向上的変容を自覚させよ!
学習意欲の喚起において何よりも大切なことは、子どもたちが「この授業を受けて良かったな」と思えるような授業、「今日の授業を受けてまた一つ自分は賢くなった」と思えるような授業を毎時間続けていくことです。
野口芳宏氏はこれを「向上的変容の連続的保障」と呼んでいます。
私たち教師は授業を1時間単位で考えがちです。せいぜい一つの教材、一つの単元のまとまりで考えるのが一般的です。国語は教材の指導の連続、単元の指導の連続でできていますから。
しかし、1年間、百数十時間ある国語の授業において、そのすべての授業において子どもたちが明確に「これを学んだ」と言えるような授業、「ああ、この国語の授業でこれこれを学んだ」と実感できる授業を続けていけたとしたら、もはや教師が意欲喚起に腐心して動機付けを保障することなどしなくても、子どもたちは国語の授業を楽しみにさえするようになるのです。
皆さんにはその1時間で指導すべき国語学力を明確にしながら、子どもたち全員に是が非でもわからせ、子どもたち全員を是が非でもできるようにさせるという気概をもって授業に臨んでいるでしょうか。
実は「意欲喚起」とひと言で言いますが、「意欲喚起」はその1時間1時間で独立しているのではありません。国語科に限りませんが、授業にはおもしろくなくても、楽しくなくても、なぜそれをしなければならないのかわからなくても、どうしても覚えなければならないこと、どうしてもできるようにならなければならないことというのがたくさんあります。そうした一見、細かい授業技術では学習意欲など喚起できそうにない指導事項について学習する場合にも、子どもたちが取り組もうとする、そうした状態に子どもたちを導くことこそが「学習意欲を喚起する」ということの本質なのです。
そのためには、子どもたちにわからなかったことをわからせ、できなかったことをできるようにさせる、そうした授業が連続的に保障されることが何よりも必要なのです。
使い古された言い方ですが、子どもたちはだれもが勉強をわかるようになりたいと思っていますし、できるようになりたいと思っています。私は中学校教師ですが、やんちゃな中学生、勉強なんてどうでもいいと口にする中学生でさえ、その思いを実は大きくもっています。彼ら彼女らに接していると、小学校1年生から中学校3年までのどこかで勉強がわからなくなり、どこかで諦めてしまったのだということが伝わってきます。個別に勉強を丁寧に教えてあげると、喜んで勉強をします。「わかった!」「できた!」と満面の笑みをこぼします。
向上的変容の保障こそが意欲喚起の王道なのです。
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