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言語技術を整理せよ!

① 授業において子どもたちの実態からこれが足りないな と思ったこと。
② 自分の言語生活を省みて社会生活でこの力があったい いのに感じたこと。

この二つを考えながら、国語学力とは何か、国語の授業で子どもたちに培わなければならない言語能力とは何かを常日頃から考える癖をつけていきます。何かを思いついたら、すぐにその言語能力を扱えるようなおもしろい教材を探します。成功もあれば失敗もありますが、失敗を怖れずにそうした毎日を続けます。そしてそれを一つ一つ整理します。

国語の授業研究とはつまるところ、そういう営みだと思います。私も新卒からそういう毎日を送ってきました。

本を買いあさり、子どもたち同士や職員室での同僚同士の日常的なコミュニケーションを観察し、授業で自分が想定していたよりも子どもたちができなかったことは何なのかということを細かくメモしする。更には、研究仲間とそうした気づきを持ち寄って議論する。こうした日常から国語学力とは何なのか、自分なりに整理してきたのです。

また、新聞や雑誌のコラムを何か教材になるようなネタはないかいう意識で読み、テレビやラジオもネタを探しながら視聴し、ちらしや飲食店のメニューにも工夫点はどんなところかと目を凝らす。それでも飽き足らず、飲食店や小売店から接客マニュアルをコピーしてもらったり、新聞記者から記事の書き方の原則を教わったりしました。こうした日常から教材開発をしてきましたのです。

まず私がとにかくこれだけは自分なりに体系的に整理しようと思ったのは「言語技術」でした。要するに、言葉を用いるうえでの技術的な側面です。

国語の指導事項には内容的な側面と技術的な側面がありますが、言語能力的にも言語活動的にも内容的な側面を整理することは不可能です。内容的な価値というものは、人が100人いれば100通りの整理の仕方があるでしょう。しかし、技術的な側面ならば、まずまずだれもが「それは大切だよね」と思うような優先順位の高いものをある程度は整理できるのではないか、それが若い頃に私が抱いた志でした。志というよりも「野心」と言ったほうが良いかもしれません。

私が二十代から三十代だった頃は、国語と言えば、物語の授業ではひたすら登場人物の気持ちを問い、説明文の授業ではひたすら要約をさせる、そんな授業が蔓延していました。もちろんそうした指導は大切なのですが、あまりにも内容主義に偏りすぎ、国語学力の技術的側面が軽視されていたのです。そんななか、私は言語技術の体系的に整理に十数年間にわたって取り組んだのです。その結果、章末(p○~)のような体系ができ上がりました。

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