名大女子大生事件に思う
この原稿を書いているのは一月二十八日。巷では名古屋大学の女子大生が宗教の勧誘にきた熟年女性を手おので殺害したという事件で大騒ぎである。高校時代に友人に薬物を混入して失明させたとの噂も流れ、これから日本中を席巻する大騒ぎに発展しそうな気配だ。
昨年、佐世保の女子高生が友人を殺害した事件が大々的に報道され、十年前に佐世保で起こった小六女児刺殺事件を想起させたことも記憶に新しい。この十年間、命の大切さを市を挙げて実践してきたのに……と語る教育長の言葉を聞きながら、多くの実践者が「そういう問題ではないな」とどこか違和感を感じていたのも記憶に新しい。それでも、この二件は巷の人々にとっては、佐世保に特化した問題と考えることで外野に逃避していられた。佐世保が特別なのだと。
しかし、いよいよそうも言っていられなくなった。今回の現場は愛知県、女子大生の出身地は東北である。なにか、歓迎できかねる新しい時代の幕開けを予感させる。
桐野夏生の『OUT』がベストセラーとなったのは九○年代末だった。映画もヒット作となった。この作品では、まだ環境に流され、仕方なく犯罪に加担していく女性たちの姿が描かれていた。そこにエンターテインメントとしての興味深さとともに、私たちがどこか安心できる〈旧来の女性らしさ〉のようなものを感じることができていた。
円山町で売春していた東電OLがマスコミと世の男性を萌えさせたのも九○年代末である。女性であることがもたらす総合職の矛盾というテーマに、猫も杓子も東電OL殺人事件に群がった。ところが、二○○○年代になると趣が変わってくる。木嶋佳苗の首都圏連続不審死事件が二○○○年代である。この頃には既に、殺された男たちは木嶋に癒された、幸せだったとかつての女性イメージに対するノスタルジックな論調が主流となる。女性観の変容が実感され始めていた証拠だ。
女子高生の援助交際がセンセーショナルに取り上げられたのは九○年代半ば。現在、SNSの普及とともに、既に世代を問わず多くの女性が援助交際的な動きをしていることは、言葉にはしないものの、だれもが当然と思う時代になっている。風俗産業の面接やAV女優の面接ではルックスによって選別され、競争率が激しくなっているとまことしやかに語られるようになったのも二○○○年代。「モテ」をキーワードに女性たちが女子力の演出によって、つまり、自ら印象操作することによって意図的にイメージを高めるようになったと言われたのも二○○○年代半ばである。世の男性たちの間では「だまされるな!」がキーワードとなった。
現在、エンターテインメントの世界では、美しいOLが悪意をもって同僚や組織を翻弄したり(「しらゆき姫殺人事件」)、女子高生が男子同級生を陥れたり殺人を犯したり(「渇き」)といったテーマが違和感なく描かれている。前者はそうした女性が殺人事件の被害者として描かれ、また後者は父親の葛藤を追う形で描かれており、決して物語の主軸として取り上げられているわけではないものの、これらが大きなリアリティをもつものとして描かれているのは事実である。
こういう時代にあって、とうとう暴力的な領域においてさえ、私たちは女性を恐怖しなければならない時代に入りつつあるのではないか。私の言う「歓迎できかねる新しい時代の幕開け」とはそういうことだ。
学校現場においても同様である。全国の中学校で女性生徒会長が多くなったと話題になっていたのは、九○年代末から二○○○年頃にかけてだったように思う。どうもリーダー性の高い男子生徒が少なくなり、女子生徒が立候補し出している。「おいおい、男の子たちしっかりせえよ!」と、多くの職員室が軽く笑い飛ばしていた。しかし、いまや、女性生徒会長は普通のことになりつつある。
二○○○年代末以来、いじめ問題と空気の読み合いをテーマに教育界でスクールカーストがテーマとして浮上したが、現在、スクールカーストの最上位を女子生徒が占めるという学級が珍しくなくなってきている。カースト最上位を占めるのが男子生徒ならば、男性教諭は学級の「御山の大将」になることで運営できる。教師が口達者振りを発揮してカースト最上位生徒をいじったり、教師がスポーツや特技で最上位生徒を圧倒したり、教師がお笑い芸人さながらのユーモアで最上位生徒を巻き込みながら空気を調整したりといった具合である。しかし、スクールカースト最上位生徒が女子生徒ということになると、そうはいかない。教師の発言のひと言ひと言がまな板に上げられる。悪口やいじめが陰にこもる。学級の女子の小グループの断絶に対するてこ入れができない。そんな状態が続いて手を焼くことになる。「御山の大将」的男性教師にできないことは女性教師にもできないことが多い。女性教師は一部の体育会系女性教師を除けば、男女を問わずスクールカースト最上位生徒と互角以上にやり合うこと自体が難しい。しかし、覇気も迫力も生徒を圧倒するような女性教師がそうそういるはずもない。そんなこんなで、なかなか学級の雰囲気を変えることができなく、学年や学校を挙げて手を焼くことにもなるわけだ。
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