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短期拙速の原理

あなたはいま、保護者向けに学校長名で出すプリントをつくろうとパソコンを開きました。行事部として運動会の案内文書をつくっているでもいいですし、生徒指導部として夏休みの生活において注意を促す文書をつくっているでも構いません。要するにあなたは校長名で学校を代表する文書を作成しようとしているのです。ところが前任者がいいかげんで、前年度のファイルが残っていません。あ~あ、最初から自分でつくるのか……とあなたは面倒になります。でも、今日中につくらなきゃ間に合いません。仕方なくつくり始めます。

さて、あなたがまずすることは何でしょうか。「あれ?教委から出ている保護者向け文書のフォーマットってどんなだったっけ?」と、タイトルや日付、学校長名を入れる箇所に戸惑うのでしょうか。それとも、「あれ?いまの時期の時候の挨拶ってどんなのがあったっけ?」とインターネットで検索するのでしょうか。それとも時候の挨拶に詳しそうな隣のベテラン教師に尋ねるのでしょうか。でも、隣の先生はなにやら難しい顔でパソコンとにらめっこしています。まさかその教師の仕事がひと段落つくまで待つ……なんて人はいませんよね?(笑)

さて、もう私の言いたいことがおわかりかと思います。そうです。これらの時間はすべて無駄なのです。校長名で出す文書は最終的に管理職のチェックを受けなければ出せないものです。教委から出されているフォーマットと違っていれば、あとで教頭が赤を入れてくれるはずなのではありませんか? 時候の挨拶なんて、保護者のだれか一人でも気にするのでしょうか。「早春の候」とか「初夏の候」で充分なのではありませんか? もしも「それでは簡潔すぎでどうも……」なんていう管理職なのだとしたら、チェックのときに代案を書いてくれるのではありませんか?それで何の不都合があるでしょうか。

いやいや、私は丁寧な仕事をしたいのだ。管理職の手をわずらわせるなんて……。そう考える方がおられると思います。では、あなたが丁寧な仕事をすれば、管理職に赤を一箇所も入れられないような文書がつくれるのでしょうか。私はもう四半世紀近くも教職を続けているベテランの部類の教師ですが、私のつくる文書でさえ管理職のチェックが入る入らないは、一勝一敗程度の確率です。言っておきますが、私の教科は国語です。それでも勝率は五割なのです。だいたい管理職という人種は自分の存在感をアピールするために赤を入れたがるものなのです(笑)。どうせ赤が入るのなら、自分の時間を節約するために最初から赤を入れてもらうつもりでつくれば良いではありませんか。チェックされたことをチェックされたとおりに直すだけならば、五分もかかりません。でも、フォーマットを調べたりインターネットで調べたりするのには、いったい何十分の時間が必要になるでしょうか。

ルーティンワークに対して、私は基本的にこのような発想で取り組んでいます。これでいいのです。それでも管理職の手をわずらわせるのはどうも気が引けるという方がいらっしゃるかもしれません。でも、あなたが調べるのに十分かかる教委の出しているフォーマットは、教頭にとっては一瞬のことなのです。だって日常的にそのフォーマットで文書をつくっているわけですから、そんなことは調べる必要もないことなのです。実は時候の挨拶にしても同じです。教頭はまず間違いなく、三日以内に、いまこの時期の時候の挨拶を入れた文書をつくっています。あたりまえのことです。教頭の仕事とはそういうものなのですから。なんの遠慮もいりません。そんなことを調べのに時間を使うくらいなら、明日のワークシートの一枚もつくった方が生産的です。私たちの仕事の中心は学校を管理することではなく、子どもたちを育てることなのですから。

私は校務分掌なんてこんな感じの発想でいい、私たちは子どもにこそ時間をかけるべきだ、そう言いたいのではありません。若い教師には勘違いしている人が多いのですが、誤解を怖れずに言えば、たかが一学級の学級経営や授業運営よりも学校全体を動かす校務分掌の仕事の方がはるかに重要です。学級崩壊は担任が交代すれば済みますが、学校の信用は一度失うと取り戻すのに何年、何十年とかかります。

私が言いたいのは、こういう仕事振りの方が実は結果的に良い仕事ができ上がるのだ、いうことなのです。皆さんのなかに、自分は職員室のすべてを理解している、他の教師たちが考えていることをすべて事前に予測できる、そんな自信をもっている方はいらっしゃるでしょうか。おそらくいないはずです。なのに自己満足の「丁寧な仕事を」という思いが「自分なりの完璧な仕事」をつくり出してしまうのです。「自分なりの完璧な仕事」を職員会議に提案したのに、反対されて原を立てたことがないでしょうか。或いは落ち込んだことがないでしょうか。それはあなたの丁寧さと完璧さであって、その同僚にとっては完璧でないばかりか許容範囲内でさえなかったのです。文書の出来を見れば、だれだってあなたが一所懸命にした仕事であることはわかります。それでもその同僚にとっては許容できない提案だったのです。

「丁寧な仕事」とは、本来、職員や子どものだれもが納得できるような仕事をする、そのことにこそ時間と労力を割くことを言うのだと私は考えています。そのためには、短期的なルーティンワークであれば、「拙速」を旨とするのが一番なのです。それが細かな打ち合わせやさまざくまな人たちの意見を通ったうえでの「丁寧な仕事」を完成させるコツなのです。

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