「夏帽子」と「二十四の瞳」
ふたつの細長い岬が、両の腕のようにのびて小さな入り江をつくっ ている。岬と岬のあいだには橋が架けてあり、双方の岬を行き来す るのに使われていた。その入り江全体が水産試験場の敷地で、架橋 も本来は職員だけの通行施設である。岬の往来に便利なので、徒歩 で渡る場合にかぎって、職員以外でも利用してよいことになってい た。
かたほうの岬の中腹に学校がある。ほかには気象観測所があるきり で、この架橋を使って入り江を横切るのは、もっぱら学校生徒と教 師、それに観測所の職員たちだった。天候の悪いときや波の高いと き、橋は閉鎖され、生徒たちは内陸の道を遠回りしなければならな い。そんな奇妙な橋のある学校が、紺野先生の新しい赴任地だった 。
(『夏帽子 12』長野まゆみ・1994年・河出文庫版・所収)
ついさっき、この冒頭が「二十四の瞳」の冒頭を下敷きにしてるな 、と気がついた。そういうことだったんだな。かつて教科書に掲載 されて...いたこの文章。当時は気づかなかった。
十年をひとむかしというならば、この物語の発端はいまからふたむ かし半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の 規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第 一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年四月 四日、農山漁村の名がぜんぶあてはまるような、瀬戸内海べりの一 寒村へ、わかい女の先生が赴任してきた。
百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のようにみせる役を している細長い岬の、そのとっぱなにあったので、対岸の町や村へ いくには小船でわたったり、うねうねとまがりながらつづく岬の山 道をてくてくあるいたりせねばならない。交通がすごくふべんなの で、小学校の生徒は四年までが村の分教場にいき、五年になっては じめて、かた道五キロの本村の小学校へかようのである。
(『二十四の瞳』壺井栄・1952年・新潮文庫版)
疲れているところに、ちょっと温かい気持ちになった。こういうの って、僕にとっては人生の潤いなんだ。
(『夏帽子 12』長野まゆみ・1994年・河出文庫版・所収)
ついさっき、この冒頭が「二十四の瞳」の冒頭を下敷きにしてるな
十年をひとむかしというならば、この物語の発端はいまからふたむ
百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のようにみせる役を
(『二十四の瞳』壺井栄・1952年・新潮文庫版)
疲れているところに、ちょっと温かい気持ちになった。こういうの
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