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一つの例外

ただし、一つだけ例外がある。

もしいまの痛みが、死を考えるほどに深刻なものになってしまったときは、他の一切のことを考えるのをやめて、意地もプライドもかなぐり捨てて、しっぽを巻いて逃げることだ。これは自分が死にたいと考えたときだけでなく、相手を殺したいと考えたときも同様である。どちらももはや、仕事や人生の価値、子どもや他人との関係を考えていられるレベルにはないことを意味している。そんなときは、ただ逃げていいのだ。

担任を降ろしてもらえばいい。転勤すればいい。休めばいい。どうしてもだめだと思えば辞めたっていい。教職は確かに尊い仕事ではあるけれど、それは命を賭けてまでやる仕事ではない。

仕事の基本は喰っていけることである。つまりは生きる糧として機能することである。確かに喰うためだけに仕事をするのはつまらないけれど、喰えない仕事に就くわけにはいかない。その仕事で喰っていける、生きていけるということは、その仕事を続けていくうえで大前提なのである。ふだんはあまりに当然すぎて意識されないだけだ。もしも教師の月給が十万円程度に落ち、喰っていけない金額になったとしたら、どんなに使命感に燃えている教師だって転職を考えるはずである。私だって即座に転職する。

仕事上の痛みで死を考え始めるということは、この大前提が崩れ始めていることを意味するのだ。確かに子どもたちを育てるのは尊い。自分が突如いなくなったら周りに迷惑もかけるだろう。この安定した職業に就いたことを両親は心の底から喜んでくれたかもしれない。しかしそれらは、生きていればこその価値に過ぎない。あなたがいなくなれば、子どもたちはかつてあなたという教師がいたことをじきに忘れていくだろう。同僚たちがあなたを責める気持ちをもつのもその年度に限ったことで、次の年度が始まっても恨みに思う人はまずいない。あなたが教職を辞したときの両親の悲しみは、あなたが自死したときの悲しみとは比べものにならないほどに小さいはずだ。

わたしは「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのか。この鷲田の問いはあくまで、精神的に安定しているときの問いである。「いない」ほうが良かったと結論づけて自死を選ぶ際の問いではない。死にたいと思ったり殺したいと思ったりしたら、意地もプライドも役には立たない。必要なのはしっぽを巻くことだけなのだ。

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