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自分の言語生活と見比べよ!

これまで数限りない国語の授業が行われてきました。毎日毎日、国語の授業のない日はないというほどに、国語の授業が全国津々浦々で行われてきました。回数だけはどの教科よりも多く行われてきました。就学時間の2割程度は国語の授業だったのです。

それなのに、なぜ、21世紀を迎えて十数年が経った現在においてさえ、国語科の指導事項の全体像が明らかにされていないのでしょうか。なぜ、国語科の授業では国語学力・言語能力が身につかなかったのでしょうか。なぜ、この国にはレポート1本書けない大学生で溢れているのでしょうか。なぜ、一度でテニヲハの間違いがない書類を作れる社会人が少ないのでしょうか。なぜ、教師でさえ、テラヲハを正しく使えない人が多いのでしょうか。

実はまっとうな文章をかける大人は、一次方程式を解くことのできる大人より少ないのではないでしょうか。このことに国語科の授業は、大きな責任をもっているのではないでしょうか。

ためしに、自分の国語学力がどこで身に付いたのかを旨に手を当てて考えてみましょう。その国語学力は国語の授業で身に付いてきたと実感できるでしょうか。自分で本を読んだり新聞を読んだり漫画を読んだりしたなかで身に付いてきたというのが実感ではないでしょうか。

では、みなさんが九九を言えるのはなぜでしょうか。一次方程式を難なく解けるのはなぜでしょうか。それは小学校2年生のときの担任の先生が「これだけは覚えろ」とさぼることを許さずに指導してくれ、中学1年生のときの数学の先生が解き方を丁寧に教えてくれたからではないでしょうか。少なくとも算数・数学の学力は、決して日常生活のなかで培われてものではないはずです。

なのに国語学力だけは国語の授業で身につけたような気がしないのはなぜなのでしょうか。中学校のときに習った「口語文法」はいまだによくわからないのではないでしょうか。説明文の授業であれだけ何度も何度も取り組んだはずの「要約」はいまだにその方法がわからなくて、学校の研究文書を作成するときに困っているのではないでしょうか。算数・数学と国語のこの違いは何なのでしょうか。

国語科の授業づくりを考えるうえで、最も大切なのは、教師がこのように自らの現在の言語生活の問題点を考えながら、子どもたちをそうでない大人にするためにはどんなことを指導する必要があるのかと考えることなのです。国語科の授業づくりは、その教師の言語生活を超えて立案されることはあり得ません。教師がどのくらい自分の言語生活を顧み省みているかが、ストレートに反映するのが国語科の授業づくりなのです。目の前の子どもたちにどんな力が足りないのかという評価の観点さえ、自分の言語生活と見比べることでしか生まれ得ないのです。

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