« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年4月

お世話になります/登壇予定

以下は現在、正式決定しているものです。合間に札幌で独自に行う「研究集団ことのは」主催の研究会が入ると思います。

オファーがあれば、ご遠慮なくご連絡ください。休日であればできる限りうかがいます。夏休み・冬休み以外の平日は多くの場合、お断りすることになると思います。札幌市内、及び近郊の公的なお仕事であればその限りではありません。

連絡先:hori-p@nifty.com

【2014年度】

4月26日(土) 教師力BRUSH-UPセミナーin函館

4月27日(日) 教師力BRUSH-UPセミナーin伊達

5月4日(日) 堀裕嗣×石川晋「ふたり会」in鹿児島/ゲスト:蔵満逸司/FG:藤原友和

5月5日(月) 堀裕嗣×石川晋「ふたり会」in福岡/FG:藤原友和

5月6日(火) 教室実践力セミナーin福岡/ALL堀裕嗣/検討模擬授業:米田真琴

5月10日(土) 国語科授業改革セミナーin札幌/ストップモーション授業検討/堀裕嗣・水戸ちひろ・米田真琴・藤原友和・山下幸(他交渉中)

5月11日(日) 札幌/堀裕嗣・藤原友和(他交渉中)

5月23日(金) 北海道教育大学札幌・岩見沢校・教職論

6月21(土) 堀裕嗣×石川晋「ふたり会」in仙台/ゲスト:佐藤正寿

6月22日(日) 教室実践力/ALL堀裕嗣ADVANCEセミナーin仙台

7月12日(土) 教師力BRUSH-UPセミナーin札幌/THE BASIC

7月13日(日) 教師力BRUSH-UPセミナーin札幌/THE ADVANCE

7月19日(土) 釧路/金大竜・堀裕嗣

7月20日(日) 教師力BRUSH-UPセミナーin帯広

7月25日(金) 札幌市内

7月26日(土) 堀裕嗣×石川晋「ふたり会」in名古屋

7月27日(日) 奈良/石川晋・中條佳記・堀裕嗣

7月29日(火) 堀裕嗣×石川晋「ふたり会」in大阪

7月31日(木) 多賀一郎×堀裕嗣「ふたり会」in神戸/国語教育の向かうところは

8月1日(金) 三重県四日市市研修講座

8月2日(土) 教室実践力/ALL堀裕嗣セミナーin東京・夏

8月3日(日) 道徳のチカラ・中学校in東京

8月5日(火) 北の教育文化フェスティバル

8月6日(水)~7日(木) 札幌/赤坂真二・石川晋・多賀一郎・中條佳記・山田将由・堀裕嗣

8月8日(金) 福井県福井市研修講座

8月9日(土) 富山市/堀裕嗣・門島伸佳・山下幸

8月11日(月) 十日町市

8月22日(金) 愛知県犬山市

8月30日(土) 堀裕嗣×石川晋「ふたり会」in東京

8月31日(日) 教室ファシリテーションセミナーin東京/堀裕嗣・石川晋・藤原友和

9月13日(土) 国語科授業づくりセミナーin東京/模擬授業12連発!

9月14日(日) 東京

9月15日(月) 教室実践力/ALL堀裕嗣セミナーin東京・秋

9月27日(土) 学級づくりプログレッシヴセミナーin札幌/堀裕嗣・山田洋一

9月28日(日) 教室実践力セミナーin札幌

10月4日(土) 国語科授業づくりセミナーin札幌

10月5日(日) 教室実践力セミナーin札幌

10月11日(土)・12日(日) 道徳授業改革セミナーin札幌/佐藤幸司・桃崎剛寿・石川晋・大谷和明・堀裕嗣/札幌市内

10月31日(金) 鳥取県米子市研修講座

11月1日(土) 鳥取県米子市/石川晋・多賀一郎・西村健吾・広山隆行・堀裕嗣

11月2日(日) 明日の教室・本校/京都

11月8日(土) 札幌市 with 多賀一郎

11月15日(土) 新潟

11月16日(日) 新潟

11月29日(土) 熊本県熊本市

12月20日(土) 明日の教室・東京分校

12月21日(日) 教室実践力セミナーin東京・冬

| | コメント (1) | トラックバック (0)

石川晋×堀裕嗣「ふたり会」in福岡

2014年5月5日(月)/ももちパレス

子どもをつなぐ、子どもがつながる~「横糸」の学級づくり・授業づくり

http://kokucheese.com/event/index/163998/


2010年以来、4年振りとなる石川×堀「ふたり会」が2014年度前期に全国6箇所(札幌・鹿児島・福岡・名古屋・大阪・東京)を縦断します。各回テーマを変えて、教師として子どもたちにかかわり続けることの意味・意義を深く考えていきます。もちろん、すぐに明日からの学級づくり・授業づくりにすぐに役立つネタも満載です。『教師をどう生きるか』(学事出版)の著者二人が全国主要都市で徹底的に提案します。



【プログラム】

09:45~09:55 受付

09:55~10:00 開会セレモニー

10:00~12:30
ワークショップ「教室ファシリテーションの実際」/堀 裕嗣

13:30~14:30
講座「対話がクラスにあふれる学級づくり」/石川晋

14:30~15:30
ワークショップ「対話がクラスにあふれる言語活動」/石川晋

15:45~16:45
対談型Q&A「対話がクラスにあふれる教室ファシリテーション」
石川晋×堀裕嗣


【講師紹介】

石川晋(いしかわしん)
北海道旭川市出身
北海道教育大学旭川校修士課程修了
河東群上士幌町立上士幌中学校教諭
NPO法人授業づくりネットワーク理事長
主な著書に『エピソードで語る 教師力の極意』『「対話」がクラスにあふれる!国語授業・言語活動アイディア42』(明治図書)、『これならうまくいく!笑顔と対話があふれる校内研修』『学級通信を出しつづけるための10のコツと50のネタ』『中1ギャップー中学校生活になじむ指導のポイント』(いずれも学事出版)、『中学校学級担任のためのポジティブコミュニケーションカード』(民衆社)、『中学校国語科学習ゲーム~授業づくりの活性化につながる体験的な学び~(DVD)』(ジャパンライム)、明日の教室DVDシリーズ第14弾「文学の授業~読む・解く・書く~」(Kaya)などがある。
<ブログ> http://suponjinokokoro.blog112.fc2.com/
<連絡先> zvn06113@nifty.com

堀裕嗣(ほりひろつぐ)
北海道湧別町出身
北海道教育大学札幌・岩見沢校修士課程修了
札幌市立北白石中学校教諭
「研究集団ことのは」代表
主な著書に『教師力ピラミッド~毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則』『教師力トレーニング・若手教師編~毎日の仕事を劇的に変える31の力』『スペシャリスト直伝!教師力アップ 成功の極意』『エピソードで語る 教師力の極意』『教室ファシリテーションへのステップ1~3』『THE 教師力』シリーズなど(以上明治図書)、『学級経営10の原理・100の原則』『生徒指導10の原理・100の原則』『教室ファシリテーション10のアイテム・100のステップ』『一斉授業10の原理・100の原則』『コミュニケーション能力って何?』など(以上学事出版)、『堀裕嗣のツイートを読み解く』『反語的教育論』(以上黎明書房)など。
<ブログ> http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/
<連絡先> hori-p@nifty.com

| | コメント (0) | トラックバック (0)

手帳は年版を使う?年度版を使う?

僕の使っている手帳はどこにでもある普通のビジネスダイアリーだ。商品名をの「Desk Planner」という。博文館新社という会社から出ている。毎年、時期になるとTSUTAYAなんかでも普通に手に入る。とっても使い勝手が良くて、もう二十年近くこれを使っているように思う。実は僕はある教育系出版社から出されている教員向け手帳の開発に携わっているのだが、編集者には申し訳ないけれど自分が開発したその手帳を自分では使っていない。あくまで一般的にはこういうものが必要とされているだろうという商品開発をしたのであって、僕のよう教員としては一般的な手帳の使い方をしない人間には使えない代物である(笑)。意外と知られていないが、開発者が自分の開発したものを使わないなんてことは世の中にはいっぱいあるのだ。

僕が自分が開発に携わった手帳を使わない最も大きな理由は、この手帳が多くの教員の仕事の仕方に合わせて年度版しかないからだ。要するに4月から3月までの手帳である。教員のほとんどは四月から三月までの「年度」を仕事の単位と考えている。だから教員向け手帳は年度版しか存在しない。もし仮に1月から12月までを単位とする年版をつくったとしても、ほとんど売れないに違いない。当然と言えば当然のようにも思える。

でも、僕はもう二十年以上、手帳は年版を使っている。理由は幾つかあるが、一番大きな理由を一つ挙げろと言われれば、一月から五月くらいまでが最も長い見通しをもって取り組まなければならない仕事が多いからだ。

例えば中学校二年生を担当しているとする。札幌市の中学校は一般的に修学旅行が三年生の一学期に設定されている。中二担当の一月の仕事は、修学旅行まで生徒たちをどのように育てるかという視点抜きには考えられない。二年生にどう有終の美を飾らせ、三年生にどう好スタートを切るかなどというそれぞれを独立させた考え方をしていては、この時期の教育活動を巨視的に見ることができない。

確かに4月は生徒たちが進級を迎えて張り切っている。新しい学年でなんとか頑張ろうという意識を多くの生徒たちがもつ。年度末から新年度へという経緯のなかで、学級編制があり、新しい教科書をもらって、生徒たちは一度自らをリセットするような気持ちになる。今年こそ変われる……そんな気持ちになっている。

しかし、生徒のそんな心持ちに合わせて、教師まで自らをリセットして「今年こそ頑張るぞ」と新鮮な気持ちになっていたのでは生徒たちの指導なんてままならないではないか。そういう張り切っている生徒たちの気持ちをどうコントロールしていくか、どんな刺激を与えるか、そう考えなくてはならない。とすれば、当然のように前年度のうちに打っておく布石にも思いが至らなくてはならないはずである。

手帳は仕事の単位を規定する。無意識のうちにどうしても仕事に対する思考の単位を決めてしまう。年度版を使っているとこの年度をまたいで行う教育活動に思い至ることができない。

では、一年のなかに頭のなかから仕事が一切消えてしまう期間がないだろうか。仕事を完全に忘れて、僕らが最もくつろぐのはいつか。読者のなかにはそれが三月末だという方もまれにいるかもしれない。でも、少なくても僕にとっては年末年始である。平日は勤務校で仕事をし、週末は一年中全国を飛び回る生活をしている僕だけれど、年末年始には公私ともに一切の仕事がない。ただひたすら家族と一緒にのんびり過ごしている。毎年、12月28日から1月3日まで、複雑に絡み合っていた仕事の連鎖が一度ぷつりと切れる。12月28日に講演が入っていて28日に帰路に就くとか、1月4日に研究会が入っていて3日から移動開始というようなこともまれにあるけれど、それでも最低5日間は仕事を忘れてくつろぐことになる。

しかも3学期というのは、あくまで4月からずーっと付き合い続けている生徒たちと関わり続ける学期である。同僚も4月から一緒だ。ちょっとくらい仕事が遅れてばたばたすることがあったとしても、なんとかくぐり抜けることができる。生徒たちも「ごめん!」で許してくれる。同僚との人間関係も出来上がっていて助けてももらえる。実は一度リセットしたとしても最も被害が少ないのは年末年始なのではないか。

この話を僕がすると、「そんなこと考えたこともない」と多くの教師に驚かれる。「なるほど」と納得しもする。でも、だれも真似してくれない(笑)。 僕には、仕事の効率性を担保するのは「できるだけ遠くを見ること」だということを、みんな理解していないように思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

時を隔てて理解されることがある?

And if I say I really knew you well,
What would your answer be?
If you were here today.
Uh, uh, uh, here today.

きみのこと、なんでも知ってるよ。
もし僕がそう言ったら、きみはなんて応えるだろう。
もしきみがいま、ここにいたなら。
……ここにいたなら。
HERE TODAY/PAUL McCARTNEY/1982

ジョンが撃たれた日をよく覚えている。僕は中学二年生だった。世界中が震撼した。僕はまだビートルズをよく知らなかったけれど、その死が世界を震撼させるほどの人物であることはよく伝わってきた。あのときにテレビが醸し出した雰囲気、ビートルズを知らず、ジョン・レノンを知らない中学二年生の少年にまでショックを受けなければならないのだと強制するあの空気を僕はいまでもよく覚えている。あの空気はその後日本人が亡くなったときにつくられた空気とは明らかに違った。昭和天皇が崩御したときとはもちろん違ったし、石原裕次郎や美空ひばりが亡くなったときとも趣を異にしていた。でも、あの空気を僕はうまく表現できない。

高校生になって、ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーのデュエットが大ヒットした。エボニー・アンド・アイボリーだ。僕はこの曲を目的にポールのアルバム「タッグ・オブ・ウォー」を買った。「綱引き」と題されたこのアルバムにおいて、A面の最後に収録されていたのが、冒頭に紹介したジョンへの追悼曲「ヒア・トゥデイ」である。

きみが恋しい。でも、きみは僕の歌のなかにちゃんといる。そう繰り返すポールの心象が高校生の僕にはよく理解できなかった。もちろん、言葉の意味はわかるし、ポールがジョンの死を悼んでいることもよく伝わってきた。でも、僕にはジョンが自分の歌のなかにいまもちゃんといると感じる、その心象がうまく理解できなかったのである。

学生時代、柏葉(かしわば)恭延(やすのぶ)という親友がいた。脳性小児麻痺の後遺症をもつ妹をもち、いまで言う特別支援教育に想像を絶する情熱を傾ける男だった。卒業後も当然のように特別支援教育の道に進み、重度の肢体不自由児や自閉症児の教育に情熱を抱きながら教師を続けた。そればかりか北海道の障がい児に積極的な活動の場をつくろうとの目的で発足した「にわとりクラブ」の立ち上げに参加し、中心メンバーとして活躍していた。この団体は正式名称を「特定非営利活動法人障がい児の積極的な活動を支援する会」といい、毎年行われる夏フェスには数百人から千人を集めている。兎にも角にも、北海道の特別支援教育の世界をリードする、そんな男だった。そう。あの日までは……。

七月上旬。強く陽射しの照りつける暑い日だった。正午頃だったと聞く。自らが担任する子と二人でグラウンドを走っていた柏葉は突然胸を押さえて倒れたらしい。同僚の教師が発見したときにはおそらく倒れてから既に三十分程度は経っていたらしい。既に心肺停止していたとも聞く。僕が連絡を受けたのは既にドクターヘリで市立病院に運ばれた後だった。特に仲の良かった友人二人とともに駆けつけたが、人工的に心臓を動かしているだけだった。もう駄目なの……と奥さんの由美子は泣いた。由美子も僕らの同期、学生時代の僕らの仲間である。

後日、44歳の若さで永眠した彼の死をこれ以上細かく書こうとは思わない。親友の葬式で涙ながらに働いたことを詳しく描写することもしない。ただ僕が言いたいのは、僕が柏葉の死で、ポールが「ジョンは自分の歌のなかにいる」と言った意味を理解するようになったのだということだ。それも三十年の時を隔てて。

彼の死後、僕は特別支援教育についても積極的に発言するようになった。それまでは専門外だからと、僕に発言する資格はないからと、この世界に関する発言は自粛することにしていた。それを自らに解禁したのだ。勤務校の特別支援学級にもできるだけ関わることにした。環境の整備においても僕のできることは何でも協力することにした。そして、特別支援教育の世界にいるさまざまな方々とも深く交流するようになった。

僕はいま、自分が特別支援教育に関する発言をしているとき、自分の言葉のはずなのにふと柏葉が語っているのではないかと感じることがある。それもかなり頻繁にある。その頻度は、僕が特別支援教育への理解を深めれば深めるほど高くなっている実感がある。これなのだ。ポールが言っていたことはこういうことだったのだ。そう感じた。僕はいま、日常的に柏葉と心の「綱引き」を繰り返しているような気がしてならない。

こんな僕の言葉に、柏葉はどう応えるだろうか。もし、ヤツがここにいたなら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先の見える方を選ぶ?見えない方を選ぶ?

人生の岐路に立つことがある。そのとき、先を見通せる方を選ぶのが成功のコツで、先を見通せない方を選ぶのが成長のコツだ。僕の経験から言って間違いない。

例えば数ヶ月後に芝居を上演があるとする。過去にやった演目を上演すればそれなりの成功を収めることができる。完成度が高くなるから評判を呼び、観客も動員できるかもしれない。しかし、演技する者はもちろん、演出する者にも裏方を担う者にも大きな成長は見込めない。過去に上演した演目はそれに関わった人たちのなかである程度の固定イメージが出来上がってしまっている。そんなとき、哀しいかな、人は自らの成長よりも失敗しないことを優先してしまう生き物だ。

例えば人事上の判断を突きつけられたときも同様である。僕は教職十五年目を迎えようとする年度末、自宅からすぐ近くの大規模校(当時24学級程度)に転勤して一担任として勤めるか、自宅から遠く離れた小規模校(当時9学級程度)に転勤して学年主任を務めるかを迫られた経験がある。 僕は通勤の移動時間が大嫌いだ。だからいつもできるだけ近くの学校に勤務したいと考えている。人の上に立つことも嫌いだった。そもそも自分の労力を他人のフォローのために使うことを無駄だと感じていた。もう不惑に手が届こうかという時期である。結局、僕は小規模校の方の校長に熱心に誘われたため、いわば情にほだされる形でその学校の学年主任になったのだが、いまではこの校長に感謝しても仕切れないくらいの恩があると感じている。この学校には学年主任として四年間勤めたのだが、この四年間は僕に革命的な変革をもたらした。学級という近い人間関係をつくれる生徒たちのみならず学年集団という自分以外の担任を介して生徒たちを育てる楽しさと難しさ、指導とフォローを重ねて若者を成長させることの喜び、自分のあとを任せるべき学年主任を育てることの喜び、そして何より他人と協働しながら成果をあげることの喜び……。簡単に言えば、僕はこの四年間でこの四つを学んだ。結果、この四年間の成果がもととなって僕は十冊以上の著書を上梓した。それも、「10原理・100原則」シリーズや「学級開き90日間システム」や「教師力ピラミッド」といった、僕の代表作と目されるものばかりである。もしも僕がこの小規模校への転勤を選んでいなかったとしたら、おそらく僕の現在はない。

ではなぜ、僕はこの四年間に結果として十冊以上の著書になるだけの実践研究を編み出すことができたのか。それは僕がこの四年間、一日たりとも先を見通すことのできる時間をもつことができなかったからである。そう僕は確信している。

先を見通せない毎日を送ることが、先を見通せる毎日を送ること以上に僕に頭を使わせたのである。僕の原理原則やシステムの提案はその賜だと僕は確信している。

先を見通せない毎日を送ることが、先を見通せる毎日を送ること以上に僕に人と関わらせたのである。僕の協同学習やチーム力の提案はその賜なのだと僕は実感している。

人生の岐路に立ったとき、先を見通せる方を選ぶのが成功のコツ、先を見通せない方を選ぶのが成長のコツ─この原理を僕は信じて疑わない。しかも、成功よりも成長の方が人生にとってずっと大事であり、常に成長の可能性が高い方を選択することが長い目で見たときには成功にも繋がっていくのだという人生を賭けた直観を僕はみじんにも疑わない。だから何か判断しなければならないとき、僕は先の見通せない方を必ず選ぶ。そういう主義だ。

この原理は若者を育てるときにも通すことにしている。新卒さんや臨採さんの指導を受け持ったとき、僕は彼らにどんどん新しいことに挑戦させる。年度当初の一ヶ月程度を例外とすれば、ルーティンをしっかりとこなすことよりも、新しいことに取り組ませることのほうを優先する。ルーティンワークなどというものは年度当初に形をつくってしまえば、あとは自分で考え、自分で修正しながら慣れていくしかないものである。そんなことに時間や労力を割くことはしない。新しいことに、しかも難しいことに次々に挑戦させていく。秋口になると新卒さんや臨採さんはだんだん自分で新たなことを考えて提案してくるようになる。自分のアイディアを実現してみたくなってくる。そして多少無理があってもそれを実現させる。子どもたちの安全が確保されている限りはすべてを認め、その実現に向けて協力を惜しまない。若者たちはもう冬には自分の仕事のすべてにおいて自分なりに工夫しようとし始める。一年目にこのサイクルをつくることが長い教員人生にとって何よりも大切なのだ。その後を決定してしまうほどに大切なのだ。それを僕は熟知している。

人生の岐路に立ったとき、先の見通せない方を選ぶ。それが自らを常に成長の渦中に置くための唯一の心構えだ。自らに「成長のサイクル」をつくる唯一の心構えだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勝利者は勝利者たることを意識しない?

「負けたくない」という言葉を聞くことがある。

教師の口からである。しかも研究会で出会った人たちの口から、直接・間接にこの言葉が出てくるのだ。ときには研究会の休憩時間にひたむきな表情で。ときには研究会の後日僕に対する質問のメールで。ときには僕の編著の原稿を依頼した際の原稿のなかで。この言葉を聞くと僕は戸惑ってしまう。いったいこの人はだれに負けたくないのか。だれと勝負しているのか。それが皆目わからないのだ。僕には見当もつかないのだ。

部活動を指導していてライバル校との対戦を控えているというのならわかる。同期採用のライバルがいてどちらが先に指導主事になるかを争っているというのなら、まあわからなくもない。百歩譲って、近々二つの公開授業があり、自分がうち一つの授業者であるという場合ならまだわかる。研究授業の評価なら有形無形に自分の耳に入ってくることがあるから、それにこだわってしまうということもあり得る。こうしたある程度の結果が示されるというものでない限り、僕は「負けたくない」という言葉を使わない。「自分に負けたくない」というのならわかる。弱気になる自分が嫌いで、自分の弱さに打ち勝ちたいという心情なら理解できる。しかし、彼ら彼女ら(僕に「負けたくない」旨を告げて僕を戸惑わせるのは決して男性教師ばかりではない)はなにか漠然とした相手を想定して、その相手に「負けたくない」と言っているようなのだ。だからこそ僕は戸惑う。

複数の人が参加し、勝ち負けがはっきりと決まる営みを俗に「ゲーム」と言う。野球のゲーム、バスケットのゲーム、トランプのゲーム、PCのゲーム、どれも複数が参加し勝ち負けがはっきりと決まる。「ゲーム」という言葉は英語ではあるが、既に日本人の心に深く根付いている。そんな日常が「人生はゲームだ」なんていう比喩を産み出した。おそらく彼ら彼女らは無意識のうちにこの比喩に自らの心情を掠め取られている。特に学生時代、体育系の部活動に勤しみ、部活動の経験を人生の糧として生きている人たちにこういう発想をする者が多いような気がする(でもこれは僕の思い込みかもしれない危険性がある)。

あまりに当然すぎて言うのもはばかられるが、教育実践はゲームではない。複数の人間が参加はするけれど、決して明確な勝ち負けなどつかない。学級づくりにおいて隣の担任に勝っているとか負けているとか、あの人より自分のほうが授業が上手いとか、僕が職員室で最も優れ教師だとか感じるのは、その教師の心持ちに過ぎない。その「自己満足ゲーム」には他のだれ一人として参加していない。一人遊びのマスターベーションに過ぎない。複数参加の原則が崩れているのだからもはや「ゲーム」でさえない。そういう人はこの単純な構造を理解していない。

僕の研究会に参加したり僕の編著書に原稿を書いたりする方々は実践研究に一生懸命に取り組んでいる教師であるわけだが、もちろん実践研究も「ゲーム」ではない。だいいち実践研究は必ずしも複数の人間が参加するわけではないから勝負の相手がいない。僕らのように著書のある実践者が著書の売り上げを競う場合がないわけではないが、それさえも笑い話として話題となることはあっても、著書の売り上げが高い者ほど優れた実践をしているなどとはだれも思っていないから、そんな会話は一瞬のこと。僕らの記憶にも残らない。

そもそも優れた実践研究というものはそれぞれが比較され、相対評価されるものでさえない。僕と同世代で懇意にしている実践者に石川晋とか赤坂真二とか青山新吾なんかがいるけれど、僕は石川に勝っているとか赤坂に負けているとか青山より優れているとか、そんな自己評価など考えたこともない。僕らは長い間、ただお互いに刺激を与え合い、ただお互いに学び合い、ただお互いに成長し合ってきただけである。

明日の自分は今日の自分とどう違うだろう。三年後の自分にはいったい何が見えているだろう。五年後の自分はいまの自分には想像もできないことを考えているに違いない。そういう未来の自分に対する期待だけが僕らの情熱を支えている。今日はこういう良いことがあった、今日は子どもの一人がこんな嬉しいことを言ってくれた、今日は同僚と一緒にこんな良い仕事ができた、そんな教師であればだれもが感じるはずの些細なことだけが僕らの毎日を支えている。

数年前のことだ。勤務校の校長に上目遣いで言われたことがある。それもその校長が赴任してきたばかりの、まだ人間関係も築けていない時期のことである。

「将来がバラ色の勝ち組はやっぱり違うなあ。僕らとは考えてることの次元が違うね。」

公務以外でこの人の頼みは絶対にきくまい。僕が決意した瞬間だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

言葉は意味よりも比喩?

世の中には「木を見て森を見ず」の人が八割を占める。「森を見て木を見ず」の人が二割。この二割はとても生きづらい日常を送っている。

「森を見て木を見ず」の人たちの何割かは「森を見て木も見る」人たちになっていく。経験を重ねることでさまざまな木が自らの森に結びつき、それを意識しながら生きることで成熟を示す。この人たちは他人に優しくなり、さまざまな業界で一流に昇っていく。こうして少数の〈森先行型の一流〉が生まれる。

「木を見て森を見ず」の人たちの何割かは「木を見て森も見る」に移行としようとする。でも、なかなかうまくいかない。木しか見てこなかった人にとって森を見ることは殊の外難しい。ほとんど人たちが中途で諦めてしまう。自分は自分だなどと自分を納得させて。それでもこれに成功する人は出ないわけではない。そんな人たちがごくごく少数の〈木先行型の一流〉に昇っていく。

ほんとうは「木も森も見る」のが良いに決まっている。だれだってそれはわかっている。でも、人間は自分の主体に縛られるからそれができない。木も森も等価に見ることができる人はおそらく〈超一流〉になれる。歴史に名を起こす偉人たちの多くは、そんな人たちなのかもしれない。

僕はふと時間があいたとき、煙草を一服しながらよくこんなことを考える。

ある若い女性同僚に訊かれたことがある。

「堀先生にとって、『アイデンティティ』という言葉はどういう意義をもってますか?」

ああ、この子はいま、「木を見て森も見る」に移行したいともがいているのだな……僕は一瞬でそう直感する。アイデンティティ……。僕にもこの言葉が大切だった時代がある。さまざまな西洋哲学を読み始めた学生時代のことだ。学生時代の文章をいま読み返すと赤面してしまう。アイデンティティはもとより、メタファとかアナロジーとかラングとかパロールとか現象学的還元とか脱構築とか、どうでもいい些細な日常分析にこんなにも大仰な言葉を使って自分だけの高鼻をつくっていた。いま考えても頬が熱くなる。

みんな気づいていないことを自分だけは知っている。その「勘違い境地」ともいうべきものが人に欺瞞をつくり、人を高慢にさせる。若いときなら尚更だ。彼女は彼女なりに深刻な問題を抱えているようで真剣に訊いていたので、僕は誠実に応えることにした。

「『アイデンティティ』なんて言葉に踊らされなくなったときが、『アイデンティティ』を獲得したときだ。その段階に入ると、たいていは『アイデンティティ』なんて言葉はまったく頭に浮かばなくなっているものだ。」

僕が話し終えるまでの数分間、彼女は熱心に僕の話を聞いていたが、彼女の表情からクェスチョンマークが消えることはなかった。そんな彼女の表情に僕はある種の愛おしさを感じながら、彼女のその後の人生に思いを馳せていた。この子は僕の言っている段階まで到達することができるだろうか。ああ、あのとき堀先生が言っていたのはこういうことだったのだなと実感的に捉えることのできる段階まで進むことができるだろうか。諦めずに進んで欲しい。木を見る人間が森まで見たいと思うこと自体がそれほどあることではないのだから……。

言葉がほんとうは暗示することしかできないものだということを、僕に教えてくれたのは寺田透だった。確か僕が二十三歳のときだ。ある文芸誌のエッセイでこの詩人がさまざまな具体例を用いて僕に暗示してくれた。いま考えるとこんなテーゼはさして珍しいものではなく、寺田に先行して同じ趣旨を述べた文章など数限りなくある。でも、僕に初めてこの「言葉の本質」に関して実感的に伝えてくれ、納得させてくれたのは寺田透だったわけだ。寺田のエッセイと出逢ったおかげで、もっと性格に言うなら、それ以前に欺瞞・高慢に陥っていた僕がこのタイミングで寺田のエッセイと出逢ったおかげで、僕は僕の人生において新たな段階に進むことができたわけである。僕はいまでも寺田透にある種の畏敬を抱いて止まない。

僕ら教師の言葉は子どもたちにとって、いつだって僕にとっての寺田透として機能する可能性がある。ただ一義的な言葉を語って指導はしたというアリバイづくりをするような言葉ではなく、言葉の暗示性を深く腹に据えて、子どもたちにさまざまな可能性をもたらすような言葉で語らねばならない。子どもは須く「木を見て森を見ず」である。その子たちに「森」を見せるために必要なのは決して直接に「森」を語ることではない。「森」を暗示する言葉、即ち「森の比喩」である。若い女性同僚にもそんなことを意識しながら語ったつもりなのだが……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師は嘘つきでもいい?

教師は嘘をつく職業だと言っても過言ではない。もしも教師がほんとうのことだけを子どもたちに語るとしたら、学校教育は成り立たなくなってしまうだろう。

きみはいくらやっても伸びないよ。人間には持って生まれた限界がある。なんだかんだ言っても長いものに巻かれるのが楽さ。どうしても合わない人ってのはだれにでもいるもんだ。生理的に受けつけない、そんな人に先生も幾人か会ったことがあるよ。馬鹿だなあ、男子ってのはだれだって性的にはお腹がぺこぺこの狼なんだぜ。女の子ってのはいつだって愛情の乞食なんだ。大人になったって楽にはならないよ、子どもでいられるいまの方がほんとはずっと楽なのさ、いまにわかるよ。みんながみんな真っ当に生きられるわけじゃない、イレギュラーってのは必ずいるもんだ。問題はその集団においてイレギュラーの出現する確率であって……。

こんなことを子どもたちに語る教師はまずいない。でも、職員室では語る。職員室では語るのに子どもには語らない。職員室で語るということは、その教師がほんとうはそう感じているということだ。それも自分の人生を顧みた本音の人生観としてそう感じているということだ。なのに子どもには語らないし、語れない。こういうのを「嘘つき」と呼ぶのは言い過ぎだろうか。

でも、そんな「嘘つき」もほんとうはいい人になりたいと思っている。いい人として感動の渦のなかに身を置きたいと考えている。だから、卒業式になると、教師は「いい子どもたちだった」と子どもたちの在学中を振り返る。ほんとうはいいことばかりじゃなかったのに、腹を立てたり哀しんだり切なくなったりしたことがすべて浮かばなくなる。「いい子どもたちだった」という印象のみが残った心持ちに包まれる。ほんとうは世の中はそんなに悪いもんじゃない。ほんとうは人はそれほど悪い人ばかりじゃない。ほんとうは人はいいところをいっぱいもっているんだ。そんな普段なら「偽善」のそしりを受けても不思議ではないフレーズが、「偽善」ではなくなる。

この、日常なら「偽善」とさえ感じられるフレーズ達を「偽善」ではないと感じさせるもの、その教師の心持ちの在り方はいつ何時に形成されたのだろうか。僕が言いたいのは、それこそが幼少期から青春期にかけての学校教育の賜なのではないか、ということだ。

日常的には「ほんとうは悪い」と感じているものさえ、「ほんとうはいいのだ」と信じたいと思わせるもの……。そういうものが世の中にはあるということを信じる心持ち……。人はそれなくしては生きられないのではないか。そしてそういうものが確かにあると体感させること、教えるのではなく、理解させるのでもなく、頭にではなく心と躰に無意識裡に焼き付けること、それが学校教育の務めなのではないか、そう思うのだ。

こう考えれば、ほんとうにはやっても伸びない子に「きみはやればできる。」と言い続けることが肯定されるはずである。「だれしも無限の可能性をもっている。限界なんてない。」と言い続けることも肯定されるはずである。「だれにも良いところはある。悪いところではなく良いところを見るように心掛ければ、嫌いな人、苦手な人でも好きになれる。」と言い続けることも肯定されるはずである。「先生には嫌いな人なんていないな。」という大嘘も肯定されるはずである。「いま頑張れば、後に素晴らしい人生が待っているんだよ。」という根拠のないポジティヴ思考も肯定されるはずである。こう考えれば、教師は「嘘つき」でなくなる。少なくとも、教師の嘘が「必要悪」にはなる。良心の呵責を感じることなく、教師が綺麗事を言えるようになる。

世の中は綺麗事だけではできていない。大人になればイヤというほどにわかる。わかりたくないのにわからざるを得なくなる。いや、思春期から少しずつ綺麗事の欺瞞が曝かれるのをだれもが少しずつ目にするようになる。そうして僕らは大人になってきた。いま、僕らの目の前にいる子どもたちもそんな欺瞞を少しずつ目にしながら毎日を過ごしているはずだ。そんな子どもたちに、「世の中、悪いことばかりじゃないよ。」「頑張れば良いこともあるんだよ。」「努力は必ず報われるんだよ。」と語ってあげることが僕らの仕事なのではないか。

自分が教師になってからを振り返ってみよう。逆境に身を置かざるを得なかったとき、そこで諦める人と諦めない人との違いは、そこで前を向けるか否かであるはずだ。逆境において前を向ける人は、どこか世の中を信じ、どこか人を信じているところがある人、そんな印象がないか。

だれだって前を向きたい。でも、前を向くためには前を向くための基礎体力のようなものが必要である。その有無を決める大きな要素の一つに学校でどう過ごしたかがある。

教師は子どもたちのためにこそ、「大嘘つき」であるべきなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

一人で思索にふけられる場所がある?

一人になりたいことがある。どうしても一人になって考えたいときがある。どうしても一人でなければ考えられないことがある。そんなとき、一人になれる場所が必要である。

物理的に一人である必要はない。要するに、周りに人がいても構わない。だれにも話しかけられることがなく、だれにも邪魔されることもなく、周りに不愉快なノイズがない。それが条件だ。要するにだれにも煩わされることなく、一人で思索にふけられる場所である。何ものにも邪魔されずに一人で心ゆくまで考えられるのならどこでもいい。

近くの公園でもいいし、海の見える丘でもいい。ただし、学校の一室や自宅の書斎ではいけない。そういうあまりにも慣れ親しんだ日常空間では、人はあまり斬新なことを思いつけない。何か思索にふけようとするとき、何か良いアイディアを思いつきたいと願うとき、人はそれほど慣れ親しんでいるわけではない、それでいて心地よい場所を求める。

僕の場合は、家からね学校からも、ちょうど車で10分ほどのところにある珈琲店がそういう場所だ。札幌市の東区にある「宮田屋」という珈琲店だ。僕は自分が人事上の判断をしなければならないとき、原稿執筆に行き詰まったとき、人に煩わされることなく落ち着いて本を読みたいとき、この珈琲店に行ってマンデリンを飲む。ときにはトーストも食べる。マンデリンは平均三杯、トーストはバターだけをつけてジャムには手をつけない。ここに行くと、必ず良いアイディアが浮かび、それまでの行き詰まりが解消される。たぶん「宮田屋」の心地よさが僕にそういう境地をもちらしてくれるのだと僕は信じている。

例えば、ある年のことである。僕は四月から学年主任になることが決まった三月中旬、自分の学年に所属する教師たちにどんな仕事を割り振るか、要するに学年分掌を考えるために、「宮田屋」で四時間もマンデリンを飲み続けた。仕事内容一覧と学年所属教師の名簿とをテーブルに並べて考え込んだ。しかも両方の文書とも十枚ずつコピーして、何度メモをし直しても良いように準備して。学年で起こるであろうこと、考え得るあらゆることを想定して、四時間、ただただ一年間に起こるであろうことを想像し続けた。どこまで想像できるか、自分の経験と想像力の限界を見つけようとでもいうような営みだった。途中でお腹が空いてモンブランを食べた記憶がある。

例えば、ある年のことである。僕は一斉授業に関する本を書くために原理・原則をまとめるために、「宮田屋」で八時間もマンデリンを飲み続けた。それまでさまざまな本を読んでまとめたメモノートと、自分の実践記録から抽出したメモノートと、本を書くためにとメモ用に買った新しいノートと、三冊だけをもって「宮田屋」の角の席に居座った。午前中から夕方というにはもう遅い時間まで、ただひたすらに原理・原則をまとめ続けた。「宮田屋」を出る頃には空はもう暗くなっていたし、新しいノートは既に半分以上が埋まっていた。途中でお腹が空いてトーストを食べた。ノートにパン屑がいっぱい落ちたが、ちっとも気にならなかった。

例えば、ある年の夏休みのことである。僕は長年僕を悩ませてきた村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」と格闘する決心をして、六日連続で「宮田屋」に通い続けた。六日間でマンデリンを何杯飲んだのかもわからない。途中でグァテマラをはさんだイメージがほんのりと浮かぶ。六日間で二万円を超える金額を使ったことだけは覚えている。六日目にこの六日間でいくら使ったんだろうと小市民的な計算をしたからだ。「宮田屋」の珈琲は決して安くはない。六日間、しかも一日十時間近くもいたのだから、珈琲を三十杯近くのんだのだろうと思う。トーストも六回は食べたはずだ。六日間の成果として、僕は「ねじまき鳥クロニクル」に関する新たな段階の「迷い」というか「疑問」というか「課題」というかを得て、満足して「宮田屋」通いを一段落させた記憶がある。夏の暑さにうんざりしながら「ねじまき鳥…」なんか読めるものではない。少し寒いのではないかとさえ思われる「宮田屋」の冷房のきいた角の席で読むには村上春樹の謎解きはうってつけと言える。うんざりする暑さのなかでも夏目漱石なら畳に寝転がってでも読めるが、村上春樹だとそうはいかない。

どうしても一人になりたいことがある。どうしても一人になって考えたいときがある。どうしても一人でなければ考えられないことがある。そんなとき、どうしても一人になれる場所が必要である。周りに人がいても構わない。だれにも話しかけられることがなく、だれにも邪魔されることもなく、周りに不愉快なノイズがない。それが条件だ。要するに一人で思考の自由に遊べる場所が必要なのだ。この時間が仕事にも生きているという確信が僕にはある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

できる人は失敗しない?

失敗しないことが「できる人」の条件であると考える風潮が世の中にある。

若き日の失敗を糧として頑張り抜き、遂に成功を収めたという人が世の中では人気がある。

違うな……と思う。「できる人」は失敗を失敗と意識しないのである。「できない人」は致命的でない失敗、つまりは取り返しのつく失敗でさえ致命的な失敗だと思って自らを卑下する。失敗を失敗にしてしまうのは、「致命的な失敗だと思って自らを卑下する態度」である。こうした態度に陥ったとき、人は「自分は失敗したのだ」と感じ、周りの人は「ああ、あの人は失敗したのだな」と認知する。事実、世の中には端からはどう見ても失敗の連続に見えるのに、自分で派失敗だと意識することなく、笑顔で、楽しそうに、意気揚々と生きている人たちがいる。そう言う人を見ると、悪くない人生だな……と思う。

致命的でない失敗を致命的な失敗だと勘違いしてしまう人たちに共通して見られるのは、何かをやろうというときにこの手立ては必ずうまく行くはずだと安易に信じ込んでしまう傾向である。必ずうまく行く手立てをもっているとき、人は他の手立ての可能性を考えない。他の可能性を考えないたった一つの手立てで勝負しようとする。だからイチかバチかになってしまう。結果がうまく行くか行かないかの二つしかなくなる。往路の燃料だけで戦場に向かう特攻隊のようなものだ。

小さな失敗を重ねているにも拘わらず、それを失敗だと認識しない人たちに共通して見られるのは、すべての手立てを実験だと考える傾向である。実験には成功も失敗もない。ただ結果があるだけだ。これが成功しなければあれ、あれが成功しなければそれ、しかもこれもあれもそれも必ずデータを取っている。そのデータがその実験対象に対して多角的な分析を生む。多角的な分析は必ず深い分析になるから、だんだん実験の精度が上がっていく。だからその分野では、だんだん小さな失敗さえ少なくなっていく。そんなサイクルが形成される。

でも、こういう人は一つ処に止まっていることは少ない。一つのことに目に見える成果を上げたら、必ず次の分野の開発に目が行く。そこでも幾つもの実験と小さな失敗を繰り返しながら精度を高めていく。数ヶ月から数年単位で常に成果を上げている人たちに共通して見られるのは、こういう構造なのだと思う。

教師も一つの理念・方法にこだわり続けている人には、後に必ず危機が訪れる。最近は社会の変化が激しいから一つの方法の賞味期限がどんどん短くなってきている。一つの理念、一つの方法にこだわり続け、それ以外を学んでこなかったから二の矢、三の矢をもっていない。心細くなって、自分が学んできた理念・方法は間違っていたのではないかと落ち込み、遂には自分の人生は間違っていたのではないかと落ち込む。早期退職を選ぶ者さえ少なくない。でも、その人生が間違っていたとすれば、それは往路の燃料だけで突進し続けたことであって、その理念・方法を学ぶことに意味がなかったわけではない。その理念、その方法と同じくらい価値のある理念・方法がたくさんあったのに、それらを学ぶことを怠ったこと、それらを学ぶことの必要性に気づかなかったことが敗因だったのである。

最近、僕と同世代の、四十代後半から五十代の実践家が教育書コーナーを賑わせている。僕も長年教師を続けてきて、しかも民間教育の動きのなかで過ごしてきたので彼らの多くと若い頃から面識があったけれど、彼らの多くは若い頃にみんな「ミーハー」でちょっぴり「おたく」という共通点があったように思う。もちろん僕を含めてである。「ミーハー」だからあれもこれもと次から次へと手を出す。ちょっぴり「おたく」だから「これこそは!」なんて短期間だけ没頭する。でも、すぐに飽きる。そしてそんな熱しやすく醒めやすい自分をお茶目だと肯定している。だから自己肯定を旨とし、深刻な自己否定に陥らない。そんな人たちであったように思う。

僕らが若い頃といえば、ちょうど「教育技術の法則化運動」が隆盛を極めていた頃で、民間教育に興味を抱いている若手教師たちは、法則化運動にどっぷりつかる者と外から眺めて摘み食いする者とに二分された経緯がある。現在、教育書コーナーを賑わしているのは明らかに後者の人たちである。彼らは法則化運動の価値も意義も理解したうえで、「でも、自己否定から出発するのはいやだな…」とか「法則化だけから学べと言われるとちょっとな…」とか、そんな程度で法則化運動に与しなかった者たちだったように思う。小さな失敗を繰り返しながらも、そんな失敗をも含めて自分自身の在り方を楽しめる、それを価値としているような人たちだったようにも思う。

失敗する自分を愉しめるようになったら一流……。そんな人生観が僕らの世代にはある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

頑張れば頑張っただけ成果が出る?

僕のすべての実践理論はさぼるために生まれた。

もう少し正確に言うなら、自分の時間を確保するために効率的に仕事をしようと、あれこれ工夫しているうちに生まれたと言ったほうがいいかもしれない。

とにかく自分の時間が欲しい。本を読んだり思索したりする時間が欲しい。家で犬と戯れたり惰眠をむさぼったりする時間が欲しい。友人たちと馬鹿げた会話をしながら酒を酌み交わしたり、すすきののバーでお気に入りの女の子をからかったりする時間が欲しい。ときには家族と団欒の時間も欲しい。残業なんてしている暇はない。時間が惜しい。そんな想いが強いが故に僕は仕事を効率化せざるを得なかった。仕事を効率化するには、ルーティンワークの原理・原則をもつことが効果的だった。仕事を効率化するためには、二度手間にならないように時の文教政策を熟知することが効果的だった。仕事を効率化するには、だれも考えつかないような大胆なアイディアを実践することが効果的だった。仕事を効率化するには、一人で仕事を抱えずに職員室のみんなと協働することが効果的だった。こんなふうに僕のすべての提案は生まれてきた。

僕は基本的に、定時に退勤することを信条としている。朝、必要以上に早く出勤することもしない。若いときに夢中になっていた部活動の指導もやめてしまった。通勤時間を短縮するために近くの学校に転勤させてもらった。現在、通勤時間は片道六分である。これだけ徹底して自分の時間を確保しようとしてみると、僕の平日に、夕方17時から就寝する24時まで、なんと7時間もの時間が生まれてしまった。

生まれながらのさぼり魔である僕は、昼間に予約録画しておいた2時間ドラマの再放送を見たり、好きな音楽を流しながらネットサーフィンをしたり、小さな呑み会で馬鹿話の連続に大笑いをしたりといった時間がたくさんある。しかし、もともと僕が時間をつくる目的としていた読書の時間や思索の時間、原稿執筆の時間や人と会って情報交換する時間も、周りの人たちよりもずっと多く、しっかり確保することができている。僕はこの生活がとても気に入っている。学校では効率的にコン詰めて仕事をし、退勤後はすべてが読書と思索では読書も思索もいずれ形骸化してしまうに違いない。うまく言えないけれど、僕の生活の在り方は僕という人間とバランスがとれている。

でも、僕の周りには、残業することこそが生き甲斐ででもあるかのように生きている教師があふれている。なかにはその残業が仕事にも人生にも生きているという人もいるけれど、それはごくごく少数だ。何の根拠もないけれど、十人に一人いるかいないかだ。十人中九人は自分はそれなりの教師だと自分自身で思いたいが為の残業、或いは早く帰るのは気が引けると同僚の目を気にしての残業である場合が多い。つまり、自己満足の残業と自意識過剰の残業だ。僕にはそう見える。

ところが、そんなにも頑張って残業しているというのに、彼らは仕事のうえで、僕ほどの成果を上げていない。あんなにも時間と労力をかけているというのに、あんなにも時給とゆとりと自らの精神をすり減らしているというのに、それに見合った成果を上げていない。さぼり魔の僕は時給が高いばかりか、外の仕事でも幾ばくかの収入も得ているというのに。時間的にも体力的にも精神的にもゆとりを謳歌しているというのに。

ある同僚の女の子が僕に言ったことがある。

「世の中は不公平だ。こんなに頑張っている私は仕事がうまくいかないのに、堀先生は仕事をぱっぱと終わらせて5時に帰る。なのに、ミスがない。私も堀先生のように能力のある人に生まれたかった。世の中は不公平だ。ああ、『できる女』になりたい。」

僕は「僕くらいの年になればそうなれるよ」と応えたけれど、おそらく彼女は僕のようにはなれないだろう。それは能力が低いからではなく、考えて仕事をしていないからだ。僕は新卒以来、さぼるために、効率的に仕事をして自分の時間を生み出すために常に考え続けてきた。小さなことにもこだわりながら、考えて仕事をしてきた。いまの僕の仕事のスタイルだって一朝一夕で出来上がったものではないのだ。

もちろんこんなことを彼女には言わない。「それじゃあ、きみが『できる女』になるために何が必要かじっくり考えるために、今度、二人ですすきのに食事に行くのはどうだろう。」などと言って彼女をひと笑いさせて、「じゃあお先に…」と退勤するのである。

人間関係において「きみは無能だ」などと面と向かって言うのは、仕事をするうえで効率的ではないということを僕がいやというほどに知っているからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ナルシスですけど……何か?

はい? ええ、ナルシスですけど……、何か?

教師が人目をはばからずにこう言えるようになったら、もっともっと学校教育が機能するだろうに。そう夢想することがある。だいたい職員室にはナルシスしかいない。教師ならだれもが知っている。いや、実は生徒だって保護者だってみんな知ってる。でも、世間がそれを許さない。世間は学校が子どもたちのためにあるという建前を絶対に崩さないし、教育基本法は少しくらい改定されたって学校が健全な市民を育てる場であることを謳い続ける。学校が教師の自己実現の場などとはだれもが決して認めない。だから教師は自分がほんとうはナルシスであることを語らない。とついうより語れない。

語れないから、自分のやりたいことをやるのに理屈が必要になる。当然その理屈が気に入らない人とは軋轢を起こすことになる。何度か軋轢を起こすと、だれもが軋轢を起こさないような理屈に改め始める。理屈の骨が抜かれる。結果、だれも反対できないような美しい抽象論だけになっていく。こうして美しい抽象論だけで教育が語られるようになる。だれもが満足する。みんな満足する。もう軋轢は起こらない。そのうち、忸怩たる想いで美しく抽象化してはずの教師でさえ、その美しい抽象論を信じ始める。もともとそう考えていましたけど……、何か?ってな具合になる。美しい抽象論はできないことをできると錯覚させる。必要悪と呼ばれる例外があることも認めない。だから至るところで現実と齟齬を来す。その齟齬のギスギスを真正面から引き受けさせられているのが現在(いま)の教師である。

こんなことなら、最初からナルシスだと認めておきゃ良かった……後悔しても始まらない。学校教育では、みんなで美しい抽象論に酔うことに決めたんだもの。それが国民的コンセンサスなんだもの。そういう職業だと諦めて、そういう役割だと諦めて、日々仕事に勤しむしかない。こうしてサラリーマン教師があふれ出す。でも、サラリーマン教師もやり玉に挙がる。美しい抽象論を具現化していないとクレームをつけられる。はい、そうですかとばかりにクレームが来ないように対処する。子どもや保護者の意にそぐわないことを避け始める。こうして学校教育はサービス業に堕してきた。教師も保護者も政治も法律も、ほんとうはだれも望んでいないところに落ち着いてしまった。それが現在(いま)の学校教育である。

最近は残業代も出ないのに無限に仕事が増えていく教職の在り方に対して愚痴るブログが人気を集めていたりする。ほぼボランティアで動いている部活動の在り方を批判するブログも一部の教師に人気である。学校を「ブラック企業」呼ばわりするサイトさえある。堀井憲一郎によれば、若者にとって「ブラック企業」とは残業手当を出さずに残業を当然の日常として要求する企業のことであるらしいから、そういう意味では確かに教職は法律で完全に認められた「ブラック企業」かもしれない(「やさしさをまとった殲滅の時代」)。しかし、これだけ安定した生活を保障してくれる「ブラック企業」もないわけで、その意味では教職にある者がこんなこくとを叫んでみても世間から手痛いしっぺ返しをくらうだけである。八方塞がりだ。

ときどき、もう教師は「大ナルシス集団」であることを宣言してしまってはどうだろうか、と思うことがある。「子どものため」と口では言ってますが、決して子どものために動いているわけではないんです。子どもの成長を鏡にして自己実現しようとするのが教師という職業の一般的な在り方なんです。そう宣言してしまうのだ。教師の各々が自分のナルシシズムの核となっている「やりたいこと」に徹底して取り組むのである。全員が一芸をもち、その特性を公開するわけだ。

そして、履歴書にも正直に書く。「学級崩壊率が2割ほどありますが、校内装飾と教室環境整備には自信があります。」とか、「学級崩壊経験ありません。生徒指導もそこそこできます。でも、事務仕事が大嫌いでゆるいです。締切守るのもちょっと苦手。」とか、「担任持ちたくないです。でも、サッカー部の指導、命かけてやります。三年以内に県大会ベスト4入り、五年以内に全国大会出場させます。」とか、「生徒と接するのには苦手意識がありますが、頑張ります。二年後の新教育課程実施に際し、地域の特色、学校の特色を打ち出した教育課程を創造します。」とか書くわけだ。これを人事に活かす。多様な人材を集めて、様々なプロジェクトを職員室につくっていく。基本的に各々が「やりたいこと」を中心に仕事に取り組めるように人事を動かす。

やりたいことやってるときの教師の力には、けっこうすげえもんがあるんだぜ。教師のモチベーションアップには、これが一番いい方法だと思うんだけどなあ(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目指すべき究極の教師像がある?

他人に憧れたことがない。いや、これは正確じゃない。中村雅俊演じるテレビドラマの主役やロバート・デニーロ演じる映画の主役になら憧れたことがある。どちらも十代のことだ。正確を期せば、だれか先輩教師に憧れたことがない。うん。これなら間違いない。僕は先達を尊敬したことはあっても憧れたことはない。その先達のようになりたいと思ったことがない。そんな発想さえもったことがない。僕の記憶が正しければこれだけは確かだ。

僕が教師になった九○年代、教育界のトレンドは「名人教師」だった。名人教師たちの著書を読みまくり、雑誌を買えばまずは名人教師たちの原稿を読み、お金があれば飛行機に乗って日本中どこにでも会いに出かけた。でも、僕には名人教師たちの「人間っぽさ」ばかりが目についた。ある名人教師は飛び込み授業で子どもたちを小手先の技術で誤魔化そうとしていたし、ある名人教師はセミナーで自分に反論してくる参加者を威圧して黙らせていたし、ある名人教師はある有望な若手教師の態度が失礼だったからと言って著書で批判していた。僕は彼らを批判しているのではない。当時、僕が名人教師たちに感じていたのは、「ああ、名人も人間だ。そしてそんなところがラブリーだ。」という感慨だったように思う。

僕はそんな時代に無意識のうちに決意していたように思う。僕は僕自身であり続けようと。そして僕の駄目なところまで含めてラブリーだと思われたいと。そのためには、「名人」などと呼ばれてはいけないと。有名になり過ぎてはいけないと。ただただ表現したいことを表現し続けようと。読者におもねる表現だけはすまいと。それで世の中から消されるなら仕方ないと。僕は他人に僕を押しつける生き方しかできないと。

四十を超えて、そういう「押しつけたい僕」をだれもがもっていることに気がついた。同僚も、生徒たちも、だれもがそんな自分をもっているのだと。それならそういう人たちがみんな自分を押しつけていけるような教育方法を考え出せないだろうか。そんなことを考え始めた。僕が協同学習だの、ファシリテーションだの、チームビルディングだのと言い出したのにはそんな経緯がある。そしていま、僕はできるだけ僕を押しつけないように生きたいという僕の考え方を、みんなに押しつけようとしている(笑)。

どんなに「子どもたちに自分を押しつけまい」と頑張っても、教壇に立つ限りそんなことはできない。できないというよりもあり得ない。教室から教壇を取りはずして同じ高さで語っても、子どもたちを呼び捨てることなく敬語を使ったとしても、カウンセリングマインドを基本に子どもたちに共感し続けても、こうこうこういうわけだと言葉を尽くして説明責任を果たしても、結局、教育というのは子どもたちを望ましい方向へと矯正するものでしかない。しかもその「望ましさ」は教師の想定範囲内の「望ましさ」を決して超えることはない。「みんなで上を向いて歩こう。」とか「あっちの水よりこっちの水の方がいいよ。」とか「そっちの山よりこっちの山の方が広く物事が見えるよ。きみはまだそれを知らないんだ。」とか言って、自分に見える景色を子どもたちにも見せようとしているに過ぎない。教師に見えないものは教室のなかに存在しない。教師は自分に見えないものがあることに気づいていない。そんなものがあることに思いを馳せた経験さえもたない。その結果、教師に見えないものは教室には存在しないことにされてしまう。それがすべての教室の構造だと思う。

もちろん僕だってこの構造から自由にはなれない。僕の教室だって、僕に見えないものは存在しないことになっている。でも、手前味噌で申し訳ないけれど、僕には教室がそういう構造に陥っているという自覚がある。その自覚が、僕にとって教室で起こるあらゆることを教材として意識させる。子どもたち用の教材じゃない。僕自身が教師として成長するための教材だ。要するに教室を、職員室を、学校を、地域を、僕にとって「フィールド」にする。僕は職場で「フィールドワーク」を愉しめるようになる。毎日が発見の連続になる。それを細かくメモに取る。そのメモを幾度となく見返す。発見が発見を呼び、発想が発想を呼ぶ。毎日が祝祭的になる。

毎日を面白がりながら、日々の小さな出来事に発見に次ぐ発見を重ねて面白がりながら、ハイな気分で子どもたちの前に存在し続ける。五年後の自分はもっと発見するからもっと面白がれる。十年後は更にもっと。そんな自分への確信が更に「現在(いま)」を面白がらせる。この構造に入ってしまえば、他人に憧れるなんてできるわけがない。

「目指すべき究極の教師像」は、常に自分のなかにある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

量より質?質より量?

「量より質」を好む人と、「質より量」を好む人がいる。僕は後者だ。需要する側なら「量より質」も成り立つが、供給する側ならまずは「質より量」を信条とすべきである。

食べ物を例にするとわかりやすい。

ファーストフードの牛丼やハンバーガーなんかを腹一杯食べるよりも、コースで愉しめるイタリアンに高級ワインでほど良い満腹感を得るほうがいいに決まっている。コースじゃなくて、その日の気分で料理を選べたら言うことなし。個人的には、ミシュラン★つきの和食に大吟醸なんてたまらない。ちなみに札幌にある僕の行きつけはそういう店だ(ほんとは「行きつけ」なんて呼べるほどには行けないけど……)。これが「量より質」ってことだ。

でも、これが広がりの視点をもつと話が変わってくる。マックのハンバーガーとロッテリアのハンバーガーとモスのハンバーガーとなんとやらのハンバーガーと……というふうに、食べ比べられるというのなら、僕はミシュランに大吟醸よりもそっちを選ぶかも知れない。単にハンバーガーを腹一杯食べると言うだけでなく、別の学びが産まれるからだ。そう。いろんな店でハンバーガーを食して「量」を受容することによって、比較しながらハンバーガーの「質」について思考するという「質」への萌芽が産まれるのだ。こうなると、僕という人間は食欲を超えて、その学びのほうに惹かれ始める。

ここまでを読んで、「なーんだ、堀さんもやっぱり質じゃん!」と思ったあなた。そう。それは正しい。でも、イタリアンの味や高級ワインの味、ミシュラン和食や大吟醸の味をほんとうに僕らはわかって「おいしい」と言っているのか、というところが問題なのだ。有名なイタリアンのお店だから、このワインは高級だから、ミシュランが★をつけたから、大吟醸だから、そんな他者基準の「質」で、「質が高い」と判断してはいないか。でも、ハンバーガーの食べ比べは違う。子どもの頃から馴染んだハンバーガーについて、三店舗も食べ比べれば、僕らはそれなりに自分基準の「質の高さ」を判断できるのではないか。そこのところを僕は突きたい。

実はこういうことが教育界にもままある。同僚や友達に勧められて参加した研究会。そこで学んだ教育理念や教育方法。なんとなくそれを基準に始める教育実践。十年も経つとその道の大家と呼ばれ、「それ以外は認めない」の急先鋒。それ以外を認めない割には、それ以外と自分の方法との違いがいま一つよくわかっていない。そもそもその理論や方法の開発者が影響を受けたと明言している理論・実践にさえ目を通していない。ひどいになると、そんな自分のやっていることの出自となっている理論・実践さえ否定する。そんな自称「実践家」が多い。さて、この「実践家」の実践は「質が高い」と言えるだろうか。それほど有名ではない、市井の教師が開発した方法でも、とにかくいろいろ試してみて、そのなかから自分に合った方法、自分で手応えを感じた方法を追究していく。そういう経緯を辿った教師の実践のほうが実は「質」が高くはないか。

ここまでは需要側の話。供給側になると話はもっと大きくなる。一つの理論・方法にこだわり続けている人は、例えば言えば、フレンチ一筋、和食一筋の料理人みたいなものだ。子どもたちのなかにはフレンチがあくまり好きでない子もいれば、和食が苦手な子もいる。レストランならその店に行かなければ済む話だが、学校では子どもたちがその授業を避けることなど許されない。フレンチ一筋、和食一筋といった「一筋実践家」は多様な子どもたちに対応できていないのではないか。

百歩譲って、それでもフレンチ一筋で行くとしよう。さて、フレンチ一筋で料理の腕を上げるにあたって、フレンチだけつくって修業していれば素晴らしいフレンチの料理人が出来上がるのであろうか。和食やイタリアンや中華や……その他諸々にも興味を抱いて、それぞれの良さと限界を知ったほうが、「フレンチとはどういうものか」というフレンチの本質が理解できるのではないか。力量の高い「フレンチ一筋」になるには、フレンチを相対化する視座をもつ必要があるのではなかろうか。広い視野で「量」をこなし、自分基準の「質」を見出した者だけが、実は「○○一筋」の「質の高さ」を担保できるのではないか。僕はそんなことを思うのだ。かつて、「何でも見てやろう」と言った著名な文学者・運動家がいたけれど、教師に必要なのはこの「何でも見てやろう」という淫らさみたいなものだ。特に若いうちはこの姿勢が必要だ。一つに絞ろうなんて、若年寄になってはいけない。

僕はいつも若い教師たちにこう語る。

「まず量をこなせ。量を蓄えよ。質はあとから付いてくる。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

優しさと技術と

1.優しさと技術

必要なのは“優しさと技術”である。

「優しさのない技術」はいくら身につけても人を幸せにしない。子どもも、保護者も、同僚も、そして自分自身さえ。冷たい技術を振りかざす教師として揶揄される。「研究屋」「事務屋」「部活屋」「行事屋」など、古くから技術を振りかざすだけの教師は忌み嫌われてきた。

一方、「技術のない優しさ」は気持ちだけが先行し、優しさを機能させ得ない。子どもが困っているとき、保護者が迷っているとき、同僚が戸惑っているとき、共感を示すだけでは扉を開いてあげられない。側にいて共感するのは家族や恋人の仕事であって教師のそれではない。

総じて、教師の力量形成を考えるとき、「優しさのための技術」を身につけようとの方向性と、「技術を身につけてこその優しさ」を機能させようとの方向性と、この二つを指標に力量形成を図るのが良い。

2.HOWとWHY

例えば一斉授業の技術を身につける。或いは学級経営の技術を身につける。こうした「学級集団を動かすための技術」は、学級集団の最大公約数に機能する「傾向」として発見され、それを更に機能させることを旨として発展してきたものである。あくまで学級の大多数に機能するものであって、学級に所属するすべての子どもたちに機能する技術ではない。必ず少数の「取りこぼし」が出る。

技術を学ぶ教師はついこのことを忘れがちになる。学級の大多数がその技術に触発され、活発に動いていることが教師の目を曇らせる。少数の取りこぼされた子どもたちを「あれども見えず」にしてしまう。特に年度当初は、この少数の取りこぼされた子どもたちさえやる気に満ち、「今年は頑張ろう」と思っているが故に、この子たちも教師の期待に応えようとする。その姿勢が更に教師の目を曇らせる。この子たちの動向が「取りこぼされた子」のそれであることが鈍感な教師たちにも見えるまでに顕在化してくるのは、早くて5月、遅ければ10月くらいまでズレ込む。

技術を学ぶことに意識を高くもつ教師は、この段階になって初めて少数の「取りこぼし」に気がつく。しかし、更に致命的なのは彼らがこの段階になってもまだ、そうと気づかずに「技術」によって「取りこぼし」を取り込もうとすることである。

・どうすればあの子が集中するだろうか。
・あの子が漢字を習得できる何か良い方法はないか。
・どんな活動をすれば、あの子が学級のみんなにまじって交流できるようになるだろうか。
・あの子が立ち歩かずに授業に参加できるような、何かおもしろい学習活動はないだろうか。

これら、教師が抱きがちな問いの羅列にもう一度、改めて目を通してもらいたい。これらの問いがすべて「どのように」という問い、つまり「HOWの問い」であることに気づくはずである。

「HOWの問い」はあくまで、学習活動にうまく参加できないその子自身に意識が向けられているのではなく、更に良い学習活動はないかという「いかに集団全体を動かすか」という視点に向けられている。今回用いた技術に取りこぼしが生じたので、更に広く取り込めるような質の高い技術がないかという指向性をもった問いである。教師がこの視座に立つ限り、「取りこぼし」は必ず出る。一人も取りこぼさない教育技術などというものはこの世に存在しないからだ。この構造を一斉授業や学級経営といった従来型の全体主義的教育形態であるからだと断罪してはいけない。協同学習であろうとワークショップであろうとファシリテーションであろうと、この構造は同様である。それが子ども一人ではなく、「集団としての子どもたち」を一斉に動かそうとする「技術」として意識されている限り、それに参加しづらい、参加したくないという子が必ず出る。  これが「なぜ」という問い、つまり「WHYの問い」になると、一気に視点がその子個人に焦点化される。

・なぜあの子は集中できないのか。
・なぜあの子は漢字を習得できないのか。
・なぜあの子はみんなにまじって交流できないのか。
・なぜあの子は授業中に子立ち歩くのか。

視点を「HOW」から「WHY」に置き換えるだけで、一気に思考の枠組みが学級集団ではなく、その子個人に焦点化されているのが理解できるはずだ。これらの問いには「どのように」という方法もなければ、「どんな授業」というあり得べき学習活動もない。「なぜ」というありきたりの疑問詞が、ただ一人、その子個人を一人の個人として見る視座を生む。本来、「どのように」という問いは、「なぜ」現状があるのかという分析のうえに成り立つ問いである。「なぜ」が明らかになってこそ、その理由に基づいて対策が講じられ、「どのように」という施策になるはずのものである。なのに、教師の世界、学校教育の世界ではこの「あたりまえ」があたりまえになっていない。その子の「なぜ」を考えず、最初から「どのように」を考えて選択された方法がその子に合致する確率など、だれが考えても低いに決まっているではないか。

多くの教師は、自分が子ども一人ひとりに共感しているように思っているが、実は子ども個人ではなく、「方法」や「学習活動」にしか目を向けてはいないのである。「優しさ」を伴わない「技術」でものを考えているのである。「HOW」を考える前に、必ず「WHY」を考える。その習慣を身につけた者だけが、「優しさ」と「技術」とをスパイラルに機能させられるようになる。

教師の力量形成のキモは、常に「WHYの問い」を持ち続けることである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

情熱や熱中は美徳?

世のなかに二種類の人間がいる。一方は雲の向こう側を見つめている人。他方は足許のぬかるみばかりを気にしている人。足許ばかり気にしていると人間が小さくなるけれど、雲の向こう側ばかりを見つめても足許がおぼつかない。常に彼岸に思いを馳せながらも、基本的には此岸に神経を注ぐというのがあるべき姿なのだろうとは思う。

教師には情熱が不可欠とされる。子どもも保護者も熱中先生を求める。しかし、長年教師をやっていると、あまりにも空回りする情熱先生や、あまりにも視野の狭い熱中先生を何人も見てきたという実感がある。結果、僕は彼らのせいで、情熱や熱中はほんとうに美徳なのだろうか……とさえ考えるようになってしまった。情熱先生や熱中先生の特徴は、なんといってもその情熱や熱中が外から見ていても感じられるという点にある。つまり、自分の心のなかで情熱を燃やすのではなく、周りから見ていても熱気がムンムンと感じられるのである。考えてみるとそれは道理である。外から見えなければ「情熱がある」と評価されないし、「熱中先生」とも呼ばれないのだから。

しかし、外から見えるほどの「情熱」や「熱中」は、その教師の一つのことに対するあまりにも大きなこだわりから生まれる。学級づくりであろうと、生徒指導であろうと、部活動であろうと、それは変わらない。「子どもたちのために」というテーゼのもと、すべてを投げ出して情熱を注ぎ熱中する……。それが情熱先生、熱中先生の一般的な姿である。新指導要領の具現のために情熱を傾ける先生とか、教育界のためにと授業研究に情熱を傾ける先生とか、勤務校の教育課程をよりよいものにしようと情熱を傾ける先生とかが、「熱中先生」の称号を与えられるのを見たことがない。要するに、「情熱」や「熱中」とは、子どもたちに対して直接的に働きかける教育活動に熱気が感じられたときにのみ与えられる称号なのである。とすれば、情熱先生や熱中先生とは、冒頭に挙げたふた通りの人々のなかで「足許のぬかるみばかりを気にしている人」にしか与えられない称号であることを意味しないか。雲の向こう側を見つめている人、つまりは物事に見通しをもって対処する人や物事を巨視的に見て判断する人には与えられづらい称号であるということだ。僕はこれだけでも、情熱や熱中が真に美徳であるかと会議せざるを得ない。

しかし、僕が情熱先生や熱中先生を悪徳とまでは言わないまでも美徳ではないと断言するのは、彼らが広い視野をもたず、そうと気づかぬままに周りに迷惑をかけることが多いからである。

一つの学年に学級が五つあったとする。一組から五組まであるわけだ。そのうちのひとクラス、例えば三組の担任が熱中先生だったとしよう。朝・帰りのホームルームでは先生がギターをつま弾く。それに合わせて子どもたちが歌う。やんちゃな子に対しては人としての生き方を語り、不登校傾向を示す子には学校がいかに楽しいかを語る。学級内での揉め事は、担任が熱意をもってすべて解決する。生徒指導では自分の学級の子どもの側に立って、ときには他学級や他学年の子どもたちを責める。行事では必ず集団で某を創り上げることこそが至上であるとし、その価値を疑問を持たずに信じ込んでいる。「子どもたちのため」ならば真夜中の電話連絡にも対応し、深夜の残業も厭わない。それが三組だ。

こんな三組を横目に見ながら、二組の担任は大学を出たばかりの新卒教師だったとする。四組の担任は我が子がまだ小さくて、それでも教職が大好きで、我が子を保育所に送り迎えをしながら教壇に立っていたとする。もちろんこの二人は熱中先生のような動き方はできない。新卒さんは人生の妙を語る言葉を持たず、学級内の揉め事を解決することもできない。お母さん先生は勤務時間ギリギリに出勤し、勤務時間終了とともに退勤せざるを得ない。二人とも周りに迷惑をかけないようにと一生懸命にやっているのだが、なかなか事態は好転しない。この好転しないことに、熱中先生の三組は影響を与えていないだろうか。二組や三組の子どもたちに、必要以上に「隣の芝生」を青く見せてはいないだろうか。「どうしてうちの担任は熱中先生のようにやってくれないのか」と子どもたちに呟かせ、「ウチのクラスはハズレだわ」と保護者たちに愚痴らせてはいないか。そして、その構造に熱中先生はまったく気づいていないのではあるまいか。

学級経営は相対的に評価される。一つのクラスだけが幸せで、その他はそのクラスの成功の裏で悪影響を感受せざるを得ない。そういう構造は、学級経営を超えて学年経営や学校経営の視点に至ったとき、初めて見えてくる。熱中先生が新卒先生やお母さん先生に合わせるべきだと逝っているのではない。熱中先生は視野を広くもって、二組や三組の子をも幸せにする視点をもたねばならないのではないかと言っているだけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

まえがき二つ

まえがき

学校に対して自己中心的で理不尽な要求を突きつける保護者を揶揄した「モンスターペアレント」という語が登場して、そろそろ10年を迎えようとしています。教育界で議論されるのみならず、ドラマ化されたり、実際に法的に訴える教師が出たりと、世論をあげて話題になった語としても知られています。

その一方で、この語がいたずらに学校と保護者とが対立する構図を煽っているという識者の声や、保護者は本質的にはかつてと変化していないという現場の声も聞こえてきます。実は、私自身、「モンスターペアレント」と呼びたいほどに、保護者と深刻な対立に陥ったという経験がありません。私自身もまだまだ保護者は「話せばわかる」人が多いのではないかというのが実感です。

さて、確かに世の中には「モンスター」と呼ばれても仕方ない保護者というのがいるのかもしれません。しかし、そうした深刻なクレーム、学校と保護者の深刻な対立が生じる以前の段階で、教師の対応に不備・不足はなかったのでしょうか。保護者の立場を顧みることなく、学校の論理、職員室の論理ばかりを押しつけることによって、保護者からみれば心ならずもクレームをつけざるを得なかったということはないのでしょうか。

本書はこのような視点に立ちながら、保護者の立場や真情に理解を示しながら、教育活動をスムーズに進行させていく手立てを考えます。

まえがき

中学校の文化祭・学校祭において、ステージ発表は「花形」である。成功すれば生徒からも職員からも大絶賛を浴び、失敗すれば「こんなステージならやらない方がマシだった」と批判される。こうした反応があること自体が「花形」である何よりの証拠である。成功すれば生徒たちの満足感も大きく、成長も大きいと言える。

しかし、それだけに、教師にとってはプレッシャーのかかる領域でもある。ステージ発表の指導に自信をもっている教師も少ない。自信をもてぬ教師にとっては、まさに「イチかバチか」の賭けのようなところがある。多くの教師がステージ発表の成功と生徒たちの成長の像を具体的に描くことができずに尻込みしてしまう。それがステージ発表である。

本書はまず「理論編」として、長く演劇部の顧問を担当し、新卒以来、文化祭・学校祭では常にステージ発表を担当してきた編者が、ステージ発表づくりのま基礎技術を提案する。また、「実践編」として、ステージ発表を得意とする者から不得手とする者までが、ステージ発表を成功に導く手立てを自分なりにまとめて、演目のアイディアとともに提案する。

本書がステージ発表に挑戦してみたいという若手教師に、また、少しでも自らのステージ発表の質を高めたいと願う中堅・ベテラン教師に少しでも糧となるならば、それは望外の幸甚である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スキル、ネットワーク、人柄

1 溶けたスキル

「キャリア」は意図的に積まなければ「キャリア」として機能しない。無目的に、無思慮に経験を重ね、日々を漫然と過ごしても「キャリア」は積み上がらない。「キャリア」は毎日を目的的に生き、意図的・意識的に経験を重ねた者だけに宿る。こんな単純なことが教師の世界では蔑ろにされている。事実、明日この教材の授業に入るという段になって、初めて「何か良い方法はないか」と探し始める。四月に引き受けた研究授業がとうとう一ヶ月後に迫って、初めて重い腰を上げて本屋に足を運ぶ。周りにはそんな例ばかりが見られる。付け焼き刃の教材研究も学級経営も、にわか仕込みの研究授業も行事運営も、それ以前の日常を無目的に、無思慮に、無意図的に、無意識的に、要するに漫然と過ごしてきたことから起こる。

「キャリア」は一般に「スキル」を身につけることだと考えられている。もしも我々が「職人」を目指しているのならそれでもいいかもしれない。しかし、それは社会が「ものづくり」を中心に動いていた頃に形成された、この国に巣くう悪しき共同幻想に過ぎない。「ものづくり」ならどんな頑固親父がつくったものであろうと、どんな奇人変人がつくったものであろうと、完成された「もの」の完成度が高ければ価値をもつ。だから職人は何よりも「腕」を磨いた。「腕」を磨けば「結果」が出た。確かにこの国にはそういう時代が長く続いた。しかし、現在、もう数十年も前から、「スキル」を身につけるだけでは「結果」が出ない。

現在、同じような発想で「結果」を出せないでいるのが、「資格」である。あれもこれもと「資格」を取り、「資格お化け」になる者が後を絶たない。しかし、「資格」をたくさんもった者ほど良い仕事ができるなどとはだれも思っていない。むしろ、多くの「資格」が、それをもっているというプライドが、「資格」よりも重要な何かをよけいに機能させなくなる。そういう例が多い。そもそも「資格」とは、ある「スキル」をある程度まで身につけたことに与えられる称号でしかない。それは「職人」の身につけた「スキル」に到底及ばない。「職人」は百回取り組めば百回同じものをつくる。「スキル」が血肉化し、意識しなくても常に同じ動きができる。それが「職人的スキル」である。ある程度まで身につけたスキルなどというものは、所詮、意識的に使わなければ使えない。あくまで「ある程度のスキル」であって「職人の腕」には遠く及ばない。だから大抵の場合、それほど高い評価を得られず、「資格お化け」のプライドは切り裂かれざるを得ない。「資格」などというものにはせいぜい「ないよりあった方がましなもの」といった程度の捉えをしておいて、あまり期待しないでいるのが良い。

「スキル」には簡潔に言って二種類がある。一つは、その「スキル」の存在を知っていて、使おうと思ったときに意識的に使えること。いま一つは、「スキル」を意識的に使う段階を超えて、意識しなくても使える、即ち「腕」となった状態である。前者は一般に「技術」と呼ばれ、後者は一般に「技能」と呼ばれる。「授業スキル」も「学級経営スキル」も「生徒指導スキル」も、「技能」にならないと機能しない。本を読んだり研究会に参加したりして勉強したような気になっている教師が、一向に教育活動を機能させられないのはそのせいである。それでは「資格お化け」と一緒で、満たされるのは「自意識」だけだ。「スキル」を「技能」として身につけるには毎日を目的的に生き、意図的・意識的に経験を重ねるしかない。「技術」が自らに溶けて「技能」となるまで経験を重ね続けるしかない。「スキル」は自らに溶けてこそ「身についた」と言えるのである。

2 開かれたネットワーク

気の効いた人たちは、「キャリア」を「スキル+ネットワーク」だと考えている。人間が一人の力でできることなどたかが知れているではないか。必要なときに力になってくれる人脈をどれだけもっているか、「スキル」と「ネットワーク」の双方をもってこそ「キャリア」と呼べるのだ、というわけである。

しかし、この「ネットワーク」という言葉が曲者である。気の合う者とのネットワーク、地位のある者とのネットワーク、自分を高く評価してくれる者とのネットワーク、自分を取り立ててくれる者とのネットワーク、要するに「閉じられたネットワーク」ばかりを求める傾向が多くの人々にある。だれもが所謂「護送船団」に守られた時代であればそういう生き方もあったかもしれない。しかし、それは世の中が「安定神話」「成長神話」に基づいて動いていた時代の悪しき慣習に過ぎない。「日進月歩」ならぬ「秒進分歩」の時代にあって、「閉じられたネットワーク」はかえって弊害になることさえ少なくない。視野を狭め、あるものを見えなくさせ、時にはないものさえ見せてしまう。「僕らには見えない世界が始まっているようだ」「あの人についてきたのは間違いだった」と後悔したときには既に手遅れとなる。「閉じられたネットワーク」に依存して生きられる時代は、二十世紀末、実は山一と拓銀の破綻の頃にとうに終わっていたのではなかったか。

学校教育の世界で言えば、日々子どもの姿が変わることがこれに当たる。教師は子どもたちの変容を日々の成長としてのみ捉える傾向がある。一人ひとりの子の成長ならば我々は受け入れやすい。むしろ喜ぶことさえできる。しかし現在、我々を戸惑わせ苛立たせているのは一人ひとりの変容などではなく、「子ども集団の質の変容」であり、「保護者集団の価値基準の変容」である。「学校文化」と「子ども・保護者の文化的背景」とが齟齬を来したとき、従来からの学校的価値規準にしがみつき、「あの子はなぜわかってくれないのか」と戸惑い、「あの保護者にしてこの子あり」と苛立っているのが現在の学校の現実である。

子どもたちも保護者も時代の風を胸一杯吸い込みながら暮らしている。「情報化」「多様化」がキーワードなって既に四十年が経つ。教師が知識や情報を独占する時代ではない。知識も情報も少し手を伸ばせば得られる時代となった。むしろネット情報に触れる機会の少ない一部の教師が、子どもたちが当然のようにもっている知識や情報をもっていない状態が普通に見られるようになった。それに伴って価値観は多様化し、Aの利益がBの不利益となり、CとDの趣向は大きく異なる。そんななかで、教師は集団こそが価値であり、協調・思いやりこそが至高であると抽象論を語る。行事で子どもたちを楽しませるアイテムはいまだに演劇と合唱であり、子どもたちが日常的に親しんでいる映像・アニメ・バンド・ダンスは「学校教育に相応しくない」という理由で忌避される。「学校文化」が「子ども・保護者」と齟齬を起こしても当然ではないか。なぜ、ここまで大きな齟齬を来すに至ったかを考えるとき、それは教師がいまだに「閉じられたネットワーク」に安住しようとしていることに思い至りはしないか。

ためしに読者の皆さんに思い浮かべていただきたい。教職以外に日常的に付き合う友人・知人をどれだけもっているか。教職以外のネットワークをどれだけもっているか。いや、教職内部のネットワークでも良い。自らの教科以外の教師が集うネットワーク、自らの校種以外の者が集うネットワーク、自らが所属する部活動種目や研究団体以外のネットワークをどれだけもっているか。多様性のない、似た者同士の付き合いのなかに自らの身を置いていないか。「閉じられたネットワーク」のなかに安住してはいないか。更に微視的に見てみよう。職員室内部ではどうだろう。同世代、同学年、同一教科、そんな近しい同僚たちの間だけで「セクト」化されたコミュニケーションに閉じられてはいないか。行政や管理職への不満を連ね、教育観の異なる同僚の陰口を叩き、井の中の蛙同士で傷を舐め合ってはいないだろうか。そして、実は、教師が無意識的にこのような「閉じられたネットワーク」に閉じ籠もる悪弊こそが、子どもたちや保護者との間に必要以上の軋轢を来す元凶となっているのではないか。

現在、教師が子どもたちや保護者との円滑なコミュニケーションを目指すならば、教師は自らの「世界観」を広げなくてはならない。そのためにはできるだけ「社会的階層」や「出自」や「生活の場」を異にする多様な人たち、即ち「価値観」を異にする多様な人たちと「開かれたネットワーク」を形成しなければならない。「開かれたネットワーク」はそれをもちたいとの意欲をもっているだけでは、いつまでたっても得られない。意図的に、意識的に、目的的に得ようと努めなければ得ることができない。たとえ得ることができても、そこには数々のストレスが立ちはだかる。多様な「価値観」こそがこの世で最も軋轢を起こすからだ。しかし、常に多様な「価値観」のなかに身を置き、それらの「価値観」をときには折衷し、ときには止揚する、それができて、初めて「開かれたネットワーク」を得たと言えるのである。

3 人柄の良さ

しかし、「キャリアアップ」が、「スキル」を向上し「ネットワーク」を広げれば良いのかと言うとそうでもない。「スキル」をもち「ネットワーク」ももっているのに周りから評価されない人はごまんといる。では、他に何が必要なのか。それは「人柄の良さ」である。正確に言えば、「人柄が良いと思われること」が必要とされる。いくら切れ味鋭く「スキル」を使いこなせても、どんなに広い「ネットワーク」をもっていても、周りから「人柄が悪い」と思われたらそれらが嫌みになる。まさに「宝の持ち腐れ」。「スキル」も「ネットワーク」もまったく機能させられない。

「人柄が良い」とは、いったいどのような性向を指すのか。それは端的に言えば、「周りに無償で与えられる人」のことである。見返りを期待せず、人を思い通りに操作しようとせず、自分に役立つからと目的的に与えるのではなく、ただ自分のできることを無償で贈与する。日本人はこういう人を「人柄が良い」と評価する。これは子どもでも保護者でも同僚でもネットワーク仲間でも同じである。日本人である限りにおいて、この評価規準は変わらない。

「スキル」をもつ者は、その「スキル」で子どもたちにも保護者にも某かを与えることができる。同僚にはその「スキル」自体を伝授し、与えることができる。しかも、情けは人の為ならず、その成果は、意図せずとも必ず別の形で自分に返ってくるものである。子どもや保護者に自分が予想もしなかった効果があったり、同僚がその「スキル」を応用して別の方法を開発し、かえって自分にも学びとしてかえってきたり、そんな例が多々ある。つまり、「与えること」が「開かれたネットワーク」の萌芽となり得るのだ。そもそも「開かれたネットワーク」とは、「無償で与えられる人」だけがもつことができる。与えれば与えるほどそのつながりは広がり、与えれば与えるだけそのつながりは深くなる。そういう性質のものだ。そうでない人の周りに多様な人たちは集まらない。多様な人たちに多様に与えた者だけが、多様な「価値観」をもつ人々の多様な「スキル」に触れることができるようになる。多様な「スキル」をもつ者は、更に周りの人たちに「無償で与えられる」ものを多くもつことができる。更に「ネットワーク」は開かれ、更に「ネットワーク」は広がる。良い循環が始まる。ここまで到達したとき、だれもがその「キャリア」を評価するようになるのである。

「キャリア」とは、「スキル」と「ネットワーク」と「人柄」の総和を意味する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »