かつてお化け番組があった
かつて「ザ・ベストテン」という番組があった。木曜日の21時、TBS系列で放送していたヒットチャート番組である。司会は黒柳徹子と久米宏。平均視聴率が30%を超えるお化け番組だった。Wikipediaによれば、最高視聴率は41.9%を誇ると言う。この数字は現在の紅白に匹敵する数字である。毎週のレギュラー番組、それも歌番組がこれほどの視聴率を誇った時代があった。
実は「ザ・ベストテン」が始まったのは1978年の1月、僕が小学校5年生の3学期だった(最終回は1989年9月)。いまでもよく覚えているが、初回の1位はピンクレディの「UFO」だった。この年のレコード大賞を獲得した、押しも押されもせぬピンクレディの代表曲であり、現在の中学生でさえ口ずさむことのできる昭和の代表曲の一つである。この年はキャンディーズが解散したり、世良公則&ツイストや原田真二が次々にヒット曲を連発したり、沢田研二が前年のレコード大賞受賞の勢いそのままに大活躍したり、いよいよ山口百恵と三浦友和の結婚が近いと本格的に囁かれたりと、芸能界の話題には事欠かない年だった。ちなみに、この年の紅白歌合戦のトリは沢田研二と山口百恵が務めている。若手ポップスターの勢いをNHKさえ無視できなくなった象徴的な年だった。ついでに言えば、サザンオールスターズがデビューしたのもこの年である。「勝手にシンドバット」や「気分しだいで責めないで」を早口で歌うサザンが、まだほとんどコミックバンド扱いされていた時代である。
子どもというものは今も昔も時代の風を一身に浴びて生きている。小学生だった僕らは毎週木曜の21時になるとテレビに釘付け。ああ、先週とこんなにも順位が違う、好きな曲がベストテンから落ちてしまった、だれだれの新曲が一気に上がってきた、だれだれが何週連続で1位を獲得している、などなど、その順位に夢中だった。友達と昨夜の順位の話をしたくて、金曜日の朝は学校に早く行ったものである。とにもかくにも、金曜の朝の話題は「ザ・ベストテン」の順位だった。
冒頭から僕のこんな経験、しかも昔よく見ていたテレビ番組なんていうあまりにも些末な経験から話を始めたのには実はわけがある。僕はこの自分の些末な経験をもとにして、二つのことを言いたいのだ。一つは世の中からこのようなお化け番組が完全に消えてしまったということ。もう一つは、いまの時代なら金曜の朝に早く学校に行かなくても友達と順位に関する交流ができただろうということである。
お化け番組はなぜ消えたか
平均視聴率が30%超え。これまたWikiによれば、番組開始当初の数年間は平均視聴率が35%前後を誇っていたらしい。小学校5・6年生の僕は真駒内南小学校という札幌市の南の端の小学校に通っていたが、おそらく同じ学級の38人全員がこの番組を見ていたと思う。僕には確信がある。金曜日の朝に男女入り込みだれて「ザ・ベストテン」の順位についてつたない議論をしていた記憶が鮮明に残っている。クラスの女の子たちはピンクレディを踊り、僕らは応援団よろしく「ミーちゃん!」「ケイちゃん!」と叫んでいた記憶もある。人差し指を舐めてカメラに指さす沢田研二をだれもが真似ていた記憶もある。この年、たった1回だけ出演した松山千春の話を担任の先生がし始め、授業をつぶしてまで感想をみんなで話し合った記憶もある。そのくらい影響の大きな番組だったのだと思う。
さて、こういうお化け番組がいまあるだろうか。ピンクレディのごとき、子どもから老人にまで知れ渡っている、そんなスターがいまいるだろうか。僕は本書執筆中の2014年現在48歳だが、SMAPのメンバーはフルネームで言えるが、嵐のメンバーは一人もフルネームで言えない。AKB48のメンバーは二人しか知らない。僕のお袋は77歳だが、訊いてみるとSMAPは知っていたが、嵐やAKBはその存在さえ知らなかった。思えば、世代を超えてだれもが知っているアイドルはSMAP、安室奈美恵あたりで終わり、おそらく浜崎あゆみあたりから一部世代にしか認知されないターゲット限定アイドルへと移行したのではないか。そしてまた、テレビ番組もターゲットを明確にしたコアなファンだけを取り込もうという戦略に移行したのではないか。アイドルプロダクションや放送プロダクションがそういう戦略に移行したというよりも、実はそういうものしか成立し得ない世の中になったのではないか。そう思うのである。
すべての世代に認知されるアイドルが消えていくとともに、CDのミリオンセラーが増えた経緯がある。ミリオンヒットが世代を超えて広く買われることによって生まれるのではなく、コアなファンがみんな買うことによって生まれる時代の到来である。おそらくはCDレンタル時代の隆盛期であったことの影響も決して小さくなかったはずである。
おそらく現在のメガヒットはこうした構造で生まれている。AKBにはコアなファンが多く、彼ら彼女らが一気に買うので一気にヒットチャートを席巻するけれども、ヒットチャートから落ちるのも早い。つまり、そのCD売り上げの勢いはコアなファン以外には広がっていないということである。こうした傾向が21世紀になった頃から一気に加速した感がある。
2012年6月8日の夜のことである。僕は3年生を受け持ち、生徒たちを修学旅行に引率していた。8日はその二日目である。僕が風呂当番をしながら、これと言って仕事もなく退屈していた。ふと気づくと風呂のホールの大型テレビに20人ほどの生徒たちが群がっている。その趣は、まるで力道山見たさに街頭テレビに群がるかつての人たちのようだった。退屈していた僕は何だろうと立ち上がって見てみた。そして一瞬で合点が入った。
なるほど、そうか……。
AKBの総選挙である。
僕は若手教師を携帯電話で呼び出し、「風呂当番を代われ」と命じた。「オレは緊急の用事ができた」と。そうして、各部屋をまわってみた。いまこの時間、生徒たちの何割が総選挙を見ているのかと。とんだ「緊急の用事」である。風呂当番を代わってもらった若手教師には絶対に言えない(笑)。
さて、生徒たちの何割が総選挙を見ていたか。僕は全部屋をまわって確認したが、見ていたのは3割弱に過ぎなかった。つまり、7割以上の生徒たちはAKBの総選挙に対して、少なくとも修学旅行の自由時間をつぶしてまで見るほどには関心をもっていなかったのである。せっかくの修学旅行だから友達と交流することを優先したのだと思ってはいけない。AKBの総選挙を見ながらの交流は充分に可能なのだから。少なくとも僕には、総選挙を見ていなかった生徒たちの大半はAKBに対してそれほどの関心がなかったように見えた。日常的に接している生徒たちである。その表情を見ればわかる。
比喩的に言えば、AKB48とは遊戯王カードのようなものなのだ。確かにコアなファンを多数獲得しているけれど、しかもそのコアたちは狂ったように熱中しているけれど、関心のない者にとってはほとんどその存在さえ意識されない、そういうタイプのものなのだ。果たして読者の皆さんはご存知だろうか。21世紀になって、年末のコミケが3日間で数十万人を動員していることを。綾小路きみまろがいわゆる「団塊の世代」を中心に、山梨県の長者番付で2位になるほどに売れていたことを。
おそらくコアなファンのみによってメガヒットが生まれるという構造こそが、多様化時代の特徴なのである。すべての世代を、つまりは日本中を席巻するようなヒットソングやヒットドラマが生まれないことこそが、この国が成熟したことの何よりの証左なのである。おそらく「ザ・ベストテン」のようなお化け番組が社会から消えたのにはこうした構造がある。
かつてと異なった構造がある
田原俊彦と松田聖子がデビューしたのは1980年である。以来、ジャニーズは現在に至るまでその隆盛を誇っているし、松田聖子を契機として小泉今日子や中森明菜を代表とする80年代女性アイドルの時代が確かにあった。僕はその真っ只中の世代である。しかし、その前年に「新人不作の年」と呼ばれた1年がある。「ザ・ベストテン」が始まった次の年、1979年のことである。
レコード大賞最優秀新人賞は桑江知子。いま考えるとかなり実力のあるボーカリストだったのだが、いまとなってはほとんど知る人がいない。この年デビューしたアイドルには井上望や能勢慶子がいたが、おそらく桑江知子以上に知られていないはずだ。この年、僕は中学1年生になっていたが、クラスで仲の良い友達に井上望ファンと能勢慶子ファンが一人ずついたので、僕はこの一瞬で消えてしまった二人のアイドルをよく覚えている。その後、井上望のファンだった友達は浜田朱里のファンになり、能勢慶子のファンだった友達は壺井むつみのファンになった。しかし、浜田朱里も壺井むつみもやはりいまとなってはもうだれも覚えていない。おそらくこの二人の友達の好みは、少々失礼ながら、世の中のマジョリティとは異なっていたのだろう。B級アイドルばかり好きになっていた印象がある(笑)。
さて、いまここに井上望・能勢慶子・浜田朱里・壺井むつみという4人のB級アイドルを挙げたわけだが、彼女たちのファンだった二人の友達がいま現在中学生だったとしたらどうだっただろう。きっとインターネット上で同じB級アイドルファンのコミュニティを見つけ、毎晩交流を愉しむことができのではないだろうか。そう。1979年だったから彼らは仲間を見つけることができなかったのである。2014年の現在なら、リアルに顔を合わせる友人たちのなかに仲間を見つけられなかったとしても、ネット上にはまず間違いなく仲間を見つけることができるだろう。いや、いま現在だって、現実にかつてのアイドル井上望のファンコミュニティが存在していてもおかしくないとさえ思えてくる(実際にちょっと調べてみたが見つからなかった)。それほどに僕らの環境は変わっているのだ。
冒頭の僕の問題意識に戻ろう。僕は小学生の頃、「ザ・ベストテン」の順位について交流したくて金曜日は朝早く登校していた。それはどこの家庭でも家にはいわゆる「家電」しかなく、夜の10時過ぎに歌番組の話をするために電話をかけるなど許されなかった時代だったからである。言うまでもないことだが、現在はそういう環境にない。夜の10時であろうと11時であろうと、夜中の2時であろうと3時であろうと、お互いに起きてさえいれば、そして両親の目さえ盗むことができれば今日見たテレビ番組について交流することくらい実に簡単なことなのである。つまり、現在の子どもたちには、僕らの世代が回想し想像する子ども時代とは明らかに異なった構造が出現しているのだということだ。このことを軽視してはならない。
必ず功と罪とがある
現在の子どもたちは従来にも増して小グループ化が進んでいると言われる。かつて宮台真司が島宇宙化(『制服少女たちの選択』)と呼んだ現象である。もちろん子どもはいつの時代にも変容したと叫ばれ、小グループ化が問題視されたのもいまに始まったことではない。いつの時代も、子どもたちは集団に重きを置かなくなったとか、世間性をなくしたとか、縦関係を結べなくなったとか、無気力かしたとか、コミュニケーション能力が低下したとか、いろいろなことを言われてきた。でも、ここ10年の子どもたちの変容はこれまでとは趣を異にすると思う。
札幌市の中学校は2、3年が持ち上がることが多いのだが、2年間も同じ学級に所属しているのに、ほとんど会話もしない人間が多数いるという現象が見られるようになった。学級が幾つもの小さなグループに分かれ、それぞれのグループのなかでは非常に濃密なコミュニケーションが行われているというのに、グループを越えてのコミュニケーションはほとんど行われないと言って良い状態なのだ。それと同時に、文化祭・学校祭の出し物や合唱コンクールなど、学級の全員が力を合わせて、コミュニケーションを図りながら進めて行かなければならない行事が成立しにくくなった。ベテランの先生方から「昔は放っておいてもリーダー生徒が中心となって合唱の練習をしたものだが……」という声をたくさん聞くようになった。
しかし、「ザ・ベストテン」を見ていた僕らのような子どもたちと、ネット社会に生きる子どもたちのイメージとを比べてみると、こうした傾向にも肯ける気がする。いまの子どもたちはおそらく、井上望や能勢慶子のファンでい続けられる環境が当然という世の中で生きているのだ。周りの人たちがどんなメジャーなアイドルのファンだったとしても、コアなファン同士のコミュニティさえもっていればそれで満足しているのだ。自分が井上望のファンで満足しているのに、わざわざ榊原郁恵や石野真子や大場久美子のファンたちと交流して「井上望のどこがいいの……」などと言われる筋合いなどないではないか。そしてこうしたネット社会がつくり出した時代の風を一身に浴びて生きているのだ。島宇宙があまりにも急速にその粘着性を発揮しているように見えるのはおそらくそのせいだ。僕はそう感じている。
僕もメールやtwittwr、facebookで毎日のようにネットコミュニケーションに耽溺しているクチであるが、コミュニケーションの相手は確かにコアな人間関係を築いている相手であることが多い。ネットコミュニケーションと言うと浅いつきあいをどんどん広げていくというイメージがあるが、実際のコミュニケーションの相手は実はかなりコアなメンバーで行われているのが現実である。おそらく子どもたちも同じなのだろうと思う。学校で濃密なコミュニケーションをしている相手と、自宅に戻ってからも更にああでもないこうでもないとコミュニケーションを続けているのだ。そうしたやりとりが次の日の学校でのリアルなコミュニケーションを補強し、そのリアルが更にその日の夜のネットコミュニケーションを補強する。おそらくそういう毎日を送っているのだ。
ある年、僕の担任学級には「堀組」という名のLINEのグループがあって学級のほとんどのメンバーが参加していたのだが、事実、この学級ではリアルな学校生活においてもほとんど揉め事らしい揉め事がなかった。おそらくLINE上でも毎晩濃密なコミュニケーションが広く行われていたために、学級全体がなんとなくなかの良い状態になっていったのだと思われるる。最近はLINEというと諸悪の根源のようにやり玉に挙げられることが多いわけだが、もう少しその機能性に僕らは注目したほうが良いのかもしれない。LINEとはよく言ったもので、うまく機能した場合にはかなりポジティヴな効果も期待できる代物でもあるのだと思う。少なくとも、子どもたちがこうした機能性を求めているのだという分析は可能であるはずだ。
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