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2015年1月

学校独自のリアリティ

ここ数年、飛行機で移動することが多い。飛行機に乗っていていつも気になるのは、一部の外国人観光客のマナーの悪さである。

とにかく大きな声でおしゃべりする。まったく本が読めない。隣同士であんな近くに座っているのだがら、そんなに大きな声をあげる必要もあるまいと思うのだが、あれが彼らのおしゃべりの基本トーンなのだろう。あの破壊力に比べたら、大阪のおばちゃんなんておとなしいものである。あのトーンにはどうしてもなじめない。

飛行機が着陸しても、日本人は駐機場に移動し、シートベルトサインが消えるまでは立ち上がらない。立ち上がらないどころか、シートベルトをはずしさえしない。しかし、一部の外国人ときたら、着陸した時点でシートベルトをはずし立ち上がる。頭上の収納箱を開けて荷物を整理し始める。CAもまだシートベルトをしているものだから、彼らのもとに行って注意することもない。そもそも注意になど行ったら文句を言いそうな雰囲気さえ醸し出している。あの好戦的な雰囲気に比べたら、亀田三兄弟のほうがずっと愛敬があるというものだ。とにかく、あの雰囲気にはどうしてもなじめない。

神戸の震災においても東北の震災においても、日本人が行列をつくってマナーを守りながら配給を受けたことが話題になった。戦中・戦後の配給においても物資の取り合いになる風景は描かれていない。ラーメン屋の行列もディズニーランドの行列も日本人は規則正しく並ぶ。ルール違反は「闇市」「闇米」の言葉通り、陰にまわる。少なくとも表向き、われわれは火事場泥棒を行わないし、人を押しのけて自分だけがいい思いをしようとする態度を決してとらない。

日本人は相手が日本人である限りにおいて、「腹を割って話せばわかり合える」と思っている。そりの合わない人、ちょっと苦手な人、一度大喧嘩をしてしまった人、そんな人でも私たちはちゃんと話せばわかり合えるのではないかと思ってしまう。事実、話してみると決して悪い人ではなかった、わかり合えたということも少なくない。しかも、そういう気持ちになると信頼関係ができたと全幅の信頼を寄せてしまう。そんな姿勢を外交にまでもちこんで、日本の政治家はずいぶんと失敗してきた。

こうした特性を民族性とか島国根性とか呼ぶ向きもあるが、私は学校教育の影響が決して小さくないと感じている。学校という場において、不特定多数の人間が教室にある意味押し込められ、互いが互いに大きな迷惑をかけないように自制して過ごす十二年間。実質的には偶然に集められた集団に過ぎない学級という組織で、みんなで一つのことに取り組むのが良いと信じさせられる十二年間。最低限のマナーを守ること、人を信頼することが絶対善とされる十二年間。あれこれと批判はあるものの、われわれの感性の基礎は学校で育まれている。

社会に出たら「どうしてもわかり合えない人」はいるし、「一方的に他人に迷惑をかける人」もいる。学校で常日頃から先生が言っていた「一人はみんなのために、みんなは一人のために」なんて大嘘だと気づく。社会に出ると、学校教育で培われたあの感性にリアリティはない。

しかし、それでもなお、私たちはどこか他人を信頼したい欲望をもっている。職員室が仲が悪くてトラブルばかり起こっているのに、いまこんな状況なのはさまざまな要因があってたまたまうまくいっていないのであって、何かをきっかけにみんなが前向きになったら、きっと大きな仕事がなしとげられるとどこかで感じている。そしてそういう自分が愛おしく感じられる。心底悪い人はいないと思える自分が。

この、現実社会で痛い目に遭ってもまだ他人を信じたいと思わせる感性の基盤となっているのは、やはり学校教育ではないかと思う。つまり、毎日のように先生が語り、学級のみんなで「なるほどそうだ」と感じたあの経験が、社会に出て「現実はそうではない」「現実は厳しい」と認識してなお、私たちに他人を信じたいと思わせ、みんなでなにかをやりたいと思わせるのだ。それは社会では通用しない、社会ではリアリティをもたない、学校だけにしか通じない幻想かもしれない。しかし、その幻想がなくては私たちは生きる価値を見出せない。他人と一緒になにかに取り組む価値を見出せない。そのくらいにこの感性は私たちの生涯を縛って放さない。

この学校教育独自の感性を、私は〈学校的リアリズム〉と呼んでいる。

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僕らにできること

まず今日の仕事の第一は、先日書いた雑誌原稿の推敲。読み直してみると誤植だらけ。3日経って読み直してみる…くらいのタイミングが推敲するには一番良い。3日だと内容を変えたいとまでは思わない。7日経つと7日前の自分の見解に疑問が芽生え、10日経つと全面的に書き直したくなってしまう。人はこのくらい動き続けているのが理想だと思う。何年間も考え方が変わらないなんて、成長がないことと同義だ。そう思う。

山田昌弘のデータに大卒総合職女性について、定年まで勤めた場合と出産退職して育児後にパート勤めをした場合とで、平均データで2億8560万円と4767万円という生涯収入差が出るというものがあるそうだ。驚きの数字である。こういうことは中学校で女子生徒たちにも示す必要があるなと思う。多くが専業主婦になりたいと感じるさびれた時代だからこそ、伝える必要があるなと思う。結婚・出産後の再就職がままならない国では、これだけの差が生まれるのだということを政治は意識した方が良い。でも、こういう現実をつくっているのは政治や行政というよりも、多くは日本人の意識だ。新卒一括採用が変わらないのも女性の再就職の厳しさも、日本人の意識がつくっている。政治ばかりを責めても、なにも変わらない。
学校教育現場の問題としては、女性教員が産休・育休を取得することが、そしてその後復職することがほぼ完璧に認められ、あたりまえになっている職員室において、多くの職種でそうなっていない現実があることを多くの教員が実感していないことにある。公務員バッシングを受けても仕方ないと思える実態の一つだ。こういう現実に目を向けることなく、教育手法にばかり一喜一憂している、最近で言えば「学力を向上させる」とか「子どもをつなげる」とか、そんなことだけに自らの問題意識を向けて、自分はいろんなことを考えていると思っている教員たちが、僕には虚しく感じられる。もっと危機意識を抱いたほうがいい。僕らにできることはまだまだたくさんあるはずなのだ。

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短期拙速の原理

あなたはいま、保護者向けに学校長名で出すプリントをつくろうとパソコンを開きました。行事部として運動会の案内文書をつくっているでもいいですし、生徒指導部として夏休みの生活において注意を促す文書をつくっているでも構いません。要するにあなたは校長名で学校を代表する文書を作成しようとしているのです。ところが前任者がいいかげんで、前年度のファイルが残っていません。あ~あ、最初から自分でつくるのか……とあなたは面倒になります。でも、今日中につくらなきゃ間に合いません。仕方なくつくり始めます。

さて、あなたがまずすることは何でしょうか。「あれ?教委から出ている保護者向け文書のフォーマットってどんなだったっけ?」と、タイトルや日付、学校長名を入れる箇所に戸惑うのでしょうか。それとも、「あれ?いまの時期の時候の挨拶ってどんなのがあったっけ?」とインターネットで検索するのでしょうか。それとも時候の挨拶に詳しそうな隣のベテラン教師に尋ねるのでしょうか。でも、隣の先生はなにやら難しい顔でパソコンとにらめっこしています。まさかその教師の仕事がひと段落つくまで待つ……なんて人はいませんよね?(笑)

さて、もう私の言いたいことがおわかりかと思います。そうです。これらの時間はすべて無駄なのです。校長名で出す文書は最終的に管理職のチェックを受けなければ出せないものです。教委から出されているフォーマットと違っていれば、あとで教頭が赤を入れてくれるはずなのではありませんか? 時候の挨拶なんて、保護者のだれか一人でも気にするのでしょうか。「早春の候」とか「初夏の候」で充分なのではありませんか? もしも「それでは簡潔すぎでどうも……」なんていう管理職なのだとしたら、チェックのときに代案を書いてくれるのではありませんか?それで何の不都合があるでしょうか。

いやいや、私は丁寧な仕事をしたいのだ。管理職の手をわずらわせるなんて……。そう考える方がおられると思います。では、あなたが丁寧な仕事をすれば、管理職に赤を一箇所も入れられないような文書がつくれるのでしょうか。私はもう四半世紀近くも教職を続けているベテランの部類の教師ですが、私のつくる文書でさえ管理職のチェックが入る入らないは、一勝一敗程度の確率です。言っておきますが、私の教科は国語です。それでも勝率は五割なのです。だいたい管理職という人種は自分の存在感をアピールするために赤を入れたがるものなのです(笑)。どうせ赤が入るのなら、自分の時間を節約するために最初から赤を入れてもらうつもりでつくれば良いではありませんか。チェックされたことをチェックされたとおりに直すだけならば、五分もかかりません。でも、フォーマットを調べたりインターネットで調べたりするのには、いったい何十分の時間が必要になるでしょうか。

ルーティンワークに対して、私は基本的にこのような発想で取り組んでいます。これでいいのです。それでも管理職の手をわずらわせるのはどうも気が引けるという方がいらっしゃるかもしれません。でも、あなたが調べるのに十分かかる教委の出しているフォーマットは、教頭にとっては一瞬のことなのです。だって日常的にそのフォーマットで文書をつくっているわけですから、そんなことは調べる必要もないことなのです。実は時候の挨拶にしても同じです。教頭はまず間違いなく、三日以内に、いまこの時期の時候の挨拶を入れた文書をつくっています。あたりまえのことです。教頭の仕事とはそういうものなのですから。なんの遠慮もいりません。そんなことを調べのに時間を使うくらいなら、明日のワークシートの一枚もつくった方が生産的です。私たちの仕事の中心は学校を管理することではなく、子どもたちを育てることなのですから。

私は校務分掌なんてこんな感じの発想でいい、私たちは子どもにこそ時間をかけるべきだ、そう言いたいのではありません。若い教師には勘違いしている人が多いのですが、誤解を怖れずに言えば、たかが一学級の学級経営や授業運営よりも学校全体を動かす校務分掌の仕事の方がはるかに重要です。学級崩壊は担任が交代すれば済みますが、学校の信用は一度失うと取り戻すのに何年、何十年とかかります。

私が言いたいのは、こういう仕事振りの方が実は結果的に良い仕事ができ上がるのだ、いうことなのです。皆さんのなかに、自分は職員室のすべてを理解している、他の教師たちが考えていることをすべて事前に予測できる、そんな自信をもっている方はいらっしゃるでしょうか。おそらくいないはずです。なのに自己満足の「丁寧な仕事を」という思いが「自分なりの完璧な仕事」をつくり出してしまうのです。「自分なりの完璧な仕事」を職員会議に提案したのに、反対されて原を立てたことがないでしょうか。或いは落ち込んだことがないでしょうか。それはあなたの丁寧さと完璧さであって、その同僚にとっては完璧でないばかりか許容範囲内でさえなかったのです。文書の出来を見れば、だれだってあなたが一所懸命にした仕事であることはわかります。それでもその同僚にとっては許容できない提案だったのです。

「丁寧な仕事」とは、本来、職員や子どものだれもが納得できるような仕事をする、そのことにこそ時間と労力を割くことを言うのだと私は考えています。そのためには、短期的なルーティンワークであれば、「拙速」を旨とするのが一番なのです。それが細かな打ち合わせやさまざくまな人たちの意見を通ったうえでの「丁寧な仕事」を完成させるコツなのです。

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昭和の母

昨夜の原稿疲れか…。目覚まし時計が鳴ってもなかなか起きられず。勤務時間開始ギリギリの8:15に駆け込み(笑)。授業は四つ。すべて「モアイは語る」の単元テスト。テストを配付して取り組ませている間に、前の学級の採点という繰り返し。空き時間は一つが銀行で支払いがあって外出、もう一つが採点。なんとか4クラス分の採点を授業時間内に終える。放課後は卒業式係代表者会と学びの支援委員会。会議終了が17:00だったので、17:05退勤。残業を20分。

ある学級の単元テスト。試験時間は35分。手元のストップウォッチが29分35秒を示している。残りは5分だ。ふと生徒たちの様子を伺うと、だれ一人さぼっている者がいない。諦めてしまっている者がいない。寝ている者もいない。これはある意味、僕の教育の成功と言える。でも僕は、ほんとうはこの状態を気持ち悪いと感じている。教育の成功とは、ある意味で、子どもたちに如何に違和感を抱かせぬまま“別の選択肢”を見えなくさせるか、ということだ。この場所から、如何なる教師も逃れられない。承認し合おうという教師も“別の選択肢”を見えなくさせている。対話せよと迫る教師も“別の選択肢”を見えなくさせている。環境調整によって“別の選択肢”を見えなくさせている、言わば一般の教師よりもズルい教師だ。僕も含めて……。

今朝、車のハードディスクがちょうど「無縁坂」。これを聴きながら出勤したので、気分的にノスタルジックな一日。一日中、なんとなく調子が悪かった。

めぐるこよみは季節のなかで
ただよいながらすぎてゆく...
かみしめるような
ささやかなぼくの母の人生…

この曲はなにかドラマの主題歌だったな…と思って調べてみると、日本テレビの「ひまわりの詩」というドラマだったらしい。池内淳子主演。Wikiで調べてみると、池内淳子は2010年に亡くなっているとのこと。うーん…。そう言えば、昭和には顔立ちが綺麗なわけじゃないけれど、素敵なお母さんがいっぱいいたな…と思い至る。杉村春子、京塚昌子、山岡久乃……。みんな素敵だった。そして、みんな鬼籍に入ってしまった。いまも存命の僕にとってお母さんのイメージをもつ人は八千草薫だけだな。いや、これまたWikiで調べてみると、丹阿弥谷津子がご存命らしい。90歳かあ……。

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名大女子大生事件に思う

この原稿を書いているのは一月二十八日。巷では名古屋大学の女子大生が宗教の勧誘にきた熟年女性を手おので殺害したという事件で大騒ぎである。高校時代に友人に薬物を混入して失明させたとの噂も流れ、これから日本中を席巻する大騒ぎに発展しそうな気配だ。

昨年、佐世保の女子高生が友人を殺害した事件が大々的に報道され、十年前に佐世保で起こった小六女児刺殺事件を想起させたことも記憶に新しい。この十年間、命の大切さを市を挙げて実践してきたのに……と語る教育長の言葉を聞きながら、多くの実践者が「そういう問題ではないな」とどこか違和感を感じていたのも記憶に新しい。それでも、この二件は巷の人々にとっては、佐世保に特化した問題と考えることで外野に逃避していられた。佐世保が特別なのだと。

しかし、いよいよそうも言っていられなくなった。今回の現場は愛知県、女子大生の出身地は東北である。なにか、歓迎できかねる新しい時代の幕開けを予感させる。

桐野夏生の『OUT』がベストセラーとなったのは九○年代末だった。映画もヒット作となった。この作品では、まだ環境に流され、仕方なく犯罪に加担していく女性たちの姿が描かれていた。そこにエンターテインメントとしての興味深さとともに、私たちがどこか安心できる〈旧来の女性らしさ〉のようなものを感じることができていた。

円山町で売春していた東電OLがマスコミと世の男性を萌えさせたのも九○年代末である。女性であることがもたらす総合職の矛盾というテーマに、猫も杓子も東電OL殺人事件に群がった。ところが、二○○○年代になると趣が変わってくる。木嶋佳苗の首都圏連続不審死事件が二○○○年代である。この頃には既に、殺された男たちは木嶋に癒された、幸せだったとかつての女性イメージに対するノスタルジックな論調が主流となる。女性観の変容が実感され始めていた証拠だ。

女子高生の援助交際がセンセーショナルに取り上げられたのは九○年代半ば。現在、SNSの普及とともに、既に世代を問わず多くの女性が援助交際的な動きをしていることは、言葉にはしないものの、だれもが当然と思う時代になっている。風俗産業の面接やAV女優の面接ではルックスによって選別され、競争率が激しくなっているとまことしやかに語られるようになったのも二○○○年代。「モテ」をキーワードに女性たちが女子力の演出によって、つまり、自ら印象操作することによって意図的にイメージを高めるようになったと言われたのも二○○○年代半ばである。世の男性たちの間では「だまされるな!」がキーワードとなった。

現在、エンターテインメントの世界では、美しいOLが悪意をもって同僚や組織を翻弄したり(「しらゆき姫殺人事件」)、女子高生が男子同級生を陥れたり殺人を犯したり(「渇き」)といったテーマが違和感なく描かれている。前者はそうした女性が殺人事件の被害者として描かれ、また後者は父親の葛藤を追う形で描かれており、決して物語の主軸として取り上げられているわけではないものの、これらが大きなリアリティをもつものとして描かれているのは事実である。

こういう時代にあって、とうとう暴力的な領域においてさえ、私たちは女性を恐怖しなければならない時代に入りつつあるのではないか。私の言う「歓迎できかねる新しい時代の幕開け」とはそういうことだ。

学校現場においても同様である。全国の中学校で女性生徒会長が多くなったと話題になっていたのは、九○年代末から二○○○年頃にかけてだったように思う。どうもリーダー性の高い男子生徒が少なくなり、女子生徒が立候補し出している。「おいおい、男の子たちしっかりせえよ!」と、多くの職員室が軽く笑い飛ばしていた。しかし、いまや、女性生徒会長は普通のことになりつつある。

二○○○年代末以来、いじめ問題と空気の読み合いをテーマに教育界でスクールカーストがテーマとして浮上したが、現在、スクールカーストの最上位を女子生徒が占めるという学級が珍しくなくなってきている。カースト最上位を占めるのが男子生徒ならば、男性教諭は学級の「御山の大将」になることで運営できる。教師が口達者振りを発揮してカースト最上位生徒をいじったり、教師がスポーツや特技で最上位生徒を圧倒したり、教師がお笑い芸人さながらのユーモアで最上位生徒を巻き込みながら空気を調整したりといった具合である。しかし、スクールカースト最上位生徒が女子生徒ということになると、そうはいかない。教師の発言のひと言ひと言がまな板に上げられる。悪口やいじめが陰にこもる。学級の女子の小グループの断絶に対するてこ入れができない。そんな状態が続いて手を焼くことになる。「御山の大将」的男性教師にできないことは女性教師にもできないことが多い。女性教師は一部の体育会系女性教師を除けば、男女を問わずスクールカースト最上位生徒と互角以上にやり合うこと自体が難しい。しかし、覇気も迫力も生徒を圧倒するような女性教師がそうそういるはずもない。そんなこんなで、なかなか学級の雰囲気を変えることができなく、学年や学校を挙げて手を焼くことにもなるわけだ。

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時間限定の原理

毎日の退勤時間は何時ですか? まちまちだよ……なんて答えてはいけません。平均すると何時くらいでしょうか。七時なら早い方。平均八時。遅いときは十時なんてこともある。そんなことになっていませんか?

どのくらい家に仕事を持ち帰っていますか? そのときどきだよ……なんて答えてはいけません。週に何回くらい持ち帰り仕事をしているか。仕事が終わらなくて公務がどれだけ土日を浸食しているか。そんなこんなをちゃんと考えてみるのです。

自分の時間は自分のもんだ。他人にあれこれ言われる筋合いはない。そんなことを思っていませんか? ほんとうにあなたの時間はあなただけのものなのでしょうか。奥さんや旦那さんはあなたとの団欒のときを過ごしたいと思っていませんか? 残業と休日出勤がなければ彼氏や彼女と少し遠出ができるのではありませんか? あなたのお子さんは休日にあなたはいないものだと思っていませんか? そして何より、あなたのお父様やお母様はあなたに会いたい、せめて電話ででも話したい、そう思っているのではありませんか? 残業や休日出勤がなければ、それらは実現するのではありませんか? そして、スポーツに汗を流したり趣味に興じたりする時間さえ生まれるのではありませんか?

そして実は、これが最も大切なことなのですが、残業や休日出勤に疲れ切っているあなたよりも、しっかり休み、しっかり遊んだ元気なあなたの方が、担任している子どもたちにも良い影響を与えるのではないでしょうか。それを考えたことがありますか?

なんのために残業しているのでしょうか。自分の土日を犠牲にしてまで仕事するのはいったいだれのためなのでしょうか。あえて厳しいことを言えば、それは子どもたちのためなんかではありません。すべて自分のためです。自分自身のためなのです。自分だけ早く帰るのは周りの目が気になるからはばかられる。例えばそんなネガティヴな理由です。こんなに遅くまで仕事している自分は子どもたちを第一を考える素晴らしい教師だ。例えばそんな自己顕示欲が理由です。他にすることもないから土日は取り敢えず学校に行くことにしている。なぜ、ご両親に会いに行かないのですか? ご両親はあなたが来るのを心待ちにしているではありませんか。どれもこれも自分自身の勝手な言い分なのです。自己満足なのです。エゴなのです。あなたは「仕事人間」気取りのエゴイストなのです。

そうは言っても仕事が終わらないんだから仕方ない。そんな声が聞こえてきそうです。最近の学校は事務仕事が多くて、みんな多忙を極めている。一所懸命に仕事をしても終わらないんだから残業するしかない。こんなに教師の仕事を増やしている教委が悪い。行政が悪い。政治が悪い。世の中が悪い。そんな愚痴も聞こえてきそうです。でも、ほんとうにそうでしょうか。あなたには勤務時間中になんとなく疲れてボーッとしていたり、必要な書類をあちこち探し回ったり、どう考えても必要のないことにこだわって調べ物をしたり、教材づくりに必要だからと開いたインターネットを見始めたついでに関係のない記事を読みふけったり、お茶を飲みながら同僚と雑談していたり、そんな時間がありませんか? ましてや十九時をまわった頃からプロ野球の動向が気になってテレビを眺めたり、新聞を読みながら最近の事件について同僚と愚痴ったり、給湯室にお茶をいれに行ったついでに女三人集まっておしゃべりに花を咲かせたり、そんなことをしているのではありませんか? これらの時間をなくしたら、さあ、何時に帰れるでしょうか。

いつか効率的に仕事をこなせる自分になれる。いつか残業や休日出勤をしなくても仕事をまわせるようになる。自分はまだ成長が足りないからこくんな状況だけれど、仕事を覚えればちゃんとやれるようになるさ。そんなことをしているのではありませんか。思っていませんか? でも、私は確信をもって言いますが、あなたにそんな日は生涯訪れません。自分が躰を壊したり、子どもに手がかかるようになったり、親の介護が始まったりして、ただ残業や休日出勤ができなくなるだけです。そして、勤務時間だけでは仕事を終わらせることのできないあなたは周りの同僚に迷惑をかける人間になってしまうのです。そういう日が確実にやって来ます。

あなたにとって一番の大きな問題は、実は仕事が多いことでも仕事が遅いことでもまだまだ仕事の力量が足りないことでもありません。あなたの一番の問題は、時間が無限であるかのような生活を送っていることなのです。

私は二十一世紀に入ってから、定時きっかりに退勤することを旨としています。生徒指導や保護者対応があったり会議が延びたりしたときにはもちろん残りますが、それ以外は定時に退勤します。仕事の時間が五時までしかないと決めれば、五時までに仕事が終わるように工夫するようになります。今日の提案文書を今日つくるなんてことは私にはありません。今日の提案文書は先週のうちに完成して印刷もしてあります。今日つくっているのは二週間後に使う文書です。教材研究は一ヶ月先のことに取り組んでいますし、半年後の行事のイメージももう頭のなかに描き始めています。時間を区切ることによって、こういう仕事の仕方になるのです。こういう仕事の仕方にせざるを得なくなるのです。

あなたは五時以降や土日を最初からあてにする人間に堕落しているだけなのです。

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長期展望の原理

四月。教師ならだれでも四月が大好きです。新しい子どもたちと出会う。新しい同僚とも出会う。新しい仕事に取り組む。何か今年はやれそうな気がします。去年までと違った一年になりそう、そんな予感がします。新年度は何度迎えても同じように新鮮な気持ちになるものです。

でも、ふた月も経つとその新鮮味は薄れます。ふと気がつくと、去年と同じような日常を過ごしています。子どもたちに癒される心象も同じ。同僚との会話の話題も同じ。校務で犯すミスも同じ。自分は成長していないんじゃないか……。子どもの褒め方・叱り方、行事のつくり方、校務の進め方、同僚への根回し、保護者への対応、そりゃ新卒のときよりは少しだけうまくまわせるようにはなっているけれど、成長といえるほどのものじゃない……。そんな自己嫌悪に陥ることもしばしばです。

四月の鮮度が保てない。六月には去年と同じ自分がいる。十二月には疲れがピーク。三月には来年こそはと決意する。どうしてこんなことを何年も繰り返すのでしょうか。一昨年度より昨年度、昨年度より今年度、今年度より来年度、そういう成長の実感がなぜもてないのでしょう。

手前味噌で恐縮ですが、私は毎年、「この一年間で絶対に結果を出すぞ!」という強い決意で臨む研究テーマを一つだけ決めることにしています。そしてその追究になにがなんでも取り組むことにしています。そして自分なりに結果が出るまでやり通すことにしています。研究テーマというと、何か高尚なことをやっているように思われるかもしれません。でも、そんなことはありません。研究テーマとは言っていますが、「研究」というよりは「実践」的な、もっと日常的に取り組めるテーマについてです。

例えばここ数年は、次のようなテーマに取り組んできました。

【二○○九年度】 生徒たちの良い雰囲気づくりに寄与する特別活動
【二○一○年度】 国語科授業のノート指導
【二○一一年度】 特別な支援を要する生徒の対応
【二○一二年度】 ファシリテーション型授業の課題の分類
【二○一三年度】 所属教師それぞれの個性に対応する学年運営

見ていただければおわかりかと思いますが、これらの研究テーマは実はその年度の校務分掌と連動しているのです。

わかりやすいところで言えば、私は二○○九年度、勤務校の生徒会担当でした。この年は現在の勤務校に転勤した年だったので、ぎりぎりまで自分の校務分掌がわからなかったのですが、四月一日に仕事が生徒会だとわかり、「よし!今年は特別活動だ」と即決したのです。また、二○一三年度、私は一学年の学年主任でした。学年所属の先生方は新卒さんや臨採さんも多くて非常に若く、先生方を育てながら学年を運営していく必要がありました。しかし、先生方が若いからといって、私が上意下達のみで運営したのでは学年運営もだんだん停滞していきます。そう考えた私は、所属教師が若いからこそそれぞれの良いところ、つまりはそれぞれの個性を発揮させるにはどうしたら良いかということをテーマにしようと考えたのです。

これまた手前味噌ですが、このうち二○○八年度から二○一二年度までのテーマはすべて一書として既に上梓しています。その意味では、これらの研究テーマについて、私はそれなりの結果を出したのだと自負しています。ある程度の結果が出ないと本なんて書けませんから。

さて、話を戻します。四月に一年の「研究テーマ」を決めてその一年を過ごす。そうすると、確かに子どもたちへの対応や校務上の細かいルーティンワークなどは前年度と同じことをしているのですが、その同じ仕事が別の意味合いのものに見えてくるのです。だってそうではありませんか。同じように国語の授業にしていても、「ノート指導」をテーマにしていれば子どもたちのノートに目が行きますし、「ファシリテーション」をテーマにしていれば交流活動を開発しようと務めることになります。「特別活動」をテーマにしていれば、なんとかこの授業を特別活動と連動させられないかと考えますし、「学年運営」をテーマにしていれば、自分の前ではこんな雰囲気の子どもたちだけれど他の先生のときはどうなのだろうと見に行くようになります。こんなふうに考えながら過ごす毎日が、去年と同じに感じられることなどあり得るでしょうか。

そうです。教師が四月の気持ちの鮮度を保てないのは、言葉は悪いですが、「その日暮らし」をしているからなのです。一年を見通して、「これだけはやるぞ」という目標やテーマをもち、「そこだけは結果を出す」と本気で取り組めば、少なくともそのテーマに関してだけはその一年で大きな成長を遂げることができるのです。四十年近い教師生活、一年に一つのテーマについて本気で取り組み続けたらいったいどれだけのことができるでしょうか。

仕事に対して前向きに取り組むための一番のコツは、実は長期的な展望をもつことなのです。教師の多くは今日やらないと間に合わないという仕事を今日しています。仕事の早い人でもせいぜい三日後くらいの仕事をしています。でも、一年後の自分を想像してみる。半年後の担任学級を想像してみる。三ヶ月後の仕事に取り組んでみる。常に数ヶ月後のための「いまこの瞬間」と意識してみる。どうでしょうか。考えるだけでも楽しくなってきませんか?

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ちょっと辛辣だけれど…

最近、方々で若手教師の学び方について議論になる。彼らはセミナーに来ているけれど、ほんとうは学んでいないのではないか。簡単に言えば、そんな話だ。すずけんさんが昨日のセミナーで、スタッフによって提示される模擬授業の質の高さに驚いていた。嬉しい評価だった。北海道には人を育てるシステムがある。「ことのは」にも「BRUSH」にも「北フェス」にもある。他の地域のセミナーに参加していて、それがないのが気になる。

いろんな地域で意欲のある若者の提案を聞くけれど、それらはほとんどが15~20分くらいの講座である。講座というのはひとネタもってきて、3点くらいに適当なポイントを提示すれば形になる。でも、それでは力量は高まらない。どうすればいいかと言うと、「ごんぎつね」でも題材にして模擬授業をやればいいのだ。時計とか通分とかを教材に模擬授業をやればいいのだ。解説一切抜きで、子どもに語るのと同じ言葉で。そうすれば、見る人が見れば実力はすぐにわかる。それを怖がるようなら人前に立つ資格がないし、そこでぼろぼろに指摘されるようならやはり人前に立つ資格はないのだと言える。

昨日のセミナーで鈴木健二・山田洋一・堀裕嗣の鼎談があった。45分予定を少しオーバーして52分間の鼎談だった。この3人が集まったのだからと、最初の15分程度、野口芳宏に何を学んだかをテーマに語り合った。驚いたのは参加者に挙手を求めたところ、4割程度の人が野口芳宏先生を知らなかったことだ。時代は変わったのだな…と思う。

僕はこれを教員養成学部が実学志向に移行したからだと思う。学校教育界にはもともと同業者や時代の実践者からしか学ばないという悪癖があったが、大学の研究志向が薄められて、先行研究に学ぶとか、教養書から学ぶといった習慣が尚更なくなったように思う。先行研究から学ぶことが身に付いていたとしたら、芦田恵之助や垣内松三にまでは到達しなかったにしても、西郷竹彦や野口芳宏には到達するはずである。そもそも、堀や鈴木や山田の本には「野口芳宏」の名前があふれている。もしかしたら、最近の若者は大村はまさえ読んでいないのかもしれない。

これも最近、気になることの一つだ。

去年のあるセミナーでのことである。40人くらいの参加者に対して確認してみたところ、宇佐美寛を読んでいる参加者が4人しかいなかったことに驚愕したことがある。僕はこういう活動をするならば、宇佐美寛だけは絶対に読まなければならないと思う。宇佐美寛に自分の甘えをこてんぱんにされてからでないと、実践研究になど入れないと思っている。宇佐美体験のない者は自分に甘い研究しかできなくなる。フィーリングでああだこうだ言って良いほど、この世界も甘くはないのだ。少なくとも、この世界にいる者としてそう信じたい。

実は企画として考えていることが二つある。

まずは、今日は辛口ついでにものすごい辛口を。若い世代の本がこれだけ出たら、それを並べてぶった斬る!っていうタイプの本がそろそろ出てもいい頃だ。若い世代も自分の主張を公にするということは批判されることと同義なのだということをそろそろ知っても良い時期だと思う。『書きゃいいってもんじゃないんだよ~若手リーダーの功罪』なんていうタイトルがいいかも(笑)。実は僕は若手のなかでは、大前暁政と山本純人をものすごく買っている。この二人のオリジナリティには目を見張るものがある(ただし、大前くんの理科関係については僕にはわからない)。金大竜はオリジナリティがあるが、文章が下手すぎる(笑・大竜は笑えないだろうが…)。まあ、それでも大竜は少しずつ文章がうまくなってきているから、楽しみではある。いずれにしても、それぞれに質は異なるものの、この3人は類書のないものを出している。類書のないものを出さなくちゃ、本を出す必要なんてないのだ。

もう一つは、『野口芳宏という生き方』である。野口先生の影響下にあるライターをみんな集めて、一人6頁くらいで野口先生からの一番の学びと自分の現在への影響を書く。こういうのが追悼本として出るのでは、他ならぬ野口先生ご自身が読むことができない。それでは意味がない。有田先生が鬼籍に入られたことで、僕はこの本を早く出さなくちゃという気になっている。照井さんが今年で退職だと知ったこともこの思いに拍車をかけている。かつて雑誌「鍛える国語教室」でネットワーク頁を担当していた横田さんと僕とが共同編集すれば、初期法則化時代から「鍛国研」、そして「野口塾」「実感道徳」に至るまで、過不足なくライターを集められるような気がしている。僕らなら濱上さんや庭野さんでも動かせる。そんなことを夢見ている。

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国語教師の必読書

①『国語科授業批判』宇佐美寛・明治図書・一九八六年

学生時代、宇佐美先生の本を読んで衝撃を受けた。むさぼるように次々と読んでいった。中でもこの『国語科授業批判』は僕の国語教師としての人生を規定したと言っても過言ではないかもしれない。これを論破できないようでは、国語教師として生きる資格がない。そんな切迫した感覚に陥った。正直、うろたえた。それはちょうど、高橋和巳や小松左京が桑原武夫の「なぜ文学は人生に必要か」という問いにうろたえたのに似ている。以来、僕は宇佐美先生が展開した論理をなんとか超えるものをつくりたいとの一心で国語の授業をつくり続けているように思う。時が経ち、時代は変わっているように見えるけれど、宇佐美先生のご指摘になった悪弊は、いまなお国語教育界に随所に見られる。自戒を込めて、この書をまず第一にお勧めしたい。

②『国語科教材分析の観点と方法』大内善一・明治図書・一九九○年

大内善一先生、四十代の作である。若い教師に、もっと言うなら実力のない教師に、「ああ、国語科の教材分析ってのはこんなふうに考えると良いのか……」と納得させる力をもつ、そんな書である。善一先生と親しくお付き合いさせていただくなかで、この書の執筆に四年の歳月をかけ、その間にどんな葛藤があったのかもお聞きするにつれ、僕のなかでこの書の価値は善一先生の論以上に高くなっているかもしれない。しかし、国語科教育に携わって三十年近く、教材分析の観点や方法について、いまだにこの書以上の説得力をもつものに出会っていない。その意味でも、この書の内容は決して古くはなってない。国語教育に携わるすべての現場教師がこの書を読めば、我が国の国語教育は革命的に向上するのに……。そう夢想したことが一度や二度ではない。

③『状況認識の文学教育』大河原忠蔵・有精堂選書・一九六八年

この場にこの書を挙げるのは少しマニアックかもしれない。大河原忠蔵は、一九五○年代から始まる益田勝実や荒木繁、太田正夫らによる日本文学教育協会の文学教育の系統にある実践者の一人である。日文協の文学教育はどれもが生徒たちの認識的な主体性を発揮させようとの意図を持っているが、なかでも大河原忠蔵の「状況認識の文学教育」におけるそれは他を圧倒している。生徒たちが本音として抱いている悪徳に目を向け、文学作品を触媒としながら生活綴り方の手法をも大胆に取り入れた、独自の文学教育論が展開されている。大河原は後に奈良教育大学に蜀を得るが、おそらく実践者時代には他の教師や管理職との軋轢が絶えなかったであろうことが想像される。大河原が取り上げる生徒たちの作文はそれほどに強烈である。

世の中が貧しく、立身出世や物欲が人々の共通の望みとして機能しているときは、生活綴り方のごとき「生活をそのまま見つめる」という視座が成立する。しかし、戦後の混乱期を経て、世の中が少しずつ豊かな方向へと進み始めたとき、生活綴り方に限界を感じた大河原忠蔵は生徒たちの荒れへと視線を向けた。そこには日本人的な本音と建て前の使い分けを越えて、本音の世界を、悪徳の世界を学校教育のなかにえぐり出し、顕在化させるという手法を採ったわけだ。僕はこの発想がいまなお、青年期の子どもたちには機能するのではないかと考えている。美しいものだけで形づくられる白々しい教育からの脱却を、僕はいまなお夢想している。

④『「山芋」の真実』太郎良信・教育資料出版会・一九九六年

この書をすべての教師が読むべきだとはまったく思わない。しかし、この書を読めば、僕の言う「言葉のディテールにこだわる」ということを徹底したとき、これだけのことを曝くことができるのだという実例として、実感的に理解できるはずだと思われるのだ。大関松三郎の詩集「山芋」は、言わずと知れた生活綴り方教育の一つの理想である。かつて教科書にも掲載されていた「虫けら」の作者、寒川道夫が指導したという小学校六年生の少年である。大関松三郎は小学生が戦時中に理想社会を夢見、これだけ生き生きと活写して見せたと絶賛された。臼井吉見が大関松三郎を評して「歴史的事件」とさえ言ったほどである。しかし、太郎良は寒川道夫の書いた文章をディテールに至るまで細かく分析し、大関松三郎の詩作との類似性を次々と明らかにしていく。その細かさたるや舌を巻かざるを得ない。そして遂に、太郎良は「山芋」が寒川道夫の改作の結果として成立したものであることを論証していく。もちろん、寒川も松三郎も鬼籍に入ったいま、その真偽が明らかになることはない。しかし、太郎良信が両者を愛するが故にディテールまで分析していることが、そうせざる終えない心持ちになっていることがよく伝わってくる書である。

⑤『14歳からの哲学 考えるための教科書』池田晶子・トランスビュー・二○○三年

言葉は世界を分類することを旨としている。だから言葉を学べば学ぶほど、世界は分けられていく。それが言葉の入り口の本質だ。しかし、分けて分けて分けてみると、どうしても分けられないことがあることに気づく。それでもそれを分けようと試みてみるうちに、分けられたと思っていたものまで分けられないことに気づくことになる。言葉の先生がほんとうに教えなければならないことは、きっとそういうことなのだと思う。

言葉は「論理」をつくる。でも、と同時に、論理の不毛性をも曝く。言葉の論理や因果は、「わかる。でも、わかるとしかいいようがない。」という論理なき論理に容易に敗北することがある。ほんとうは世界に境界線なんかないと。きっとこんなことは、昔の日本人ならことさら学がなくたって、みんな知っていたに違いない(たぶん)。八百屋だって、遊女だって、みんな知っていた。だから、お七は江戸に火を放ったのだし、お初は心中を選んだのだ(たぶん)。

池田晶子は生涯、「考える」ということを究極まで考えることを試みた人だ。この世界が彼女を失ったいま、彼女の著作において最も学校教育に活かせるだろう著作はこの書になった。この書を読まずして、その世界観の理解なくして、国語教師になってはいけないと思う。心の底から、僕はそう思っている。

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詩的言語と教材研究

壁に沿うて黄葉が一つひらひらと落ちたが─見ると白い螺旋がずうとついてゐる。

仕度

花は散つた。
その姿はしよぼしよぼとし、
なんともあはれだ。
あはれなその姿の中で、
美しい實を結ぶ仕度をとゝのへてゐる。

ともに北川冬彦の詩である。ともに冬彦初期の作だ。僕はこの二編をよく教材化する。

「秋」は詩人とは何者なのかを僕に垣間見せてくれる。壁に沿って空気の抵抗を受けながらひらひらと舞うように落ちるわくらば。これを読者が映像化(心のテレビに映す)することは容易である。この情景を自らの生活体験に重ねて形象化(その場にいるような心持ちになる)することも感性の鋭い読者には容易だろう。しかし、その黄葉が落ちた跡に「白い螺旋」が「ずうつとついてゐる」情景を映像化・形象化することは決して容易ではない。ましてや、壁に沿ってひらひらと落ちる黄葉を見て、その跡に「白い螺旋」が「ずうつとついてゐる」情景を自らのなかから湧き上げることも、更には湧き上がったその情景から一編の一行詩を編むことも困難の極みと言って良い。北川冬彦は「見えないもの」を見、「見えないもの」を詠う。この「見えないもの」に気づく感性、そしてその「見えないもの」を言葉として詠うことによって読者を魅了し誘惑する才覚、この両者を併せ持つ者こそ「詩人」なのである。僕は既に三十年近くも、すっかり冬彦に魅了され誘惑されてしまっている。

「仕度」も同様である。花が散り、しょぼしょぼとしたその植物は、北川冬彦に「なんともあはれだ」という心情を抱かせる。しかし、「あはれなその姿の中」で調(ととの)えられる「美しい實を結ぶ仕度」とはいったい如何なるものであろうか。そんなものは見えるわけがない。しかし、冬彦には見えるのだ。その確かな「仕度」が。ここにも、詩人の「見えないもの」を見、「見えないもの」を詠う感性と才覚とが発揮される。

全編の叙述は説明的で、「その姿」「あはれ」と二度も同じ語を用いるなど、詩的言語としての完成度を疑う向きもあるかも知れない。しかしこれはむしろ、「その姿」と「その姿の中」を対比させ、「あはれ」と「美しい實を結ぶ仕度をとゝのへ」る形象との落差を顕在化させるための意図的な二重語用ではないのか。

そして何より、この詩の醍醐味は第一文である。僕は「花は散った」の「は」に感動する。「は」は取り立て提示の副助詞であるが、そこには「確かに花は散ったが、しかし……」という含意がある。読者の皆さんには「あの人、頭は良いんだけどねえ…」という言表を思い浮かべて欲しい。「あの人、頭が良い」ならば単なる主述の表出でしかないが、「あの人、頭はいい」と「は」を使うとき、そこには顔か性格かのどちらかが悪いという含意が表出されるはずである。「仕度」の「花は散つた」は、読者をこの詩に出逢わせる第一文においてしっかりと結末の布石を打っているのだ。つまりこの詩世界は話者が「美しい實を結ぶ仕度」に気づいていく過程を描いたのではない。最初から「美しい實を結ぶ仕度」に気づいている話者が、淡々とこの三文を叙述する形を採っているのである。この詩は間違いなく、一言一句蔑ろにされることなく検討されている。

ではなぜ、北川冬彦には「あはれなその姿の中」が見えたのだろうか。これを四季を巡る植物を見る経験から科学的に理屈づけたのだとする見解は甘い。そんな自然の摂理ならば、なにも詩にする必要はないのだ。この花を散らし、いままさにしょぼくれ、あはれな姿を晒し、しかしその中でなお自らの「美しい實を結ぶ仕度」を調える者こそ、実は作者北川冬彦その人だったのではないか。この詩は道端でふと目についた散り花に、自らの今現在の心象を重ねることによって成立した詩作なのではないか。とすれば、冬彦には初期作品において、既に自らの詩作が今後どのように展開されるか、確固とした自信をもっていたのだと読めるのである。

こう考えてくると、先の「秋」における「黄葉」も北川冬彦自身なのではないかと思えてくる。いま、冬彦は「壁に沿うてひらひらと落ち」るような状況にあるが、それは自らのなかではしっかりと「白い螺旋」として意識されている。この詩は前半と後半とが「─」を用いた間によって繋がれているが、この間は冬彦がその確かな過去の経緯の存在感に気づくまでの一瞬の間だったのではないか。僕にはそう思えてくるのである。

言葉のディテールにこだわれる者ほど国語学力が高い─僕は前章でこう述べた。ディテールにこだわるとは、「花は散つた」の「は」にこだわることであり、構成上の「─」に思いを馳せることなのである。

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中堅リーダーを育てる

学級担任の力量はどんな学級をつくったかではなく、どんなふうに子どもたちが育ったかで測られる。どんなに一生懸命に仕事をしても、どんなに愛情をもって子どもたちに接したとしても、子どもたちが育っていなければその教師の力量が高いとは言えない。

この原理に反対する方はいないでしょう。その担任が受け持っている間はよい学級なのに、学年が上がって別の担任が受け持ったら荒れてしまう。子どもたちはその担任だからついて行ったのであり、子どもたちが育っているわけではない。ネタ開発を得意としたり、パフォーマンスを得意としたりする教師に多く見られる現象です。

学級ならこの原理を納得できるのに、職員室にこの原理を持ち込む人はまずいません。私はそれが不思議でならないのです。

学年主任として仕事をしたら、その学年をどのように運営したかはもちろん大切です。しかし、副主任の先生に次の年度に学年主任として仕事のできる力量をつけたか、中堅的な先生方に学年運営に大きく貢献するような力量をつけたか、こういうことがもう少し評価観点として意識されても良いのではないか、私はそう感じるのです。

教務主任として仕事をすれば、次の教務主任を育てなければならないし、生徒指導主事として仕事をすれば次の生徒指導主事を育てなければなりません。それも自分の同じやり方を踏襲するだけの人間ではなく、自分にできなかったこと、自分が気づかなかったことにちゃんと取り組んでくれる、自分以上の人材を育てた者ほど評価されるべきなのです。

副主任は一般的に、自分よりすぐ下の世代、年代でいえば三十代後半が最も多いはずです。その年代というのは、まだまだ自分は前線で子どもと関わることが仕事だと40代とは比べものにならないほどの勢いで感じているものです。学校経営・学校運営に自分が関わっているという意識もまだまだ抱いていません。ですから、管理職の方針と異なることに一生懸命になったり、独善的な視点で大きな失敗をしてみたりということが少なくありません。そんなとき、管理職の側だけに立って批判するのではなく、その後輩の側にだけ立って擁護するのでもなく、管理職の思いとその後輩の思いとを調整しながら、基本的には後輩のフォローを旨とする……40代にはそんな姿勢が必要となります。

学校の運営方針が揺らぐようなことをしてはいけませんが、前向きに取り組む後輩のやる気をそぐようなことをしてもいけません。管理職は学校運営に責任をもっているわけですから、自分の主張を絶対に曲げるわけにはいきません。間に入って調整し、その後輩に管理職の意図を話して聞かすのも、裏で管理職にその後輩への期待を語るのも、40代の役目なのです。

ところが、40代は自分が仕事にそれなりの自信をもち、校内でもそれなりに仕事の段取りをつける位置にいるものですから、それに反する動きをする中堅教師を批判したり蔑ろにしたりすることが少なくありません。自分が教務系の仕事を得意としていれば教務系の仕事を得意とする後輩ばかりに目をかけ、自分が生徒指導系の仕事を得意としていれば生徒指導系の仕事を得意とする中堅・若手ばかりを評価する。意識しているいないにかかわらず、そんな例も多く見られます。

しかし、人を育てるということは、自分と似た人に目をかけることではありません。それは寵愛であって育成とはほど遠いのです。それでは、学級経営において優等生ばかりを可愛がったり、やんちゃ系ばかりを可愛がったりするのと同じです。40代になったら、職員室においてどんなタイプの後輩でも育てるという覚悟をもちたいものです。そうした姿勢は、どんなタイプの教師としての特性も否定せず、自分にないものをもっている後輩からは自分自身が学ぼうくらいの心持ちでいることから生まれます。

もう少し辛辣に言えば、40代というのは先の見える年代です。自分はここまでだな、自分はこの程度だなと、残り十数年の自分の教員人生が見えてきます。自分のゴールが見え始めたとき、人は自分の現在を変えるとか、更なる成長を求めるとか、そうした前向きな姿勢を失いがちです。自らの現在をある種の「完成形」と捉えてしまうのです。

しかし、完成し、変容を拒む者に、実は若い人は魅力を感じないのです。その人の言うことを素直に聞こうとは思わないのです。40代の敵は何と言っても「自らを発展途上人と位置づける謙虚さの喪失」と言えるでしょう。  畏友多賀一郎(ほんとうは十も年上の多賀先生を「畏友」などと表現するのは失礼なのですが、この表現が一番しっくりきます)がこんなことを言っていたのを聞いたことがあります。

「50代になってみてわかったんだけど、50代になってからの授業ってのはおもしろいもんだよ。みんな管理職になったり、もうゴールが見えて工夫しなくなったりして意識していないんだけど、子どもたちから見ておじいちゃんになったからこそできる授業の工夫、できる実践の工夫ってのが確かにあるんだ。」

40代になっても50代になっても自らを完成形などと捉えず、変容を拒まずに「発展途上人」と自覚し続けるとは、きっとこうした境地を言うのです。私もまだ40代ですから、自分の経験から言うことはできませんが、還暦を間近に控えた多賀一郎の言に、私はある種の神々しささえ感じたものです。  自らが成長の渦中にあるとの自覚を持つ者だけが、よりよく人を育てることができるのです。それは、決して職員室の同僚を育てることのみならず、子どもたちを育てることにも間違いなく言えるはずです。

現在、40歳というのは人生の半分を過ぎた頃に過ぎません。女性ならば半分にも満たないのです。「四十にして惑わず」とは孔子の時代のこと、過去の規準に過ぎません。だって考えてもみてください。40代のあなたは、10代の頃や20代の頃と同じように傷つきやすく、20代の頃や30代の頃と同じように戸惑い、迷っているではありませんか。失っているのは、あの頃のような「もっともっと」という貪欲さや、「ああなりたい、こうなりたい」という憧れだけなのではないでしょうか。

そう。憧れは「発展途上人」のものなのです。憧れをもつ「発展途上人」として躍動する人こそが、実は子どもも同僚も育てられるのです。

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自らをメタ認知する

自分の得意分野は何なのか─これが自覚されていないようでは、30代としては少々心許ない、というのが正直なところです。自分が何を得意としているのかがわからないということは、ただ漫然と10年間を過ごしてきたか、目の前の火の粉を振り払うことだけで10年間を過ごしたかのどちらかなわけですから。

少なくとも、自分が学級経営を中心とした特別活動系の教師なのか、授業づくりを中心とした学力形成系の教師なのか、という自覚くらいは持っていたいものです。この問いを突きつけられると、多くの教師はどちらも比べられないほどに重要だと応えるかもしれません。しかし、この二つを同じ比重で考えている教師などあり得ません。このことは、私の経験から断固として譲れない一線です。

例えば、あなたは学級経営を考えるとき、「学級づくり」を中心に考えるでしょうか、「授業づくり」を中心に考えるでしょうか。あなたが行事や当番活動、学級組織や休み時間の遊びなどの効果で考えるとしたら、あなたは「特別活動系」の教師です。あなたが「学級経営は授業で勝負!」といった考え方をするとすれば、あなたはもう間違いなく「学力形成系」の教師です。前者は子どもたちを盛り上げるネタ開発が大好きですし、後者は教材研究が大好きです。前者は学習発表会や運動会の準備期間に授業をつぶすことを厭いませんが、後者はどんなときにも授業はきっちりとしなければならないと考えます。要するに、前者は授業以上に大切なものがあると考え、後者は授業のなかでこそ学力以上のものも身に付いていくと考えます。こうした傾向の違いは、人生経験を元にしている場合が多いため、教職経験を積み重ねてもそうそう変わるものではありません。

まず第一に、特別活動系教師は学級づくりや行事指導、部活動の指導などを好む傾向があり、学力形成系教師は授業や実践研究、教育課程に関わることを好む傾向があります。おそらく自分が育ってきた過程において、前者はお祭り事が好きだったり、仲間と旅行することをを好んだり、部活動に一生懸命取り組みチームワークを学んだことが自分の人生の基盤だと感じていたり、そうした人が多いのだろうと思います。また、後者は自分自身で勉強して学力を身につけたり、自分で試行錯誤しながらいろいろなことを発見したり、仲間と議論することから何かを生み出したりといったことに喜びを得てきた人に多いのだろうと想像します。要するに、前者は勉強なんて二の次、人との関わり合いの中でこそ人間は成長するという人間観を抱く傾向をもち、後者はまずは勉強をして世界観を広げること、人間形成は自分でするものという人間観を抱く傾向をもっているわけです。

第二に、特別活動系教師は校務分掌において、生徒指導部や行事部、学級活動部や児童会・生徒会指導部、保健体育部などを好む傾向があり、学力形成系教師は教務部や研究部、文化部などを好む傾向があると言えます。後者が政治の動向や世論の動向に敏感で、文教政策にも精通していることが多いのに対し、前者はそうした政策的なことよりも、アスリートや文化知識人、歴史上の人物などの成功譚や成長譚を好む傾向もあります。ともにこうした傾向に基づいて仕事をしているものですから、特別活動系は学級経営や生徒指導、部活動こそが子どもたちを育てるのであって、校務分掌は雑務だと考える傾向があり、学力形成系は学校運営を司る校務分掌を学級運営や生徒指導以上に大切なものだと感じる傾向があります。

第三に、特別活動系教師は生徒指導を得意としていることが多く、事務仕事を不得意としている傾向があり、学力形成系教師は生徒指導を苦手としていることが少なくなく、事務仕事を得意としている傾向があります。後者が教職を知的な専門職と捉えているのに対し、前者は教職を子どもたちを導く聖職のイメージで捉える傾向がありますから、生徒指導や事務仕事に対するスタンスが異なるのも当然といえば当然です。

第四に、特別活動系教師は自らの個性、自らの経験と同質の体験を子どもたちにさせたいと願う傾向をもっており、学力形成系教師は教師である自分の個性を子どもたちに押しつけてはいけないと自制する傾向をもっています。生徒指導を得意とするか否かは、私には、自分の経験を活かしながら子どもたちに熱く語ることを潔しとするか否かに出発点があるように思えます。前者にとって後者は生徒指導のできない指導力不足教員に見えることも少なくありませんし、後者にとって前者の在り方は指導というよりも洗脳に見えてしまうことも少なくありません。

第五に、特別活動系教師は教育活動を経験主義的学力観・教育観で捉える傾向があり、学力形成系教師は教育活動を系統主義的学力観・教育観で捉える傾向があります。例えば、両者が「総合的な学習の時間」のカリキュラムを立てますと、前者はおもしろそうな単元、意義のありそうな単元を五つほど並列させるだけ、ということになりがちですが、後者は単元1から単元5まで難易度を上げていったり、最後にこれまでの単元を総合した単元を設定したりということにこだわりをもちます。顕著な例を挙げれば、両者の仕事振りにはこのような違いが出ます。

こうした傾向の違いは、周りの先生方を観察していれば、子どもたちへの接し方から職員会議での発言内容に至るまでさまざまなところで見られるものです。30代にもなれば、こうしたメタ認知能力をしっかりともち、その視点で同僚を評価するだけでなく、その視点を自分自身にも向けられるようになっていなければなりません。

私は前節において、得意分野においてはオーバーワークを厭わないほどに貢献しなければならないと言いましたが、この「得意分野」というのは、ステージ発表や合唱の指導を得意としているとか、事務仕事でミスをしたことがないとか、そういうレベルでは30代としては心許ないと言わなければなりません。自分が特別活動系教師ならぱすべての学校行事で力量を発揮する、自分が学力形成系教師ならば学校の教育課程づくりや学校研究を陰に陽に支え続ける、これくらいのレベルのことを言っています。

また、自分が特別活動系教師なのか学力形成系教師なのかを自覚していれば、不得意な分野や不得意な領域について自覚的に学ぶ姿勢も身に付きます。要するに、自分の不得意なことに謙虚になれるのです。

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できるだけ多くの校務分掌を経験する

教職7年目のことです。私は2年生38名を担任していました。

校務分掌は教務部時間割係。30学級の時間割です。中学校教師ならおわかりかと思いますが、この規模の学校の時間割を作成することは大変なことです。前後期、そして北海道特有のスキー学習日程に伴う時間割と年に3回作りました。当時は隔週で土曜日が休みでしたから、時間割は土曜日がある週とない週の2種類をつくります。1年に計6週分の時間割をつくるわけです。時期が来ると2泊ずつ、私は学校に泊まり込んで時間割を作りました。朝は給食室のシャワーを借りました。時間割係にはその他にも、毎日のチャイムの管理や各学級各教科の時数計算、自習監督割り当ての仕事もありますから、ルーティンワークも目白押しです。

この年は教務部員として、必修クラブの運営も担当していました。全校生徒が1300人の学校です。生徒たちから希望を取って各クラブに振り分けるだけでも大仕事です。その他にもクラブ担当教師が欠勤した場合の補充割り当てをつくったり評価のシステムをつくったりといった仕事があります。

しかも、この年の学年分掌は生徒指導でした。校務分掌が教務なのに学年分掌が生徒指導というのは、一般的には中学校ではあまり見られません。学校全体と学年とで仕事の内容が異なりますから、あっちもこっちもということになります。時間の使い方が難しくなります。教務の仕事をしようと予定していた時間に、予想外の生徒指導が入るわけですから、どうしても事務仕事が夜遅くになっていきます。

この年は学年協議会(学年の学級代表委員会)も担当していました。毎月の学年集会の企画・運営、旅行的行事の集会指導、学年のキャンペーン活動の企画・運営などが仕事です。学年リーダーを育てる仕事と言えばわかりやすいでしょうか。学校祭では学年のステージ発表を担当しました。

その他にも、一人で50人近い演劇部を担当し、体育文化振興会(部活動の組織)では会計も担当しました。更にPTAの広報部も私の担当でした。おまけに次の年には新設校開校のために学校が分離するという年でもあり、さまざまな事務仕事もあった年でした。

兎にも角にも、私は毎日、「かなわんなあ…」と思っていました。だいたい仕事に偏りがあり過ぎる。こんな学校、さっさと転勤してやる。本音では、そんなことも考えていました。いずれにせよ、読者の皆さんにも、とても忙しい1年だったということは伝わったかと思います。

しかし、いま、私はこの1年間が自分の教員人生にとってどれだけ宝であったかということを実感しています。

まず第一に、この1年間で時間の使い方が徹底して上手くなったこと。なにしろ、遊んでいる暇はもちろん、ほっとひと息つく暇もありません。隙間時間にも小さな事務仕事をどんどん仕上げて行かなければ追いつかないのです。To Do リストをつくって、片っ端から片付けていきました。

第二に、優先順位をつけて仕事をすることを覚えたこと。仕事の重要度はどれもが並列かというとそうではありません。仕事の出口が自分である仕事(例えば学級の仕事)は後回しにしても良いこと、自分がした仕事を受けて職員全員が動くタイプの仕事(職員会議の提案文書や職員組織を動かす仕事)ほど優先順位が高いということを徹底して学びました。

第三に、仕事というものが日程と時間でするものだと実感したこと。例えば、全校生徒や学年生徒、全校職員を動かすような仕事については、遅くとも3ヶ月前に大枠を提示しなければならないこと、それ以前に管理職や教務主任、生徒指導主事や学年主任など、要所要所に根回ししておかなければ提案がスムーズに通らないこと、などなどを実感的に学びました。また、根回しについては、職員会議でよく発言する人、用務員さんや栄養士さん(物をつくってもらったり給食を早出ししてもらったりといったことが必要になることが多い)、養護教諭に対しても事前に話を通しておくと、提案が更にスムーズに通るということも徹底して実感させられました。要するに、行事運営の勘所が行事直前のバタバタしている時期ではなく、数ヶ月前の企画段階にあることを腹の底から理解したわけです。

第四に、教務部と生徒指導部という学校の基盤をつくる二つの校務分掌がほぼ逆方向を向いて運営されている、ということ。この年の私は、校務分掌が教務部であり、学年分掌が生徒指導でしたから、教務主任とも生徒指導主事とも毎日のように打ち合わせをもつことになります。来週の日程を検討するという場合に、教務主任との打ち合わせ内容と生徒指導主事との打ち合わせ内容がまるで反対の思想に基づいて行われているなんてことは日常茶飯でした。その両方に出席しているのは70人近い教員のなかで私だけです。双方を比較することで、当然のように、私は学校内にある思想的矛盾に気づかされました。そして、何かを提案するときにはどちらの思想をも満たすような、一石二鳥のアイディアを産み出すことこそが大事だということに気づいたのです。この発想は、いまだに私が仕事をするうえでの根幹的発想になっています。

私はこれまで、20代のうちに全体像を把握するよう努めること、そのためにできるだけ多くの学年を経験することが必要だと述べてきました。それは子どもたちを成長させるために、教師としての仕事の根幹を全うするために必要なことです。しかし、教師は子どもたちに接することだけが仕事ではありません。校務分掌のそれぞれがちゃんと機能していないと学校は成立し得ないのです。

実は、若い先生のなかには、教師の仕事は子どもたちを育てることであって、校務分掌は雑務だと感じている人が少なくありません。ところが、校務分掌のなかにこそ、実は教育の思想がたくさん詰まっているのです。うちの学校の時程はなぜこういう時程なのか。隣の学校とはどこがどのように違うのか。うちの学校の運動会はなぜこのようなプログラムなのか。修学旅行でここに行くのはなぜか。委員会はなぜこの六つなのか。各学級の避難経路はなぜこういうコースなのか。そういうことを一つ一つ考えることこそが、実は自分の教師としての力量を高めるのです。

若いうちにできるだけ多くの校務分掌を経験することが大切です。しかも一つ一つ考えながら、しっかりと取り組むことが必要なのです。

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一つの例外

ただし、一つだけ例外がある。

もしいまの痛みが、死を考えるほどに深刻なものになってしまったときは、他の一切のことを考えるのをやめて、意地もプライドもかなぐり捨てて、しっぽを巻いて逃げることだ。これは自分が死にたいと考えたときだけでなく、相手を殺したいと考えたときも同様である。どちらももはや、仕事や人生の価値、子どもや他人との関係を考えていられるレベルにはないことを意味している。そんなときは、ただ逃げていいのだ。

担任を降ろしてもらえばいい。転勤すればいい。休めばいい。どうしてもだめだと思えば辞めたっていい。教職は確かに尊い仕事ではあるけれど、それは命を賭けてまでやる仕事ではない。

仕事の基本は喰っていけることである。つまりは生きる糧として機能することである。確かに喰うためだけに仕事をするのはつまらないけれど、喰えない仕事に就くわけにはいかない。その仕事で喰っていける、生きていけるということは、その仕事を続けていくうえで大前提なのである。ふだんはあまりに当然すぎて意識されないだけだ。もしも教師の月給が十万円程度に落ち、喰っていけない金額になったとしたら、どんなに使命感に燃えている教師だって転職を考えるはずである。私だって即座に転職する。

仕事上の痛みで死を考え始めるということは、この大前提が崩れ始めていることを意味するのだ。確かに子どもたちを育てるのは尊い。自分が突如いなくなったら周りに迷惑もかけるだろう。この安定した職業に就いたことを両親は心の底から喜んでくれたかもしれない。しかしそれらは、生きていればこその価値に過ぎない。あなたがいなくなれば、子どもたちはかつてあなたという教師がいたことをじきに忘れていくだろう。同僚たちがあなたを責める気持ちをもつのもその年度に限ったことで、次の年度が始まっても恨みに思う人はまずいない。あなたが教職を辞したときの両親の悲しみは、あなたが自死したときの悲しみとは比べものにならないほどに小さいはずだ。

わたしは「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのか。この鷲田の問いはあくまで、精神的に安定しているときの問いである。「いない」ほうが良かったと結論づけて自死を選ぶ際の問いではない。死にたいと思ったり殺したいと思ったりしたら、意地もプライドも役には立たない。必要なのはしっぽを巻くことだけなのだ。

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〈引き〉の視点

自分が少しでも多くの子どもたちに価値ある存在であることを目指して教師は生きる。教師はこの業から放たれないと冒頭に述べた。しかし、教師は年齢を重ねてちょうど人生の復路にさしかかった頃から、少しでも多くの同僚教師にとっても価値ある存在であることが求められるようになる。さしたる経験もない自分が同僚教師を救うこともあることにある種の驚きを感じながら、それでも自分が人の役に立っていることにまんざらでもない思いに駆られる。肯定され、承認されることに歓びを感じるようになる。

そう考えると、若い教師がトラブルに落ち込むその経験は、〈明後日の思想〉によって自分が少し頑張れるようになるというだけでなく、これから出会うまだ見ぬ子どもたちにも、人生の復路で出会うまだ見ぬ後輩教師にも価値をもつのかもしれない。いま現在の痛みに縛りつけられ、自暴自棄になったり無気力に陥ってしまったりするのは、自分自身やいま目の前にいる子どもたちだけでなく、これから出会うまだ見ぬ人たちにも不幸なことであるのかもしれない。

〈明後日の思想〉はそうした意味で、価値観に遠近法を施してみることと言える。物事には遠くから「引き」で見たほうがよく見えることがある。いまいる地点に縛られると〈引き〉の視点には気づかない。いまの歓びならそれに身を任せて胸いっぱい楽しめばいいけれど、いまが痛みを伴っているならば逢えて引いてみることには価値がある。私たちの仕事が私たちの人生と不可分であるからこそ、仕事上の問題はすべて人生の問題として〈引き〉のアングルで眺めてみることが大切になる。〈明後日の思想〉はそのためのプラス思考をもたらしてくれる。

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今日でも明日でもなく、明後日

若い人がなにかのトラブルで落ち込んでいるとき、私がよく呑みながら語って聞かせることがある。それは〈明後日(あさつて)の思想〉というもので、簡単に言えば未来志向の「ものの考え方」のことだ。だいたい学校の近くの居酒屋の個室で二人で向かい合いながら、私はこんなふうに話し始めることが多い。

「二十数年の人生でさ、一番つらかったなあっていう体験はなに?」

若者が挙げるのは家族の死だったり、失恋だったり、志望校に落ちたことだったりするわけだが、どんな「つらいこと」が発せられたとしても、私は次のように問い返す。

「そのつらかった経験と、いま、自分のなかでどんなふうに折り合いつけてる?」

彼らはいま、家族にしてもらった恩を他人に返そうとしていたり、あわい失恋の経験を既に笑い話にしていたり、志望校に落ちたことを踏み台にして頑張ろうとしていたりするわけだが、いずれにしても共通しているのはそうした経験をばねにしていまは前向きに生きているということだ。そこで私は問う。

「いま、トラブルで落ち込んでるよな。いまのこのトラブルと三年後(五年後ということも多い)の自分はどんなふうに折り合いつけてると思う?」

だいたい多くの若者はここで、「堀先生はそれが言いたくて今日誘ってくれたんですね。ありがとうございます」と納得する。目を輝かせて「もう一度頑張ってみます」「もう少し踏ん張ってみます」と言う人も少なくない。

人はつらいこと、哀しいこと、悔しいことを経験せずに生きることはできない。程度の差こそあれ、だれもがネガティヴな経験をしてそれを乗り越えてきた過去をもっている。なのにいま現在、心に痛みを感じると、人はいつも「いま」に縛り付けられてしまうものだ。自分の未来にとって、いまこの痛みを経験をすることがどんな意味をもつのか、未来の自分がこの経験をどんなふうに意義づけるのかなんて想像できなくなる。ただ、いま、この痛みにのたうちまわる。この痛みには耐えられないと感じてしまう。

でも、少しだけ遠くを見たら、いまの痛みにも別の面が隠れているかも知れないのだ。

「あの子どもたちとのすれ違いの経験は、いまも僕に大きな戒めとして機能している」

「あの保護者の執拗なクレームがあったからこそ、いま、私は驕らずに保護者と接することができる」

「あの失敗があったからこそ、いまの僕がある。あの経験は必要だったんだ」

三年後、五年後、教師を続ける自分は、こんなふうにいまの出来事を振り返っているかもしれない。「いまだけ」に縛られるとこんなことは考えられない。

今日だけでなく、明日みたいな近くだけでもなく、それでいて数ヶ月後なんていう予想もつかない遠い日でもない、そんな近くて遠い日の自分をちょっとだけ想定してみよう、それが〈明後日の思想〉である。「明後日」を考えると、いまの自分はいまより少しだけ頑張れるようになる。ちょっとだけ前向きになれる。そんなふうに考えられる「ものの考え方」である。

私もいまだに、年に何度も〈明後日の思想〉のお世話になっている。

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絶望的な顔

子どもはその瞬間を生きる。教師はその子の未来を想定する。だから子どもと教師の間に軋轢が起こることはむしろ必然である。このズレがまた別のズレを招き、双方のつもりとつもりがぶつかり、双方のこだわりの度合いでゆずり合ったり意固地になったりしながら溝が深刻化する。教室は集団で生活しているから、「先生がおかしい」という子が多数派になれば学級崩壊が起こる。集団の多数派は瞬く間に増えていくから、その動きを止めるのは難しい。学級という集団においては担任教師だけがフラットでない位置にいるわけで、教師は子どもたちにとって特別な人である。適切に自分たちを導く「先導者」となるか、自分たちに不条理を強いる「共通の敵」となるかに、実はそれほど大きな隔たりはない。紙一重だ。ちょっとしたすれ違いや、ただ一つボタンを掛け違えたことで、だれもが学級崩壊を経験することはあり得る。

若い教師は、ひとたび学級がうまくいかないとなると絶望的な顔をする。〈なぜ〉と分析することもなく、〈なに〉かに取り組むこともなく、「どうしよう、どうしよう」と〈どのように〉ばかり考え始める。「困っています」と先輩教師を頼る若者もまれである。自分の手持ちの武器や、思いつきのアイディアや、聞きかじりのスキルで対応しようとしてさらに溝を深める。それはまるで想定外の大災害にナイフ一本で対抗しようとするに等しい。でも、若い教師はそうと気づかない。

保護者のクレームを受けたときも同様である。だいたいの保護者クレームは管理職やベテラン教師が一緒に家庭訪問し、事情を説明して謝罪すれば解決するものだ。「私からよく指導しておきます。お腹立ちはごもっともですが、今回だけは私にあずけていただけませんか。」と言えば、ほぼ一○○人に九九人は矛をおさめる。そもそも振り上げた拳をいつまでも振り上げたままでいたい人などこの世にはいない。今回はやむにやまれずクレームの形をとったが、だれか適切な対応をして早くこの拳を下ろさせて欲しいというのが本音である。

誤解を怖れずに言えば、保護者クレームの一つくらいで絶望するほどに深刻になる必要はない。私の経験から言うなら、むしろ四件に三件くらいは、保護者クレームを契機にかえってその保護者との関係が深まるほどだ。経験を重ねると、保護者クレームはその保護者と深い話が出来る機会を得たことをも意味するようになる。歓迎するとまではいかないまでも、決して忌避するものではないと感じるようにもなる。若い教師にはそれがわからない。経験するということは実感するということであるから、その実感を経験しない者に理解できないのも無理はない。

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教師の業

わたしは「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのか──これは哲学者鷲田清一の問いである。数々の業績を挙げ、幾千・幾万の教え子をもち、哲学カフェで議論を重ね、著作で多くの読者を励まし、国内第一級の人文学者として名を馳せる鷲田にしてこの問いから放たれないと言う。自分がいることによって、厄介なめ、難儀なめにあった人はこの世に少なからずいるはずであると言う。自分がいなければもう少しましな人生を送れたのではないかと思う人さえいるのではないか。そうも言う。

鷲田清一にしてこうなのだから、われわれ凡人は日常的にこの問いに苛まれる。曲がりなりにも人の師として日常を送る教師であれば、「ああ、この子は私のせいでこんなことになってしまったのではないか」「この子の担任が私ではなく、隣の○○先生だったならばこの子はもっと成長できたのではないか」と思わない日はない。それでも自分にできることだけはしなくては……そう自分を戒めてわれわれの日常はある。

自分の存在を無条件に承認してくれるのは両親だけ……。しかも両親が亡くなれば無条件肯定者はこの世になくなり、家族のために、会社のためにと頑張らなければならないのが人の世の常である。無償の愛情をそそいでくれた両親さえ、その晩年には自分が毎日こんなに世話をしているのに、その自分をだれかと認識してくれないという哀しみを味わわされることもある。人生はほぼ四十歳を境に往路と復路に分かれると言うが、年齢を重ねるにつけ、経験を重ねるにつけ、人の復路は無常観に近づいていく。

人の仕事はその人の人生と不可分である。その仕事の在り方が人生の問題とかかわらない仕事などあり得ない。教師という仕事は好むと好まざるとにかかわらず、自分の人生だけでなく他人の人生にまで直接的に関わってしまう。子どもや保護者の人生にかかわってってしまったな、責任取れないことしてしまったな、そう思ったことのない教師はいないはずだ。もしもそう思わないとしたら、むしろその教師の教師としての資質が疑わしくなる。教職とはそういう切ない仕事である。

むしろこの国の思想に無常があるからこそ、私たちは自分だけの責任ではない、他のさまざまなことがかかわりあってその子の人生がある、その保護者の人生があると思うことができる。人は無常観に苛まれるのみでなく、無常観に救われる。ゆく河の流れが絶えずして、しかももとの水にあらぬからこそ、私の行いは相対化されるともにいえる。それでいて私という存在がかかわってしまったことは決して取り返せない絶対でもあるのだから、人は自分の他者への行いを省みざるを得ない。自分が「いない」より「いる」ほうがほんとうによかったのかという問いから放たれないのはそのせいである。

自分が少しでも多くの人たちに価値ある存在となるようにと願って人は生きる。自分が少しでも多くの子どもたちに価値ある存在であることを目指して教師は生きる。教師はこの業から放たれない。

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若者をメチャクチャ可愛がる

40代の勤務時間は自分のために半分、周りのために半分ある。このくらいに考えるのがいい。私はそう考えています。40代の労力は自分のために半分、周りのために半分ある。このくらいに考えるのがいい。私はこうも考えています。つまり、40代の時間と労力のうち、自分のために使えるのは半分なのだということです。半分の時間と労力で自分の仕事のすべてをこなさなければならない。そういうことです。

自分の学級は多くて40人。一般には30~35人くらいでしょう。担任をもちながら学年主任、生徒指導主事、教務主任をするという場合、自分の学級にだけ時間と労力をかけ、主任業務については最低限の事務仕事だけしていれば良いという考え方では、仕事を全うしたことにはなりません。学校の児童生徒全員に責任をもつ、主任クラスがもつべき意識とはそういうものです。学校経営に参画するとはそういうことなのです。

しかし、自分の躰は一つ。自分一人が同時に子どもたちを指導することはできません。とすれば、職員室の先生方が気持ち良く仕事に取り組める環境を整える、力量のない先生が力量を高めていく環境を整える、そうした環境設定によって間接的に責任をもっていくしか方法はないではありませんか。そうです。40代になったら、学校経営に参画する立場になったら、自分の仕事だけでなく、周りの先生方の仕事の環境を整えることに時間と労力の半分を費やさなければならないのです。

さて、周りの先生方の仕事の環境を整えると言われても、何をして良いのやら……と思われるかもしれません。しかし、まず第一にすべきことは実はとても簡単なことです。だれにでもできることです。それは職員室の若者たちをメチャクチャ可愛がる、ということです。自分の学級の子どもたちと同じように、どんな若者も分け隔てなく、均等に愛情を注ぐことです。

教師は自分の後輩を可愛がるというとき、どうしても自分と似たタイプの若者をかわいがりがちです。授業研究を得意として生きてきた教師は授業研究を得意とする若者を、生徒指導を得意として生きてきた教師は生徒指導を得意とする若者をひいき目に見てしまいます。また、自分の得意な分野を教育の根幹であり、それさえやれればすべてがうまく行くとでも言わんばかりに強調してしまいがちです。そういう先輩のもとでは、若者たちも、「オレは授業研究ができないからなあ…」とか「私は生徒指導が苦手だからなあ…」などという劣等感に陥ってしまいます。生き生きと仕事をすることができません。実はこれがいけないのです。

自分と似たタイプの若者には「お前を見ていると自分の若い頃を見ているようでヒヤヒヤするよ」なんて言いながら、また、自分と異なるタイプの若者には「オレはそういうの若い頃できなかったなあ。お前がうらやましいよ」なんて言いながら、どの若者も分け隔てなくメチャクチャに可愛がってあげるのです。日常の職員室の談笑の際に、さりげなくこんなことを言ってあげる。ときには若者たちを呑みに連れ出し、こんなふうに肯定してあげる。こうしたこそが、環境設定の基礎の基礎なのです。

もしかしたら、みなさんは、最近の若者が先輩からの呑み会の誘いを迷惑がるようになった、付き合いが悪くなったというひと昔前のマスコミの喧伝を信じ続けているかもしれません。しかし、実はそうした若者たちは既に30代になっています。現在の20代は人付き合いをとても大切にするようになってきています。もちろん全員がとは言いませんが、10年前と比べれば、みんなで飲みに行くこと、みんなで取り組むちょっとした行事など(BBQなどですね)を一緒に楽しめる世代になって来ています。むしろ、現在の40代の自分たちが若かったときの方が付き合いがよくなかったのではないかとさえ感じられるほどです。断られたら…と変に怖れることなく、思い切って誘ってみることをお勧めします。

さて、話をまとめます。自分の学級の子どもたちに対して、このタイプは可愛がるけどこのタイプは可愛がらないという人はいないはずです。社会人なんだから…と変に厳しい目をもたずに、若者たちを正面から可愛がってみてください。現在の若者たちはすくすくと育っていきます。

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得意分野で貢献する

人には得手不得手があります。周りに合わせながら一つ一つ確実に取り組んでいくことを得意とする人もいれば、自分に自信をもって新しいことに挑戦していくことを得意としている人もいます。子どもが好きで子どもを包み込むように慈しむことを得意とする人もいれば、子どもを突き放し子どもに葛藤させながら成長させていくことを得意としている人もいます。こうしたキャラクターの違いに、それぞれの教育観の違いも加わって、教師といえども千差万別というのが実態です。

当然のことながら、低学年を得意とする教師もいれば高学年を得意とする教師もいる、授業研究を得意とする教師もいれば特別活動を得意とする教師もいる、そういう違いも生まれてきます。こうした違いは経験年数が10年に近づいた頃、ただがむしゃらにやっていた時期を過ぎて、30代になるかならないかというあたりで顕在化してくるものです。自分の向き不向き、自分の得手不得手といったものに自覚的になってくるのもこの時期です。

そうした時期に、「自分はこれが苦手だからダメだなあ…」と自己評価する人と、「自分はこれが得意だからこれを活かそう」と自己評価する人との間には、教師として決定的な差異が生まれます。いえ、教師としてだけではなく、社会人として、人として決定的な差異が生まれると言っても過言ではないでしょう。いつだって、だれだって、後ろ向きの人よりも前向きな人を好むものです。上司は前向きな人に仕事を頼みます。同僚も前向きな人に相談をもちかけます。子どもたちだって後ろ向きの教師よりも前向きな教師が好きに決まっているではありませんか。

よけいな仕事を抱えたくないから、上司に仕事を頼まれるのも同僚の相談に乗るのもごめんだ……などと考えてはいけません。教師としての成長は自分がしたことのない仕事に挑戦したとき、自分が考えたこともないことを考えてみたときに、著しい成長を遂げるものです。上司に頼まれる仕事を断ったり同僚からの相談を面倒に思ったりする教師は、実は知らず知らずのうちに自らの成長の機会を失ってしまっているのです。もちろん、自分のキャパシティを大きく超える仕事や相談を引き受けて自分が危うくなってしまってはいけませんが、自分が自分の限界だと感じる一線よりちょっとだけ大きな仕事をしてみる……この心構えが人を成長させるのです。

さて、人間が明るく、前向きに取り組めるのは、何と言っても自分が好きなこと、得意なことをやっているときです。しかもそれが、自分自身のためだけでなく、子どもにはもちろん、同僚の先生方など周りの人たちにも貢献していると実感されるときです。人は社会的な生き物ですから、自己満足だけでなく、それが周りからも評価され感謝されたとき、最もモチベーションが高まるものです。

①得意分野については多少のオーバーワークは厭わない、②得意分野については頼まれたら断らない、30代はこの二つを肝に銘ずる必要があります。

30代はそれなりに仕事も見えてくるとともに、さまざまな学校事情も見えてくる時期です。その意味で、校内人事でも「なんでオレが…」とか「あの人に頼めばいいのに…」とかと思うことも少なくないはずです。

でも、その仕事の依頼が自分のところに来るのにはそれなりの理由があることなのです。管理職だって他に頼むところがないからこそ、あなたに頼んでいるのです。それだけ評価され、期待されているということの裏返しでもあるのです。ましてその仕事が初めての仕事であったならば、それは自分にとっても大きな成長の機会です。数年後の自分はおそらく、「あのとき断らなくて良かったな…」と思うはずです。いえ、そうしなくてはならないのです。そういう心持ちの連続が教師を、人間を成長させるのですから。

得意分野で徹底的に職場に貢献する。この姿勢を堅持していれば、実は不得意分野においては周りが助けてくれるようになっていきます。不得意分野においてだれかに相談したいと思えば、親身になって相談に乗ってくれる人が現れます。不得意分野でつまずくことがあれば、手を差し伸べてくれたり丁寧に教えてくれたりという人が現れるものです。得意分野で前向きに仕事をすることは、実は不得意分野の克服にも生きていくのです。

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できるだけ多くの学年を経験する

できるだけ早く自分なりの「全体像」をもつに、20代のうちにすべての学年を一度は経験する。これが理想です。

とは言っても、中学校教師には簡単なことなのですが、小学校教師にはかなり難しいことです。中学校なら20代のうちに卒業生を二度は出す、小学校なら低・中・高学年をできるだけバランスよくもたせてもらう。現実的にはそういうことになるでしょうか。それでも学校事情でなかなかそうはいかない……というのが現実かもしれません。

問題なのは、小学校で高学年を専門のようにもつ教師が低学年を専門のようにもっている先生を楽をしていると感じていたり、中学校で2・3年生ばかり担任している教師が1年生の指導の大切さをよく理解していなかったりということが、学校現場で多く見られる点にあります。小学校であろうと中学校であろうと、入学当初の指導の大切さをよく理解しないままに仕事をしているのでは、「全体像」の把握からはほど遠いと言わなくてはなりません。

小学校であっても中学校であっても、既に学校の体制に慣れている子どもたちには、教師による多少の違いになら合わせられるという「対応力」があるものです。1年生にはそれがありません。子どもだけでなく、保護者にもありません。小1ギャップ、中1ギャップは言うに及ばず、保護者からのクレームが最も多いのも他ならぬ1年生なのです。

かつて1年生の指導は「入門期の指導」と呼ばれ、特別な実践理論がたくさん提案されていました。最近は発達障害を主とした特別支援教育、やんちゃ対応、高学年女子の指導など、青年前期の子どもたちを想定した提案ばかりがクローズアップされる傾向があるようです。しかし、高学年の指導はあくまで低学年からの経緯のうえに成り立つのであり、中学3年生の指導はあくまで中学1年生の指導の在り方と連続しているのです。この視点をもたずして「全体像」の把握はあり得ません。

早めにすべての学年を経験することの一番の意義は、「発達」と「成長」の違いを実感することができるようになることです。

小学校であろうと中学校であろうと、教師は常に著しい生長を遂げる子どもたちと接しています。担任をしているたった1年間でも、心も躰も頭のなかも、著しく変化します。「全体像」をもたない教師は、それらの変化をすべて自分の教育の成果だと勘違いします。しかし、その多くは教育の成果としての「成長」などではなく、放っておいても時期が来ればそのように変化していく「発達」なのだということが決して少なくないのです。

このことを理解していない教師は、変に自分自身を過信し、結果的に長い目で見ると自分の教師生活にマイナスになってしまうような教育観を抱いてしまうことが少なくありません。その教育観は30代になっても40代になっても自分の教育観を基礎づけ、なかなかそこから脱することができません。しかも、自分自身ではその教育観のマイナス面に気づくことができないわけですから、状況は深刻です。自分が自信をもてばもつほど、他人からの指摘に聞く耳をもたないなんてことにもなりがちです。自信をもって仕事をしている教師、さまざまな成果を上げて職員室でも頼りにされている教師に、こうした落とし穴に陥る人が少なくありません。教師としてのキャリアを順調にアップさせていくその裏で、意外にも子どもたちに切ない思いをさせている……そんな教師を私はたくさん見てきました。

何がその発達段階相応の「発達」であるのか、何がその教師独自の働きかけによる成果としての「成長」であるのか、それを見極められない教師には自分の仕事の評価などできないのです。できるだけ早い時期にすべての学年を経験することは、この視座をもつことにつながります。しかも実感的に捉えることに繋がります。

だれもが子どもたちにとって価値ある教師になろうと思って、日々の仕事に勤しみます。だれもが子どもたちにとってよかれと思って、日々の仕事に取り組みます。しかし、教師も人間。自分のやったことの成果を過大評価しがちです。発達段階にふさわしい教育方法があることを忘れてしまいます。「全体像」の把握はそれを避けるための視座をねたらすのです。

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上からも、下からも…

40代は、20代、30代と比べて自分の肩にのしかかる「責任」が違うのが特徴です。研究主任や教科主任、児童活動主任や生徒会指導主任といった、研究や子どもの活動を司る役職ではなく、学年主任や生徒指導主事、教務主任といった学年や学校を司る役職へと立場が移行していきます。子どもの活動や行事の取り組みについて最終決定をしたり、教育委員会に学校を代表して報告する文書をつくったり、他の教師にクレームが来れば一緒に家庭訪問をしたりと、自分の仕事だけでなく同僚の仕事にも責任をもちなくてはならなくなります。責任に押し潰されてしまう40代も決して少なくありません。

「責任」をもたねばならない立場になると、概して行政や管理職の指示の通りに動こうということになりがちです。力量がなかったり自信がなかったりといった人ほどその傾向に陥ります。上のお達しの通りに動いていれば、少なくとも自分の責任を深刻に問われるということを避けられるからです。自分の責任を回避することは楽でもあります。その結果、小さなことまで管理職に報告して指示を仰ぐという仕事の仕方になります。

しかし、自分のもとで働いている若手・中堅の立場から自分の仕事を見直してみることが必要です。どんな小さなことでも、「ちょっと待って。上に報告して指示を仰ぐから。」という人のもとで、「さあ、がんばろう」と思えるものでしょうか。自分が若かったときだって、そういう学年主任や教務主任を「頼りない」とか「保身だ」とか「指示待ち族だ」とかと感じた経験は少なからずあったのではないでしょうか。そして「主任クラスがこんな感じでは若手は育たない。」などと、同世代の同僚と呑みながら愚痴をこぼしていたのではなかったでしょうか。いつのまにか、自分が批判していたベテランと同じことをしている……そんな状態に陥ってはいないでしょうか。

もちろん、主任クラスは行政や管理職の考えていること、即ち「上からの要求」に応えることが何より大切です。何しろ学校経営に参画し、学校の基盤づくりの責任の一端を担っているわけですから、自分のわがままを通して学校の基盤を揺るがすわけにはいきません。しかし、自分が「上からの要求」を下に伝えるだけの伝書鳩になっていたり、自らの保身(自分が失敗しないこと)のために若手・中堅に無理な仕事の仕方を強制したり、若手・中堅のアイディアを取り上げなかったりしていたのでは、早晩、自分自身の仕事が立ち行かなくなっていきます。人間関係がギスギスし、同僚の信頼を失い、結果的に仕事がまわらなくなって管理職の信頼をも失ってしまう、ということになりかねません。「下からの要求」は「上からの要求」と同じくらい大切なものなのだと考えることが必要です。

私は主任クラスの仕事を、「上からの要求と下からの要求を調整すること」だと捉えています。若手・中堅の同僚たちが気持ちよく働ける環境を整えながらも、行政や管理職の求めていることを実現していく、そのためのアイディアを出し、実行していく、そういう仕事です。「責任」とはそもそもそういうことなのではないでしょうか。

「上からの要求」ばかり優先すると、自分のもとで働く同僚たちのやり甲斐を奪ってしまいます。それは職員室を沈滞させ、数ヶ月後の停滞を招きます。また、「下から要求」ばかりを優先して管理職の対峙すると、管理職が行政とあなたとの板挟みに遭い、管理職の先生方にあなたには想像できないような苦労をさせてしまうことになります。それは、場合によっては、学校が教育委員会からにらまれることを意味し、長い目で見ると、結局、学校のためにはなりません。

「上からの要求」を理解するとともに下にもそれをわかりやすく伝える。と同時に、「下からの要求」をよく理解したうえで、その現実を上に伝えるとともに対策を提案する。それが40代の仕事の在り方なのです。

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得意分野をもつ

30代は教師としてバリバリの年代です。学級担任として自分なりの手法が安定期を迎え、職員室でも大きな仕事を次々に任されるようになります。教科主任や研究主任、児童活動や生徒会活動の仕切りを任されることが増えていきます。中学校なら、学年の生徒指導を任されたり、部活動で次々に成果を上げていく時期でもあります。さまざまなことに自信をもって取り組むことができる、それが30代です。

逆に、うまくいかないことがあると、これまでの自分を、これまでの教員人生を否定したくなるほどに落ち込んでしまう、そういう危険性があるのも30代です。なかには一度の失敗で「辞めてしまおうか…」なんて考えてしまうことも少なくありません。10年以上の経験年数を経て、年度末にこれがあと二十数年続くのか……、自分はそれに耐えられるだろうか……、なんて考えてしまうのもこの年代の特徴かもしれません。

30代には、自信をもって順調に仕事をしていく人と、自信を失ってちょっとだけ後ろ向きに仕事をするようになる人との分岐点があるようです。

前者の30代は自分の仕事を次々にこなしていきます。こなすというよりも、すべてにプラスαを求めて、次々に改善・改革していこうと職員室に提案していきます。まだ体力も充分にありますから、時間も労力も惜しまずにどんどん仕事に向かっていきます。依頼された仕事はすべて断りません。

ただし、こういうタイプの人は自分なりの正しさ、自分なりの正義で走りすぎ、周りに迷惑をかけていることに気づかないことも少なくありません。自分より年上の40代、50代に迷惑をかけるならまだ良いのですが、自分よりも年下の20代の若者たちが、自分の存在によって間接的に苦しんでいることに気づかないということがよくあります。例えば、隣の学級に30代のバリバリがいることによって、そういうふうにできない20代教師が子どもや保護者から「うちの担任は頼りない」と思われてしまうような場合ですね。

30代はまだまだ若いつもりでいるものですが、自分の下に10年にわたる世代がいることを決して忘れてはなりません。こういう場合、30代はこの若手たちに自分の手法を教え、自分の教育観を語って聞かせることまでを自分の役割なのだと心得た方が良いでしょう。

また、こうしたバリバリ型30代は、自分が何でもできるような気になっているものです。すべて自分の考え方、自分のやり方が正しいように錯覚してしまいがちです。しかし、世の中にそんなスーパーマンは存在しません。自分は何を得意とし何を不得意としているのか、自分に見えていないことは何か、常にそう自分に問いかける、そんな謙虚さが必要です。こうした謙虚さをもつ者だけが「責任」と「フォロー」がのしかかる40代へとスムーズに移行していくことができるのです。得意分野についてはどんどん提案していく、不得意分野については謙虚に学ぶ姿勢を堅持する、それがよりよい30代の在り方と言えるでしょう。

自信を失いつつある後者の30代にも同じことが言えます。自信を失ってしまうのは、たった一度や二度の失敗を大きく捉えすぎてしまうからです。その一度や二度の失敗は多くの場合、自分の不得意分野での失敗です。その経験が自分の不得意分野に対する必要以上の劣等感を生じさせます。前向きに仕事をすることに怖じ気を抱かせてしまうのです。

しかし、すべてができる人間などこの世の中にはいないのです。ことさら自分の不得意分野を意識して自分はダメだと思うのではなく、自分の得意分野に前向きに取り組んでいくことによって職員室に貢献し、子どもたちを育てていく、それでいいではありませんか。また、自分の失敗談を若者に語って聞かせること、その失敗をどう乗り越えたかを若者に語って聞かせること、それが若者たちにとって無益であるはずがありません。

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全体像の把握に近づく

何事も全体像を把握している人間のやることと、全体像を把握していない人間のやることとの間には大きな差があるものです。

一度も卒業生を出していない中学校教師は半人前と見なされますし、一度も1年生を担任したことのない小学校教師も半人前と見なされます。教務・研究系の仕事ばかりを好んで生徒指導ができなす教師は職員室で相手にされませんし、生徒指導一筋と公言する教師が陥りがちな、教務の仕事を知らない、緻密さのない発言は説得力をもちません。

その意味で、20代の教師がまず意識的に行うべきことは、若いうちにできるだけ多くの学年、できるだけ多くの校務分掌を経験することです。20代の一番の目標をひと言というなら、「できるだけ多くの経験をして全体像の把握に近づく」ということになるでしょう。

もちろん、「全体像」というものは、経験を重ねたからと言って把握できるものではありません。40代、50代になったから全体像を把握できるというものでもありません。すべての学年、すべての分掌を経験したからと言って全体像を把握できるとも限りません。おそらく多くの管理職だって、全体像を把握しているとは言い難い……というのが正直なところでしょう。むしろ、ベテラン教師が100人いれば、100通りの「全体像」があるというのが偽らざる真実かもしれません。

しかし、この世界では、「自分の全体像を知る者は他人の全体像を知る」ということが間違いなく言えるのです。自分なりの全体像をもたない者は他人の全体像を理解することができません。職員会議での意見の違いや、生徒指導上の方針の違いがあって意見交換をするとき、ベテラン教師同士が大きな軋轢を生じさせることなく、互いを尊重し合いながら大きな方向性を出していけるのは、お互いの譲れるところ・譲れないところをお互いに把握し合うことができるからなのです。言い換えるなら、お互いがお互いの全体像を探り合って、お互いの譲れないところを尊重しながらも子どもたちが不利益を被らないように現実的な方向性を産み出しているわけです。

昨今、職員室が組織で動くとか、職員室がチームで動くとかいうことが声高に叫ばれていますが、それは決して校長や学年主任のトップダウンで動くということを意味しません。各々の抱く全体像、即ち各々の「世界観」を摺り合わせて、みんなが気持ち良く仕事ができる、それでいて子どもたちの成長に効果をもつ、そうした教育活動を模索していく、みんなでそうした共通感覚をもって仕事をしましょう……そう言っているのです。

また、「全体像」を知ることは、あり得べき失敗がどのような経緯によって起こり得るかについて予測できることをも意味します。若いときには、子どもたちのためにと、或いは自分のやりたいことを実現するためにと、それが与える悪影響を過小評価して走り続けてしまう、ということがあるものです。みなさんは管理職やベテラン教師に、「それはダメだ」「こういう危険性がある」とストップをかけられて憤慨した経験がないでしょうか。そんなとき、管理職やベテラン教師は自らの保身のためにそんなことを言っているのではないか、そんなふう感じてしまうものです。もちろん、そうした要素が皆無とは言いません。しかし、管理職やベテラン教師のそうした物言いは、「全体像」を把握しているからこその物言いなのです。

仕事というものはすべてが繋がっています。Aくんにある指導をすればAくんの保護者はどう感じるか、Aくんと仲のいいBくんやBくんの保護者はどう感じるか、その指導が行われることによって学校の方針と矛盾を来さないか、その矛盾が隣の学級や他の学年に悪影響を及ぼさないか、管理職やベテラン教師はそうしたことを検討しているわけです。その意味で、20代はこうした判断力をもつための準備期間だと言えるでしょう。

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世の中の国語学力

「事実と意見」の読み分けは、「中心と付加」の読み分けと並んで、説明的文章教材の重要な指導事項である。谷田貝光克「森林と健康」(教育出版・小五)の第二段落を例に考えてみよう。ただし、一文ずつ改行を加え、文番号をつけた。

① 森林の中は、しいんと静まり返り、都会のそうぞうしさがうそのようです。
② 耳をすますと、かすかな葉ずれの音がここちよくひびき、時おり、かん高く鳴く小鳥のさえずりが、静けさの中に余いんを残して消えていきます。
③ 森林の木立が強い風を防ぎ、外からのそう音を無数の木の葉が受け止めてやわらげるので、森林の中は静かなのです。
④ この静けさとおだやかな緑が、わたしたちに、安らぎと落ち着きをあたえてくれるのです。

これらの文を「事実の文」と「意見の文」に分けてみる。一般に②③が「事実の文」、④が「意見の文」ということには異論がないと思う。問題は①だ。果たして①は「事実の文」なのか、「意見の文」なのか。一見、前半が「事実」に見え、後半が「意見」に見えるからややこしい。しかし、是君判部分と後半部分とでは、どちらが筆者にとって重要な表明なのかということを考えれば、実はそれほど難しくない。この一文はあくまで「森林の中がしいんと静まり返っている」ということを言うための文である。後半は読者の共感を導き出そうとする情意表現に過ぎない。事実、この文を「森林の中は、都会のそうぞうしさがうそのようにしいんと静まり返っています」と書き換えても何の違和感もない。この戸惑いは「都会のそうぞうしさがうそのようです」という筆者の感受が後半に来てしまい、文構成が一般的に中心が結末に来るものだという思い込みもあるため、筆者の感受がこの文の「中心」であるかのように錯覚してしまうことから生じる。

さて、理屈をつければこういうことになるのだが、この文のなかに筆者の感受が入っていることは確かである。つまり、この①の文はこの段落では「事実の文」として位置づけられているけれど、この文が「純然たる事実の文」か問われれば決してそうではない。実は世の中に「純然たる事実の文」とか「純然たる意見の文」などというものはないのだ。ためしに②や③をもう一度読み返してみると良い。最初読んだときには「事実の文」だと疑わなかったもののなかに、どれだけ筆者の意見が紛れ込んでいるかに気づくはずだ。

また、④は一見、「純然たる意見の文」のも見えるけれど、これがもしも説明的文章の冒頭で、

⑤ 森林の静けさとおだやかな緑は、わたしたちに、安らぎと落ち着きをあたえてくれます。

⑥ では、なぜ、森林の静けさと緑にわたしたちは安らぎ、落ち着くのでしょうか。

と書かれていれば、⑤は④とほぼ同じ内容であるにもかかわらず、「事実の文」と捉えなくてはならなくなる。「事実と意見」の読み分け、「中心と付加」の読み分けといった重要な指導事項でさえ、実はこうした相対的なものなのである。

言葉のディテールにこだわれる者ほど国語学力が高い─僕は前にこう述べた。そしてそうした国語学力の低下が子どもたちや若者たちだけでなく、教師のなかにも起こっているのではないかと指摘した。おそらく、人々が言葉のディテールにこだわることなく、有意味な自立語のみに囚われるのも、付属語の機微に意識が向かなくなっているのも、この世の中が「大文字の意味」「大文字の情報」とでもいうべきものにかすめ取られ、人々を言葉の一回性や具体性、場の共有によってこそ生まれる親和性といったものに無頓着なままにいさせてしまうからなのだと僕は感じている。国語科の授業はこの現状に対抗すべき筆頭なのではないか。僕は最近、そんなふうに感じている。

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教師の国語学力

宮澤賢治の「オツベルと象」(教育出版中一)は次のように書き出されている。

……ある牛飼いが物語る。

第一日曜

オツベルときたらたいしたもんだ。稲こき機械の六台もすえつけて、のんのんのんのんのんのんと、おおそろしない音をたててやっている。

十六人の百姓どもが、顔をまるっきり真っ赤にして足で踏んで機械を回し、小山のように積  まれた稲をかたっぱしからこいていく。わらはどんどん後ろの方へ投げられて、また新しい山になる。そこらは、もみやわらから立った細かなちりで、変にぼうっと黄色になり、まるで砂漠のけむりのようだ。

ディテールにこだわらない者は、「ああ、牛飼いが語ったのだな」「オツベルってたいしたもんなんだな」「稲こき機械が六台あるのだな」「十六人の百姓が働いているのだな」といった情報読解に終始して、この文章を読んだ気になる。事実、多くの国語教室がそうしたことを読み取って事足れりとしている実態がある。「ああ、牛飼いが語ったのだな」という認識以外は、すべて牛飼いの発話内容の現象だけに目が行ってしまうのだ。実は、これもまた有意味な自立語ばかりに目が行き、付属語による発話者の主体性・人間性というものに無頓着なままに読み取ることを意味している。  例えば、「オツベルときたらたいしたもんだ」と評価しているのは「牛飼い」であるということをちゃんと考えない。この一文に「オツベル」を評価しているのはあくまで「牛飼い」だけであって、「オツベル」が他の者の評価を受けていない可能性について読み落とす。「オツベルときたら」の「きたら」、「たいしたもんだ」の「もんだ」に「牛飼い」が皮肉でこの評価を表出している可能性が示唆されていることを読み落とす。

例えば、「稲こき機械の六台も」の「も」に、この文に稲こき機械六台あることが「多い」という認識が表出されていることを読み落とす。しかもそれを「多い」と感じているのが他ならぬ「牛飼い」であるという事実を読み落とす。「すえつけて」や「音をたててやっている」といった動詞から、「牛飼い」が「オツベル」に寄り添って視点を位置づけていることを読み落とす。「のんのんのんのんのんのん」という特殊なオノマトペに「おもしろいね」とは感じても、この特殊なオノマトペを用いているのが「牛飼い」であるということに気がつかない。「おおそろしない」などという特殊な形容詞を使っているのも他ならぬ「牛飼い」であるという認識に立てない。これにの叙述のディテールに「牛飼い」の主体性や人間性があふれるほどに表出されていることにまったく気づくことなく、ただ語られている現象のみを読み取って読解した気になっている。この一文で起こっていることは、「稲こき機械六台が大きな音を立てて動いている」ということだけであり、その他の大袈裟でありながら豊かな印象は、すべてが「牛飼い」による装飾であることということを意識できない。

次の段落も同様に様々なことが読み取れる。「百姓ども」と「百姓」を蔑視しているのも「牛飼い」である、「まるっきり」「かたっぱしから」という認識を百姓たちの労働にもっているのも「牛飼い」に他ならない、などなど、この文章の情報を様々に立体的に読み取ることができるはずなのだ。「ディテールにこだわれる」ということはこういうことだ。「ディテールにこだわって読み取れる」とはこういうことなのだ。国語学力が高いということはこういうことなのである。

もちろん、子どもたちが即座にこんな読み取りなどできるはずがない。こんなふうにディテールにこだわって読み取れるようにならなければならないのはまず教師である。前節で紹介した若者の学力低下を指摘し、時代の変容を嘆くのは易しい。しかし、その裏には、この若者に千数百時間にわたって国語の指導をした教師がいることを僕らは忘れてはいけない。この若者に対して、ディテールにこだわるという言語感覚、言語的情緒を体感させない膨大な国語の授業があったことから目をそらしてはいけない。若者の国語学力低下の裏に、教師の国語学力低下があるのではないかとの謙虚な視座をもたなくてはならない。自戒を込めて僕はそう感じている。そもそも、ら抜き言葉の反乱や鼻濁音の乱れ、尊敬と謙譲の使い分けができないなど、ディテールにこだわらない言表が職員室で散見されるではないか。職員会議では間違った表現、おかしな表現、気になる表現が目白押しである。それはコンビニの若者と多少次元は違えども五十歩百歩の範疇ではないのか。

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若者の国語学力

一年ほど前のことである。家の近くのコンビニに買い物に行った。レンジで温めることによって少しだけ解凍され、ちょう良い飲み頃になるというフローズン系の商品を買った。冷凍庫からその商品を出してレジへ持って行くと、アルバイトの若者がバーコードに機械をかざす。週に二度はこの店に通っているけれど、初めて見る顔だ。おそらく新人アルバイトなのだろう。ピーッと音が鳴って値段が表示される。

若者が上目遣いに僕に言った。

「これ、あたためちゃいますか?」

……

目が点になった。この青年はわざとこんな言葉遣いをして、僕との人間関係の距離を縮めようとの意図をもっているのだろうか。いやいや、いくら家が近くてよく来る客だと言っても、店員が言葉遣いによって人間関係の距離を縮めようというのはナンセンスな話だ。だいたいこの若者は僕が常連客であることなど知らないはずではないか。まさか、この若者はこの言葉遣いのおかしさ(というより異常さ)を理解できないのだろうか。だとしたら、コンビニでレジ打ちなんてしてはいけない。このアルバイトをする資格がない。瞬時にそう思いながら、僕はこの若者に煙草を求めた。

「百四十六番を二つ……」

煙草の銘柄が多すぎるせいか、最近のコンビニでは煙草をレジの奥に番号表示をつけて並べている。僕も煙草を買うときには番号で言うようになった。

「はい。百四十六番をお二つですね。」

なんだ。まともじゃないか。さっきのはたまたまだったんだ。僕は胸をなで下ろした。そうだよな。客に対してあんな言葉遣いをする人間がサービス業で人前に立つわけがない。

しかし、彼は僕にまたしても同じ言葉遣いで語りかけてきたのだった。

「年齢確認ボタン、押しちゃってもらえますか?」

その瞬間、状況に対する解釈が僕の脳の中にできあがる前に、僕の口が動いてしまっていた。

「馬鹿か、お前!」

言葉のディテールにこだわれる者ほど国語学力が高い──こう言い切って良いと思っている。

これ以外のことをあれこれ言えば言うほど、国語学力論は些末な例外にかすめ取られ、ああでもないこうでもないと右往左往せざるを得ない。そう感じている。 

僕がこの若者に「馬鹿か」と投げ掛けてしまったのは、間違いなく、この若者の国語学力が著しく低いと感じられたからである。だからこそ、「馬鹿」という言葉が思わず口をついてしまったのだ。この若者は自らの言葉に対して「ディテール」の「ディ」の字も意識しないままに発してしまっている。言葉が意味だけになってしまっている。おそらく彼は、名詞・連体詞・副詞・接続詞・感動詞と動詞・形容詞・形容動詞といった有意味な言葉しか意識せずに言葉を発している。それらの自立語を包み込み、発話する者の主体性や人間性を怖ろしいほどに表出してしまう助詞や助動詞に無頓着なままに言葉を使っている。言葉のディテールにこだわるという感覚自体がない。怖ろしいほど著しい言語的情緒の欠如……。要するに僕はそう感じたのである。

ちなみに、この若者の名誉のために付記しておくと、彼はいまなお我が家の近くのコンビニで働いている。あれから一年以上が経って、おかしな言葉遣いも一切なくなっている。ただ、僕が行くと、いまだになんとなく気まずそうに目をそらそうとするけれど……(笑)。

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教師力BRUSH-UPウィンターセミナー2015in札幌

教師力BRUSH-UPウィンターセミナー2015in札幌

http://kokucheese.com/event/index/235063/

講師:廣木道心・中納淳裕・森井与善・千葉孝司・堀裕嗣


冬のBRUSHは新しい荒れに対応する生徒指導だ!
困ってませんか?
支援を要する子。やんちゃな子。耐性のない子。
そんないまどきの子どもたち…。
実は教師だけでなく、子ども自身も保護者も困ってます!
今回はさまざまな子どもたちの現状と、
教師のパフォーマンスについて考えます!


日時:2015年1月6日(火)・7日(水)
場所:札幌市産業振興センター(予定)
両日参加6000円/1日参加4000円/定員50名
主催:教師力BRUSH-UPセミナー/後援:北海道教育委員会


【プログラム/6日(火)】

09:15~09:45
オープニング・セッション/大野睦仁
09:45~10:15
共演!教師のパフォーマンス!
中納淳裕のパントマイム
森井与善のマジック
10:15~11:00
鼎談/堀裕嗣×中納淳裕×森井与善
「教師のパフォーマンスと生徒指導」
FG:藤原友和・鍛治紘史・太田充紀・米田真琴

11:15~12:30/選択講座1
選択講座A:森井与善
子どもを「あっ!」と言わせるMR.モリックの手品講座
選択講座B:中納淳裕
子どもを「あっ!」と言わせるパフォーマンス講座

12:30~13:30 昼食・休憩

13:30~14:15/選択講座2
選択講座C:高橋裕章・山口淳一
若い教師のためのやんちゃ対応BASIC
選択講座D:山寺潤・太田充紀
若い教師のための不登校対応BASIC

14:30~16:45
いじめ指導BASIC
徹底協議!いじめ指導の基礎基本
いじめ事例報告(15分×3/14:30~15:15)
事例報告1:西村 弦(小学校)
事例報告2:三浦将大(小学校)
事例報告3:山下 幸(中学校)
研究協議:司会/山寺 潤(15:30~16:45)
指定討論者:・堀裕嗣・千葉孝司・中納淳裕・廣木道心
FG:藤原友和・鍛治紘史・米田真琴・太田充紀


【プログラム/7日(水)】

09:15~11:15/講座
自閉傾向児・発達障害児のパニック!
こうすればおさまる~廣木流支援介助法
廣木道心(国際護道連盟宗家・介護士)
11:15~11:45
対談:廣木道心×堀裕嗣
「廣木流支援介助法と学校教育」

11:45~12:45 昼食・休憩

12:45~13:30/選択講座3
選択講座E:太田充紀・木下尊徳
若い教師のための保護者対応BASIC
選択講座F:大野睦仁・齋藤佳太
若い教師のためのいまどきの女子対応BASIC

13:45~15:00/選択講座4
選択講座G:堀 裕嗣
教師のためのやんちゃ対応ADVANCE
選択講座H:千葉孝司
教師のための不登校対応ADVANCE

15:15~16:45
Q&A型クロージングセッション/二日間の学びをメタ認知する
司会:大野睦仁/FG:藤原友和・米田真琴
指定討論者:廣木道心・中納淳裕・堀裕嗣・千葉孝司


【講師紹介】

千葉孝司(ちば・こうじ)
1970年,北海道生まれ。公立中学校教諭。十勝ライフスキル教育研究会代表。いじめ防止や不登校に関する講演,執筆などに取り組む。カナダ発のいじめ防止運動ピンクシャツデーの普及にも努めている。主な著書「不登校指導入門」(明治図書)/「いじめは絶対よるさない」(学事出版)など。

中納淳裕(なかのう・あつひろ)
1971年,北海道生まれ。公立中学校教師。元俳優でプロのパントマイマー。言葉も通じないサハリンに裸一貫で渡り、サハリンで一番有名な日本人になったという魅力的な経歴の持ち主。釧路の中学校では熱い指導で生徒と信頼関係を構築し、素敵な学級経営をされることで有名。

廣木道心(ひろき・どうしん)
1972年,兵庫県宝塚市生まれ。自他護身術「護道」宗家。「支援介助法」創始者。道場での武術指導と同時に、その技術の応用である介助法の指導を福祉施設にて行いながら、護道の指導を通して自他を思いやることのできる共存社会の実現に向けて活動を続けている。

堀 裕嗣(ほり・ひろつぐ)
1966年、北海道生まれ。公立中学校教諭。「研究集団ことのは」代表。原理原則に基づき、チーム力を活かした生徒指導を提唱。主な著書「生徒指導10の原理・100の原則」(学事出版)/「教師力ピラミッド」(明治図書)/「反語的教師論」(黎明書房)など多数。

森井与善(もりい・よぜん)
北海道生まれ。公立中学校教諭。札幌で公立中学校の社会科教諭を務める傍ら、現役のマジシャンとして各方面で活躍。学校ではマジックを機能的に活かしながら、誠実でユーモアあふれる教師として活躍を続けている。「授業づくりネットワーク」や「学級経営セミナー」など、多くの研究会登壇経験をもち、常に参加者を唸らせ続けている。


【お申し込み先】

大野睦仁(おおのむつひと) hugtheluv@gmail.com

1)お名前/勤務先/自宅住所/電話番号/参加態様/希望選択講座の6点をお書きのうえ、E-mailにてお申し込みください。
※ 参加態様は 両日参加 or 6日参加 or 7日参加 のいずれか

2)またはこくちーずでのお申し込みも受け付けております。

こくちーず  http://kokucheese.com/event/index/235063/

3)参加費は当日、受付にて申し受けます。

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〈世界観〉を広げる問い

「あの子と人間関係を結ぶためのなにか良い方法はないか」

この問いは言うまでもなく、教師である自分と「あの子」との人間関係が結ばれていないことを前提としている。日常的に反発されているのかもしれないし、表立って反発しないまでも無視を決め込み、ほとんどかかわってこないのかもしれない。そんな状況において、そもそも「なにか良い方法はないか」などと〈どのように〉を考えること自体がナンセンスである。考えるべきは自分のその子がなぜそうした関係になってしまっているのかという要因だろう。やはり、まず考えるべきは〈なぜ〉なのだ。

「子どもたちが夢中になって行事に取り組む、なにか手立てはないか」

この問いは、行事に対して子どもたちが夢中になって取り組むべきであるというテーゼが予め前提されている。ではなぜ、その行事に子どもたちは夢中にならなければならないのだろう。この教師にはこの〈問い〉がない。おそらく考えたこともないのだ。この行事はなぜあるのか。特別活動の目的を達成するためならば他のさまざまな行事もあり得るだろうに、この学校はなぜその行事を選択しているのか。おそらくこの教師はこうしたことも考えたことがない。

厳しく言うなら、この教師にはこの行事が見えていないのだ。その行事の意義を考えていないのだ。その意義もわかっていない教師が、子どもたちに一所懸命に行事に取り組ませようと考える手立てにどれほどの価値があるだろう。そんな手立てがどれほど機能し得るだろう。この教師は、行事指導に取り組むにあたって当然考えておくべきことをそうと意識せぬままにサボタージュしているのではないか。私にはそう見えてしまう。

〈なぜ〉とさえ考えれば人間関係の質に目が向くのである。〈なぜ〉とさえ考えれば行事の意義にも位置づけにも考えが及ぶのである。それは、繰り返しになるが、〈なぜ〉という問いに潜在しているものを顕在化させる機能があるからだ。

〈どのように〉と問う前に〈なぜ〉を問うべきなのである。〈なぜ〉を問い、仮説を立ててこそ、初めて〈なにを〉〈どのように〉と考える資格を得られるのである。〈なぜ〉を問わぬままにいきなり〈どのように〉を問うことは、深い霧のなか、進路には断崖があるかもしれぬのに、ただ取り敢えず進もうとする態度に等しいのだ。前に進みたいのなら、一歩を踏み出したいのなら、まずは視界を鮮明にすることに心血を注ぐべきではないのか。  〈どのように〉と考えがちなところをちょっと立ち止まる。〈なぜ〉かと自分に問いかけてみる。その癖をつけるだけで視野は大きく広がるのだ。

〈HOW〉から〈WHY〉への転換──それはあなたの〈世界観〉を広げるのである。

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潜在を顕在化する問い

「どうすればあの子は漢字が書けるようになるのか」と教師は問う。でも、どんな子にも効果覿面の漢字指導法など、世の中にあるのだろうか。Aくんが漢字を覚えられない理由とBさんが漢字を覚えられない理由は果たして同じなのだろうか。

「どんな授業をすれば子どもたちは真剣に授業に向き合ってくれるのか」と教師は問う。でもどんな子も真剣に向き合うような授業方法など世の中にあるのだろうか。そんな授業方法があるとしたら、それは教育ではなく洗脳なのではないか。

「どうしたらあの子が立ち歩かないようになるのか」と教師は問う。でも、その子の立ち歩きという行為は、あの子の立ち歩きという行為と同じなのだろうか。日本中の授業中に立ち歩く子どもたちは同じ理由で立ち歩いているのだろうか。だとすれば立ち歩きに対する一般的指導法というものもあるかもしれない。しかし、あの子と立ち歩きとこの子の立ち歩きは背景が違う。同じ理由でも立ちある子もいれば机に伏してしまう子もいる。そういうことが教室の現実にはたくさんあるのではないか。

もうおわかりだろう。これらの〈問い〉も〈なぜ〉と問うべきなのだ。なぜあの子は漢字が書けないのか、なぜあの子は真剣に授業に向き合わないのか、なぜあの子は立ち歩くのか、こう問うべきなのだ。〈HOW〉の問いを〈WHY〉の問いに変えるだけで、教師の視線はその子の〈背景〉へと向かっていく。その行動の背景をあれこれと想像してみる。予測しては何らかの方法を試してみる。ときには本人に尋ね、ときには保護者とも相談し、そういう具体的な動きが始められる。〈なぜ〉と問うことが、具体的な〈どのように〉を導き出す。思考の順番はこうあるべきなのではないだろうか。

背景が大切だ。その子個人の特性を知ることが大事なのだ。耳にたこができるほどそう聞かされるけれど、実際は「どうすればいいか」を考えてしまう。「どのように背景を知ればいいのだろう」などと、笑えない思考法さえ取ってしまう。そんな落とし穴に多くの教師が嵌まり込んでいる。しかし、〈なぜ〉と問いを変えるだけで教師の視座は、無理なく、自然に〈背景〉へと向かっていく。〈WHY〉という問いは、ことさら「子ども理解を」と意識せずとも、教師を「子ども理解」の日常的営みへと誘(いざな)ってくれるのである。

そろそろ、〈なぜ〉という問いの構造にお気づきだろうか。〈なにを〉〈どのように〉はどちらもモノや行為の在り方など、「見えるもの」を対象とした問いである。しかし、〈なぜ〉という問いは意識しないと見過ごしてしまうもの、考えてみないとやり過ごせるもの、心の奥に潜在していたり視野の外で死角となっていたりするもの、そうした「見えないもの」を対象とした問いなのである。潜在化しているものを顕在化させるための第一歩─それこそが〈なぜ〉という問いの偉大なる機能なのだ。

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〈WHY〉の問い

さて、私は冒頭に、教師が日常的に〈HOW〉の問い、つまり〈どのように〉という問いばかりに囚われていると指摘した。しかもその〈問いの構造〉を悪しきものだと断罪した。

さじ加減が自分の掌中にあるというのに、多くの教師は〈どのように〉という問いしか自らに向けない。これが教師にとっての大問題なのだ。私はそう捉えている。

いや、実はこの悪しき構造に陥っているのは、なにも教師ばかりじゃない。政治家は〈どのように〉ばかりを追いかけてビジョン(=なぜ、なにを)を語らないし、ドラマでは悩む主人公が「もうどうしていいかわからない!」と叫ぶ。一億総〈HOW〉病……。それが日本人の実態とも言える。

〈どのように〉をいくら問うても、現状は打開できない。〈どのように〉は〈なにを〉とセットで問われるべき疑問詞に過ぎないからだ。〈なにを〉が決まらないところに〈どのように〉はあり得ない。〈なにをどのように〉と問わなければ、具体策は永久に出てこない。だって〈やるべきこと〉が見えていないのに、〈方法〉なんて考えられるわけないじゃないか。

しかも、〈なにを〉を決めるためには、〈なぜ〉が明確でなければならない。〈なぜ〉のない〈なに〉のことを、一般に「思いつき」と言う。〈なに〉をすべきかを理由なく思いつきで決めていて、教育活動が機能するはずもない。〈なぜ〉と〈なに〉もまたセットで問われるべきものなのだ。こんな単純なことに、多くの教師が気づかない。あなたも胸に手を当てて考えてみよう。自分も〈HOW〉病に取り憑かれてはいまいかと……。

しかし、この病を治すことができないわけではない。ちょっと時間はかかるけれど、少し努力すればだれもが完治する。それは自分の思考法を〈HOW〉から〈WHY〉へと転換することである。「どのように」「どんなふうに」と考えがちなところを、「どうして」「なんで」と考え直してみるのである。そういう癖をつけるのである。

例えば、明日から新しい教材に入るとしよう。しかも教材研究をさぼっていて、授業計画が白紙だとしよう。あなたは困っている。ほんとうに困っている。でも、こんな状況は年に何十回とあるはずだ。ないとは言わせない(笑)。そんな計画的な教師は世の中にいない。そもそもそんなに計画的に生きていける人間などいるはずがない。だからそのこと自体を私は責めない。

でも、このときあなたが、もしも「この教材、どうやって授業しようか」と考えるならば、その態度を私は責める。そう考えてはいけないのだ。「この教材で何を指導しようか」と考えるべきなのだ。そしてできれば、「この教材はなぜ教科書に掲載されているのだろうか」と考えるべきなのだ。

「なぜ『ごんぎつね』が載っているのか」と考えれば、「ごんぎつね」特有の教材価値を考えることになるはずだ。それは音読とか心情の読み取りとか比喩とか指示語とかいう指導事項らしい指導事項を超えて、なにか自分なりの「ごんぎつね」観を形成するはずである。

「なぜ、通分が載っているのか」と考えれば、それは実生活上のどんな場面で使われているのか、通分ができないと社会生活を営むうえでどんな苦労が予想されるか、といった思考を形成するはずだ。「なぜ天気図が…」「なぜ信長が…」「なぜ色彩チャートが…」と考えれば、それらの指導事項が身についていることが、自分自身にとって社会生活を営むうえでどんなふうに役立っているのかという思考に向かうはずなのだ。

しかもそれは、とりもなおさず、教材を「自分のもの」にすることを意味する。「教科書に載ってるから教えなければならない」という発想でなく、「社会生活を営むうえで必要だから子どもたちにも絶対に身につけて欲しい」という願いとして、その教材が立ち現れてくるはずなのだ。「なぜ」と考えてみるだけで、こんなにも教材観が変容してしまうのである。

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〈HOW〉の問い

なにかトラブルが起こったとき、私たちはそれを解決しようとする。なにか喫緊の課題に焦ったとき、私たちはなんとかその状況を打開しようとする。そんなとき、私たち教師はいつもこう考える。

「この教材、どうやって授業しようか」
「どうすればあの子は漢字が書けるようになるのか」
「どんな授業をすれば子どもたちは真剣に授業に向き合ってくれるのか」
「どうしたらあの子が立ち歩かないようになるのか」
「あの子と人間関係を結ぶためのなにか良い方法はないか」
「子どもたちが夢中になって行事に取り組む、なにか手立てはないか」

いま、教師がトラブルや喫緊の課題に際して自らに問いかける〈問い〉を六つ例示した。どれもこれも、教師が日常的に発する問いだ。

しかし、このような〈問い〉に囚われているから、教師はトラブルを解決できないし、現状を打開できないのだと私は感じている。この六つの〈問い〉には悪しき〈構造〉がある。共通した悪しき〈問いの構造〉がある。

読者の皆さんはお気づきだろうか。

そう。これらの〈問い〉はすべて、〈HOW〉の問いなのだ。

もう一度、右の六つの〈問い〉を読み直して欲しい。「どうやって」「どうすれば」「どんな授業をすれば」「どうしたら」「なにか良い方法はないか」「なにか手立てはないか」。どれもこれも方法を問う〈HOW〉の問いであることに気づくはずである。

〈問い〉には原則として5W1Hの六種類がある。言うまでもないことだが、いつ、どこで、だれが、なぜ、なにを、どのように、の六つだ。

一般に学校で教育活動を行う場合、〈いつ〉〈どこで〉〈だれが〉は必然的に決まる。月曜日の一時間目に、教室で、教師が国語の授業をする、という具合に。或いは○月○日に、動物園で、子どもたちが自主研修を行う、という具合に。学校教育において〈いつ〉〈どこで〉〈だれが〉については担任の判断では変えようがないことが多い。この三つの問いの対象はむしろ、教育活動の条件であって、活動の意味・意義を規定し得ない。もちろん、日時や場所を変えたり、ゲストティーチャーを招くことによってより教育活動が充実したり教育活動に潤いが出たりということは考えられるが、それは今日や明日の教育活動について考えるときには問題化し得ない。そのレベルの変更を希望するなら、その変更が可能なのは数ヶ月前の職員会議であって、いまさら変える対象にはなり得ないのだ。そうした意味で、これらの問いは〈条件を規定する問い〉に過ぎない。

しかし、残りの三つは違う。〈なぜ〉〈なにを〉〈どのように〉は多くの場合、担当の教師に任される。全面的に任されないまでも、そのさじ加減はほぼ担当教師の手中にある。例えば「ごんぎつね」の授業をするとき、どのような学習活動を組むかとか、なにを中心的な指導事項として扱うかとか、なぜその指導事項を中心的に扱うのかとか、こういったことは担当教師によって異なるのが一般的だ。もちろん、説明責任や結果責任が叫ばれる昨今のことだから、できるだけ学年の先生方で統一しようとはするけれど、それでも学級集団の質の違いや教師の能力、キャラクターの違いが、どれだけ綿密に打ち合わせた授業をもまったく別ものにしてしまう。それが一般的であるはずだ。

学校行事への取り組みならばその差はもっと大きくなるはずだし、生徒指導や教育相談ならばその差はさらに大きくならざるを得ない。こうした差をもたらすものを、或いはこうした教育活動の成否の差をもたらすものを、私たちは日常的に「教師の力量の差」と呼んでいる。この事実こそ、具体的な活動のさじ加減が担当教師の手中にあるというなによりの証拠と言えまいか。

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