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全体像の把握に近づく

何事も全体像を把握している人間のやることと、全体像を把握していない人間のやることとの間には大きな差があるものです。

一度も卒業生を出していない中学校教師は半人前と見なされますし、一度も1年生を担任したことのない小学校教師も半人前と見なされます。教務・研究系の仕事ばかりを好んで生徒指導が苦手という教師は職員室で相手にされませんし、生徒指導一筋と公言する教師の、教務の仕事の苦労を知らない教師の言うことは説得力をもちません。

その意味で、20代の教師がまず意識的に行うべきことは、若いうちにできるだけ多くの学年、できるだけ多くの校務分掌を経験することです。20代の一番の目標をひと言というなら、「できるだけ多くの経験をして全体像の把握に近づいていく」ということになるでしょう。

もちろん、「全体像」というものは、経験を重ねたからと言って把握できるものではありません。40代、50代になったからと言って全体像を把握できるというものではありませんし、すべての学年、すべての分掌を経験したからと言って全体像を把握できるとは限りません。おそらく多くの管理職だって、全体像を把握しているとは言い難いというのが正直なところでしょう。むしろ、ベテラン教師が100人いれば、100通りの「全体像」があるというのが現実かもしれません。

しかし、この世界では、「自分の全体像を知る者は他人の全体像を知る」ということが間違いなく言えます。自分なりの全体像さえもたない者は他人の全体像を理解することができません。職員会議での意見の違いや、生徒指導上の方針の違いがあって意見交換をするとき、ベテラン教師同士が大きな軋轢を生じさせることなく、互いを尊重し合いながら大きな方向性を出していけるのは、お互いの譲れるところ・譲れないところをお互いに把握し合うことができるからなのです。言い換えるなら、お互いがお互いの全体像を探り合って、お互いの譲れないところを尊重しながらも子どもたちの不利益にならない現実的な方向性を産み出せるからなのです。

昨今、職員室が組織で動くとか、職員室がチームで動くとかいうことが声高に叫ばれていますが、それは決して校長や学年主任のトップダウンで動くということではなく、各々の抱く全体像、即ち各々の「世界観」を摺り合わせて、みんなが気持ち良く仕事ができる、それでいて子どもたちの成長に効果をもつ、そうした教育活動を模索していくという共通感覚をもって仕事をすることを言っているのです。

また、「全体像」を知ることは、あり得べき失敗がどのような経緯によって起こり得るかについて予測できることをも意味します。若いときは、子どもたちのためにと、或いは自分のやりたいことを実現するためにと、それが与える悪影響を過小評価して走ってしまう、ということになりがちです。

みなさんは管理職やベテラン教師に、「それはダメだ」「こういう危険性がある」とストップをかけられて憤慨した経験がないでしょうか。そんなとき、管理職やベテラン教師が自らの保身のためにそんなことを言っていると感じるものです。もちろん、私もそういう要素が皆無とは言いません。しかし、管理職やベテラン教師のそうした物言いは、「全体像」を把握しているからこその物言いなのです。

仕事というものはすべてが繋がっています。Aくんにある指導をすればAくんの保護者はどう感じるか、Aくんと仲のいいBくんやBくんの保護者はどう感じるか、その指導が行われることによって学校の方針と矛盾を来さないか、その矛盾が隣の学級や他の学年に悪影響を及ぼさないか、管理職やベテラン教師はそうしたことを検討しているわけです。

20代はこうした判断力をもつための準備期間だと言えます。

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