちんとやり遂げようとするタイプの先生方はそういう人たち同士で仲が良いという傾向があります。毛色の異なる〈二芸〉を意識的に身につけようとすれば、自分とは違うタイプの人間とも深くかかわっていくことを意味します。要するに、どちらのタイプの先生方とも人間関係を築きながら学ぶことができる、そういう状況に自分を置くことにつながっていくわけです。

職場の同僚というのは、学生時代の友達とは違います。趣味や趣向の合致する同じような傾向の人間とだけつるんでいては、自分が成長しないばかりか、仕事にも支障を来してしまいます。自分と同じようなタイプとしか付き合わない教師には、そのことが図らずも来しているネガティヴな側面が見えていないだけなのです。

三十代にもなると、自分を慕ってくれる二十代の後輩教師が職員室にいるはずです。その後輩も、もしかしたら自分と似たようなタイプなのではありませんか? そして、あまり話もしない、一緒に飲みに行くこともない別の後輩教師は、自分とは異なるタイプの教師だったりはしませんか? 三十代はどんな二十代をも可愛がってあげることが仕事の一つなのです。年齢も近いですし、彼らが悩んでいることのほとんどは、ついこの間自分が悩んでいたことと同じなのですから。あなたにも二十代の頃、そんな気の置けない先輩教師に励まされたり、議論したりして現在があるのではないでしょうか(笑)。

〈二芸〉を身につけ、その世界観を自らに溶かしていく。必要なのはそんな力量形成の在り方なのだと思います。

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