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虚に視線を注げ!

授業で子どもたちが発言しています。一斉授業では、原則として一時に発言する子どもは一人です。

例えば、Aくんが発言しています。登場人物の心情はこうなんじゃないかと一所懸命に自分の解釈を発言しています。周りの子どもたちもAくんの発言を聞き漏らさないようにと耳を傾けています。教室でよく見られる光景です。

さて、このとき、教師の視線はどこに向けられているでしょうか。Aくんという発言者に一点集中してはいないでしょうか。

教師はこのとき、心の中で「Aくん、頑張れ」と応援しています。周りの子どもたちもAくんの話を集中して聞いているようです。そう教師は捉えています。

しかし、ここで一歩立ち止まって考えてみましょう。ほんとうに教室にいる全員がAくんの話に集中しているのでしょうか。ほんとうは「全員が」ではなく「ほぼ全員が」なのではないでしょうか。いえいえ、よく考えると、「ほとんどが」かもしれません。そもそも聞いていないのはだれとだれなのでしょうか。それを教師は把握しなくて良いのでしょうか。だれが手遊びをしていて、だれが授業に上の空で窓の外を眺めているのかを教師が把握していれば、何か適切な指導があり得るのではないでしょうか。

いま、Aくんが発言しています。言ってみれば、いま、Aくんはみんなの注目を集めているスターです。黙っていても、一所懸命なのはわかります。問題はこのとき、教師までそのスターに一信に注目していて良いのかということです。教師が視線を注ぐべきは、いまは注目されていない、その他大勢の子どもたちなのではないでしょうか。その子たちこそがいま素(す)に近い状態であり、授業への参加態度に難点があるとすれば、むしろ指導すべき貴重なタイミングなのではないでしょうか。

「虚に視線を注ぐ」とは、いま注目されている子どもではなく、その他の子どもたち、まさに「虚」となっている子どもたちに視線を注ぐことを意味しています。素に近い状態の子どもたちにこそ、実は授業への参加態度の在り方が如実に出るのです。もしも教師が子どもたちと同じようにスターたるAくんにしか注目していないとすれば、それは実は他の子どもたちに対する貴重な評価のチャンス、指導のチャンスを見逃していると言わざるを得ません。

ある子が発言しているときにはその他の子にこそ視線を注ぐ。発表学習であるグループが発表しているならば、その他の子どもたちにこそ視線を注ぐ。教師にはこの基本姿勢が必要です。

聞いていない子に注意しろ、説教しろと言っているのではありません。ちょっと近くに行って笑顔を向ける。それだけで子どもは「先生が見ていてくれている」という意識をもつものなのです。この機能を軽視してはいけません。

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