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意見は必ずノートさせよ!

教師が発問します。子どもたちが挙手します。教師がある子を指名します。その子が答えます。なるほど…と教師が引き取って板書します。

別の子が手を挙げます。教師が指名します。その子が答えます。教師が引き取って板書します。これが何回が繰り返されます。

5~8人くらいが発表したところで、教師が想定していた子どもの意見の分類はだいたい出そろいます。子どもたちももうわざわざ手を挙げてまで発表しようとは思いません。自分と似たような意見は既に出てしまっていますし、細かい違いはあるにせよ、まあ似たようなものだからいいや……となってしまうのです。

しかし、教師はそういう細かな違いを出して欲しいと思っています。ですから、しつこく「他にはありませんか」と発言を求めます。この教師の意図と子どもの意図との違いが、子どもたちの「戸惑い」を生みます。授業に、小さいけれど確かな「どんより」が生じる瞬間です。

実はこれは「挙手-指名型授業」の弊害なのです。「挙手-指名型授業」は、教師の発問と同時に子どもたちに手を挙げて発言することを求めます。意見は子どもたちの頭の中だけにあります。Aくんの考えていることは、Aくんが発言しない限り、教師にも他の子どもたちにも見えません。しかもAくんは、たとえ他人の意見を聞いて途中で意見を変えたとしても、「最初からそう思っていた」と嘘をつくことが可能です。要するに、教師がしつこく訊いたとしても、「最初から板書してあるBくんと同じ考えをもっていた。何も付け加えることはない。」と言い張ることができるわけです。

「挙手-指名型授業」はこのように、意見が頭の中だけにあり、授業において口頭だけでなんとでも言い訳できる構造をもっています。私はこれを「国語科授業の空中戦」と呼んでいます。

しかし、教師が発問に際して、「このときの主人公は+か-か0か。それを書いたうえで、その理由を一文も書きなさい。」とノートに書くことを指示したとしたらどうでしょうか。しかも、「あとでそのノートを見せながら、隣同士で意見交換するよ。」と付け加えたらどうなるでしょうか。子どもたちは途端にこれからノートに書く自分の意見に責任をもたなければならなくなります。それだけ真剣に考えざるを得なくなります。

しかも、ノートに書かれた子どもの意見は、教師が机間巡視で確認できるようになります。「ははあ…、AくんとBくんはちょうど正反対の意見をもっているな。この対立をなんとかこれからの授業で活かせないかな……」などと考えることさえできるようになります。

私はこれを「国語科授業の地上戦」と呼んでいます。

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