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困った時代

僕の友人が勤務校の校長に「本当はあんなみたいなのが校長になればいいんだよなあ…」と言われたそうだ。
さもありなん、である。
全国のいろいろな地域で管理職希望者が足りないという話を聞く。結果、あまり優秀でない人、人の上に立つのが向かない人、本当は人の上に立ちたいと思っていない人がどんどん管理職にされている。断言するのは大袈裟かもしれないが、少なくともその傾向がある
そんななか、政治は校長の権力の増大を打ち出している。世論は校長の権力を増大して大丈夫かと心配するけれど、現場の教師たちは何も心配していない。校長に増大した権力を振りかざす力量などなく、どうせ校内の主立った教師たち、要するに副校長や教頭や主幹や主任クラスの教師に相談しながらじゃなければ判断などできないと知っているからだ。おそらく政治が進めようとしている校長権力の増大に最もおびえているのは他ならぬ校長たちなのではないか。「僕らにそん...な力はないよ~」と。
現場に優秀な人材がいないわけではない。しかし、そうした人材のうちに管理職を志望する者は、僕の実感では三人に一人いるかいないかと言った感じに見える。やり甲斐もないし、うまみもない。増大しているのは部下に嫌われるための権力ばかりである。そもそも子どもたちと接したいと思って志した教師である。管理職になりたいと思う率はもともと低かったのだ。
優秀なプレイヤーが優秀なマネージャーになるわげてはない……というのが世の中の定だが、こと、教育界においてはこれが当て嵌まらない。子どもたちの指導において優秀なら、間違いなく管理職としてもその能力を発揮する。人の資質や能力を見極め、適材適所に配置し、その能力を潜在的なところまで含めて発揮させる、それを「教育」と僕らは呼んでいる。これ即ち、管理職に必要な能力なのである。
管理職志望者が減っている。この傾向はよほどの改革がなされなければおそらく止まらない。政治にとっては困った時代になったものだと思う。

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