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学級経営力

学級経営にとって最も大切なのは「理」と「情」のバランスだと感じています。

私の言う「理」とは学級運営を機能させるためのシステムの確立を意味し、「情」とは学級づくりを機能させるための人間関係の醸成を意味しています。前者は「公平性」を旨としますし、後者は「心情的なつながり」を旨とします。私は前者を学級経営の〈縦糸〉と、後者を〈横糸〉と呼んでいます。

1.安定的なシステム

学級の運営には安定的なシステムが必要です。具体的に言うなら、「システム」とは学級組織・係活動・日直・給食・清掃・座席配置・席替え等のルールなどを指しています。これらについては、その決め方のルールに至るまで、原則として学級結成直後に学級担任の専権事項として即座に定めてしまうのが良いと考えています。

よく、子どもたちの話し合いによって時間をかけて決めていく実践を目にすることがあります。しかし、私は学級の子どもたちのだれもが納得するものができ上がることなど決してあり得ないと考えています。たとえ学級担任がそうした状態を達成できたと思ったとしても、そこには必ず「弱い子」や「おとなしい子」の小さな我慢が散在していると見たほうが良いのではないでしょうか。

ためしに職員室の運営が校長によるのではなく、すべて年度当初に職員室の話し合いで決めることを想定してみてください。学年や校務分掌といった校内人事はもちろん、細かな隙間仕事の分担、お茶くみやゴミ捨てに至るまで、すべて職員室を構成する職員の話し合いで決めることを想像してみるわけです。

読者の皆さんは、職員全員が心から納得するルールを決めることが可能だと思われるでしょうか。発言力のない職員の我慢によってなんとか決まっていく……そんな光景が目に浮かばないでしょうか。大人だってこうなのです。子どもたちにそんな不可能を強いるべきではない、私はそう思います。

安定的なシステムはメンバーの精神をも緩やかに安定させます。これもためしに職員室を考えてみると良いでしょう。職員室運営にシステムがなく、いつ何時にどんな授業を行っても良い、どんな行事を行っても良い、そんなふうに言われたら、かえってどう仕事をして良いかわからなくならないでしょうか。人間はフレームが明確であるからこそ、そのフレームのなかでより良い手立てはないものかと工夫しようとできるのです。そうした環境にあって始めてそういう思考や創造が生まれるのです。実は自由ほど不自由なものはないのです。

どういうシステムを敷くべきかは子どもたちの実態や発達段階に応じて決めれば良いわけですが、大切なことはそのシステムが1年間通して揺るがないような安定的なシステムであるかどうかということです。

年度途中にシステムを変更したり、ルールを緩めたりしなくても良い、安定したシステムです。学級運営の根幹をなすシステムが変更可能ということになれば、学級運営におけるすべてが変更可能なものとなってしまいます。極端に言えば、4月当初に学級担任の定めたルールはすべて変更可能なものと認識されかねません。悪しき〈ヒドゥン・カリキュラム〉が形成されてしまいます。

それは学級担任が権威性(学級経営における縦糸)を失うことに繋がりかねませかん。下手をすると、「いじめ指導」や「生活安全指導」など、危機管理の体制にまで悪影響を及ぼすことさえあるかもしれません。

学級担任はこのように、すべての事象が繋がっているのだという意識をもちたいものです。

実は、学級に安定したシステムが必要だというのは、子どもたちのためだけではありません。実はシステムが安定していることは教師のためにもなるのです。それはシステムに教師の権力の暴走や教師の怠慢を許さないという機能があるからです。

皆さんは憲法が時の政府の権力を暴走させないために機能しているということをご存知ですよね。学級運営において、システムはちょうど憲法と同じ機能をもっています。

1年は短いようで長いものです。教師だって人間ですから、長い1年、「このくらいいいかな…」とか「ちょっと手を抜きたいな…」と思うことがあるものです。しかし、システムが安定していれば、教師に多少の怠慢が見られたとしても、子どもたちの学校生活は普段通りに機能します。

また、教師も人間ですから、何かどうしてもやりたいことができて、子どもたちに無理をさせてでも取り組みたいと思ってしまうようなこともあります。こんなときにもシステムが安定していれば、それに反するような教師の暴走を抑止する働きをもちます。自分がどんなにやりたいと思っても、「うーむ…これはシステムを壊してまで本当に取り組むことなのだろうか」と、教師は一度、一歩引いて考えざるを得ません。

安定したシステムが教師のためでもあるというのはこういうことです。教師は子どもたちに影響力を行使することばかりを考えずに、自分の暴走に抑止力をかけることにも自覚的でなければなりません。私はそう考えています。

2.心情的なつながり

しかし、安定的なシステムを敷きさえすれば子どもたちが精神的に安定するかというと、事はそう簡単ではありません。どう動くかがわかるというだけでは、人間の精神は決して安定しないものです。

そこにはもう一つ、その集団に帰属しているという実感が伴っていなければなりません。しかもそれは、「一人一人を大切に」とか「みんなは一人のために」とか「思いやりが大切だ」とかいった言葉で説明すれば事足りるというものでもありません。

自分がその集団に帰属していると実感され続ける日常に身を置くこと、つまり、経験の集積によって「体感」されることが何よりも大切なことです。その意味で、「心情的なつながり」は教えるものでないことはもちろん、学ぶものでさえない、というのが私の考え方です。自然に「醸成されていくもの」なのです。

そのためには、教室のなかに日常的に子どもたちの交流場面が設定されることが必要です。教科の授業はもちろんですが、道徳・学活・総合的な学習の時間に至るまで、小集団による交流活動や学級全体による話し合い活動が至るところに配されている、しかもそれが子どもたちにとって何気ない日常として機能している、そういう状態が必要です。こうした学級であってこそ、子どもたちの「心情的なつながり(学級経営における横糸)」は醸成されていくのです。

こうしたことを考え、私は教科・領域を問わずすべての授業において8分以上の小集団交流を導入することを提案しています(拙著『一斉授業10の原理・100の原則』)。

もちろん道徳・学活や総合においては、もっと大胆に、しかも頻繁に子どもたち同士による自主的な交流活動を導入することが必要になります。

21世紀になって、教師の権威性が弱くなってきていると指摘されるようになりました。ベテラン教師たちがもっと権威をもとうと〈縦糸〉の強化を図ろうとして、子どもたちの反発を招いて学級崩壊に至るという事例も多く見られます。私はさもありなんと思えてなりません。

〈縦糸〉だけを強化することによって学級が運営できる時代はとうの昔に終わっているのです。〈縦糸〉をしっかりと張ると同時に、子どもたちに〈横糸〉を張らせる手立てを取る。それも手を換え品を換えて、日常的に、徹底的に仕組んでいく。そうした意識をもたなければ立ち行かない時代に入ったのです。いま、学級経営に成功しているのは、〈横糸〉を張らせる手立てをたくさん身につけている教師たちである、私はそんな印象をもっています。

実は、システムに守られながら暮らしていける社会は、拓銀と山一が破綻した20世紀末に終わったと私は感じています。いま子どもたちに必要なのは、試験学力を高めることや言われたことに従うことではなく、自分が困ったときにHELPを出せることや、「情けは人の為ならず」とすすんで他人に手を差し伸べる能力、立場の異なる人たちと利害を調整する能力などではないでしょうか。こうした力に培うためにも、学級づくりは大きな役割を担わなければなりません。その意味でも、学級経営における〈横糸〉は大きな力を発揮します。

学級経営の「理」の側面については拙著『必ず成功する「学級開き」魔法の90日間システム』を、「情」の側面については拙著『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』を御参照いただければ幸いです。

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