ちょっと辛辣だけれど…
最近、方々で若手教師の学び方について議論になる。彼らはセミナーに来ているけれど、ほんとうは学んでいないのではないか。簡単に言えば、そんな話だ。すずけんさんが昨日のセミナーで、スタッフによって提示される模擬授業の質の高さに驚いていた。嬉しい評価だった。北海道には人を育てるシステムがある。「ことのは」にも「BRUSH」にも「北フェス」にもある。他の地域のセミナーに参加していて、それがないのが気になる。
いろんな地域で意欲のある若者の提案を聞くけれど、それらはほとんどが15~20分くらいの講座である。講座というのはひとネタもってきて、3点くらいに適当なポイントを提示すれば形になる。でも、それでは力量は高まらない。どうすればいいかと言うと、「ごんぎつね」でも題材にして模擬授業をやればいいのだ。時計とか通分とかを教材に模擬授業をやればいいのだ。解説一切抜きで、子どもに語るのと同じ言葉で。そうすれば、見る人が見れば実力はすぐにわかる。それを怖がるようなら人前に立つ資格がないし、そこでぼろぼろに指摘されるようならやはり人前に立つ資格はないのだと言える。
昨日のセミナーで鈴木健二・山田洋一・堀裕嗣の鼎談があった。45分予定を少しオーバーして52分間の鼎談だった。この3人が集まったのだからと、最初の15分程度、野口芳宏に何を学んだかをテーマに語り合った。驚いたのは参加者に挙手を求めたところ、4割程度の人が野口芳宏先生を知らなかったことだ。時代は変わったのだな…と思う。
僕はこれを教員養成学部が実学志向に移行したからだと思う。学校教育界にはもともと同業者や時代の実践者からしか学ばないという悪癖があったが、大学の研究志向が薄められて、先行研究に学ぶとか、教養書から学ぶといった習慣が尚更なくなったように思う。先行研究から学ぶことが身に付いていたとしたら、芦田恵之助や垣内松三にまでは到達しなかったにしても、西郷竹彦や野口芳宏には到達するはずである。そもそも、堀や鈴木や山田の本には「野口芳宏」の名前があふれている。もしかしたら、最近の若者は大村はまさえ読んでいないのかもしれない。
これも最近、気になることの一つだ。
去年のあるセミナーでのことである。40人くらいの参加者に対して確認してみたところ、宇佐美寛を読んでいる参加者が4人しかいなかったことに驚愕したことがある。僕はこういう活動をするならば、宇佐美寛だけは絶対に読まなければならないと思う。宇佐美寛に自分の甘えをこてんぱんにされてからでないと、実践研究になど入れないと思っている。宇佐美体験のない者は自分に甘い研究しかできなくなる。フィーリングでああだこうだ言って良いほど、この世界も甘くはないのだ。少なくとも、この世界にいる者としてそう信じたい。
実は企画として考えていることが二つある。
まずは、今日は辛口ついでにものすごい辛口を。若い世代の本がこれだけ出たら、それを並べてぶった斬る!っていうタイプの本がそろそろ出てもいい頃だ。若い世代も自分の主張を公にするということは批判されることと同義なのだということをそろそろ知っても良い時期だと思う。『書きゃいいってもんじゃないんだよ~若手リーダーの功罪』なんていうタイトルがいいかも(笑)。実は僕は若手のなかでは、大前暁政と山本純人をものすごく買っている。この二人のオリジナリティには目を見張るものがある(ただし、大前くんの理科関係については僕にはわからない)。金大竜はオリジナリティがあるが、文章が下手すぎる(笑・大竜は笑えないだろうが…)。まあ、それでも大竜は少しずつ文章がうまくなってきているから、楽しみではある。いずれにしても、それぞれに質は異なるものの、この3人は類書のないものを出している。類書のないものを出さなくちゃ、本を出す必要なんてないのだ。
もう一つは、『野口芳宏という生き方』である。野口先生の影響下にあるライターをみんな集めて、一人6頁くらいで野口先生からの一番の学びと自分の現在への影響を書く。こういうのが追悼本として出るのでは、他ならぬ野口先生ご自身が読むことができない。それでは意味がない。有田先生が鬼籍に入られたことで、僕はこの本を早く出さなくちゃという気になっている。照井さんが今年で退職だと知ったこともこの思いに拍車をかけている。かつて雑誌「鍛える国語教室」でネットワーク頁を担当していた横田さんと僕とが共同編集すれば、初期法則化時代から「鍛国研」、そして「野口塾」「実感道徳」に至るまで、過不足なくライターを集められるような気がしている。僕らなら濱上さんや庭野さんでも動かせる。そんなことを夢見ている。
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